Round South America
 Asuncion Paraguay



パラグアイの首都アスンシオンにあるメルカド・クワトロという市場を一人で歩いていたら、注意していたにもかかわらず、またしても迷子になった。またしても、というのはどういうことかと言うと、実は白状すると僕は昨日もこの市場を訪れていたのだけれど、そのときにもやはり迷子になっていたのである。

南米大陸の大きなメルカド(市場)はどこも迷いやすいものだけれども、ことアスンシオンのメルカド・クワトロに関して言えば、迷いやすさランキングで恐らく南米一位になれると思う。このメルカドの広い敷地とまるで迷路のように入り組んだ通路と無数の店舗が不慣れな人間の方向感覚を、いとも簡単に狂わせてしまうのである。





昨日はこのメルカドから外へ抜け出すために、スマートフォンを活用した。スマートフォンにはGPS機能が付いているので、地図アプリを起動させさえすれば、この市場から抜け出すのことはそれほど難しいことではない。のであるが、今日はもうそのやり方は使わないことにした。何故かというと昨夜に

「メルカド・クワトロはスリやひったくりが多発しているので、スマートフォンは出すのは良くないよ。」

 と、僕がアスンシオンで泊まっている宿のオーナーからアドバイスを受けたからである。南米諸国では携帯電話はともかく、スマートフォンはまだまだ高級品だ。昨日メルカドの中でスマートフォンを操作しながら出口を探していたときに何の被害に遭うことも無かったのはたまたま運が良かっただけかもしれない。旅行者よりも地元に住む人間の方が現地事情に詳しいのは当然のことなのだから、そのアドバイスは真摯に受け止めたほうがいい。

とはいえ、何の頼りもなしにメルカドの中をただ徘徊するだけではいつまでたってもここから抜け出せない。だから僕はポケットからスマートフォンを出す代わりに、周りをキョロキョロと見回し、そしてなるべく親切そうな人(親切そうに見える人)を探して

「ンバエイシャパ」

 と、声をかけたのである。



昨夜アスンシオンの宿でオーナーに見せてもらった、「セブン・ボックス」というタイトルのパラグアイ映画のDVDパッケージに記載されている解説によれば、パラグアイではこれまでに製作された映画が僅か20本にも満たないのだそうだ。

南米諸国はアジアやヨーロッパに比べると国家としての歴史は浅い国々が多いけれど、パラグアイはそれでも建国から既に200年以上は経過しているのだから、20本というのはちょっと少なすぎると思う。ちなみに日本では毎年500本以上の映画(邦画)が製作されているというから、それと比べるとパラグアイの映画産業がいかに小さいかがわかる。







そんな希少なパラグアイ映画の中で恐らくは唯一、世界である程度知られているのがその「セブン・ボックス(スペイン語題: Siete Cajas)」である。2012年に公開されたこの映画の舞台は僕が迷子になった、アスンシオンのメルカド・クワトロだ。パラグアイに来た外国人旅行者がDVD鑑賞するにはまさにうってつけの映画である。

ストーリーはメルカド・クワトロで働く主人公の少年が携帯電話を買いたいがために、100米ドルの成功報酬と引き換えに、「絶対に開けてはいけない」と指示された怪しげな七つの箱を運ぶ仕事を引き受けるところから始まるのだが、冒頭から映し出されるメルカド・クワトロの活気ある光景を観ていると

「あれ?この通路って、ひょっとしたら今日自分が歩いたところかも。」

 と、思うこともあったりして、最初からかなり楽しめる。それから映画は日本語字幕で見ているのだが、パラグアイの映画だから音声はもちろんスペイン語だ。旅に出る前、日本で少し独学でスペイン語を勉強したとはいえ、実際にスペイン語圏に入ってまだ3カ国目にしかならない僕にとってはリスニングの練習にもなる・・・と、考えながら鑑賞を続けていたのだが、どうもところどころで

「これは明らかにスペイン語の発音じゃないよな」

 という場面が出てくるのである。そこでやっと僕はこの映画を鑑賞する前に宿のオーナーが教えてくれたことを思い出す。実はこの映画ではスペイン語だけでなくグアラニー語も使われているのだそうだ。DVDのパッケージをもう一度よくチェックしてみたら確かに 「スペイン語(一部グアラニー語)」 と記載してある。

映画はかなり面白かったのだが、あいにくと昼間にかなり歩き回ったせいで疲れていたのと、夕食時にビールを沢山飲んでしまったために眠くなってしまい、最後まで鑑賞することなくベッドに入ってしまったのだが、翌朝インターネットで調べたところによれば南米大陸ではスペイン語を公用語としている国が9カ国あるが、その中でボリビアとパラグアイがスペイン語以外にこのグアラニー語を公用語としていることがわかった。準公用語や第二公用語ではなく、正式な公用語として採用しているのである。

