「クルド人の話(後編)」
〜 トルコ エルズルム 〜

トルコ南東部のワンから黒海沿岸のトラブゾンという街に行こうと思い立ち、ワンのバス会社を幾つか当たってみたところ、トラブゾン行きのバスはあるにはあるのだが、ワンから直接トラブゾンへ行こうとすると最低でも12時間以上はかかるという事がわかった。パキスタンなどでは1回のバス移動で15時間以上乗ったこともあったのだが、それ以降の僕はどちらかといえば短距離の移動を繰り返しながら西進してきており、またそういう移動の仕方に完全に慣れてしまっていた。だから僕は12時間以上と聞いて何だか気が進まなくなってしまい、とりあえずワンとトラブゾンの中間ぐらいにあるアナトリア地方のエルズルムという街へ行き、そこで数日滞在してからトラブゾンへ行くことに予定を変更した。そしてそのとき僕は

「いつでも簡単に旅の予定を変更できるのがバックッパッカーの良いところだよな。」

 なんて思っていたのだが、それがエルズルムのバスターミナルに到着したときには何故か

「これだったら予定を変更しないで直接トラブゾンに行ったほうがよかったよなあ・・・。」

 と、後悔することになってしまったのである。



トルコでは長距離バスのターミナルのことを「オトガル」と呼ぶのだが、僕が乗ってきたバスがエルズルムのオトガルに到着したのは夜の8時。バスを降りると外は真っ暗という時間だったから、街の中心へと向かう市内バスやドルムシュ(乗り合いタクシー)は既に運行を終えてしまっていた。イランと同様にトルコでもバスターミナルは町外れにあるから、こうなってしまうとあとは普通のタクシーでも利用しない限り、安宿がある街の中心部まで行くことはできない。

でも僕にはタクシーを利用するつもりは全く無かった。その理由はいつものとおり料金節約のためである。もちろんタクシーの料金が安ければ乗ってもかまわないのだが、残念ながらトルコへ入国して以来、僕はこの国の交通費の高さを身を持って痛感してきていた。

例えば今回のワンからエルズルムまでの移動時間はバスで7時間だったのだが、その料金はなんと約1100円もした。イランで7時間バスに乗るとなると料金は200円ちょっとだったから、比較すると約5倍の値段である。この格差の要因はイランが産油国であるのに対してトルコが石油のほとんどを輸入に頼っているからなのだが、トルコの食費や宿代などはイランと比べると「若干高め」といったところでおさまっているので、僕のように東方から流れてきた旅行者には、交通費だけが突出して高くなったように感じられてしまうのだ。

だから僕はオトガルで客待ちしているタクシードライバーに、市内までの料金を尋ねるような事はしなかった。バスの料金がこんなに高いのに、タクシーの料金が安いはずがない。それで僕はバックパックを背負うと、ガイドブックに掲載されている地図を見ながら、市内へと向かって歩き始めた。時間はかなりかかるかもしれないが、地図を見る限りは歩けないという距離ではないように思えたからだ。

しかしながら歩き始めて10分くらいすると、僕は早くも自分の選択が間違っていたのではないだろうかと、疑問を感じるようになった。ガイドブックによればオトガルから市内へは2キロメートルということだが、とてもこのまま2キロも歩き続けられそうな気がしない。何故かというと、すごく「寒かった」からである。もちろん冬の夜だから寒いのは当然なのだが、今僕が感じている気温はそういう「寒い」レベルをはるかに超えているような気がする。それで僕は「いったい今何度くらいなんだろう?」と、思っていつもザックにぶら下げてある温度計を確認してみると、温度計は「マイナス20度」という表示を僕に向かって見せた。そしてその時その表示を見た僕にできた事と言えば、ただ首を振ってため息をつく事だけだった。



エルズルムの標高は約1800メートル。ちょっとした山の上に街があるような感じだが、トルコにはアララト山という5000メートル以上の山もあるから、まあ高いといっても驚くほどの高さではない。驚くべきところはこの街の気温である。ガイドブックによればこのエルズルム周辺は、その標高と内陸部に位置するという条件のためにトルコでもっとも寒い地域とされ、冬になるとマイナス30度まで気温が下がることも珍しく無いと、そういうことになっている。

実を言うと僕はこのガイドブックの記述をワンの街にいるときに既に読んでいた。でもマイナス30度なんて少しばかり誇張した表現じゃないかと、そのときは疑っていたのだ。いくら寒くてもイランのタブリーズにいたときと同じくらい、せいぜいマイナス15度くらいじゃないのかと。でも今温度計を見てやっとわかった。それが全然誇張ではないことが。マイナス30度が珍しくないのだから、今の気温マイナス20度なんて、きっと冬のエルズルムでは日常のことなのだろう。

そんなわけで僕はマイナス20度という気温の中を、「やっぱり直接トラブゾンに行けばよかった」と、ぶつくさい言いながら2キロメートルも歩くことになってしまったのである。市内の安宿に辿り着いたときには、自分が冷凍マグロかなんかになってしまったのではないかと思うくらいだった。それで僕は部屋に荷物を置くとすぐに宿の前にあった定食屋に入り、食事をとって熱いチャイを何杯も飲んだ。そうすることによってようやく身体を暖めることができた。ちょうどマグロを解凍するみたいに。

