「君にあげるよ」
〜 ネパール ルンビニ 〜

仏教の四大聖地とはルンビニ、ブッダガヤ、サールナート、クシナガルのことを指す。ルンビニはブッダ生誕の地、ブッダガヤはブッダが悟りを開いた地、サールナートはブッダが最初の説法をした地、クシナガルはブッダが入滅した土地である。そしてその中でルンビニだけがネパールにあり、その聖園は四大聖地のなかで唯一、ユネスコの世界遺産にも指定されている。

しかし僕がルンビニに行くことにしたのは、決して聖園を見学する事が第一の理由ではなかった。僕にはルンビニを訪れる別の理由があったのだ。そしてそれについて詳しく調べるために、今こうして僕はルンビニのインフォメーション・デスクにいる。

「すみません、ルンビニでは寺に泊まることが出来るって聞いてきたんですが。」
 デスクで相手をしてくれた職員に尋ねた。
「うん。頼めばどこの寺も泊めてくれると思うけど、ミャンマー寺や韓国寺がオススメだね。」
 彼はまるでホテルを案内するかのように答えた。
「その寺までの行き方は?」
 何が『オススメ』なのかわからないが、続けて僕は尋ねた。
「歩いていけるよ。この地図を持って行きなさい。」
 手書きの地図を大量にコピーしたと思われる1枚のペラペラの紙を渡され、
「ありがとう。」
 と、地図をもらったことに対して礼を言うと、
「それでミャンマーと韓国、どっちに泊まる?」
 と、僕に訊いてきた。
「歩きながら決めますよ。」
 そう答えて僕はデスクを出た。

昨日、僕がポカラの街でインド行きのバス・チケットを探していると、ポカラからインドとの国境へ向かうバスは、ポカラを早朝に出発して夕方に国境へ到着することがわかった。その後は国境で1泊してから翌日インドの主要都市へ(デリー、あるいはバラナシ)向かうか、国境で夜行バスを見つけてそのまま移動してしまうかの二通りの方法があった。

ひとつめの方法は体力的に楽をできるのがメリットだ。しかし、1泊分の宿代が余計にかかる。ふたつめの方法は国境で宿泊しない分だけ安上がりだが、半日バスで揺られた後に更に夜をバスの中で過ごすというのは、どう考えても疲れる行為だ。

どちらの方法を選択すべきか悩んでいたときに思い出したのが、カトマンズの宿で同じドミトリーに泊まっていた日本人の女の子のハナシだった。彼女はビザの延長を繰り返して4ヶ月以上もネパールに滞在していた。僕が出会った旅行者の中で、彼女ほどネパールに詳しい人間はいなかった。その彼女から聞いたハナシである。

「ルンビニの仏教寺には、旅行者をタダで泊めてくれるところがあるのよ。」

ルンビニは田舎の小さな村だが、世界遺産に指定されていることもあってか旅行者をターゲットにしたホテルが何軒かあると、ガイドブックには書かれている。しかし彼女のハナシではそういったホテルとは別に、仏教寺の『巡礼宿』というものがあり、外国人の旅行者でも無料で泊まることができ、なおかつ食事まで無料で提供してくれるというのだ。

ルンビニは、ネパール・インド国境からとても近い場所にある。もし彼女のハナシが本当であれば、ポカラから国境へ移動してからルンビニに宿泊し、それからインドへ進むという、三つめの移動方法が浮かんでくる。この方法なら金もかからないし、移動の連続も避けられる。

それが僕がルンビニに来た理由だったのだ。

「歩きながら決めますよ。」

そんな答え方をしたものの、何処に泊まるか僕はなかなか決められなかった。何故なら地図を見るとルンビニにはインフォメーション・デスクの職員が勧めてくれたミャンマー寺と韓国寺以外にも、ヴェトナム寺・インド寺・タイ寺・中国寺など、アジア各国の仏教寺があるのだ。もちろん、日本寺だってある。總教日本寺というのがそれにあたる。でも、僕は日本寺だけには泊まらないつもりでいた。それは別に日本寺を毛嫌いしていたという訳ではなく、ただ単純に
「日本の寺は日本でも行けるのだから、わざわざ海外で行く必要は無いな。」
 と、思っただけのことだ。