ではそのグアラニー語というのはいったいどのような言語なのかというと、それはこの国の先住民であるグアラニー族の言語である。グアラニー族はかつてパラグアイ以外にもアルゼンチン・ウルグアイ・ボリビア・ブラジルと広範囲にわたって生活していた民族で、そのために南米各国の地名はグアラニー語に由来するものも少なくない。例えば滝で有名な「イグアス」という地名もグアラニー語で「イ(水)・グアス(大きな)」という意味だ。

パラグアイではこのグアラニー語が義務教育の必修科目になっていて、国民のおよそ9割がこのグアラニー語とスペイン語を話すというから、もう国民のほとんどがバイリンガルなのである。日常的には日本語というひとつの言語しか使用しない日本人の僕にとってその事実はとても興味深く思えたし、且つこのグアラニー語という言語への興味も涌いてきた。

中南米でスペイン語を学んでいるという人間はけっこういるけれど、先住民の言葉を勉強しようとしている旅行者なんてまず見当たらない。けれどもグアラニー語は自分がパラグアイの次に進もうと考えているボリビアでも一部通用するみたいだし、勉強とまではいかなくても、少しでも覚えておけば地元の人達とのコミュニケーションのきっかけを作るのにも役立つのではないだろうか?

そう考えた僕はこのグアラニー語にトライしてみることにした。スペイン語もまだ半端に話せるだけなのに、この上更に新しい言語をというのは無謀なような気もするが、何事もチャレンジである。そして会話の基本はまず挨拶からというわけで、スペイン語の「Hola」、日本語の「こんにちは」に相当するグアラニー語の

「ンバエイシャパ」

 という言葉から覚えることから始めたのである。



メルカド・クワトロで迷子になった僕はグアラニー語で「ンバエイシャパ」と、近くで店番をしていた中年の女性に声を掛けてみた。その店に何か買いたい物があったわけではなく、もちろんこのメルカドから出るための道順を尋ねるためである。するとその女性は

「えっ? どうしてこの東洋人グアラニー語を喋ってるの?」

 というような顔をする。こうなればきっかけ作りは成功だ。これであとは道順を訊くだけである・・・と思ったら、それは大間違いだった。彼女は僕の挨拶に驚いた後、グアラニー語で返答してきたのである。もちろん僕は彼女が何を喋っているのか、その内容を全く理解できない。なぜならグアラニー語はまだた単語10個ぐらいと幾つかの会話例を覚えただけだったから。僕としてはグアラニー語をきっかけにして相手に自分に対して関心をもってもらい、そこからスペイン語の会話で道順を教えてもらうつもりだったのだが、どうやら彼女は僕がグアラニー語ができると思ってしまったようで、グアラニー語でまくしたててくる。こうなるともうどうにもならないので、僕は奥の手で

「 Ane e michimi guaranime. (グアラニー語は少しだけです)」

 という、単語以外にあらかじめ丸暗記していた文章のうちのひとつを発して、会話の言語をスペイン語に切り替えてもらうことにした。スペイン語ならカタコトとはいえ、道順についてのハナシをするくらいなら問題ない。それで最終的には

「 Quiero salir desde aqui. (ここから出たいんです)」

 というスペイン語に頼ってしまったけれども、僕はなんとかメルカド・クワトロを抜け出すことができたのである。でもその後、メルカドを抜け出したら抜け出したらで今度はそこがいったいどこの通りなのかがわからなくて、結局スマートフォンのGPSに頼ってしまうというというオチがついたけど。



それから僕はアスンシオンの中心部にあるウルグアージャ広場という公園に足を運んで散歩をしたのだけれど、ここでもグアラニー語は現地の人達と仲良くなるのに一役買ってくれた。僕は公園で写真を撮影していたのだが、一眼レフカメラを抱えた僕は明らかに目立っていた。

アスンシオンはパラグアイの首都だけど、近隣諸国の首都、例えばアルゼンチンのブエノスアイレスやペルーのリマなどと比べるとかなり観光客が少ない都市だから、自分が目立つのも仕方のないことかもしれないけれど、公園のベンチに腰掛けて休んでいる地元の人達はまるで珍しい生き物を観察するかのように、僕の方を眺めていた。

なので僕は「そんなに僕の事が気になるのなら」と思い、こちらから近くのベンチに座っていた男性の二人組みに ンバエイパシャ と声をかけてみた。するとその二人組みはやっぱりメルカド・クワトロで道順を尋ねた女性のように

「外国人なのにグアラニー語を話すのか!」

 という感じになったのだが、何故か彼等は驚くというよりは大笑いしていた。挨拶するぐらいでそんなに笑ってくれるなら、こんなに楽なことはない。いっそのことグアラニー語を極めて、パラグアイでコメディアンになるのも良いかもしれない。







