「懐かしい味」
〜 イタリア ミラノ 〜


「ガイドブックも持たずに海外旅行をしてるんですか?」

 その日本人女性から質問されたとき、僕はまるで自分が彼女に対して何かとんでもない迷惑をかけているかのような錯覚に陥った。なぜなら彼女の言い方が質問というよりは「批難する」といったような口調であり、また表情については「いったいこの男はどういうつもりなのかしら?」という不審な様子をあからさまに顔に出していたからである。

そして彼女のそんな質問に対して最初は、「ガイドブックを所持していないわけではなく、所持してはいるけれども、訳あって彼女の持つガイドブックを見せてもらいたかった。」その理由を説明しようとしたのだが、やはり思い直してガイドブックを彼女に返し

「どうもありがとうございました」

 ただそう言い残すと、僕は足早に観光案内所を立ち去ったのだった。



スロヴェニアからイタリアへと入国した僕はトリエステという街を経由し、その日のうちに列車でヴェネチアへとやってきた。イタリアで最初に滞在する街にヴェネチアを選んだことに、特別な理由はない。駅へ行って切符を買おうとしたときに、次に来る列車に乗ったらいったいどこまで遠くに行けるのだろうかと調べてみたところ、それがたまたまヴェネチアだった ― ただそれだけのことである。

列車を降りたヴェネチア・サンタ・ルチア駅の前には「ヴァポレット」と呼ばれる水上バスの乗場が運河に面して設けられており、駅から直接各島へと移動できるようになっている。

だが僕はすぐにヴァポレットに乗ることはしなかった。なぜかと言うと、ヴェネチアの中のどの島に滞在するか、まだ決めていなかったからである。

本来であればヴェネチアまでの列車のなかで、どこに泊まるかある程度考えておくところである。列車に揺られている時間は長かったし、東欧のときと違ってガイドブックだって持っていたから、通常であればそれは可能なはずだった。

けれども実際にはそうするのに問題があった。そしてその問題は時間ではなく、ガイドブックのほうにあった。実を言うと、僕が所持している西ヨーロッパのガイドブックは少々困ったシロモノだったのである。

欧米人向けに英語で書かれたそのガイドブックはイスタンブールの古書店で購入したものだった。そして古本だけにもちろんその内容も古く、例えば西ヨーロッパの通貨に関する記述について言えば、現在ではほとんどの国でユーロが使われているのにもかかわらず、リラ(イタリア)やフラン(フランス)といった旧通貨で書かれていた。

そんなガイドブックだったから、そこに記載されてある情報の全てを鵜呑みにすることはできなかった。情報というのは生き物で、時間と共に変化していくのだという事を僕はここまでの旅の経験から知っていたからである。なので僕はサンタ・ルチアの駅を降りたときに、そこでたまたま見つけた観光案内所へと足を運ぶことにしたのだ。安宿に関する情報を得るために。

観光案内所の前ではツーリストが列を作って順番待ちをしていたので、僕も続いて並ぶ。そして並んでから少しすると、僕の何人か前に女子大生風の日本人女性が並んでいることに気が付く。何故彼女が日本人であるということに気が付くことが出来たのかというと、その女性が日本語のガイドブックを手に抱えていたからである。

僕が観光案内所を利用しようとしたのは、ヴェネチアの見所について質問するためではなく、安宿を紹介してもらうためである。そしてその目的ならば、わざわざ案内所の職員に質問しなくても、ガイドブックがあれば事足りる。彼女のガイトブックを見せてもらえたら、わざわざ並ぶ必要も無い。僕は彼女に声をかけることにした。

「こんにちは。あの・・・そのガイドブックを見せてもらうことはできますか?」

 彼女のところまで歩いて行って僕がそう声をかけたとき、何故だか彼女はすごく驚いた表情を見せた。彼女のそんな反応に、むしろ僕のほうが驚かされたくらいである。

「あの・・・、ガイドブックを見せてもらえるでしょうか?」

 僕がもう一度頼むと、今度は彼女は無言でガイドブックを差し出した。最初から心弾むような会話を期待していたわけじゃないけど、無言の返答というのは予想外だった。それでも僕は礼を言って彼女が差し出したガイドブックを受け取ってパラパラとめくり、ヴェネチアの宿に関するページを見つけ