結局僕は韓国寺に行くことに決めた。その理由はこれまた単純で、僕が過去に「韓国に行ったことがない」というものだった。それ以外のルンビニの仏教寺に名を冠する国々は訪れたことがある。どこの国でも寺院は見てきた。でも韓国寺は、まだ見たことがない。ただそれだけの理由だった。

インフォメーション・デスクを出てから野原の中のあぜ道を地図を見ながら1時間くらい歩いただろうか?大きな寺が見えてきた。周りには寺がもうひとつあるが、それ以外には何も無い寂しいところだった。敷地内に入るとハングルとネパール文字と英語と中国語で書かれてある看板があった。ハングルとネパール文字は読めない僕だが、さすがに「Korean Temple」「大聖釋迦寺」の文字は理解できる。ここが韓国寺に違いない。

受付、オフィス、何と呼べばいいのかわからないが、そんな役割をしている部屋へ行くと、そこにいたのは韓国人ではなく、ネパール人の男性だった。服装も普通で、僧侶には見えない。おそらく寺に雇われた使用人だと思うが、その男性に「ここに泊めてもらえるでしょうか?」と頼んでみると、

「もちろんです。」
 と、あっさり受け入れられた。

僕はTシャツにジーンズという服装で、バックパックを背負って旅を続けている。誰が見たって『巡礼者』というより、ただのバックパッカーという格好だ。実は僕はここに来るまで、「この寺の宿は『巡礼宿』なのですから、巡礼者しかお泊めすることはできません。」と、断られるのではないかと危惧していたのだ。そのような状況になったときのことを考えて僕は

「もちろん私は巡礼者です。現在はこのような格好をしておりますが、日本では敬虔な仏教徒として生活しており、頭を丸めていますし、酒・煙草は一切嗜まず、女性にも全く興味がありません。」

と正直に(?)答える練習をしていたのだが、残念ながらその成果を発揮する必要は全然なさそうだった。ネパール人の男性が促すままに僕は宿帳に名前、国籍、パスポート・ナンバーを記入し、部屋に案内された。まるでホテルにチェックインするときのような感覚だった。

案内された部屋は、いわゆるドミトリーだった。といっても、僕が今回の旅で泊まってきた「貧乏旅行者御用達」風のどのドミトリーよりもまともな部屋だった。

広い部屋には清潔なシーツが敷かれた4人分のベッド、水洗トイレとシャワーが備え付けられていた。天井には明るい蛍光灯とファンまで付いていた。インフォメーションの職員が「オススメ」するのにも頷ける部屋だ。

「夕食は5時からです。時間になったら1階の食堂に来てください。」
 言い残してネパール人の男性は出て行った。

5時過ぎに食堂へ行くと、既に食事は始まっていた。部屋同様に広い食堂では韓国人らしきグループの旅行者と、数人の僧侶が食事を取っていた。食事はセルフサービス方式になっており、ひとつのテーブルに料理の鍋と食器がまとめられていた。

僕は皿を手に取り、料理をよそっていく。料理は手の込んだものではない。米飯と野菜(トマト・ほうれん草)、海苔、漬物、そして芋入りスープだ。質素な食事だけど、仏教寺の巡礼宿なのだから肉や魚が出ないのは当然だ。だいたい「タダ」で泊めてもらっているのに文句を言うなんて図々しいというものだ。

食堂はしんとしていた。僧侶も韓国人達も言葉を一切発しない。食事中に喋ってはいけない決まりなのかもしれないが、鉄製の箸と食器がぶつかった時に立てられるカチャカチャという音だけが静まり返った食堂に響いていた。まるで「お通夜」のように静かな雰囲気だ。

僕よりも先に食事を終えた韓国の旅行者達が、流しで自分達が使用した食器を洗剤とスポンジを使って洗ってすすぎ、水を切り、乾いたふきんで拭いて戻していた。どうやら、ここでは後片付けは各自でやることになっているようだ。僕も食後に彼等を真似て洗い物をしてから部屋へ戻った。