それからその二人の男性に誘われたので僕もベンチに腰掛け、自己紹介がてら彼等と世間話をした。それで彼等も期待しているし、僕もせっかくだから覚えたグアラニー語がどのくらい通用するのかを試してみたかったので

「 Che Japongua(私は日本人です)」
「 Ara pora koape.(今日は良い天気ですね)」

 というようにグアラニー語を喋ってみたところ、そんな幾つかの文章だけでも彼等は大喜びしていた。けれども丸暗記した文例を口にしているだけだとやはり会話もすぐに限界がきてしまう。なので申し訳ないけど途中からはスペイン語に切り替えてサッカーの話などをしていたのだが、そうこうしているうちに彼等は僕にお茶を勧めてくれた。それは「テレレ」だった。

テレレというのは簡単に説明すると「冷たいマテ茶」のことである。マテ茶は日本コカ・コーラ社の「太陽のマテ茶」のCMの影響もあって最近では日本でもよく知られるようになったが、パラグアイに限らずアルゼンチンやウルグアイでもそうだったけど、こちらの人は本当によくこのお茶を飲む。

だいたいみんな出かけるときは肩からかなり大きな「テレレセット(ポットとカップとフィルター付きストローの3点セット)」をぶら下げていて、僕からすると邪魔でしょうがないんじゃないかと思ってしまうのだけれど、それでもみんな普通にこの格好でバスに乗って通勤したり、街を歩いていたりする。







ちなみにこのテレレの道具はそれこそどこにでも売っている。路上でもバスターミナルでもスーペルメルカド(スーパマーケット)でも、もちろんメルカド・クワトロでも販売されている。特にメルカド・クワトロではテレレ道具を扱っている店舗がいったい幾つあるのかわからないくらい多く存在する。

ウルグアージャ広場の二人組みの男性はどちらも黒地に白で「 OLIMPIA (オリンピア)」とデザインされたテレレセットを持っていた。オリンピアというのはクラブ・オリンピア、つまりアスンシオンのプロ・サッカーチームのことで、これは僕もよく知っていた。ドイツやイングランドで活躍した「ロケ・サンタクルス」という世界的に有名な選手がかつてこのチームに在籍していたからだ。

サンタクルスは2010年のワールドカップ 南アフリカ大会で日本とパラグアイがベスト8を賭けて戦った試合にも出場していたから、あまり海外のサッカーに詳しくない日本人でも彼の名前くらいは覚えている人もいるかと思う。現在でもスペインリーグで活躍している彼は本当に素晴らしい選手で、確かイングランドでプレーしていたときは年間20得点ぐらいしたシーズンもあったはずだ。欠点らしい欠点の無い、万能型の点取り屋である。

強いて彼の欠点を挙げるとするなら、とにかくかなりのイケメンで日本も含めて世界中に女性ファンが沢山いて、おまけに性格もすこぶる良いということぐらいだ。それさえなければもう本当に完璧なプレイヤーなのだが、残念ながらその唯一の欠点のために個人的にどうしても応援できないのが非常に残念だ。



そんな感じでそのクラブ・アスンシオンの話をしていたら、彼等はテレレを僕に勧めてくれたのだった。もちろん僕は旅行者なので、テレレを飲むのに使うストローを持っていないのだが、彼等はそれでも勧めてくれた。パラグアイでは親しい間柄ならテレレのストローも含めて回し飲みするのである。

彼等と僕はつい先ほど出会ったばかりなのに、それでも彼等は回し飲みを勧めてくれた。きっと僕が使ったグアラニー語と、「東洋人がアスンシオンのクラブチームの事をよく知ってくれている」という事実が僕たちの間柄を親しいものにしてくれたのだろう。

勧められて飲んでみたテレレは少々苦味はあったけれども、よく冷えていて飲み易かった。きっとポットの中に氷を入れているのだろう。夏のパラグアイは本当に暑いからよく水分補給しなくてはいけないのだが、売店で手軽に買えるドリンクはコーラなどの炭酸飲料ばかりなので、飲みすぎるとお腹が苦しくなる。でも、このテレレは何故か沢山飲んでもよく身体に染み込んでいく。テレレは古くから先住民が飲んでいたものだというから、きっと暑い国で生活する人々に適しているのだろう。

テレレをご馳走になり、それからテレレ道具の写真を撮影させてもらったりした後、僕はその二人組みの男性達とは別れることにした。少々名残惜しかったけれど、僕にはまだこのアスンシオンで行ってみたい場所が他にもあったのだ。別れ際、僕は彼等に

「 Aguyje.(ありがとう) Jajoechapeve (さようなら)」

 と、最後はやはりグアラニー語で挨拶した。すると彼等はそれぞれ僕のことを抱きしめる。こんな暑いときに男にハグされるのは流石にちょっと遠慮したいのだが、でももう今更ハグくらい構わないか。だって僕等は男同士にもかかわらず、ストローで間接キスをした親しい間柄なのだから。



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