Round South America
 Colonia-Yguazu Paraguay



パラグアイの西端に位置するシウダー・デル・エステという都市のターミナルで、もう2時間もバスを待っている。シウダー・デル・エステは首都アスンシオンに次ぐパラグアイ第二の都市で、このアルト・パラナ県に限れば最も大きな都市である。

そのためこのあたりを走る長距離バスはだいたいがこの都市を始発とするし、バスターミナルだって割と立派な建物で、いくつもの長距離バス会社のオフィスが入居しているから、そこでバスのチケットを買えばバスのおおよその出発時間なんてわかるものなのだが、僕の場合はそうすることはできなかった。なぜなら僕が乗るのは長距離バスではなく、ローカルバス(市内巡回バスのようなもの)だったから。

バスターミナルの施設係員に自分が乗りたいバスの出発について尋ねてみても、はっきりとした回答は得られなかった。長距離バスならともかく、市内バスがいつ到着していつ出発するかなんて、誰もまともに把握してはいないのだ。係員にわかっていたのは

 「 今日はドミンゴ(日曜日)だから、平日よりもバスの本数は少ない。」

 ということだけであった。こうなるとあとはもうただひたすら待つことしかできないのであるが、既に2時間も待っている僕にはそのことがどうにも上手く納得できない。だって僕はこれからバスに乗るのだが、実を言うとそのバスで移動するのは僅か1時間の予定なのである。1時間バスに乗るために、そのバスを既に2時間も待っているのだから、納得できなくて当然だと思う。そう、僕の行き先はここから僅か1時間、距離にして41キロメートルの地点なのである。





パラグアイ・アルゼンチン・ブラジルの3カ国の国境が交わる場所から西に向かって41Kmの地点にイグアス移住地と呼ばれる場所がある。国境のパラグアイ側の都市シウダー・デル・エステで何とか市内バスに乗り込めた僕だったが、目的地である移住地には停留所らしきものが無いという事だったので、どこで下車すればよいのかと少々心配だったのだが、バスの窓から道路沿いに「41KM地点のスーペルメルカド(スーパーマーケット)」という大きな看板を目にしたおかげで、うっかり乗り過ごしてしまうような失敗は犯さずに、移住地へと到着することが出来た。

このイグアス移住地には今でも多くの日本人や日系人が生活している。この移住地が開かれたのは1961年。最初は僅か14の日本人家族から始まった入植だったが、それから50年以上経過した現在では約6,000人の日本人・日系人が、約8,000人のパラグアイ人と共に地域社会を形成している。

地理的な観点から言えば、もうとんでもない田舎にある村なのだが、それでも南米を旅する日本人旅行者、とりわけバックパッカースタイルで長く旅する日本人旅行者には人気がある。それはこの村に日本の生活様式があって、現地の人達と普通に日本語で会話が出来たり、様々な日本食を楽しめたりと、海外での長旅に疲れた心身をリラックスさせるのに最適な場所だからだ。





この移住地はもちろん観光地ではないのだが、それでも宿泊できるところが数件あって、僕は村のセントロ(中心地)にあるペンションにお世話になった。宿泊施設以外に日本食レストランと売店を備えた、旅行者にとってかなり便利な宿である。オーナーの一家はもちろん日本人だ。



到着した日は宿でゆっくりと過ごし、僕はその翌日から本格的に村を歩き回ることにする。日本人移住地という場所がどのようなコミュニティなのか、同じ日本人として自分の目で確認したい。あとそれから、美味しい日本食も見つけたい。直近の2カ国(ウルグアイ・アルゼンチン)では土地柄のせいもあって牛肉ばかり食べていたので、脂っこい料理には飽きてきていたのである。





歩いてみると、移住地のセントロとはいうものの、そこは田舎だけあって賑やかさとはあまり縁の無さそうなところである。道路は舗装されていたりされていなかったりと、場所によってまちまちだが、隣一軒までの距離が非常に長い。それから感覚的なものだが、雰囲気も(良い意味で)非常にのんびりしている。

それから気になったのは、全くといってよいほど人に会わないことである。真夏の昼間でかなり暑いということもあって住民が外出する時間帯ではないのかもしれないが、それにしても本当に人がいない。きっと人口密度もかなり低いのだろうと想像する。

