「核実験場の噂」
〜 パキスタン クエッタ 〜

僕とH之クンがペシャワールから乗り込んだ列車が、クエッタという名のバローチスタン州の街に到着するまでにかかった時間は、驚くべきことになんと40時間である。ペシャワールを出発したのは夕方だったから、実質2泊3日を列車内で過ごしたことになる。この旅では様々な手段を使って都市間移動をこなしてきたけれど、1回の移動で40時間というのは僕の最長記録である。

おまけにこの2泊3日という所要時間が、このルートでは時刻表どうりだというのだから、これまた二重の驚きである。おかげで僕等はパキスタンがいかに広大な国であるかということを身をもって実感することができた。そして付け加えるならば、「パキスタンの長距離列車に乗るときは、あらかじめ食料を買い込んでおかなくてはならない。」ということを教訓として学ぶこともできた。

実はパキスタンで列車に乗るのは僕等にとって今回が初めての経験だったのだけれど、僕等は特に食料を確保せずに列車に乗り込んでしまったのである。何故僕等があらかじめ食料を買い込んでおかなかったのかというと、それはインドで何度か長距離列車を利用した経験が僕等に

「列車内では食料を買えるものだ」

 という何の根拠もない意識を植えつけていたせいだというしかない。インドの列車ではチャイやコーヒーといった飲料だけでなく、オムレツやスナック菓子などの食料を売り歩く人間が必ずと言っていいほど車内を歩き回っていた。だから僕等は、「列車内という場所は食料を確保するのに不自由するところではない」と、無意識に思い込んでいたのである。

ところが実際にペシャワールから列車に乗り込んでみたところ、パキスタンの列車には車内で食料を売る歩く役割の人間が、僕等の予想に反して全くいなかったのである。ペシャワールを出発してクエッタに向かうこの列車は、首都イスラマバードと双子都市の関係にあるラワールピンディーや、中部のムルタンといったパキスタンの主要都市を結ぶ幹線を走るから決してローカル路線というわけではないのだが、そのわりには乗客は少なく、そのせいなのか車内で食料を売る人間というのも一人も見かけなかった。インドの列車では食料を売る人間だけでなく、勝手にコンパートメントの掃除をしては喜捨を要求する物乞いや、頼みもしないのに歌や踊りを披露してはやはり喜捨を要求するゲイのような連中がいたりして、落ち着いて本を読むこともできないくらいなのだが、それに比べるとパキスタンの列車内というのは何度かインドの列車を経験した僕等にとっては、やけに静かに感じられたものだった。

もちろんパキスタンの列車に物乞いやゲイがいないからといって僕等が困るということは当然ないわけだけど、食料が買えないということに関しては本当に困ってしまった。僕等はぺシャワールでの断食生活が終わったのもつかの間、またまた空腹状態に逆戻りしてしまったのである。それで僕等は、「パキスタンでは食事をするということに関して本当に運に見放されているのではないか?」と、思い込んでガッカリしたものだった。しかしガッカリしているだけではあまりにも非建設的なので、せめて他の旅行者たちが僕等と同じ目に遭わなくて済むように

「もう僕等はパキスタンで列車に乗ることはないけれど、イランからパキスタンへ来る旅人のために、クエッタに着いたらパキスタンの列車について『情報ノート』に書いておいてあげよう。」

 と、思ったのだった。



『情報ノート(Infomation Notebook)』なるものを海外で読んだことがある人というのは、日本にはそれほどいないのではないだろうか。何度か海外に行ったことがある人でも、「読んだことどころか、そんなノートがこの世に存在していたなんてことも知らなかった。」という人のほうが、むしろ多いかもしれない。それでは『情報ノート』というのが一体どんな読み物なのかというと、これは間に合わせでつけてしまったようなその即物的なタイトルが示しているとうりに、旅行者(特に長期で旅するバックパッカー)にとって非常に価値のある情報が、旅行者自身によって書き込まれてあるノートのことである。このノートが置いてあるのは大抵の場合バックパッカー宿と呼ばれる安宿で、ノートには日本語による書き込みがあれば英語やハングルによって書き込まれた情報もあり、「いろんな国の人間が書き込んでいるんだなあ。」と、読む者に思わせるなかなか国際的なノートであると言える。

