「ヒッチハイク」
〜 チベット ラツェ 〜

親指を立てた拳を空に向かって振り上げながら

「至、定日!」 (ティンリーまで!)
 と、僕は叫び
「至、協格爾!」 (シェーカルまで!)
 と、リーは叫んだ。

けれども僕達の声はドライバーに届かず、トラックは僕達の目と鼻の先を、全くスピードを落とすことなく走り去っていった。リーは力なく肩を落とし、僕はトラックのタイヤが巻き上げた土埃を振り返りながら、こう呟いた。

「これで何台目だろう?」

僕達はシガツェを朝一番に出たバスに乗り、ラツェという、いささか殺風景な街までやってきた。特に見所の無いこの街に宿泊する必要性を見い出すことができなかった僕達は、メインストリートの食堂で昼食を済ませた後、すぐにヒッチハイクを始めることにした。今日のうちに隣町のシェーカルか、できれば更に先のティンリーの街まで進んでおきたいというのが、僕等の目論見だった。

僕達がヒッチハイクをすることにしたのは、何も「冒険者気分を味わいたい」と思ったからではなかった。ラツェから更に西へ行くバスがあれば喜んで乗っていたところだが、あいにくとこの街はチベットの公共交通機関で来れる最後の街だった。それで僕達は「仕方なく」ヒッチハイクをすることになったのだ。

そのときまで僕にはヒッチハイクの経験は全く無かったのだが、最初のうちは「まあ、何とかなるだろう。」と気楽に考えていた。海外でヒッチハイクするバックパッカーは多いと聞くし、過去に東南アジアでヒッチハイカーを実際に見かけたこともあったからだ。

しかしながら実際に自分でやってみると、「聞くのと実行するのとでは大違い」という意味を、身をもって体験することになった。全然上手くいかないのだ。まず、ラツェのような田舎町ではクルマ自体そんなに走っていない。僕等は道路わきに座り込んでクルマが走って来ないかと首を長くして待っているのだが、だいたい1時間に数台見かけるかどうかというところだ。僕等はたまに「獲物」を見かけると、道路に飛び出して腕を振り上げながら「ティンリーまで!」とか「シェーカルまで!」とか言いながらクルマに駆け寄るのだが、まず停まってくれない。僕等はクルマが通り過ぎる度に、ガッカリしながら再び道路わきに座り込むのだった。

しかしそんなことを何度か繰り返していると、運良くクルマが停まってくれることもある。停まってくれさえすれば、交渉しだいで何とかなる。そう考えていた僕等だったが、この交渉も僕等にとってはかなり厳しいものだった。いとも簡単に断られてしまうのだ。断られ方には、だいたい三つのパターンがあった。それは

1、「外国人は乗せられない」と断られる。
2、「一人、もしくは二人しか乗せられない。」と言われる。
3、法外な金額をふっかけられる。

(1)については、これは別に「外国人に対する嫌がらせ」ということではない。実は中国では外国人のヒッチハイカーを荷台に乗せるのは「違法」なのだ。何でも、公安に見つかるとドライバーは免許を取り上げられてしまうとのことで、外国人を乗せるのを敬遠するのだ。そんな法律を定めた政府が憎らしい。

(2)については、クルマのスペースと僕達の人数の問題だ。大抵のクルマは荷物か人間を載せているので、スペースにそんなに余裕があるわけではない。「詰めれば、あと一人か二人乗れる。」といったところだ。僕達4人が乗れるほどスペースに余裕のあるクルマは、そうは見つからない。僕達がそれぞれ個別のパーミッションを所持していれば、一人でも二人でも乗れる人数だけ先に行ってしまうのだが、4人で1枚のパーミッションしか持っていない僕等にとっては、(公安に見つかったときのことを考えると)それは不可能だった。