そしてそんなセントロの最も栄えているエリアに歩き着くと、そのあたりには役所や学校や電話局といった公共機関があった。他には警察署やプラザ(公園)があって、試しにその公園に入ってみたのだが、やはり人影はなかった。子供も遊んでいないし、老人が談笑している姿もない。誰かいれば話しかけてみたいところだったが、それがかなわず残念である。








ただ、この公園では南米各国の公園とは異なった、いかにも日本に関わりがある公園らしい点を幾つか見つけることが出来た。そのうちのひとつは「皇太子同后両殿下移住地御訪問記念樹」というもので、側にあった記念碑には昭和53年と彫られていたから、現在の天皇陛下がまだ皇太子だったときにこの移住地に来られたということがわかる。

それからもうひとつはプラザの入口に建てられた鳥居である。僕が南米で鳥居を見るのはブラジル・サンパウロの東洋人街に続いてこれが二度目なので、特別驚いたりはしなかった。ただ、驚いたりはしなかったのだが、その代わりに気になることがあった。それはサンパウロで鳥居を見かけた時には感じなかったことなのだが、ではそれが何かというと、自分でもよくわからない。あえてその感覚を言葉にするなら、「違和感」といったところなのだが、でもどうして違和感を感じるのだろうか?

最初はそれは、「神社がないのに鳥居だけがある」ということが自分に違和感を感じさせたのかと考えたが、でもサンパウロの鳥居だって神社の無い場所に建てられていたというのに、今回のような違和感を感じることはなかった。

僕は鳥居の前に立ってその違和感についてしばし熟考してみたが、上手い答えが見つからない。そのうちにかなり暑さの中で(気温は30℃を軽く越えている)、良くないアタマを使ったせいか、なんだかクラクラしてきたので、僕は日陰に入るためにプラザを後にすることにした。



プラザを出た僕は「 どこか暑さを凌げる場所に ・・・」と考えたのだが、日差しを避けるには屋内に入る以外に方法はなく、かといってペンションまで戻るのは面倒だったので、僕はプラザの近くにある「手打ちうどん」の店に(店名:ふくおか亭)入ることにする。

移住地には手の込んだ日本食を提供する料理店が幾つかあるのだけれど、ここはそういった店のうちのひとつだ。店先にある看板には平仮名で大きく「うどん」、そしてアルファベットで「Udon」と書かれてある。店舗の壁面には「鍋焼きうどん」という張り紙があり、ちょっと心が惹かれるけれど、流石にこの暑さで鍋焼きうどんはちょっと厳しい。








店舗の外観を眺めた後、「鍋焼きの他にはどんなうどんを扱っているのだろう?」という期待を抱いて店舗の中に入ってみたのだが、そこには誰もいなかった。客もいなければ給仕もいない。幾つかの木目調テーブルが置かれたシンプルな内装の店内の片隅にはテレビが置かれてあり、その液晶画面には日本のNHK衛星放送の番組が映っていた。落ち着いた雰囲気の中で、ヴォリュームを低く絞られたナレーションだけが店内の空気を僅かに響かせている。

無人の店内を眺めていても始まらないので、大きな声で「ごめんください」と呼んでみると、店奥から愛想の良い微笑みを浮かべた年配の女性が現れ、出迎えてくれた。そして僕はメニューについて訊き、少し考えてから「冷やしうどん」を注文する。ご飯ものもあったのだけれど、せっかく手打ちのうどんを食べられるのだからということで、それを選んだのだ。

それから暫しの時が流れ、お待ちかねのうどんが運ばれてくる。ガラス製の器にたっぷり盛られたうどんの他に、かきあげと薬味、そしてつけ汁。見た目はとても綺麗だが、さて味のほうはどうだろうかと早速一口すすってみると ・・・ 、これがもうたまらなく美味しい。

日本の料理を食べるのはブラジル以来3ヶ国ぶりである。でも、久しぶりだから美味しく感じられたというわけじゃない。本当に日本のうどん専門店と同じように、いやあるいはそれ以上に美味しいのである。あとおまけに値段もすごく良心的だ。こんなに美味しいのにたったの15,000グアラニー(グアラニーはパラグアイの通貨単位で、15,000グアラニー日本円にして300円強。)しかしない。

そんな和食に感銘を受けた僕は自分が日本から来た旅行者であると自己紹介し、女性にうどんや移住地についていろいろと尋ねてみると、彼女は快く答えてくれた。冷やしうどんセット使われている食材はほぼ全てこの移住地で収穫されたものなのだそうだ。いわゆる「地産地消」である。