そしてノートに書かれている肝心の情報というのが、これまた書き手に負けないくらいに様々な内容で、

「〜バザールの奥には○○ルピーでお腹いっぱい食べれる飯屋がある。」
「〜ストリートには日本語入力できるPCを置いているネット・カフェがある。」

 といった本当に役立つ情報がある一方で、

「〜遺跡ではどこから侵入すればチケットを買わずに済む。」
「〜へ行けば安全に、しかも安くガンジャ(マリファナ)を買うことができる。」

 といった全てのバックパッカーが活用できるとは言いがたい情報もあったりする。どの情報にも共通している点としては、(書き手がインターナショナルなわりには)内容がローカルかつ局地的であるということ、まずガイドブックには掲載されない内容だということ、そして情報の正確性がかなり高い、というその三点だ。

僕がその情報ノートというものを初めて目にしたのは、パキスタンのラホールにある安宿に滞在していたときのことだった。ひょっとしたら僕がそれまで滞在してきた各国の安宿にもあったのかもしれないけれど、少なくとも僕はその存在に気付くことはなかったし、また気付いたとしても見る必要は無かったと思う。どうしてかというと東アジアや南アジアという地域は北米やヨーロッパほどではないにしても、やはり外国人旅行者の多い国々だから、知り合う旅行者達と情報を交換するのは決して難しいことではないし、ガイドブックを持っているのであれば、その両方で十分に用は足りるからだ。

しかし、それがインドから国境を越えてパキスタンに入国したとたん、その状況は一変してしまった。どのように変わったのかというと、見かける外国人旅行者の数が激減したのである。ラマダンの時期を選んでパキスタンを訪れる旅行者もそんなにいないと思うから、その影響なのかもしれないけれど、それを差し引いて考えたとしても少な過ぎるのである。実際のところパキスタン滞在中に宿以外の場所で外国人旅行者を見かけたことは1度も無かったくらいだ。パキスタンはインドや他のアジアの国々と比べると、外国人が選ぶ旅行先としては恐らくマイナーな国なのだろう。

それだけにラホールの宿にあった情報ノートから仕入れた内容は、僕等にとっては貴重なものだった。それはパックツアーを利用する人や短期旅行者が読んだとしても、さして意味のあるものではないだろうが、「安く、長く、できれば危険ではない」旅を続けるバックパッカーにとってはとても有効な情報源であるのだ。

そして僕等はクエッタの街で、ラホールで仕入れた情報を活用して宿を選んだ。情報ノートが勧めていたクエッタの「ムスリム・ホテル」という宿は、安いうえに立地も良く、またそこにも情報ノートが置いてあるということだったからだ。そして僕は宿にチェックインしてすぐに従業員から情報ノートを借り、パキスタンの列車について書き込んだのだった。



それからの数日間は、僕等はいろいろと雑務をこなしていた。クエッタという街はバローチスタン州の州都なのだがこれといった見所があるわけでもなく、この地域を西へ向かうバックパッカーにとってはイラン入国への足ががかりになる街としての存在でしかない。

観光地でさえロクに観光もしない僕がそんなクエッタの街で見所を探して歩き廻るはずもなく、ただタフタン(イランに近い国境の街)行きのバス・チケットを予約したり、あるいはバザールにある両替屋でイランの通貨であるリヤールを入手するといった、イランへ行くための準備をしていただけだった。そしてこの準備をする際にも、情報ノートに書かれていた記述が僕等には大変役に立っていた。

そもそもこのクエッタの街であらかじめイラン・リヤールを手に入れておこうと僕等が考えたのも、ムスリム・ホテルに置いてあった情報ノートに、

「イランでは両替で苦労する。他のアジアの国と違ってイランではクレジットカードやトラベラーズチェックは一切使えないと思ったほうがいい。外貨を両替できる場所もごく一部の銀行に限られているから、イランへ行く前にリヤールをつくっておくべきだ。」

 と、恐らくはイランからパキスタンへ入国したバックパッカーが書き込んだと思われる記述を読んだからだった。更にはまるでこの書き込みに呼応したかのような

「クエッタのバザールでは米ドルやルピーで、リヤールやアフガニ(アフガニスタンの通貨)を買うことができる。レートは1ドルが8000リヤールくらい。」

 という別の旅行者による書き込みもあり、全く至れり尽くせりだった。そしてここまで情報を用意されては、それを活用しない手はなく僕等はバザールへと足を運ぶことにした。両替屋ではいとも簡単にリヤールを手に入れることができた。レートもノートの記述どうりで、改めて僕等はノートに書き込まれている情報の正確さに恐れ入ったのである。



