「チベタンの街」
〜 チベット ギャンツェ 〜

シガツェの南東80Km、ニャンチュ川のほとりにギャンツェという古い街がある。美しい小川が囲む山の頂上に建てられた、バンコル・チューデと呼ばれるゴンパの麓にある門前町だ。

僕達はおよそ3時間バスに揺られて、このギャンツェにやって来た。それはまるで、せっかく取得したパーミッションを利用したいが為の訪問のようだった。(ギャンツェは「非解放地区」である。)僕はこの街で公安に「職務質問」されたら、どうやってパーミッションを見せてあげようかと、ワクワクしながら頭の中でシュミレートしていたのだが、残念ながら僕達は公安の存在には全く気が付つくことがなかった。会いたくないときには、いつもすぐにみつけられてしまうのに。

その代わりというわけでもないのだが、僕がギャンツェの街に足を踏み入れて気が付いたのが、「道路がアスファルトじゃない」ということだった。ラサやシガツェの市街地は、道路といえばアスファルトだったけれど、ここギャンツェの道路は昔ながらの石畳か、もしくは無舗装だった。それは些細な事だったけど、「チベットらしい街」を見てみたいと想っていた僕には、そんな小さな事も妙に嬉しく感じられたのだ。

もちろん、この街にもチベタン以外の人間(中国人)は生活している。だがその数はまだ多くなく、お互いの居住区も明確に分けられているので、昔ながらの街並みは壊されてはいない。一目見ただけでこの街を気に入った僕は、早速街を歩いてみたくなった。ギャンツェにはバンコル・チューデやギャンツェ・ゾン(ギャンツェ城)といった見所もあったが、それらを見学するのはパスすることにした。僕にとっては、この古い街を歩く事の方がずっと魅力的に思えたのだ。

僕はチベット式の家屋や、そこで飼われているヤク達を、ゆっくりと観察しながら通りを歩く。チベタン集落の風景から感じ取れる独特の趣は、ラサやシガツェでは味わえない種類のものだった。

そんな雰囲気を楽しみつつも、同時に僕は何かの物足りさも感じていた。それが何であるのか、自分で考えてみたところ、答えはすぐにわかった。

「どうしてこんなに人の気配がしないんだろう?」

チベタンの集落は昼間にもかかわらず、さながらゴーストタウンのようだった。何故かというと、通りを歩いている人間がほとんどいないのだ。確かにギャンツェは大きな街ではないけれど、それにしても街の中心部にしてはいささか寂しすぎるような気がする。家の軒数から想像すれば、もっと沢山の人間を見かけてもよさそうなのに。

もちろん、街に人っ子一人いないというわけではない。通りに沿って立ち並ぶ家の軒先には、まれにお年寄りのチベタンや、学校へあがる前の年代の子供を見かけることはあった。しかし10代から40代くらいの若い、もしくは壮年のチベタンを見かけることは何故か1度もなかった。

僕はたまにチベタンを見かける度に、彼あるいは彼女に手を振ったりしてみたのだが、僕がそうすると怪訝な表情で見つめ返されるか、もしくは子供を連れて家の中に引っ込んでしまったりした。何だか「見てはいけないものを見てしまった」というような態度だ。

僕が「どうしてだろう?」という疑問を抱えながらも集落を歩き続けていると、いつしか街の外れまで来てしまっていた。ギャンツェの街はそれほど大きくないのだ。街の外れは開けた場所になっていて、牧草地のように見えた。いや、ひょっとしたら農閑期の農場だったのかもしれない。

そこでは沢山のチベタンが作業をしていた。彼等は僕が集落を歩いたときには見かけることのなかった年代の男女だった。彼等がここで働いていたので、街には人影が少なかったのだ。

考えてみれば、昼間から働きもせず、学校にも行かずに街をぶらぶらしている若い、あるいは中年の男女なんてそんなにいやしない。

僕は自分が旅行者という立場でしか物事を考えていなかったことに気が付いた。自分が街に生活しているつもりで思考を進めれば、自ずとマトモな人間は平日の昼間は仕事をしているか、学校に行っているということぐらい、すぐに思いついたはずだ。納得した僕は牧草地の隅に腰を下ろし、デイパックからカメラを取り出し、この風景を写真に収めることにした。

