「検問・吹雪・高山病」
〜 チベット アムド 〜

「韓国代表は良いチームだよ。ワールドカップでもベスト4まで進んだしね。イタリア戦で見せた安貞桓(アン・ジョンファン)のヘディング・シュートが印象に残っているよ。」
 僕がそう言うと、
「いや、今回のワールドカップは運に恵まれていただけだよ。」
 と、リーは何でもなさそうに答えた。窓の外には透き通った蒼い空と砂漠が続いていた。

ゴルムドの街で僕達がチベットへと向かうワゴン車に乗り込んだとき、その車内には中国人旅行者が3人と、ひとりの韓国人バックパッカーが既に座席に着いていた。僕達はワゴン車を「貸切」だと思っていたのだが、どうやらそう思っていたのは僕達だけで、闇タクシーの客引きは他のツーリストにも声をかけていたようだ。ワゴン車は11人乗りで、ドライバーの2人が最前列の席に座ると、車内に空席はなかった。全員分の荷物を強引に車内に押し込むと、空席どころかかなり窮屈な状態だった。

韓国人のバックパッカーは20代後半の男性で、
「名前はリー」
 と、自己紹介をした。

「リー、国を出てくる前には何をしていたの?」
 そう尋ねると、

「軍隊にいたんだよ。といっても、職業軍人ってわけじないんだ。知っていると思うけど、韓国には徴兵制度があって、男には兵役に就く義務があるんだ。」

 そしてリーは更に続ける。

「実弾を使った射撃訓練とか、途方も無い距離のランニングとか、とにかく大変だったよ。2年以上もよく耐えたと思うね。給料なんて月々数千円程度だし、まったく時間のムダとはああいうことを言うんだね。ところでKOGは日本では何をしてたんだい?」
 リーは尋ね返した。

「会社で働いていたけど、2ヶ月前に辞めたんだ。」
「どうして?」
「長い旅をしたかったからだよ。」
「どこまで行くの?」
「可能ならチベット・ネパール・インドと抜けようと思ってる。その先はわからない。」
 僕がそう答えると、リーは納得したように頷いた。

僕達を乗せたワゴンはゴルムドを出発した後、崑崙山脈のふもとを目指して青蔵公路を南進する。ゴルムドからラサまでの所要時間について、正確に予測するのは難しい。スムーズに24時間程度で到着したという幸運なハナシもあれば、ドライバーが道を知らなくて60時間かかったという笑えないハナシもあるようで、僕達にわかっていたのは「いつ到着するのかわからない」ということだけだ。

「ナカタ、オノ・・・」「黄善洪、柳想鐵・・・」

その後も僕達日本人5人とリーはサッカーのハナシをしながら車内での時間を過ごした。それ以外に長時間にわたる車内での退屈さに勝つ方法はなさそうだった。

青海省を抜けて崑崙山口に入ったときに、僕は持っていた高度計に目をやった。標高はおよそ4000mだったが、身体に変調をきたした者はまだいない。正直言って僕達は高山病にかかることを心配していたのだが、この分なら心配も杞憂に終わりそうだった。

「ねえ見て、雲がこんなに低いよ!」
 景色を楽しむ余裕さえあったぐらいだ。

名前があるのかどうかもあやしい小さな集落で食事休憩を取った以外、ワゴンは夜も走り続ける。クルマのヘッドライト以外に灯りはなく、窓の外がどういう風景なのかは、もちろんわからない。出発してから既に12時間以上も経っているが、何故だかラサに近づいているという感じが全くしなかった。

やがて前方に小さな灯りが見えてきた。それがラサの街ではないことは明らかだった。ラサはそんなに小さな街ではないだろうし、こんなに早く到着できるはずもない。ワゴンがその小さな灯りに近づいていくと、フロントガラスの向こうに何があるのか僕達にも判断できるようになった。そして後部座席にいた6人の外国人は、全員眠ったフリをした。第一の難関がやってきたのだ。

検問の通過の際に、公安(中国の警察)に逮捕された外国人バックパッカーは少なくない。逮捕されたらどういうことになるかというと、その結果は様々だ。幾らかの賄賂で見逃してもらったという例もあれば、ひとり500元の罰金を払ったあげくゴルムドまで追い返されたという例もあり、何故だかわからないが相手の対応の仕方は一様ではない。いずれにしても法を破っているのは外国人旅行者の側なので、相手の方が立場は強い。「そういう法律があるのは知りませんでした。」という言い訳が通用しないのは、どこの国も同じだ。

検問所の前でワゴンが停車すると、ひとりの公安が近づいてくる。そして彼はワゴンのウィンドウを「コン、コン」と手で叩いた。ドライバーがウィンドウを開けると、その公安は車内をキョロキョロと見回した。僕達は物音ひとつ立てずに、目を閉じて眠ったフリを続ける。ほんの数十秒の時間のはずが何十分にも感じられる。その後、公安の男はドライバーと会話を始めた。中国語の会話なので、僕達には彼らの間でどんな言葉が交わされているのかはわからない。

