「ヨーロッパの兆し」
〜 トルコ ドウバヤズット 〜

イランのバーザールガーンからトルコのギュルブラックへと国境を越えたとき、僕は持っていた腕時計の針を1時間30分戻すことにした。それがイランとトルコの間にある『時差』だったからだ。

それから僕は自分が立っているトルコ側から、ほんの少し前まで自分が滞在していたイラン側へと目をやってみる。その間には高いポールに取り付けられたトルコの国旗が風が無い為にたなびく事ができないでいる様子と、税関のチェックを済ませたトラックが雪に覆われた両国のイミグレーションを通過していくのが見えるのだが、どう長く見積もってもみてもその距離は数百メートルくらいにしか思えない。5分もあれば歩いて行ける距離である。

にもかかわらず国境の向こう側では、今自分がいる場所よりも1時間30分早い時間が使われているし、僕自身もその時間を利用していたというのは、間違いのない事実である。けれども僕は、その間違いのない事実を何故だか上手く飲み込むことができない。もちろん時差というのがどういうものなのか理解できないということではない。僕は賢い人間ではないけれど、さすがにそれくらいの事はわかる。でも

「数百メートル歩いただけで1時間30分も変わってしまうなんて、どうしてもしっくりこない。」

 そんな気持ちを簡単に払拭することもまた、僕にはなかなかできないのだ。もし僕が飛行機で一足飛びに国から国へと移動したのだったら、多分こんなことは感じなかっただろう。「これだけの距離を移動したんだから、時間が違うのは当然だ。」そんなふうに思うかもしれないし、あるいは「日本を昼に出発して十数時間も経っているのに、到着したらまだ昼だった。」という具合に身体で感じることもできるだろう。

でも陸路で国境を越える場合には、そういうふうに思うことも感じることもない。だって距離は数百メートルしか移動していないのだし、かかった時間だって時差ボケするほど長くはない。5分移動しただけで時差ボケにかかるという人間もいないだろう。

なにも陸路での国境越えは今回が初めてというわけじゃない。日本を出てからここまで、僕は幾つもの国境を越えてきた。どの国境でも、時計の針を巻き戻す作業が必要だった。それでも僕はその度に、まるで喉に小骨が引っかかったようなスッキリしない思いを感じてきたのである。そしてこの先何度経験しても、この感覚には上手に慣れることができそうな気がしない。

それから僕は国境から視線を戻し、もう一度腕時計に目をやる。僕と違って腕時計は急に時間を変えられたにもかかわらず驚いた様子を全く見せずに、淡々と針を動かしている。そして針と同じく文字盤についているカレンダーは今日が2003年の1月1日であることを、僕にむかって示していた。



2003年の1月1日に、僕はイランからトルコへと、『国境』を越えた。特にこれといった旅の目的を持たない僕にとって、国境越えというのは旅の唯一のイベントと言っても過言ではないのだが、だからと言ってその日をわざわざ1月1日にしようと決めるほどの思い入れは無く、それは「偶然、元旦になった。」というだけの事だった。けれども国境を越えた時には、その「偶然」が僕にむかってまるで

「元旦に国境を越えてしまったんだね。きっと君は今年も『国境』を越え続けることになるよ。だって『一年の計は元旦にあり』って言うだろう?」

 そう語りかけているようにも僕には思えてしまった。本来僕は言い伝えとか迷信といった類については全く信じない人間なのだが、今回ばかりは

「いや、そんなことはないよ。僕はもうすぐ旅を終えるつもりだから。」

 と、反論するだけの明確な予定も持ち合わせていなかったせいで、本当に今年も国境を越え続ける事になるんじゃないかと、そんな思いが頭をよぎる。実際のところ、今年の1年を僕ががどういうふうに過ごすのか、僕自身にも全くわかっていない。このトルコを西進してイスタンブールまで辿り着き、バックパッカー達がよく口にする『アジア横断』というのを完成させれば、そこで旅が終わるような気もするし、逆に『一年の計は元旦にあり』という言葉が示すとおりに、今年も「国境を越え続ける日々」が続くような気もしてしまう。でももしイスタンブールで旅が終わらずに、たとえ国境を越え続ける日々が続いたとしても、それはそれで仕方のないことなのだ。だって僕は何の予定も(そして目的も)なしに旅をしているのだから。