翌日に街へ出てみると、寒いことは寒いけどさすがに昼間だけあってマイナス20度というような気温ではなかった。正確に言うと昼間の気温はマイナス5度で、他の地域と比べればかなり寒いのかもしれないが、エルズルムとしては、まあ普通の気温なんだろう。しかしマイナス5度というのは地元の人にとっては何でもなくても僕にとっては十分寒い。だからこのエルズルムではあんまり街を歩きたいとも思わなかった。それにエルズルムは大都市だけど見るべき価値のある場所もほとんどない。だから僕がエルズルムで行ったのはジェムフリエット通り沿いにある、「チフテ・ミナーレ」という昔の神学校だけである。そこへ行ったのだって、ただそこだけが「入場料がかからないから」というだけで、あんまり前向きな理由とは言えなかった。

おまけにその神学校は特に見ていてビックリしたとか、感動したとか、まずそういう感想を持つことのない種類のスポットだった。きっと歴史ある建築物なんだろうけど、やっぱり神学校だけあって面白味というものが完全に欠如している。そういうわけでエルズルムで訪れた唯一の場所も、僕は10分ばかりの見学で後にすることにした。

そしてそんなふうにして僕が神学校の見学を終えて通りに出たところ、僕は不意に近くにいた中年のオジサンから声をかけられた。そのとき僕はとても驚いた。ただ驚いたのはイキナリ声をかけられた事にではなくて(そういうのには慣れているので別に驚かない)、彼の話している言葉が英語だということにである。アナトリア地方はイランに比べるとマシではあるが、英語を話せる人はそれほど多くない。これからイスタンブールへ向かうにつれて(つまりヨーロッパに近づくにつれて)英語は通じやすくなっていくのであろうが、少なくとも今いる地域では、まだほとんど通じないと言っていい。それなのに英語で声をかけらたから、僕は驚いたのである。

「旅行者かい?よかったら一緒にお茶でも飲まないか?」

 それが僕が親しくなった二人目のクルド人の、最初の言葉だった。それはカタコトではない、とても明解な英語の言葉だった。



そのオジサンは僕に向かって名前は「ヌリ」、そしてクルド人であると自己紹介した。なんでもこの近くに自分の店を持っているらしいのだが、時間があるなら店でチャイでも飲んでいってくれよと、言うのだった。僕は少し考えた後、彼の店に行ってみることにした。断ったところでどうせ他に見たい場所もしたい事も無いのだから。このエルズルムでは。

彼の店は本当に神学校のすぐ近くにあった。そして店の中に入ったとき、僕はちょっとバツの悪い思いをすることになってしまった。実は彼の店というのは絨毯屋だったのである。それで僕が

「お店って、絨毯屋だったんですね。」
 と、言うと

「そう、これが私のビジネスなんだ。でも別に心配しなくていいよ。なにも君に絨毯を売ろうと思って声をかけたわけじゃないからね。こんな季節に東洋人なんて珍しいから、ちょっと声をかけてみただけなんだよ。」

 と、ヌリさんは先回りして僕に言った。そうなのだ、実を言うと僕は彼の店に入ったとき、「しまった、ひょっとしたらキャッチセールスに捕まったか?」と、勘ぐってしまっていたのだった。そしてその勘ぐりが多分僕の表情に出ていたのだろう。だからヌリさんはあんなふうに答えたのだ。僕はすごく恥ずかしかった。

それからヌリさんは近くにあるチャイハネからティーセットごと持ってきて、「どうぞ」と言って僕に勧めてくれた。それで僕等はチャイを飲みながらお互いの事を話し合った。僕はドウバヤジットから入国してワン・エルズルムと移動し、これからトラブゾンへ向かうつもりだと自分の旅について説明し、ヌリさんは自分の身の上を語ってくれた。

それによるとヌリさんは今40歳で、奥さんと5人の子供がいるのだそうだ。エルズルム郊外にある小さな村の出身で、家族は今もそこに住んでいるのだが、ヌリさん自身はビジネスのためにエルズルムと村を行ったり来たりしているという。それというのもヌリさんの扱っている絨毯というのが、村にいる彼の奥さんがハンドメイドで織っているもので、その絨毯を売るのがヌリさんの仕事なのだが、彼の店自体はエルズルムの中心地にあるからだ。

あとヌリさんは副業で外国人旅行者を相手にガイドの仕事もしているのだと言った。旅行者を案内するのはエルズルムではなく主に他の観光地らしいのだが、それでも固定客は多いらしい。なんでもヌリさんの仕事振りが気に入って、トルコに来る度に彼にガイドを頼む西洋人の旅行者もいるのだそうだ。まあ、とにかくその副業のおかげで英語はどんどん上達したのだと、僕に説明してくれた。そんなふうにしてお互い自己紹介をしたところで、僕はふと思いついたことを言ってみた。