移住地で生産されている主要な作物は大豆で、これはパラグアイ国内で消費されるだけでなく海外へと輸出されるほどの生産量なのだが、かといって大豆だけを作っているというわけではなく、他にも小麦など様々な作物を栽培している。そしてそれらの作物が移住地の家庭はもちろん、このふくおか亭のような飲食店でも食材として使用されているのだ。





うどんを食べ終えると、店の女性がぶどうを一房丸ごと出してくれた。のであるが、注文した覚えがない。すると彼女は、「ウチの庭で採れたぶどうなの。よかったらどうぞ。」と、言う。とても綺麗なぶどうで、無料ならばと遠慮なく一粒食べてみると、これまたとても瑞々しく、甘く、そして美味しい。それで僕がそのことを言うと彼女は

「沢山あるから持っていきなさい」

 といって、ぶどうを更に3房出してきては袋に入れて手渡してくれた。商売っ気が全く無くて、料理屋に食事をしに来たという気がしない。僕はぶどうを一房食べ終えると、彼女の親切に感謝して礼を言い、頂いたぶどうを手にして店を出た。



そして店を出た僕はイグアス移住地の『生協』が運営するスーパーマーケットに行くことにする。ふくおか亭の女性に移住地についていろいろと質問したが、ここで収穫される食材や、その食材から作られた加工食品の幾つかはそこで購入できると教わったからだ。








スーパーマーケットはすぐに見つかった。そこが生協運営であることを示す「COOP」という単語が掲げられた看板が店の屋根に付いていたので、間違えようがなかった。店内に入ってみると、けっこうな人数の買い物客がいる。客は日本人とパラグアイ人が大体半々くらいの割合だったが、それに対して売場で見かけた限りでは、従業員は全てパラグアイ人だった。

品揃えについては生活雑貨もあるにはあるが、どちらかといえば食料品が中心である。米やパンといった穀物加工品から肉や魚(パラグアイには海がないから、輸入されたものだと思う。フリーザーでは冷凍保管されていた。)のような生鮮食品、即席ラーメンやレトルトパウチのインスタント食品、そしてジュースやビールなどの飲料品まで、およそ生活に必要な食材のほとんどはこのスーパーでまかなえるように見えた。








あと、これはあらかじめ予想していたことだけど、日系移住地らしい日本由来の食材ももちろん扱っていた。醤油のような、日本以外の国でもよく見られるようになった調味料があれば、どら焼きや大福といった、まだまだ海外では珍しい和菓子まで、いろいろと揃っている。一般的にこれらの菓子は日持ちがしないのだが、製造される数が多くないのだろうか、すぐに売り切れてしまうということである。

日持ちのしない食材といえば、(このスーパーでは扱っていないのだけれど)イグアス移住地では豆腐も購入できる。そして豆腐があるとなれば、あとは味噌があれば味噌汁も作れるのではないか? と、そんなことを思いついた。ペンションには宿泊客が使用できるキッチンがあり、夕食は自炊しようと考えていたからである。

そして考えながら店内を廻っていると、冷蔵ショ−ケースではその味噌を見つけることができた。それも驚いたことに天然ものである。しかし天然の味噌を使って味噌汁を作るとなると、別途に出汁が必要だ。どうすればよいだろうか?

「そういえば調味料コーナーに『ほんだし』が並んでいたような・・・。いや、でもせっかく天然の味噌を使うというのに調味料が人工的なものっていうのは・・・」

 などと考えているうちに、なんだか面倒くさくなってきてしまい、結局味噌は購入しなかった(でも大福は購入した。)。おそらく今夜の夕食の飲み物は味噌汁の代わりにビールとなるであろう。情けない日本人バックパッカーである。



買い物を終えてスーパーマーケットを出てみると、空はすっかり夕焼けに染まっていた。初めて海外旅行をした頃は外国のスーパーマーケットというのは自分にとって観光地と同じくらい興味深い場所だったので、用も無いのに入店しては物価や品揃えを調べたりしたものだけれど、最近では流石に飽きてきたのか、店舗に長居することも殆どなくなっていた。

けれども、このイグアス生協のスーパーマーケットは「日本に関わりがある」という点が他のスーパーマーケットと異なっていたからだろう、自分が思っていた以上に買い物に(正確には買い物と店内観察に)時間を費やしたみたいである。