それでかまわないさ。このトルコでも今までと同じように旅をしていこう。先の事は考えず、幾つかの街を廻り、そのうちにイスタンブールへ辿り着ければいい。そんな事を考えながら、僕は国境のタクシー乗り場へと歩き始めた。僕が歩く右手には、アルメニア正教徒にとっての聖地であり、旧約聖書では大洪水の後に「ノアの箱舟」が辿り着いたとされている、「アララト山」の雄大な姿が見えていた。



僕は国境から最も近い街であるドウバヤジットへ向かう、ドルムシュというトルコの乗り合いタクシーに乗ることにした。あたりまえのことだが運賃としてトルコの通貨が必要になる。僕は余らせてしまったイラン・リヤールを全てトルコ・リラに交換するために、国境で闇両替をした。たいした金額ではなかったが、乗り合いのタクシー代としては十分だった。それはいいのだが、驚いた事がひとつあった。僕はイラン・リヤールをトルコ・リラへ両替したのだが、両替してくれた男が

「ユーロも両替できるぞ」

 と、言ってユーロ紙幣を見せてきたのである。僕はイランからやってきて、この先どこの国へ行くのかもわからない身だからユーロなんて持っていなかったし、今までユーロを持っていた旅行者にも会ったことがなかった。もちろん、イランやパキスタンと同様にトルコという国もEU加盟国ではない。けれども、そんな国でも実際にユーロ紙幣を見せられると、

「だんだんヨーロッパに近づいてきているのかな・・・。」

 曖昧ではあるけれども、そんな意識が頭の中でちらつきはじめた。

そんな僕の思いを更に強くさせたのは、ドルムシュを降りたドウバヤジットという街だった。トルコの西部からやって来た人間から見れば、「国境から一番近い」という以外には他に形容の方法が思いつかないくらいの田舎のしみったれた小さな街なのかもしれないけど、イランからやって来た僕には正直言って、「かなり進んだ街だな」というふうに感じられた。確かに街は小さかったけれど、メインストリートには「doviz」と呼ばれる両替所が何件かあり、いとも簡単に米ドルやユーロを両替することができる。正規の両替所なのに外国人が利用する際でもパスポートはいらないし、書類にサインする必要もない。ただ窓口で外貨を渡して、替わりにトルコ・リラをを受け取るだけである。実に便利なやり方だと思う。

こういう合理的なやり方は今までのアジアの国々では、あまり見られないことだった。(特にイランでは両替の手続きが複雑という前に、両替自体が不可能という街も多かった。)まだトルコの街をひとつしか見ていない僕が、「これは西洋的合理主義のひとつの表れだ」 と、断言するには早計だというのは十分承知しているけれど、「トルコは今までの国とはちょっと雰囲気が違うぞ」と、そんなふうに感じる気持ちを否定することはできなかった。

それから街を歩いていて目に付くアルファベットも、僕には印象的だった。どうしてかと言うとイランではアルファベットを見る機会なんて、ほとんど無かったらだ。トルコはイスラム教国だが、アラビア文字ではなくアルファベットを使用している事は、前もってガイドブックを読んで知っていたのだが、それども実際に自分の眼でその文字を見るとなんだかとても懐かしい感じがする。日本人の僕が外国で日本語を見て懐かしく感じるならまだしも、アルファベットを見て懐かしく感じるなんてちょっとおかしいのかもしれないけれど。

いずれにしても、外貨を扱う両替所やアルファベットが並ぶ看板 ― そういったドウバヤジットの光景は、「トルコはアジアとヨーロッパの境目である」という使い古された表現に、僕が頷くだけの説得力を持っていた。少なくともイラン側から入国してきた僕にとっては、そう思えたのだった。



僕は街中に幾つかある宿のうち、「サルハン」という名前のホテルにチェックインした。しかしホテルといってもそれは名ばかりで、実は雑居ビルの2・3階部分だけを間借りして営業している安宿である。ドウバヤジットには本当の意味でのしっかりしたホテルもあるのだが、僕はそちらには行かず、「サルハン」を選択した。僕がそのサルハンに泊まることにしたのは、イランで知り合ったドイツ人バックパッカーが、「ドウバヤジットで俺が泊まった宿はオススメだよ」と、言って教えてくれたからだった。

