「難民キャンプ(後編)」
〜 ネパール ポカラ 〜

朝6時30分、同部屋の住人を起こさないようにゆっくりとドミトリーのドアを閉める。受付へ行き、たまっていた宿泊代を支払い、従業員に見送られて僕はゲストハウスを出た。そして気持ち良く晴れた朝の光を受けながら、バス乗り場へと歩き始めた。

ひとりバックパックを背負って歩きながら、僕は久しぶりに気分が高揚するのを感じていた。それはちょうど上海にいた頃の気持ちと同じだった。たった一人で知らない街を訪れ、聞きなれない外国語や使い慣れない通貨に戸惑う。それでも自分の判断で行き先を決め、移動し、宿を探す。誰かの助けを借りることはできないが、誰かに指図されることもない。心の隅に不安はあるけれども、期待に胸が躍る、そんな旅を始めた頃の気持ちになっていた。

チベットでは常に誰かと一緒の旅だった。もちろん、それはそれで悪くない旅だ。部屋や乗り物をシェアすることができるのは安上がりだし、防犯の事を考えても1人より2人、2人より3人のほうが心強い。それに何より話し相手がいるおかげで、退屈せずにすむ。でも、そういったメリットを得るかわりに、煩わしいこともある。この街にはどれくらい滞在するのか、次はどの街へ進むのか、相談なしに自分が勝手に決めることはできない。

ずっと一緒に旅してきた韓国人のリーとは、カトマンズに到着したときに別れた。(彼は韓国人ツーリストの多く滞在している宿を探すと言って、僕等と別れた。)Y介クンとS織チャンはまだカトマンズに残って観光すると言った。でも僕にはこれ以上カトマンズに滞在する理由は見つけられなかった。だから僕は一人でカトマンズを出た。宿泊していたゲストハウスには他にも日本人のバックパッカーが滞在していたが、誰かを誘おうという考えは全く浮かばなかった。

今の僕は全くの『自由』だ。それは悪くない感覚だった。

僕が乗り込んだバスは7時にタメルを出発し、カトマンズ盆地を抜けて200Km西のポカラの街を目指す。出発してから1時間も経つと、窓の外は首都のゴミゴミとした風景から田舎ののんびりとした風景に変化していく。ネパールの田園風景は日本の田舎の風景によく似て見えた。そのせいか、いつもならばすぐに退屈してしまうバスの旅も、今回は不思議とそうは感じなかった。

バスの中では、近くの席に座っている若いネパールの男性からカタコトの英語で声をかけられた。彼は出発したときから僕のほうをチラチラ見ていて、話しかけたくてしょうがないという表情だった。

「どこから来た?」
「ネパールは初めてか?」
「どのくらい滞在するのか?」

これまでに訪れた街でも、僕は何度となく同じ質問をされた。現地の人間が外国人ツーリストに対して尋ねる質問には、何故かこのパターンが一番多かった。そういった質問に対して僕も決まったパターンで答える。

「日本から来ました。」
「ネパールは初めてです。」
「どのくらい滞在するのか決めていません。」

いつもの僕ならば、「なんだ、また同じ質問か。」とウンザリしながら答えるのだが、今日の僕は少し違っていた。旅を始めた頃の新鮮な気持ちになっていたせいか、訊かれない事まで話したりたりして、彼との会話を楽しんでいた。

バスは食事休憩とトイレ休憩を1度ずつはさみ、7時間かけてポカラのレイクサイドにあるバスターミナルに到着した。バックパックを抱えてバスを降りると、ゲストハウスの客引きらしき男達が僕のところに集まってくる。乗客は他にも沢山いたのだが、客引きは彼等には目をくれようともせずに僕のところに集まってくる。バスから降りた乗客でツーリストらしい外見をしているのは僕だけだったのだ。

客引きの人数はおよそ20名。その中から誰か一人を選ぼうと思うのだが、いかんせん人数が多すぎる。客引きの男達は自分のゲストハウスの利点を僕に向かって説明するのだが、皆一斉に喋るので、ロクにハナシを聞き取ることさえできない。そんなことをしていると、大きな紙を振り回している、ひとりの客引きの姿が目に入ってきた。よく見ると、その紙には僕の名前がアルファベットで書かれていた。いったい、どういうことだ?

