「魂と肉体の関係」
〜 チベット ラサ 〜

そもそもの始まりは、リーの一言だった。

「スカイ・ヒューネラル(Sky Funeral)を見に行かないか?」

 「Sky Funeral」という耳慣れない英単語が『鳥葬』を意味する言葉だということを、普段頭の中で英語を日本語に訳すよりもかなり余計に時間をかけて僕達が思い出した後、リーは続けて言った。

「明日の朝にディクンティ寺で鳥葬があるっていうんだよ。滅多に見れるモノじゃない。」

今の時代、チベット旅行というのは決して難しいことじゃない。その気になれば日本から飛行機を乗り継いでラサに来てポタラ宮を見学することだって、お金をかければ3日で出来る。でも人間の遺体をハゲタカに喰わせるというチベットの鳥葬は、確かにリーの言うとうり、滅多に見れるモノじゃない。当然のことながら、人間が死なないと葬式はできない。ポタラ宮を見学するのとは違うのだ。少し考えた後、僕達はリーの申し出を受けることにした。

僕達5人(リー、F原クン、Y樹クン、僕、そしてリーが見つけてきた中国人バックパッカー)は金を出し合い、合計800元でランドクルーザー1台とドライバーを一人チャーターした。ドライバーのハナシによると、鳥葬を見るには7時までにディクンティ寺に到着しなくてはいけないとのこと。ラサからディクンティ寺まではランドクルーザーでも片道4時間はかかるから、

「朝の3時に宿に迎えに来る」
 
 という。3時というのがはたして朝なのかどうか疑問だけれど、ここはドライバーに任せることにした。僕達は目覚まし時計のアラームを2時半にセットしてベッドに入った。

そして3時になり、僕達は部屋を出る。真夜中に起こされた気の毒な受付の小姓に宿の門を開けてもらうと、ランドクルーザーが道路に待っていた。

僕達を乗せたランドクルーザーはラサの市街地を抜けて1時間ばかり舗装道路を走った後、キチュ川に沿った山道に入る。道は先日の5000m越えに匹敵するくらいの険しい悪路だけれど、ランドクルーザーのおかげでそんなに悪い乗り心地でもない。オフロード車の面目躍如といったところだろうか。僕は日本にいた頃、何故か都心で自分と同じ年頃の男の子がこの類のクルマで颯爽とドライブするのをよく見かけたのだが、その度に「いったい何の為にああいうクルマに乗っているのだろう?」と疑問に思っていたものだった。ランドクルーザーというのはチベットのような場所でこそ、その性能を発揮できるのだ。

そんな山道を約3時間登った後の午前7時に、僕たちを乗せたランドクルーザーは険しい断崖に建てられたディクンティ・ゴンパに到着した。僕達がクルマを降りるやいなや、どこからともなく寺の僧侶が現れて、拝観料15元と引き換えに入場券を配っていく。どうやら葬儀場はゴンパの敷地内にあるらしく、ゴンパを拝観する者だけが鳥葬を見れることになっているようだ。

「よくこんなところにゴンパを建立したものだ。」と、思いながら崖の下を流れる川を眺めていると、ランドクルーザーが続々とゴンパに登ってくるのが見えた。到着したクルマから降りる人間は全て外国人のツーリストだ。僕等と同じく、ここで鳥葬が行われることを知った旅行者なのだろう。数えてみると、僕達を含めて総勢20名くらいで、半数が東洋系、残りの半数が欧米系の旅行者だ。お互い簡単な挨拶を交わしていると、案内役らしいチベタンの男性が僕等の前に現れた。どうやら鳥葬場に連れて行ってくれるようだ。

鳥葬場はゴンパの本堂から離れた裏山にあるのだが、そこへクルマで行くのは無理なので、案内役のチベタンを先頭に僕達は山の尾根を登ることになった。寺の周辺を歩いているうちは轍があったのでそれほどでもなかったのだが、歩き始めて10分も経つと次第に轍は消えて無くなってしまい、そのあとは本当の「山登り」になってしまった。自分は細身だけれど体力には自信があるほうだと思っていたのだが、高地の空気の薄さはそんな僕の自信をいとも簡単に崩してくれた。尾根の勾配はかなり急で、酸欠気味の僕達には一歩足を踏み出すのもなかなか骨が折れる作業だ。僕達はラサの街で問題なく生活していたので、てっきり自分達が高地順応できているのだと思っていたのだが、ハードな運動をするにはまだまだなんだだということを改めて思い知ることになった。おまけにここはラサからかなり登った場所にあるから、標高は4000m以上あるのではないだろうか? 苦しいのも当然だ。周りの旅行者達も状況は同じで、皆「ハア、ハア」と息を切らして苦しそうな表情だ。