「それにしてもエルズルムでクルド人に会うとは思いませんでしたよ。」

 特に意図したわけではなかったのだが、この一言のおかげで僕はヌリさんからガイドブックには書かれていない、なかなか興味深いハナシを聞くことになったのだった。



「南東部の街ほどではないけれど、エルズルムにもクルド人は住んでいるんだよ。」

 僕の思いつきの発言に対して、ヌリさんはそう答えた。 『クルディスタン』というのがどこからどこまでの地域なのかについては、明確に定められてはいない。ヌリさんによればエルズルムや僕が滞在していたドウバヤジットなどはクルディスタン地方には入らないかもしれないとの事だが、それでも少なくない数のクルド人が生活していると、僕に言った。

「そうですか。ドウバヤジットにもですか。けっこういろんな街にいるんですね。トルコ全土ではどのくらいいるんですか?」
 続けて僕は尋ねる。

「実を言うと、私も正確なところは知らないんだ。とにかく沢山いる、としか言いようがない。君が滞在していたワンなんて、人口の90%以上はクルド人なんだよ。」

 ヌリさんはそれがなんでもない事のように言った。それからは僕の質問と彼の回答の繰り返しが続いた。

「えっ?それ本当ですか?」

「ああ、本当だよ。」

「でも、ワンの人達はみんなトルコ語を話していましたよ。」

「年寄りを除けば、大抵のクルド人はトルコ語を話せるよ。」

「子供でも?」

「むしろ子供のほうがきちんと話せるよ。学校で習うからね。」

「クルドの学校ではトルコ語も教えてるって事ですか?」

「そうじゃないんだ。トルコにはクルドの学校なんて無いんだよ。トルコではトルコ人もクルド人も同じ学校に通うんだ。みんな『平等』にね。」

「『平等』に・・・ですか?それじゃあ、学校ではクルド語も教えてくれるんですか?」

「いや、教えてはくれない。」

「だとしたらクルドの子供達はクルド語がわからなくなっちゃうんじゃないですか?」

「いや、そんなことはないよ。クルド語は家で親から学ぶのさ。例えば、君は日本人だから日本語を話す。でも学校に行ったから日本語が話せるようになったわけじゃないだろう?それと同じだよ。」

 ヌリさんは答えた。それに対して僕は押し黙った。本当に同じなのだろうか?確かにヌリさんが言うように、話すだけならそれでもいいだろう。しかし『読み書き』はどうするのだ?僕自身について言えば読み書きは両親じゃなくて学校が教えてくれたように記憶している。小学校の一年生の時に教科書を見ながら、ノートに『あいうえお』なんて書きながら覚えていったんじゃなかっただろうか?

あと、仮に百歩譲って「読み書き」も家で習うとして、それでクルドの子供達がクルド語の習得に問題が無かったとしても、それが本当に『平等』なんだろうか?クルドの子供達がトルコ語もクルド語もどちらも学校で勉強できて初めて「平等」と言えるんじゃないだろうか?僕がそんなことを思っていると、またしてもヌリさんが僕の考えている事を見抜いたように

「君が思っているほど今のトルコ政府は悪くないよ。今と比べれば昔は本当にヒドかったんだ。何も学校や教育のことだけじゃない。昔の政府はクルド人から搾取することしか考えていなかった。でも今は税率だってトルコ人と一緒だし、子供達はトルコの学校にも通える。今の政府は本当によくやっていると思う。私自身に関しては今のトルコ政府にもトルコ人にも悪い印象は全く持っていないよ。」
 と、僕に向かって言った。

「でもワンで知り合ったクルド人はトルコ人の事をすごく嫌ってましたよ。」

 ヌリさんの言葉に全面的に首肯することができなかった僕は、そう言ってみた。するとヌリさんは

「国境付近に住むクルド人は子供の頃にちゃんとした教育を受けなかったのが多いんだ。だから政府と戦争をしたりもした。トルコ側にしてもイラン側にしてもね。でもね、だからと言って彼等だけが悪いと責めるわけにはいかない。そもそも彼等が政府と戦うのに使用していた武器を供与したのだってアメリカ政府なんだから。彼等はアメリカに利用されたんだよ。」

 そう僕に答えた。



ヌリさんの店を出た僕は、宿への帰り道を歩きながら彼と話した内容についてずっと考えていた。結局のところヌリさんは、「トルコ政府もクルド人もどちらも悪くない」という考えの下にハナシをし続けていたように、僕には思えた。そしてその考え方がワンの街で会ったヤシンさんにはどのように映るものなのか、僕はワンに戻ってヤシンさんに尋ねたいと思ったが、どうやってもそれは無理そうだった。何故なら僕はクルド語ができないし、かといってトルコ語はカタコト、それに対してヤシンさんは英語が話せないからである。

結局あきらめた僕は宿へ帰るのをいったん後回しにし、踵を返して市内にあるバス会社のオフィスへと向かうことにした。ワンではなく、トラブゾン行きのチケットを買うために。


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