そしてその勧めに従って僕はこのサルハンのドミトリーに入ったのだが、泊まってみると暖房器具は石炭ストーブで温度の調節ができないうえに肝心の石炭が夜しか配給されず、この時期にとっては日が昇るまでかなり寒い。それならば共同のシャワーを使おうと思ったらこちらは故障中で、僕が滞在している間にお湯が出ることはなかった。昨日まで泊まっていたマークーの宿ではシャワーが凍り付いてしまって水さえ出なかったから、「トルコに入国したら、まず身体を洗おう。」と、思っていたのだが、それもできなくなってしまった。

そんな感じでいったい何がどうオススメなのか、僕にはよくわからなかったのがホテル・サルハンである。でも従業員は親切で、宿代に関してはとびきり安かった。僕がベッドを借りた代金は1泊2ドル弱である。イランよりも安い。あのドイツ人がオススメと言ったのは、多分この値段のことなのだろう。いかにもドイツ人らしい考え方である。

そしてそのドイツ人にしてもそうだが、この「サルハン」はバックパッカーの間ではよく知られている宿のようで、ここにはトルコ人だけでなく(僕以外にも)何人かの外国人が滞在していて、うち二人は日本人だった。僕も含めて皆一人旅を続けているバックパッカーである。僕達3人は日本人がせっかく海外で知り合えたのだからということで、「(バックパッカーにしては)少し贅沢な夕食をしよう」ということになった。

それで僕達は普通の食堂ではなく、レストランで食事をすることにした。レストランなんていうと僕達バックパッカーからすると格式ばったイメージがあるが、僕達が行ったのは決してそういった店ではなく、実際にはただの『焼肉屋』であった。僕と同部屋の日本人(トルコ語を少し話せる)がもうドウバヤズットに数週間も滞在していて、みつけたのだそうだ。

その店は基本的には日本の焼肉屋と同じで、好きな種類の肉や野菜を注文し、鉄板を使って自分達で焼いて食べるというスタイルだ。そして僕達も自分で調理した(焼いただけだけど)肉を食べたのだけれど、これが本当に美味しい。パキスタンやイランの店で食べてきた料理も美味しいとは思うけれど、長く食べ続けるには少々キツかった。日本人の僕からすると、油と香辛料を使い過ぎるところが辛いのである。でもこの店で食べた肉は妙な味付けをせずに(塩ぐらいしか使わなかった)焼いただけあって、純粋に肉の味を楽しめる。あまりに美味しくて本当に日本の焼肉屋で食べているような錯覚さえしてしまう・・・と、言いたいところだが、日本の焼肉屋と比べると何かが足りない。そう、焼肉とくればやっぱり『ビール』なのである。たとえ「親父くさい」と言われても、どうしてもそう思ってしまうのだ。

そしてそんなことを皆で話していたら、店の従業員が僕達の会話の『ビール』という部分を聞きつけたらしく、「ビールが飲みたいのか?」というようなことを聞いてきたのである。僕はまだトルコ語がさっぱりわからないのだが、同部屋の日本人によると、

「この店にはないのだが、飲みたいのなら買ってきてやる。」

 と、従業員は言っているのだそうだ。僕達3人は相談し、贅沢ついでにビールも頼むことにした。本音を言うと、僕個人は従業員のハナシを半信半疑で待っていたのだが、少しすると本当にビールを買ってきた。僕は自分の前に置かれた缶ビールを見て、かなり驚いていた。「トルコではビールが飲める」というハナシは以前に耳にしていたが、そういうのはイスタンブールやアンカラといった都心部のスーパーマーケットか、あるいはカッパドキアや地中海周辺といった観光地のレストランでのハナシだろうと、思い込んでいたからである。まさかこんな田舎でも飲めるとは・・・。