昼間に比べて少し涼しくなった移住地の小路を歩いてペンションへと帰ると、僕はペンションに併設された売店の前に近所の主婦と思われる女性が5,6人集まって談笑しているのを見かけた。見るからに「井戸端会議」といった感じである。

主婦達の側を通る際に、僕が「こんにちは」と挨拶すると彼女達も挨拶を返してくれたが、そのとき主婦の一人が僕が首からカメラを提げているのを見て、僕がペンションの泊り客、つまり日本から来た旅行者だと気付いたようで

 「こんな何も無いところを歩いて廻ったって、面白くなかったでしょう?」

 と、幾分同情的に言われてしまった。もしここが観光地だったら、地元の住民からこういった発言が出てきたらちょっと困ったことになるのだろうけど、イグアス移住地の産業といえばあくまで農業であって、観光業ではないので、そこは特に問題にはならない。それに彼女の言うとおり、実際のところツーリスティックなランドマークは確かにこの移住地に無いのも事実。ただ僕としては見所が全く無かったとは思わなかったので

 「そんなことないですよ。プラザでは鳥居を見ることが出来ましたから。」

  と、答えた。

 「あの鳥居が面白かったの?」

 「ええ、海外で日本の鳥居なんてまず見られないですしね。」

 「そう ・・・ でもあの鳥居、ちょっとおかしいでしょう?」

  彼女からそう質問されたとき、僕は「あの鳥居に何かおかしなところがあっただろうか?」と考えるのと同時に、実際に鳥居を目にした時に覚えた違和感のことを思い出した。そういえばあの違和感はいったい何だったのだろう? 僕がそんなことを考えていると、彼女は続けて

 「あの鳥居、普通の日本の鳥居に比べてやけに横長じゃない?」

  と、尋ねてきた。





それだ。僕があのとき感じた感じた違和感はまさしくそれだった。鳥居の形状である。確かに彼女が言うとおり、プラザで見た鳥居は普通の鳥居に比べて明らかに横長に過ぎる。彼女に言われてようやく違和感の正体が判明した。だが判明したら判明したで、今度はまた別の疑問が湧いてくる。なので僕は

 「でも、どうして鳥居をああいうカタチにしたんですか?」

  と、尋ねてみた。

 「そう訊かれてもねえ。だって、私達(日本人)が建てたわけじゃないから。」

 「えっ? そうなんですか?」

 「そうよ、だいたい私達日本人があんなおかしなカタチをした鳥居を建てるわけないでしょう。」

  と、彼女は答えた。ハナシを詳しく聞いてみると、どうもあの鳥居の建設については地元のパラグアイ人だか行政だかが、「イグアス移住地には日本人が大勢住んでいるのだから、何か日本的なモノがあったほうが良い。」というような感じで、勝手に建て始めてしまったものなのだそうだ。そしてその結果、あのような日本人からするとちょっと違和感のある鳥居が出来上がり、現在に至るというわけである。

 「せめて建てる前に私達日本人にひとこと相談してくれれば良かったんだけどねえ。」

 と、その主婦はため息交じりに呟いた。彼女によれば、この建設について、建築主や施工主から日本人住民に対して事前に何の説明も無かったのだそうだ。もし鳥居を建てることがわかっていれば、あのような残念な鳥居が出来上がることはなかったと、そう言いたいようだった。パラグアイ人側からすれば、良かれと思って建てた鳥居なのだろうけど、それに対する日本人側のリアクションは(僕が想像する限りでは)微妙なものになってしまったようである。例えるなら

「 交際している女性にサプライズなプレゼントをしたのだけれど、実はその品物が彼女の趣味に合わなくて、あまり喜んでもらえなかった。」

 というところだろうか? 一応、誤解のないように説明するけど、これは別に僕の過去の女性経験を言っているわけではない。あくまで、あくまで、あくまで、 『 例え 』 である。慣れていない事はするものではない、という一般的な教訓を示しただけである。

まあそれはともかく、日本人移住地で鳥居を見つけて、「ああ、僕も日本からどんなに遠く離れて旅していても、故郷や先祖への感謝の気持ちを忘れてはいけないな。」と改めて肝に銘じた・・・ というのはもちろん嘘だけど、でもちょっと感慨深い気持ちになったりしたのは本当だったのに、それが「日本人が建てたわけじゃない」という事実を知り、挙句の果てに「あんなおかしなカタチをした鳥居」とまで言われた今、何だか無性に損した気分である。僕の心が狭いだけかもしれないけれど。


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