(3)については、これはもう「無い袖は振れない」の一言につきる。僕等は別に「タダで」乗せてもらおうなどと図々しく考えていたわけではない。常識的な額なら金を払おうと思っていたのだ。朝のシガツェ―ラツェ間のバス代は、ひとり40元。それを考慮したうえでチベットの地図を見ると、ラツェからシェーカルまでの距離はその区間よりも更に短いので、僕等は一人50元ぐらいが妥当な金額ではないかと考えていた。しかしシェーカルまで1人100元なんて言われてしまうと、これはちょっと払える金額ではない。100元という金額は、このあたりでは5、6日分の宿泊代に相当するのだ。もちろん僕達のように長い旅をするバックパッカーは、ある程度の資金を持って旅しているのだけれど、あいにく現地通貨に限っていうと、それほど多くの持ち合わせがなかった。このさき国境まで外貨が両替できる街も無いようなので、貴重な現地通貨をいたずらに浪費することはできなかった。

以上が、僕達のヒッハイクを難しくさせている理由だ。いずれもチベットの「非解放地区」という、特殊な地域ならでは理由だった。しかし、難しいからといって止めるわけにもいかない。ヒッチハイク以外に方法は無いのだ。

僕等はその日の午後の時間の全てをヒッチハイクに使ったのだが、その成果は芳しいものにならなかった。結果を言うと、夕方になっても僕達を乗せてくれるクルマを捕まえることはできなかった。僕達は6時になった時点でその日のヒッチハイクをあきらめ、メインストリート沿いにある「拉孜賓館」という宿にチェック・インすることに決めた。ラツェでの予定外の宿泊になってしまった。

宿はパッとしなかった。案内されたドミトリーは、清潔という観念からは遠いシロモノで、おまけに電気が来ていなかったので、ロウソクの灯りだけが頼りという、どうしようもない部屋だった。シングルやツインの部屋ならもう少しマシだったのかもしれないが、残念ながら僕達は贅沢をするほど金に余裕がなかった。贅沢するほどの現地通貨があるなら、多少ふっかけられても今日のうちにシェーカルまで行っている。

「ヒッチハイクさえできていれば、こんな部屋に泊まることもなかったのに・・・。」

ひとつ間違うと全てが上手くいかなるという、見本のような一日だった。



「ジリりリリリリリ・・・・・・。」

翌朝、目覚ましを止めた僕は布団から上半身を出して、ドミトリーの窓から部屋の外を見た。暗いというか、ほとんど真夜中だ。昨夜は皆と「朝早く起きてヒッチイクを始める」ために、6時に目覚ましをかけると約束して就寝したのだが、どうやらアラームをセットする時間を間違えたようだ。6時がこんな真夜中のはずがない。他の3人を見ると、まだぐっすりと眠っている。僕も朝になるまで、もう一眠りすることにして、布団にもぐりこんだ。6時になる頃には誰かが起きるだろう。

次に目を覚ましたとき、窓の外は少し明るくなっていた。きっともう少しで夜が明けるのだろう。僕は目覚まし時計に目をやると、時刻は午前8時を示していた。僕は「何かの間違いだろう」と思ってそのまま目覚まし時計を置き、タバコに火を付けて寝起きの一服をする。ケムリを吐きながらボーッとしていると、何か腑に落ちない、何だか大切な事を忘れているような気がする。

次の瞬間、僕は「ハッ」と気が付いた。「北京時間なんだ!」

カナダでもオーストラリアでも(あるいはアメリカでもロシアでも)、東西に広い領土を持つ国は普通、複数の「標準時」を採用しているものである。中国だって同様に広い国だから、マトモに考えれば3つくらい標準時があってもいいはずなのに、理由はわからないがこの国の政府は、その政策と同様な強引さで「北京時間」という、唯一の標準時を全土で使用させている。だからひとくちに「朝の6時」といっても、それは国の東端にある北京であれば朝日が昇る光景が見られる普通の時間帯なのだが、北京から2000Kmも西にあるラツェのような場所では、「朝の6時」というのはまだ真っ暗闇なのだ。そして僕はそのことをすっかり忘れていたのだ。

僕はとりあえず他の3人を叩き起こした。それから僕等はすぐにチェック・アウトするために、あわてて仕度をはじめる。しかし僕達がバックパックを抱えて宿を出たときには、時刻は既に9時を過ぎていた。

遅くなってしまったのは仕方が無い。気を取り直してメインストリートに立ち、僕等はヒッチハイクの続きを始める。が、あいかわらずクルマはほとんど通らない。ヒッチハイクを始めるのが遅すぎたのだ。Y介クンによれば、ヒッチハイクに適した一番の時間帯は朝夕なのだそうだ。理由は単純で、その時間帯が最も街の交通量が多いからだという。昨夜「朝早く起きてヒッチハイクを始める」と約束したのも、そのハナシを聞いていたからだ。でも、僕等は朝早く起きれなかったので、そのせいで道路脇で座っている時間の方がほとんどだったのだけれど。