詳しく聞くと、このビールはスーパーで買ってきてくれたモノなのだそうだ。さっきも言ったが、トルコではスーパーでビールが買えるというハナシは知っていたけれど、そのスーパー自体がこんな田舎町にあるとは思わなかった。

「どうやらトルコを侮っていたみたいだな」

 インド以来のビールを飲んでほろ酔いしながら、僕はそんなことを思っていた。



翌日、僕はヒマだったのでスーパーマーケットに行くことにした。目的は本当につまらないことなのだが、本当にスーパーマーケットでビールが販売されているのか見たかったのである。それで僕が行ったメインストリートにあるその店は、コンビニエンス・ストアを少し広くした程度の面積だったが、内装といい品揃えといい確かにスーパーマーケットだった。そして教えられたとおり、ビールは販売されていた。ビールだけでなく、ワインなど他のアルコール飲料もあった。店の奥に隠してあるという感じではなく、いたって普通に陳列されていた。あまりに普通に売られているので、驚くどころか拍子抜けしてしまったくらいだ。

節約しなければならないという都合上、僕はそのビールを買うことはできなかったのだが、せっかく入ったのだからと思い、僕はタバコとコーラを購入することにした。もちろんコーラは「ザムザム・コーラ」ではなく、正真正銘の「コカ・コーラ」である。どうやらトルコはイランとは違い、輸入規制も無いか、あっても緩いのだろう。

僕は店内カゴに商品を入れ、キャッシャーへと向かう。店員はハンディ・スキャナーで商品のバーコードを読み取る。そしてレジスターは支払い金額をモニターに表示する。この一連の流れ作業に僕は何故かドキドキする。正直言って、緊張していたのである。ハンディ・スキャナーでバーコードを読み取る作業を見たのなんて、いつ以来だろうか・・・たぶん、日本を出てから1度も見ていない。おかげで僕は

「おいおい、本当にココは中東の片田舎なのか?」

 そんな失礼なことを思ってしまった。今までのアジアの国々にだってスーパーマーケットが無いわけじゃなかったけれど、この店のように先進国並みに進んだPOSシステムを店舗に導入しているスーパーマーケットを僕は見てこなかったので、さすがにちょっと驚いた。だってドウバヤジットは都市と呼べるほどの街ではなく、国境沿いの田舎町過ぎないところなのだから。

僕が代金を支払うと、店員はレシートをくれた。レシートを見るとそこには僕が購入した商品名が単品ごとに、またご丁寧に「税率18%(内税)」なんてことまで印字されている。こういう言い方は偉そうで好きじゃないのだが、まさに日本並みと言っていいだろう。それにしてもビールが販売されているのを目にして驚くつもりでスーパーマーケットに来たのだが、なんだか別のところですごく驚いてしまった。



その日の夜、僕は夕食をとるためにメインストリート沿いにある普通の食堂に入った。その食堂にはテレビが置かれていたので、僕はテレビを見ながら食事をすることにした。放送されていたのはサッカー中継で、トルコのクラブチームと外国のクラブチームが対戦していた。

見ていると、試合の途中に時々スポンサーのCMが入る。どうやら国営放送ではないようだ。そして、そのうちのひとつのCMは僕をかなり驚かせた。だってそれは『ビール』のコマーシャルだったのだから。ビール銘柄は「エフェス」というものだった。おそらくエフェスという都市名が銘柄の由来なのだろう。ちょうど日本のサッポロ・ビールのように。それはともかく、このCMは

「テレビを観ている国民の皆さん、エフェス・ビールを飲んでくださいね。」

 と、言っているのだ。それも公共の電波を利用して。ビールを勧めるCMなんて、イランやパキスタンでは絶対にありえないことだ。僕はスーパーマーケットでビールが陳列されているのを見たときにはそれほど驚かなかったが、さすがにここまで堂々とした宣伝行為には驚かずにはいられなかった。

食後、僕はタバコを吸いながら考えてみた。トルコでは、(たとえラマダンの期間であったとしても)パキスタンのように空腹で苦しむことはないだろう。イランのように肌を露出する服装を咎められることもないだろう。そしてアルコールは自由に飲める・・・

「政教分離」 ― それが僕がドウバヤジットという街から感じた、『ヨーロッパの兆し』である。


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