「ヴェネチアにもユースホステルが1件があるのか・・・」

 などと頭の中で思っていたら、それまで一言も口を利かなかった彼女が僕に向かって急に、「ガイドブックも持たずに海外旅行をしてるんですか?」と、質問してきたのである。そしてその質問の口調と彼女の表情に、僕はとても冷たい印象を受けた。またそれと同時に、僕等の周りには気まずい空気が流れ出していた。

自分よりも明らかに年下とわかる人間からそんなふうに詰問されると、僕もあまり良い気持ちがしなかった。確かにお願いしたのはこちらのほうだけど、かといってそこまでぞんざいな扱いを受けるいわれも無いとも思ったし。見せたくないのであれば、別にこちらも無理にとは言わないのだから。

詳しい事情を説明して彼女に納得してもらうという方法もあったのかもしれないが、それで彼女の機嫌が良くなるという保証はなかった。なので僕は彼女にガイドブックを返して礼を言うと、観光案内所を後にしてヴァポレット乗場へと向かったのである。



ヴェネチアに着いた翌日からは、いつものように街歩きに出る。しかし何故だか街を歩いていても、「水の都」とまで謳われる運河の風景鑑賞に、なかなか集中できない。ならばと今度は趣向を変えてヴァポレットに乗り、運河の上から街の姿を眺めてみても、全然気持ちがのってこない。

どんなに美しい景色を目にしても、頭の中に浮かんでくるのは観光案内所で日本人女性と交わした会話のことばかりであった。もう終わってしまった事についてくよくよ悩むのは自分らしくなかったが、この街を歩いていると、どうしても思い出してしまうのである。それはこの街でとても多くの日本人観光客を見かけるせいである。

ヴェネチアで見かける日本人のほとんどは、家族や知人・友人と一緒にこの街を訪れているようだった。ただ、これだけ有名な観光地であるからには、僕のように一人で来ている旅行者も少しはいるとは思うのだけれど、街歩きをしていても不思議と見かけなかった。おかげで僕は

「日本人はこんなにいるのに、僕だけが一人なんだな。」

 と、少々感傷的な気分になった。それは別に「孤独を感した」とか、そういう大げさな感情ではない。ただ、自分は一人なのだということを強く感じさせられたという、それだけのことである。でもそんなことを感じるのは、僕にとって珍しいことだったので、自分でも戸惑っていたのだ。

僕は東南アジアこそ旅しなかったけれど、東アジア、南アジア、中東、東欧とユーラシア大陸を西に向かって旅し続け、そして数多くの国に滞在してきた。それらのどこの国でも自分はエイリアン(外国人)であり、マイノリティ(少数派)だったけど、これ程までに強く「自分は一人なんだ」と感じさせられたことは無かったと思う。そう考えると、このヴェネチアでの感覚は本当に予想外だ。

「ここは東京や大阪と同じなんだ。日本の都会には日本人が大勢いる。しかし同じ日本人同士だからといって、知らない人に話しかけたりはしない。そうだよ、日本を旅行していると思えばこれはごく普通のことなんだ。」

 最後には僕はもう、そう結論づけることにした。西への旅を進めれば進めるほど、僕は日本からどんどん離れていってるはずなのに、今はむしろ一気に日本に近づいてしまったような気がする。でも仕方がない。実際にそう感じてしまうのだから。

 「これからは、相手から話しかけてきた場合は別だけど、それ以外は日本人を見かけても自分からむやみに声をかけるのは止めたほうがいいのかもしれないな。」

 ヴァポレットの船上で、僕はそんなことを考えていた。



そんなヴェネチアでの滞在だったが、良かった事が少しも無かったのか?と、思い返してみると、そういえばイタリア料理を体験できたのはなかなか有意義だった。滞在中に2回だけ外食したのだが、1回はパスタで、もう1回はピザにトライした。パスタとカプチーノで1700円、ピザは立ち食いのスタンドでホールサイズを8等分したものが400円と、それぞれ信じられないくらいの値段だったが、ヴェネチアでの数少ない意味のある体験だった。

ヴェネチアの次は鈍行列車でミラノへと移動したのだが、そのミラノでは食事の仕方を通常に戻すことに決めた。つまり食料品を買い、宿の部屋で食べることにしたのである。このやり方は基本的に僕がヨーロッパに入ってから続けている食生活である。僕の荷物の中にはいつも折ったバゲット(パン)とジャムが入っていて、訪れる街で缶詰などのおかずを1品だけ購入するのだ。