ゴンパの本堂から歩きはじめていったいどれくらいの時間が経過したのだろうか? 案内役のチベタンが目指しているのが尾根のむこうに見えるタルチョ(*注1)に飾られたチベタン集落だとわかったたとき、僕達は心から安堵した。なにしろこれ以上歩いたら、もしかしたら鳥葬を見学するのではなくて、自ら「体験」するハメになるんじゃないかと、少なからず心配していたのだから。

胸が激しく動悸するのを耐えながら尾根の上まで登りきると、もうそこが鳥葬場だった。木の柵で囲まれた長方形の鳥葬場はとても広く、フットボールの試合が出来るのではないかと思うくらいだ。僕達が柵をくぐって中に入ると、長方形の鳥葬場の東側半分には何も無かったが、西側半分には小さな葬儀場と掘っ立て小屋、そして葬儀を待つ大勢のチベタンの姿が見えた。大人のチベタンから子供のチベタンまで、男も女も、親類縁者が勢ぞろいという感じだ。彼等が見つめる葬儀場は円形に配石しただけの簡単な造りで、小さなストーンサークルというのが正確な表現かもしれない。僕達はそのストーンサークルを間に挟んでチベタン達と正対する位置に立つことになった。

僕達は写真撮影と会話を行わないようジェスチャーで注意を受け、更に「(葬儀場に)近すぎるからもっと離れて」見学するよう指示される。僕達がそれを受け入れて後ろに下がると、小屋の中から木箱を背負ったチベタンと、大きな布袋をしょったチベタンが出てくるのが見えた。二人ともよく日焼けしていて、何かの職人のように見える。木箱の中に人間の遺体が入っている事は想像に難くなかったが、あの大きな布袋のほうには何が入っているのだろう? 「死体を喰う」ハゲタカが入っているのだろうか?

その職人風の2人のチベタンが木箱と布袋を葬儀場に置くと、そそくさと彼等は小屋の方へ消えていった。それから葬儀場のむこうにある小屋からチベタンの民族音楽が流れ出し、そして儀式が始まった。まず、何人かのチベタン(恐らくは遺族と思われる)が葬儀場の周りをコルラする。なかには五体投地をしながらコルラする者もいる。

やがてコルラが終わると先程の二人組みが、手に大きなナタを持って再登場する。ふたりはそれぞれ木箱と布袋を開けると、中から人間の遺体を引きずり出し、それをストーンサークルの中心に放り投げた。その時、もちろん僕等は驚いた。布袋の中にも遺体が入っているとは思っていなかったし、何よりも死者の亡骸をそんな乱暴に扱うなんて、日本人には(たぶん、西洋人にも)ちょっと想像もできない事だったから。見ると布袋に入っていた遺体は大人のもの、木箱に入っていた遺体は子供のもので、そのどちらもが裸だった。子供の遺体はその身長から想像するに、おそらく10歳以下だろう。何が原因でそんなに若くして死んでしまったのかは、もちろん僕達にはわからない。

あっけに取られている僕等の前で、二人組みのチベタンはストーンサークルに投げ出された遺体に近づくと、手に持ったナタで遺体を切り刻み始めた。僕達は目の前で行われているその作業を、凝視する。二人の職人は肉を切っては投げ、切っては投げと黙々と作業を続ける。大雑把に骨から肉を切り取っていく彼等の作業が進んでいくうちに、上空からは野生のハゲタカが一羽、また一羽と鳥葬場に舞い降りてくる。どれも人間の身体くらいある大きなハゲタカばかりだ。恐らく死臭を嗅ぎつけたのだろう、その数はどんどん増えていく。

遺体を切り刻む作業が、どのくらいの時間をかけて行なわれたかわからない。それはほんの10分のことだったのかもしれないし、あるいは1時間だったかもしれない。鳥葬場の東側に降りた死肉を狙うハゲタカの数は、いつの間にか100羽を越えていた。ハゲタカは今にも死体に飛び掛ろうとしていたが、葬儀場に集まるチベタンの中から数人が、その集団から離れてハゲタカに近づいては威嚇をし続け、ハゲタカが葬儀場に寄り付かないようにしていた。