僕等が通りの脇に座っていると、その周りにはいつでも人だかりが出来ていた。学校帰りの子供達や、ヒマを持て余したオジサン達が僕達のヒッチハイクを面白そうに見学していたからだ。確かに外国人ヒッチハイクなんて滅多に見られないだろうが、これではまるで動物園のパンダのようだ。小さな街だから、ひょっとしたら街中の人間が僕達のことを知っているかもしれない。

それでもクルマが通らないときには(ほとんど通らないのだが)僕等もヒマなので、彼等の相手をするのは退屈しのぎになった。特に子供達は、いつまでたっても僕等の傍を離れずに、遊んでもらいたがっている。S織チャンはいつのまにか一番の人気者になっていて、子供達だけでなく、地元の若い女性に声をかけられて、ハナシをするまでに仲良くなっていた。地元の女性達も女性同士のほうが声をかけやすかったのだろう。後で彼女にハナシの内容を聞いたところ、

(女の子) 「昨日もヒッチハイクしてたでしょ?」
(S織)   「ええ、でも昨日は上手くいかなかったの。」
(女の子) 「昨夜はどこに泊まったの?」
(S織)   「拉孜賓館よ。」
(女の子) 「いくらで?」
(S織)   「15元」
(女の子) 「もし今日もダメだったら、ウチに泊まりなさいよ。10元でいいから。」

 という内容とのこと。彼女の誘いはありがたかったが、かといって僕等としてはラツェの街に長居するつもりはなかった。というより、一刻も早くこの街を出たかった。それは別に僕等がラツェという街を嫌っていたというわけではなく、ただ単にビザの期限の問題だった。その時点で僕等4人が中国国内に滞在できる残存日数は、あと僅かだったのだ。チベットであんまりグズグズしていると、国境に到着する頃にはビザの期限も切れてしまう。せっかく苦労してパーミッションまで取得したというのに、「不法滞在」で捕まったとあっては目も当てられない。

その後も僕達はヒッチハイクを続けたが、相変わらずクルマの通りは少ない。時々停まってくれたクルマと交渉するも、昨日同様に「外国人は・・・」とか「4人はちょっと・・・」などと言われ、首を縦に振るドライバーはいなかった。

ヒッチハイクを開始してから約3時間後、今日何台目かのトラックが通ったときに声をかけたところ、とりあえず停まってはくれた。僕等はトラックに駆け寄って中を覗くと、前席には二人の中国人が乗っていて、後部座席は空席なのがわかった。荷台ではなく、後部座席が空席なのだ。これなら多分、法に触れないだろう。しかも4人乗れるスペースだ。僕達の誰もが「こんなチャンス滅多に無い」と思ったはずだ。僕等はすぐに、「乗せてくれないか?」と頼んでみた。すると中国人ドライバーは「ティンリーには行かないが、シェーカルまでなら。」と言うではないか! しかし、やはりタダというわけにはいかなかったので、僕等は値段の交渉に入る。中国人は最初は1人100元と言ってきたのだが、僕等は彼等をなだめたりすかしたりしながら(あんまり高いなら、他を捜してもいいんだぜ。という心にも無い素振りを見せつつ)粘り強く交渉をする。そして、シェーカルまで一人60元で乗せてもらうことで、やっと合意できた。トラックの後部座席に乗り込んだとき、これでやっとラツェを出ることができると思うと、僕等は自然と表情が明るくなった。今日初めての笑顔かもしれない。



ラツェの街を出たトラックは、たったの2時間でシェーカルの街に到着した。ヒッチハイクをしていた時間に比べると、2時間なんて本当にあっという間だった。僕達は約束どおり金を支払い、トラックを降りる。やれやれ、僕達は僅か2時間進むのに丸一日も費やしてしまったのだ。僕は走り去っていくトラックを見送りながら、

「あと何回これを繰り返せば国境に辿り着けるのだろうか?」

 と、考えてみた。あんまり楽しくなさそうな「未来予想図」だった。


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