農場には大人たちだけでなく、馬やヤク、そしてチベタンの子供達もいた。日本でいうなら幼稚園児ぐらいの、本当に小さな子供達ばかりだ。子供達は忙しそうに働いている大人たちとは対照的に、なんだか退屈そうだ。大人たちが相手にしてくれないのか、つまらなそうに土や石を掘ったり、木の枝を振り回したりしながら「何か面白そうな事はないか」と探しているように見える。

やがて子供達はその視界の中に僕の姿を見つけたのか、「あの人は誰だろう?」というような表情を浮かべながら遠巻きに僕の事を見るようになった。しばらくすると、子供達のうちの何人かが意を決したように僕に近づいてきた。しきりに僕に話しかけてくるが、子供達の言葉が理解できないので、僕はとりあえず日本語で受け答えをしつつ(黙っているよりはイイと思ったから)、彼等を怖がらせないようにニコニコしていた。

別に僕は「子供達の遊び相手になってあげよう」などと思ったわけではないが、邪険にする理由もなかったので、しばらく子供達に付き合うことにした。でも子供達は僕がチベット語を話せないのがわかると、興味の対象を僕自身から僕が背負っているデイパックに移してしまった。僕は街を歩くときにはデイパックを使っていたのだが、そこにはいつも温度計やコンパスなどの細々としたアイテムをぶら下げていた。それらが子供達の興味を引いたみたいだ。たぶん、今までに見たことがないのだろう。

僕は背負っていたデイパックを降ろし、それで子供達を遊ばせておくことにした。子供達もまさか盗んだりはしないだろう。

子供達がデイパックを弄繰り回している間、僕は引き続き働くチベタン達や馬の姿を写真に撮っていた。ラサで五体投地を繰り返す巡礼者を撮影していたときのような気持ちの高揚はなかったものの、チベタンの生活感ある日常のひとコマを撮影するのも悪くなかった。

ある程度シャッターを押して一息ついたとき、ふと僕が後ろの方を振り返ると、そこには僕と子供達を見つめる何人かのチベタン達がいた。特に何かをしているというわけではなく、ただ僕達のことを見ていた。僕は最初、「ちょっと見られている」ぐらいにしか思っていなかったのだが、ある程度撮影してから再び視線が来る方向に目をやると、あいわらず先程のチベタン達が僕の事を見続けていた。そのときになって僕は初めて、自分が「監視されている」ということに気が付いた。彼等の視線は子供達が僕に見せてくれたようなような温かい視線ではない。それは特別な緊張感に満ちた視線だった。

彼等が何故そんな視線を僕に向けるのか、僕にはわからなかった。まさか僕のことを「誘拐犯」と判断したわけではないだろうが、少なくとも「あの他所者、子供達相手に一体何をしているんだ。」ぐらいのことを考えていることは、彼等の表情から容易に読み取れる。そんなことを考えていたら何だか僕まで緊張してきた。

僕が彼等のことを見ていると、今度はチベタン達が僕の視線を気にし始め、こちらのほうに歩みを進めてきた。彼等が僕のほんの1メートル手前まで近づいてきたとき、思い切って僕は自分の方から、

「タシデレ!(こんにちは!)」

と、唯一自分が知っているチベット語で話しかけてみた。彼等は僕の言葉に少し驚いた表情を見せながらも、まるで僕の言葉が聞こえなかったかのように僕の事を無視し、無言のままに子供達を抱え上げると足早に僕のそばから離れていった。彼等の後姿を見ながら僕はホッとしたような、寂しいような、自分でもよくわからない不思議な気持ちになっていた。

子供達がいなくなってしまうと、なんとなく手持ち無沙汰になった。気を取り直して写真を撮り続けようと思ったけれど、まるで気持ちが宙に浮いたようで、ファインダーに集中することが出来ない。その後も何度かファインダーを覗いたり、シャッターに指を触れたりと繰り返したが、ついに僕は写真を撮るのはあきらめて、その場を立ち去ることにした。

帰る途中、僕の気分は良くはなかったが、それでも僕は彼等に対する悪い感情を持つことはなかった。多分、彼等は外国人に慣れていないだけのだ。そしてそれこそが、ギャンツェが「観光地化されてない」ことの証明ではないか。そんなふうに僕は思ったのだ。


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