そしてそんなふうにして一仕事を終えてバザールから宿へ帰る途中、僕等は路上でちょっと変わった商売をしている男の子を見かけた。変わった商売と言っても、それはあくまでも日本人の視点から見れば変っているだけで、アジアではさして珍しくもない商売なのだが、僕等は「体重計屋」というのを見かけたのである。

体重計屋というのがどんな商売かというと、もちろん体重計を販売する商売のことでは決してなくて、これは路上に体重計を置いて、「ねえ、体重量らない?」と道行く人に声をかけては、客の体重を量るという実に単純な商売のことである。もし日本の路上で「ねえ、体重量らない?」なんて言われたらちょっとビックリするだろうし、そもそも体重計なんて日本の一般家庭には1台くらいあるだろうから、「そんなの家で量れるよ。」となるところだけれど、不思議とパキスタンではこの商売に違和感が感じられないのだ。僕は「パキスタン人家庭における体重計の普及率」についてはよく知らないのだけれど、こういう商売が実際に成立しているところを見る限り、きっと日本ほどではないのだろう。

それはともかくパキスタンに入国して以来、「しょっちゅう人から声をかけられる」という日常が続いている僕等である。このときも例外なく僕等は男の子から声をかけられた。普段だったら商売人に声をかけられたとしても、おいそれと財布の紐を緩めない僕である。だけど今回に限ってはふと

「ひょっとしたら体重減っているかもしれないなあ・・・。」

 なんて思ってしまったのである。そんなふうに思ったのは、もちろんラマダンやら40時間の列車とかのせいで、このところずっと断食生活を強いられていたからである。このあたりで一度自分の正確な体重を把握しておくのも悪くないのでは?と、思ってしまったのだ。

そんなわけで僕は体重を量ってもらうことにした。体重計というよりは、病院とか学校の保健室にある体重測定器といったほうが表現としては正確なその機械に乗って、「さていったいどのくらいかな・・・」なんて思いながら針が示した目盛りを見ると、結果は52キログラムであった。予想していたとうり、やっぱり減っている。僕の標準体重は約55キログラムだから、3キロ減っていることになる。いや、防寒着やジーンズ、靴の重量も計算にいれると、たぶん4キロは減っているだろう。旅を始めてからは節約生活を続けているから、その影響も少しはあるかもしれないが、このところの断食生活がそれに追い討ちをかけたことは間違いない。目盛りを見ながら僕は、「これはちょっとマズイなあ。」と、一人思っていた。

どうして僕がそんなふうに思ったのかというと、長い旅をする為にはまず、「健康体」であることが大前提になるからだ。気候にも風土にも不慣れな国々で、まともなホテルにも宿泊できないような旅を長く続けていくには、せめて身体くらい正常でないとやっていけないのである。何故なら(たまたま今は連れがいるけれど、)基本的には一人旅の僕だから、仮に病気になっとして、もしそれが旅行者もいないような辺鄙な地方でのことだったら、多分誰も助けてくれない。また病気になったらなったで、薬だとか医者だとか余計な出費もかさんでしまう。事実インドのカルカッタで高熱を出してしまったときには、血液検査などでかなり痛い出費をしてしまった。節約が基本のバックパッカーは、そうやすやすと病気にもなれないのだ。

だから僕は

「この調子で体重を減らし続けていたら、そのうち体調を崩してしまうかもしれない。さすがにそれはマズイ。何とかして体重を戻さないといけない。」

 と、思ったのである。

で、体重を戻すためには何をすればいいのかというと、もちろん「食べること」である。僕は「とりあえず、沢山食べなきゃいけない。」と、考えた。幸いラマダンは終了したから、食料を捜し求める必要はない。費用については全く気にならなかったわけではないが、パキスタンに入国してからはラマダンのせいで食事のためにほとんど金を使わない生活をしていたから、その分を充てるのだと考えれば決して贅沢ということにはならないはずである。

そういうわけで僕とH之クンは街の食堂へ向かうことにした。H之クンの体重がどうなっているのかについてはわからないが(彼は体重を量らなかったので)、沢山食べるということに関しては大賛成だった。彼はバックパッカーにしては珍しく普段からよく食べる男だったし、ラマダン期間中は僕よりも参っていたので、断るはずもなかった。