やがてドライバーがウィンドウを閉める音が聞こえ、ワゴンがエンジンを始動させたとき、僕達は最初の関門をクリアしたことを悟った。僕達は検問を突破することに成功したのだ。後方に遠ざかっていく検問所の灯りを振り返りながら、僕達は一息ついた。見つかればゴルムドまで引き返させられることだってありえたのだ。もちろん、歩いて帰るわけにはいかないし、ドライバーだって違法な商売をしているのだから同罪なので、このクルマで帰ることになる。でも、そうなれば割に合わないのは3人の中国人観光客だ。彼らは別に悪いことはしていないのに、「とばっちりを食って」ラサへ行けなくなってしまう。そうなれば僕達とひと悶着あってもおかしくはない。とにかく、何事も無くて本当に良かった。



夜も深まり日付が変わる頃になると、寒さが厳しくなってきた。高地というのは地平よりも直射日光が強いので、陽が当たっているときはそれほど寒さを感じないのだが、夜や曇りの日のように陽が出てない時間帯の寒さは本当に身体にこたえる。ようするに寒暖の差が激しいのだ。そのせいで本来なら床に就く時間だけれど、僕達は寒さのためになかなか寝付くことができない。僕の着衣は上半身が長袖シャツの上にゴルムドで買ったセーターと雪山登山隊が使用するようなゴアテックスのウェア、下半身はジーンズの下にゴルムドで買った厚いタイツをはいていた。僕は「この格好なら十分だろう」と思ってゴルムドを出てきたのだが、結局それは一般的な日本人が考える秋冬に対する常識的な装備にすぎないことを改めて思い知ることになった。

もうすぐ夜が明けるかどうかという頃、突然ワゴンがストップする。ドライバーがクルマを降りたので、ウトウトしていた僕達も何事かと思い、眠い目をこすりながら外に出てみる。すると、前方にクルマが何十メートルも繋がっているのが見えた。ようするに渋滞だった。しかしながら、どうしてこんな「世界の果て」のような場所でクルマが渋滞しなくてはいけないのだろうか?

クルマが進まないのは、もちろんドライバーのせいじゃないし、かといって僕達のせいでもない。考えてもどうにかなるような問題ではないので、僕達はあきらめてタバコで一服した。クルマの中も寒かったけれど、それにも増して外は異常に寒い。

「ヤバイ、頭が痛い・・・」
 F原クンが小さな声で言う。その一言がきっかけになったのか、
「実は俺も痛いんだ。」「俺も黙っていたんだけど・・・」
 頭痛の症状を訴える声が上がる。

僕が高度計をチェックすると、液晶画面は標高4500mを示している。

「リーはどう?」
 僕はリーに訊いてみた。
「痛いね。」
 どうやら僕も含めてみんな高山病にかかったようだ。

渋滞の原因は道路工事だった。道の幅が狭まり対向車とのすれ違いが出来ないので、何台かのクルマがノロノロと工事現場の横を通り、次に反対側で待つ何台かのクルマが道を通るというのを繰り返していた。信号もなければ交通整理の人間もいないので、細い道の真ん中でクルマが顔をつき合わせては立ち往生している光景が、しばしば見える。ドライバー達が「譲り合いの精神」を持ち合わせていれば、もっとスムーズに事を運べると思えるのだが、残念ながら彼等の辞書にそういう単語はないようだった。

僕達のワゴンが道路工事の現場を抜けると、道は再び今までの幅に戻った。でも戻ったのは道の幅だけで、道の状態は元のようにはいかなかった。道が舗装されていないのだ。今までの道路は舗装されていたので快適とは言えないまでも、ここがチベットだということを考えれば、まずまずの道だった。でも、これからはそうはいかない。

別に舗装されていなくても平らであれば文句はないのだが、何故だか道はデコボコで、タイヤが穴に捕まるたびにワゴンは大きく揺れてしまう。僕も今までの海外旅行で何度も悪い道を通ったけれど、これだけ悪い道もそうはない。誰が決めたのか知らないが地球には「世界三大悪路」というのがあって、僕はそのうちの二つを通ったことがあるのだけれど、もしそれを「世界四大悪路」に変更することになったら、この道を推薦してあげてもいいだろう。

「寒いはずよ、外を見て、吹雪いてきたみたい。」
 S織チャンが窓の外を見ながら言う。

夜が明けると、今までは見えなかった景色を車窓から眺めることができるようになった。ゴルムドあたりの砂漠の風景とは明らかに異なる、チベット高原の景色だった。建物ひとつなく、誰一人いない。ただ黒いヤクの群れが、白い雪に染まる土地の上で、夏を過ぎて色を変えた草を口に運んでいた。

