「5200mの世界」
〜 チベット エヴェレストBC 〜

シェーカルの街で僕等が見つけた、「東風」という名の中国製トラックの乗り心地は、全くヒドイものだった。僕とリーはトラックが急カーブに差し掛かる度に、何度も「荷台」の上で転がり回っていた。でも、このぐらいの事は我慢しなくちゃいけないのかもしれない。

なにせ「世界一高い山」である、エヴェレストを観に行こうというのだから。

エヴェレストへ行く事になったのは、もちろん僕等のグループに韓国人のリーがいたからだ。エヴェレストを観るというのは彼の旅の目的のひとつであり、そのために彼はパーミッションを取得したのだ。Y介クン、S織チャン、そして僕の3人にとって、エヴェレストに行く事は予定外だったが、パーミッションが1枚しかないからといって、リーのささやかな望みを多数決で放棄させるようなことはしなかった。

「きっと良い思い出になるよ。」
 リーに言われると、不思議と本当にそうなるような気がした。

とはいえ、綿密な計画もなしにエヴェレストへ行こうとしたがために、僕等は少々痛い目に遭うことになった。ラツェのときと同様、シェーカルという街には公共バスは一切走っていなかったからだ。もっとも、仮に走っていたとしても「エヴェレスト行き」なんて路線は有り得なかっただろうけど。

そういうわけで僕等はラツェに続いて再びヒッチハイクにチャレンジすることにした。でも、ヒッチハイクといっても今回は少し事情が違った。何故なら普通ヒッチハイクといえば、「行き先が同じクルマに同乗させてもらう」ことだと思うのだけど、「エヴェレストへ行く」なんていうクルマが簡単に見つかるとは到底思えなかった。だから今回僕達は道路に立ってクルマを待つのではなく、自ら街を歩いてクルマを探し、その持ち主に「お金を払うのでエヴェレストまで運んでもらえませんか?」と頼んでみることにしたのだ。

シェーカルはラツェよりも更に小さな街だったので、クルマを探すのは難しい作業ではない。問題は街が小さい分だけ、クルマの数も少ないということだ。僕等は数時間かけて何台かのクルマを探し出し、その持ち主と交渉を持った。が、当然のことながら、それは簡単な仕事ではなかった。無理もないことだ。見ず知らずの外国人にイキナリ声をかけられて、誰が「わかりました。エヴェレストまで一緒に行きましょう。」なんて答えるだろう?

だから僕等がやっとの思いで、「ひとり往復200元払うなら、エヴェレストへ連れてやってもいいぜ。」と、言うトラックの持ち主に出会ったとき、僕は本当に嬉しかったのだ。少なくともそのときは・・・。

トラックの座席には、運転手の他には2人しか乗れなかった。とりあえず僕とリーが「荷台」に乗ることになったのだが、そこはとにかく寒かった。エヴェレストへ行こうというのに、僕は手袋もマフラーも持っていなかったから、肌に当たる風は本当に身を切るようだった。それで両手をポケットに突っ込んでいたのだが、おかげで掴まることができずにカーブの度に僕は荷台を転がっていたのだ。

途中1箇所検問があり、僕等はここで「国家級自然保護区環境費」という、やたらと長い名目の入域料65元を支払った。値段が高い割には有効期間は2日間だけなので、僕達は明日エヴェレストを見たら、すぐに山を降りなくてはならない。

その後もトラックは走り続け、エヴェレスト・ベースキャンプの12Km手前、標高5000mの地点にあるロンブクというチベット寺に到着した。シェーカルを出てから5時間が経過していて、あたりはもう真っ暗だった。おまけに僕とリーは寒さで凍りつきそうだった。

僕等は寺に寝泊りすることにしたのだが、寺の前にも別の宿泊所があった。そこには食堂も併設されていたので、僕等はそこで夕食をとった。夕食後、歩いて寺へ戻る際に天を見上げると、そこには満天の夜空があった。こんな夜空を見たのは初めてだった。

僕は北海道や沖縄、あるいは過去の海外旅行において、都会では見られないような夜空を何度か観たことがある。それらの夜空ももちろん綺麗だったけれど、このチベットの夜空にはかなわない。星との距離が断然違うのだ。標高5000mから見上げる星空は、俗な言い方だけど、「星に手が届きそう」という表現がピッタリだった。ここは「肉眼で人工衛星が見れる」という噂もあるくらいの場所なのだ。これを見れただけでも、はるばるチベットの奥までやってきた甲斐があったような気がした。

翌朝、僕等はエヴェレストをこの眼で観る為にベースキャンプへと出発した。ベースキャンプまでの道はトレッキングルートになっていて、歩いて行くことができる。(クルマがあればクルマでも行ける。)そのことを僕等に教えてくれたのはロンブクで知り合ったアメリカ人男性なのだが、彼は

「キャンプまで歩いて1時間半ぐらいで行けるよ。」
 と、言っていた。

寺を出て歩き始めると、クルマの轍が残っていたのがわかったので、僕等はその轍を追ってテクテクと歩く。どうやらこの轍がトレッキングルートの役割を果たしてくれるようだった。