食堂で僕等が注文したものは、カレーだった。別に好んでカレーを頼んだわけじゃないのだが、それ以外に選択肢が無かったのである。パキスタン人の主食がカレーとチャパティ(もしくはナン)であるということは知っていたのだけれど、インドでもカレー三昧の日々を送ってきた僕としては、できれば他のものを食べたかった。でも、店からカレーしかないと言われてはそれを食べるしかない。

ただインドと違ってパキスタンのカレーには肉がふんだんに使われている。もともと僕等は(というか僕は)体重回復のために肉を沢山食べようと考えていたので、その意味では最適な料理だった。僕等に与えられた唯一の権利として、材料に鶏肉か羊肉のどちらかを選ぶことができたので、鶏肉のカレーとナンを4人前注文した。一人当たり二人前の分量ということになる。出てきた料理を見たときは一瞬、「ひょっとしたら食べきれないかも・・・」と不安になったのだが、空腹だったせいか、そんな心配も無用で出された料理を残さずたいらげてしまった。パキスタンのカレーは一人分でもかなりヴォリュームがあるから、二人分食べればさしあたって今日のノルマは達成だろう。これを数日繰り返せば、体重も徐々に元に戻っていくはずだ。

そうして、お腹一杯になって満足したところで僕等は宿へ帰ることにした。今日は雑務もスムーズにこなせたし、沢山食べたし本当に珍しく有意義な一日だった。



宿に着くと僕は再び情報ノートを借り、そのまま受付で帰りがけに買ったコーラをラッパ飲みしながらタバコを吸い、くつろぐことにした。ラマダンが終わったから人目を気にせず水分もとれるし、タバコも吸える。これは本当に素晴らしいことだ。遅まきながら、やっと僕のパキスタン滞在にも運が巡ってきたのかもしれない。僕は久しぶりにリラックスしながら、情報ノートの未読のページをパラパラとめくっていた。そしてそのとき、ひとつの情報が僕の目に留まったのだった。

「4年前に核実験が行われたチャガイでは今でも野菜を作っているのだが、地元の住人は放射能汚染が怖いので自分達では食べずに、収穫した野菜を他所へ持って行って売っているという噂がある。」

チャガイというのは、このクエッタの街と同じくバローチスタン州にある小さな村だ。パキスタン政府はインドに対抗するため、1998年にこの村の付近で地下核実験を行った。地下核実験といっても村からは被爆者も出たりして、いろいろと問題になったらしい。

被爆者には同情するけど、それにしても問題は「今でも野菜を作っている」というところだ。僕はチャガイ村に行ったことがないのでよくわからないけれど、核実験が行われたような土地で農業を続けなきゃならないなんて、他にこれといった産業がないのかもしれない。

それと、「放射能汚染が怖いので他所へ持って行って売る」というのも、ひどいハナシではないだろうか?自分達で作っておきながら、自分達では食べないなんて、ちょっと筋違いじゃないかと思わずにはいられない。

僕は情報ノートを閉じ、この噂について考えてみた。といっても、核実験に対する高尚な考察をしたわけではなくて、

「はたしてチャガイ村の人達は、野菜をどこに持って行って売ったのだろう?」

 という、どうでもいいことについて考えていたのである。これは言い直すと

「僕が滞在した街じゃなければいいんだけどな・・・。」

 という身勝手な事を考えていたのである。

僕がパキスタンで滞在した街は、ラホール、ペシャワール、そして今いるクエッタの3都市だ。ラホールはパンジャブ州、ペシャワールは北西辺境州の街だから、この2都市は除外してもいいだろう。実を言うと僕はこの2都市で野菜を食べた可能性があるのだが、州をまたいで野菜を移動するとなると運送費もかかるだろうから、割に合わない。多分、この2都市には運んでないだろう。

ではクエッタはどうだろうか?クエッタはチャガイと同じ州だから、距離的に考えると可能性は非常に高い。しかしそうだとしても、クエッタなら僕は大丈夫だ。何故ならクエッタで僕は野菜を食べていないからである。

それにしても怖い噂ではあるが、クエッタでは体重を増やすために肉料理ばっかり食べていて本当に良かった。もし野菜なんて食べていたら、(なんといっても情報ノートの正確性の高さからからいって、)放射能汚染が気になってどうしようもなくなっていただろう。そんなことになっていたら僕は臆病風に吹かれてしまい、今頃は旅を続けていられなかったかもしれないのだから。

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