「ねえ、ここで生まれたら何を楽しみに生きる?」
 S織チャンが訊く。
「夏が来るのを楽しみに待つよ。」
 Y介クンが答えた。

出発してから24時間経過しても、まだラサには到着しない。昼だというのに外気温はマイナス4度で、雪は降り止む様子を見せない。みんな昨夜は寒さと窮屈な車内のせいで熟睡できなかったようで、とても眠そうだ。疲れもピークにきているせいか、徐々に口数も減ってきて、そのうち誰も喋らなくなった。

山を登り続けているうちに、みんな高山病の症状がより顕著になって現れてきた。最初は軽い頭痛程度のものだったのが、標高が上がるのに比例してヒドクなっていく。頭を万力で締めつけるような痛みだ。二日酔いの頭痛なんて、これに比べたら何でもない。

高山病の症状は通常、「割れるような頭の痛み、体のむくみ、吐き気、下痢、発熱・・・」だ。けれどもこれが進行すると、「視力障害、幻覚、肺水腫、チアノーゼ・・・」となり、最悪のケースでは命を失うこともある。高山病に一番有効なのは、「標高の低い場所へ移動する」ということだから、とにかく早くラサに到着したい。ラサの標高は3600m程度なのだ。

だけど、そういった僕達の願いも届かないかのようにワゴンは延々と山を登り続ける。高度計が示す数値は5000mを越え、だんだん呼吸も苦しくなってくる。意識して何度も深呼吸するが、酸素が身体に入ってこないのが非常にもどかしい。新陳代謝が低下して酸素の循環が鈍るのを避けるために、僕達はゴルムドで買いこんできたミネラルウォーターやジュースを大量に飲んで水分を補給する。こうなることがわかっていれば、酸素ボンベも購入しておくべきだったと、今更ながら後悔する。おまけに、ただでさえ頭痛がヒドイというのに、悪路を走るワゴンのタイヤが石を踏んだり、穴に捕まったりするたびに、ハンマーで殴られたような衝撃が頭に響く・・・。ランドクルーザーだったら衝撃を吸収してくれたと思うが、今更それを言ってもどうにもならない。

一番症状がひどかったのはF原クンだった。時々、もう我慢できないというふうに、
「頭痛え・・・」「あーっ、もう!」
 とか唸っている。
みんなが心配して、
「我慢できないのか?」「クルマを停めてもらうか?」
 と声をかけると
「平気だよ。大丈夫だから・・・」
 と答えるが、表情を見る限り、かなりヤバそうだ。そういう僕も先程から頭痛に加えて、かなり吐き気がするのだ。僕はクルマで酔うタイプの人間ではないから、これも高山病のせいだろう。でも吐いてしまうと周りに仲間にも伝染してしまうかもしれないから、ここは何とか我慢するしかない。できれば休憩したいところだが、休憩をすればそれだけ低地に到着するのが遅くなる。判断の難しいところだ。

午後になると、結局は小さな村で食事休憩を取ることになった。食欲はなかったが、丸一日何も食べないというわけにもいかない。それに、この寒さの中で多量の水分を摂取しているのでトイレにも行きたかった。

店にはメニューなんて気の利いたモノはなかったので、中国人ドライバーが注文していた肉面と同じものを出してもらう。それを無理矢理おなかに入れた後に店を出て、車内では吸わなかったタバコで一服する。そんなことをしていると、更に呼吸が苦しくなっていった。

「高山病なのにタバコを吸うって、やっぱり良くないんだな。」
「血管が収縮してしまうって、ガイドブックに書いてあるよ」

店の中では、中国人ドライバーの2人がテーブルに座って気持ち良さそうにタバコを吸いながら談笑している。高山病にはかかっていないようだ。いつも高地で生活しているのだから、当然のことなのかもしれない。そんな事を考えていると、チベタン(チベット人)の男の子達が、遠くで元気良く走り回っているのが見えた。あんなのを僕達が真似したら、10秒で倒れてしまうだろう。

「あの子達をトレーニングしたら、きっとオリンピックのマラソンでメダルが獲れるよ。」
 Y介クンが苦笑いしながら言った。



午後、夕方、夜とワゴンは走り続け、ラサの街に到着したのは夜の11時だった。ゴルムドを出発してから34時間が経っていた。クルマを降り、僕達はバックパックを担いで安宿街へ向かって歩き出す。寒さ・疲れ・睡眠不足というトリプルパンチで、皆の顔色は悪く、足の運びは遅い。そして初めて訪れたラサの街並みが目に映る・・・。

ラサの街はアスファルトの道路によって区画整理され、カラフルな街灯が立ち並び、中国語の文字があふれている。

「これが、チベットの都なの?」
 歩きながら僕はそう呟く。
「ちょっと、ガッカリだね。」
 誰かが面倒くさそうに答える。

ラサの街並みは、これだけ苦労して辿り着いた僕達に、さしたる感動も与えることはなかった。中国の他の都市と何が違うのか、見た目にはわからない。

もし誰かが、
「もう一度チベットへ行くことがあったら、また陸路にする?」
 と、僕に質問したら答えは決まっている。

もちろん「ノー」だ。チベットへの鉄道が完成していない限り・・・。


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