「1時間半って言ってたのになあ・・・」

歩き始めてから1時間半経過しても、いっこうにベースキャンプは見えてこなかった。おまけにトレッキングのはずなのに全然面白くない。どうしてかというと、とにかく景色が「これでもか」というくらいに退屈なのだ。通常、「トレッキング」という言葉から僕等が想像するイメージは、緑深い木々、流れる小川、そして鳥達のさえずりなど、美しい自然を観賞するのを目的に楽しみながら山歩きすることではないかと思うのだけれど、残念ながら今僕等が歩いているルートでは、そういう楽しみ方はできそうになかった。僕等の周りの景色は茶色い地肌をさらした山々だけで、四方八方見回しても、動物どころか草木一本生えていない。命あるものといえば、僕等4人ぐらいのものだった。ある種の「秘境」と言ってもいいかもしれない。

それでも僕等が4人だったというのが、救いと言えば救いだった。だって話が出来るのだから。ひとりでこんなところを歩いていたら、きっと退屈さも倍増していたことだろう。僕等は退屈と疲れ(5000m以上の高地を何時間も歩くというのは決して楽ではない)を紛らわすために、本当に沢山の話をしながら歩いていた。なかでも一番話題になったのは、なんと言っても『天気』についてだった。

「この地域に居られるのって、2日間だったよね?」
「うん。だから今日中に山を降りないといけないんだ。」
「でも、もしエヴェレストが見えなかったらどうする?」
「それは・・・」

それは十分に考えられることだった。このあたりは今のところ晴れてはいるが、山頂付近に雲がかかっていたとしても不思議ではない。僕等が目指しているのはベースキャンプであって、エヴェレスト山頂ではない。この付近が晴れているからといって、山頂も晴れているという保証はどこにもないのだ。僕達はそんな不安を抱えながら、ベースキャンプまで更に1時間半も歩いた。結局3時間かかった計算になる。僕等の足がアメリカ人に比べて短いのは認めるけれど、それにしたって2倍の時間というのはあまりにも違いすぎないだろうか?

標高5200mの地点にあるベースキャンプは、とてもキャンプ場には見えなかった。電気や水道はきていないし、自炊できるような炊事場も設備されてはいない。トイレは一応あったが、地面に「穴を掘っただけ」という、見るに耐えないものだった。登山者から集めた入域料を、いったい何に使用しているのか、全く想像できない。テントが無ければ、そこがベースキャンプだとは誰にもわからないと思う。

張られているテントのうちのひとつは食堂だったので、僕等はそこで休憩することにした。テントに入って腰を下ろすと、3時間歩き続けた疲れがどっと出る。情けないハナシだが、みんな座ったとたんに、そのまま横になってしまった。しかし、仮にもここは食堂なので、ただ座っているだけにもいかない。僕等はここで昼食をとることにした。僕が「チャーハンはいくら?」と尋ねると、店のオバチャンは「10元」と答える。僕が頭の中で「高いなあ」と思っていると、

「えーっ、何でカップラーメンが8元もするのよ!」
 S織チャンは遠慮せず、その驚きを口に出していた。確かに、その気持ちはわかるけど。

僕が注文したチャーハン、そしてS織チャンが買ったカップラーメン、いずれも地上の2倍の値段が設定されていた。ある程度高いのは予想していたけれど、まさかここまで高いとは思わなかった。普段そんな値段を言われたら、僕等は中国人に負けず劣らず頑張って値切るところだけれど、ここではそんなのは通用しない。だってベースキャンプにある店はここ1軒で、ここには競争というものが存在しないのだから。

「需要が供給を上回っているのだから仕方ないな。中国も資本主義に傾きつつあるし。」

 などと言いながら、出されたチャーハンを口にしたとき僕は、

「これで10元っていうのは、やっぱり高すぎるかも・・・。」

 と、再び思った。なぜなら、すごく不味かったから。原因はすぐにわかった。良く火が通っていないのだ。おそらく5200mという高地特有の空気の薄さのために、強火で調理ができないのだろう。僕はそう納得して食べ続けた。納得したところで美味しくはならなかったけど。

その後、何だかんだと文句を言いながらも残さず料理を食べ終え(もったいなかったので)、一服してから僕等は目的のエヴェレストを拝みに行くことにする。見れるかどうかは山頂の天気しだい。食事がアンラッキーだっただけに、今度こそは期待したい。テントを出た僕等は意気込んで、キャンプの傍にある尾根に登った。目の前には念願の「世界最高峰」がそびえていた。

エヴェレストの山頂は、見事なくらいの快晴だった。雪に覆われた白い頂は、逃げも隠れもせずに、自らの存在を僕等に見せてくれた。山頂を見た瞬間に僕等の口から出た言葉は

「すごい!」

の一言だけだった。何故かそれ以外の言葉が出てこなかった。

エヴェレストを見ることが出来て、僕等はみんな大喜びだった。その中でも一番喜んでいたのは、もちろんリーだ。彼は子供のようにはしゃぎながら、山頂の風景を写真に撮っていた。

「エヴェレストに雲がかかっていなくて良かったね。」
 僕がそう言うと、

「そうだね、苦労が報われた、って感じかな。」
 リーはそう答えた。本当に嬉しそうな笑顔を浮かべながら。


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