パンについては日が経つと硬くなってしまうが、そういうときはコイルヒーターで沸かしたお湯で紅茶を作り、それに浸けて食べていた。わびしいと言えば確かにわびしいが、外食を避けて節約するにはこれが一番手っ取り早い。ないしろこのやり方だと1食200円もかからないのだから。

ある日、僕はいつものように買い出しのためにスーパーへ行くことにした。この買い出しは僕にとって街の散策もかねているので、毎日なるべく違う店へ行くようにしている。こういうやり方は何件も店があるような繁華街でしかできないけれど、今回は泊まっていたのがミラノ中央駅の近くだったので、店は沢山あった。

スーパーを探しながらぶらぶら街を歩いていると、いつしか僕はトルコの料理や食材を扱う店が多く立ち並んでいる通りに出ていた。「イスタンブール・ドネルケバブ」とか「イスタンブール・マ−ケット」というふうに、ネーミングにイスタンブールという地名を使う店が多い。

「きっとこのあたりはトルコ人街で、トルコから移民や出稼ぎでやってきた人が多いんだろうな。」

 僕はそんなことを考えながら歩いていたのだけれど、それからドネルケバブの店で立ち止まり、例のぐるぐる回転する肉を眺めていたら、なんだか無性にケバブが食べたくなってきて、ついその店のドアを開けてしまった。

本当は節約のためスーパーに缶詰ひとつ買いに行くだけだったのに、こんなふうに誘惑に負けてしまうのは情けないが、店に入ってしまったらもうしょうがない。僕はその店のカウンターに立っていたいかにもトルコ人らしいオジサンの店員に

「メルハバ! ケバブ ネカダル?」(こんにちは! ケバブはいくらですか?)

 と、トルコ語で尋ねてみたところ、トルコ人のオジサン店員は

「トルコ語が話せるのか?」

 と、すごくビックリしている表情で訊いてきた。きっと東洋人の客がトルコ語で話しかけてくるなんて、夢にも思ってもいなかったのだろう。驚かせて悪かったけど、トルコ語は僕がこの旅でもっとも力を入れて覚えた言語なのである。

僕はどこの国でも旅行に役立つ現地語のフレーズは覚えるように努めているのだけれど、そのなかでもトルコ語に関していえば、トラブゾンで出会った日本人旅行者から『トルコ語辞典』を借りる機会があったので、よくガイドブックの巻末に掲載されている「旅のトルコ語」のような最低限のトルコ語じゃなくて、初歩的なレヴェルではあるけれども旅行以外にも使える様々な文章をノートに書き写させてもらい、暇な時間を利用して熱心に覚えたものである。もちろん、その頃はそれがイタリアで役に立つ事になるなんて思ってもいなかったけど。

それで肝心のケバブの値段なのだが、そのオジサンの説明によれば『ドネルケバブセット』というリーズナブルなセットメニューがあって、ケバブとフライドポテトとドリンクがセットになって5ユーロだと言う。なんだかハンバーガー・チェーンのメニューみたいで、ちっともケバブらしくない。それから5ユーロという値段についても、トルコの料理らしくない(要するに高い)気がする。

でも結局、僕はそのドネルケバブセットを注文することにした。いろいろと質問した以上、何も買わずに店を出るのも気まずかったし、オジサンが言うとおり、その店のなかではそれが一番リーズナブルなメニューだったので。

それから少し待ち、僕は出来上がったドネルケバブセットを袋に詰めてもらい、それをオジサンから受け取ると

「サーオルン」(ありがとう)

 と、トルコ語で礼を言った。するとオジサンはまたしても感動したような表情を見せ、しかも今度は僕に抱きついてきた。それからこのオジサンとしばらくトルコや日本のハナシをする。店がそれほど混雑していないとはいえ、オジサンもう仕事そっちのけである。

「アラースマルドゥク!」(さようなら)

 あまり長居するのも悪いと思い、最後にそう言って、オジサンと握手をしてから店を出た。そして歩きながら買ったばかりのドネルケバブを早速食べてみると、確かにトルコで食べた「あのドネルケバブ」と同じ味がした。それは懐かしいアジアの味だった。イタリアで食べるパスタやピザといったイタリア料理はもちろん美味しいけれど、イタリアで食べるドネルケバブも負けてない ― そんなふうに思わせてくれる味だった。

このミラノの後、僕はフランスへ進もうと考えている。イタリアに入国したときは少しばかり落ち込んだけれど、でもこの店は僕のそんな気持ちを引っ張りあげてくれた。僕にとってはとても気持ちの良い店だった。


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