韓国人の旅行者達は他の部屋に泊まっていたので、夜は部屋でひとりだった。部屋が広すぎるせいかもしれないが、恐ろしく静かに感じられた。僕は退屈していたが部屋の外は真っ暗で、散歩する気にもならなかった。出歩いたところで近くには店どころか民家一軒ないのだ。僕は少し読書をしてから、寝てしまうことにした。ポカラから半日かけてのバスでの移動、ルンビニでの歩いての寺探しのせいで疲れていたのも手伝って、僕は自分が思っていたよりも早くに眠りに落ちていった。



翌朝、僕は7時に目を覚ます。時計のアラームをセットしていなかったのにもかかわらず、そんなに早く起きることが出来たのは、もちろん昨夜早寝したからだ。僕は顔を洗うと、荷物を部屋に置いたまま、韓国寺を出た。

居心地の良い巡礼宿で読書でもしながら1日のんびり過ごすのも悪くなかったが、あいにくと寺では喫煙が禁じられていた。(ついでに飲酒とドラッグも禁じられていた。)僕はタバコを吸うために寺を出てきたのだ。

空を見上げると、天気はすこぶる良かった。ネパールに来てからというもの、1度も雨に降られていない。僕はタバコを吸い終えた後、晴天に誘われるかのようにそのまま歩き出した。散歩がてら聖園を見に行くことにしよう。何しろ聖園は入場料がかからない、「僕向き」の世界遺産なのだ。

ルンビニ聖園にはインド・マウリヤ朝アショカ王の石柱や、ブッダが生まれた場所だという菩提樹、沐浴池、ストゥーパ跡などがあるが、最大の見所はマーヤー(*注1)の聖堂だ。聖堂にはブッダの生誕が彫り込まれたレリーフがあるという。しかしながら僕が聖園を訪ねたときはマーヤー聖堂は修復工事中で、残念ながら肝心のレリーフを見ることは出来なかった。仏教の聖地である世界遺産の聖園に、

「タダだから。」

 という理由だけでやってきたバックパッカーにはお似合いのオチのようにも思え、僕は思わず自分に苦笑した。

工事の様子を見学していてもしょうがないので、僕は他のところを見て廻ることにする。しかし、沐浴池は人工池だったから「池」というよりは「プール」のように見えるし、「ストゥーパ跡」はしょせん「跡」なので仏塔が建っているわけではない。菩提樹には「ブッダはここで生誕した。」とかなんとか書かれてある看板があったが、そこでは黄色い袈裟を着た僧侶がマイクとアンプ内蔵スピーカーを使って何かの集会を開いていた。あるいは団体ツアーむけの説法だったのかもしれないが、風情も何もあったものじゃなかった。

菩提樹の反対側にはオレンジ色の袈裟を着た少年の僧が地面に座り、仏教の経典のようなものを読んでいた。僕は少年に話しかけ、横に座らせてもらって写真を撮らせてもらったり、経典を見せてもらったりした。しかし経典は内容どころか、ネパール語なのかヒンドゥー語なのか(それともサンスクリット語なのかパーリ語なのか)、それさえもさっぱりわからなかった。

そんなことをしていると、

「俺も撮ってくれないか?」

 と、近くにいた男が声をかけてきた。見ると立派な口髭をたくわえた聖園の警備員だった。僕は「制服」を着た人間というのがあまり好きではないから、そういった人物を自分から撮影しようと思うことはほとんどない。ましてやヒゲを生やした中年男なんて論外だ。

でも今回は相手から頼まれたことでもあるし、僕が使用しているカメラはデジタルだから、「気に入らなければ後で消去してしまえばいいや」と思い、彼の頼みを聞き入れてシャッターを切った。そして液晶モニターで撮影した写真を見せてあげると、彼はとても満足したようだった。

それから彼は僕に向かって「ありがとう」とは言わなかったけれど、代わりに

「これを君にあげるよ。」
 と、茶色い木片を僕に手渡した。
「何ですか、これは?」
 受け取りながら僕は尋ねる。
「菩提樹の皮だよ。」
 と、彼は答えた。

ルンビニ以降、僕は『菩提樹の皮』を持って旅を続けることになった。最初は、「ひょっとしたら『お守り』代わりになるのでは?」とも考えたが、いくらなんでもさすがにそれはムシが良すぎると思い、その考えを打ち消した。何しろこれは、

「タダ」でもらったものなのだから。



(*注1) マーヤー
 マーヤー姫(摩耶姫)。ルンビニにて釈迦(ブッダ)を出産する。


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