やがて職人の作業が終わり、彼等が遺体を残して葬儀場から離れると、ハゲタカを抑えていたチベタン達も威嚇するのを止めた。すると、解き放たれたハゲタカの群れが一斉に、切り刻まれた遺体に向かって飛び掛っていった。ハゲタカの群れは、まず切り落とされた肉片を次々に飲み込んでいく。肉片にありつけなかったハゲタカは残された遺体に文字通り「喰らい付き」、骨から肉を引きちぎっていく。ハゲタカの力はすさまじく、一瞬のうちに遺体はバラバラになった。既に人間の原型を留めていない遺体の上半身と下半身は分かれてしまい、頭蓋骨は地面を転がっている。100羽を越えるハゲタカ達に、遺体がふたつでは不足だったようだ。喰い足りないハゲタカ達は既にストーンサークルを飛び出して、骨と肉の奪い合いをしている。僕達のほんの50cm前だ。僕等が「離れて見学するように」注意されたのは、これを想定してのことだったのだろう。

見学していた旅行者のうち、すでに半数は鳥葬場を後にしていた。そのほとんどが欧米の旅行者だった。ハゲタカが死体に飛び掛った瞬間から、彼等は「もう見ていられない」という表情で、手やハンカチを口に当てて去っていった。それに対して東洋系の旅行者達は男性も女性も、未だに繰り広げられているハゲタカの狂乱振りを見続けていた。

更に時間が経過すると、骨に残る肉も少なくなっていった。すると、それを見計らったように再び二人のチベタンの職人が現れる。今度はナタではなくて、石オノを手にしている。二人はハゲタカがくわえた骨をひったくり、飛び散らかった無数の骨を拾って歩く。二人は拾い上げた骨々を葬儀場に集めると、それらを石の上に置き、手にした石オノを振り下ろして粉みじんに砕いては、地面にばら撒いていった。その作業をハゲタカ達は恨めしそうに見つめている。そして最後に、そのチベタンは遺体の頭蓋骨を石の上に置き、祈りの言葉を唱えた後、石オノを思い切りよく振り下ろした・・・。

今、僕達の目の前には砕かれて粉になった骨をついばむハゲタカがいる。砕かれた頭蓋骨から流れ出た朱色の脳をすするハゲタカがいる。あと僅かな時間の後には、かつて人間のカタチをしていたモノは、その痕跡を残すこともなく消えて無くなるだろう。

「魂の抜けた肉体は人間ではなく、ただの肉の塊にすぎない。」

チベタンにとって重要なのは魂の「転生」であり、肉体ではない。不要な肉体を捨て、「生きているもの」の為に役立てる、これがチベットの鳥葬だ。

全ての儀式が終わり、僕達は鳥葬場を後にする。もう会話をしてもかまわないのだが、尾根を降りてゴンパに帰って来るまでの道のりの間、何故か僕達の口数は少なかった。高山を歩くのがつらかったというのも確かにあったが、それよりは鳥葬から受けた印象というかショックが大き過ぎて、自分の考えをうまく言葉で表現できない、というのが正直な気持ちだった。

夜、ラサのメインストリートにあるインターネット屋で、僕は日本にいる友人達から送信されてきたメールを読んでいた。チベットへ入域する前に僕が彼等に送ったメールが「違法手段でチベットへ行きます」とか「高山病を恐れています」なんていう内容だったので、友人達が心配して僕の安否を気遣う内容のメールを送ってきていたのだった。

僕はそれらのメールを読み終えたあと、今度は「自分は既にラサの街に到着していて、無事である。」事を伝えるメールを作成した。ただ、「鳥葬」については何も書かなかった。自分が見た事を上手く書けそうにないような気がしたからだ。「いつか日本に帰ったときに彼等に伝えればいいさ。」そう考えながら、僕は送信ボタンをクリックした。

いつ日本に帰るのか、全く定かではなかったけれど・・・。



(*注1)タルチョ
チベットでよく見られる、経文が書かれた五色の旗。「地水火風空」を表している。


| 戻る | | 目次 | | 次へ |