「何故、僕の名前を知ってるの?」
 僕はその客引きの男に近づき、尋ねてみた。
「カトマンズから電話で連絡があったからね。日本人がダムサイドの宿に泊まるって。」

 客引きの男は悪びれもせずに答えた。僕は今朝、カトマンズの宿をチェックアウトしたときのことを思い出した。部屋代を従業員に支払うときに、「ポカラではレイクサイドとダムサイド、どちらの宿に泊まるつもりなのか?」と訊かれたのだ。ポカラのホテルやゲストハウスは外国人向けのスーパーマーケットやレストラン、スーベニア・ショップなどが多くあるカトマンズのタメル地区のような賑やかなレイクサイドと、それとは対照的な閑静なダムサイドに分かれて集中している。僕はタメルのような騒がしいところには少し飽きていたので、特に深く考えずに「ダムサイドの宿を探すつもりだ。」と答えたのだ。おそらく、その従業員からポカラのこの客引きの宿に連絡がいったのだろう。ひょっとしたら両者のゲストハウスは提携関係にあるのかもしれない。僕は彼等の営業熱心さに素直に感心した。

「ウチの宿を見に来ないか?ダムサイドまでバイクで送るからさ。」
 その客引き男は僕の質問に答えるのに続いて、そう誘ってきた。
「いくらで送ってくれるの。」
 僕がそんなことを尋ねたのは、ここからダムサイドまではかなり距離があることをあらかじめ知っていたからだ。
「もちろん”タダ”さ。」
 彼は答える。
「でも宿泊するかどうかは部屋を見てから決めたい。それでもタダで送ってくれるのかい?」
 僕は念を押して訊く。
「それでも構わないよ。」

 彼の答えを聞いて、僕は彼について行くことに決めた。僕等は集まった大勢の客引き達を尻目に二人でバイクにまたがり、バスターミナルを後にした。バックパックを背負いながらバイクに二人乗りするのは危険かもしれなかったが、ヘルメットを付けずに風を切って走るのはなかなか楽しい経験だった。

「ドミトリーを見せてほしい。」
 連れて行かれた宿でバックパックを下ろしながら、僕は頼んだ。
「ウチにはドミトリーはないんだよ。」
 客引きの男は困った表情で答える。
「じゃあ、一番安い部屋を見せて。」

 僕がそう言うと、彼は宿の1階にあるツインルームに案内してくれた。部屋を見ると、とても清潔感のあるキレイな部屋だった。窓からは明るい光が差し込んでくるし、ペワ湖も見える。おまけにシャワールームとトイレが部屋に付いていた。僕は海外でこんな部屋に泊まったことはない。この部屋に泊まってみたいとは思ったが、僕には少し贅沢だ。おそらく値段も安くはないだろう。それで安いシングル・ルームを見せてほしいと言うと、

「ここが一番安い部屋なんだ。」
「シングルよりも?」
「シングルは2階以上にあって、この1階のツインルームよりも高いんだ。2階、3階のほうが見晴らしが良いからね。」
「ふうん、それでこの部屋は1泊いくらなの?」
「200ルピー。」
「少し高いね。」
「2ベッドルームでトイレとシャワーがインサイド。それで200ルピーだよ。全然高くない。」

確かに彼の言うことは正しかった。この部屋で200ルピー(約320円)は高くない。僕は「少し高いね。」と言ったけれど、それはあくまでも、「僕一人で泊まるには」という意味で言ったのだ。僕に一人相棒がいれば、迷わず宿泊を決めていたと思う。でも現実には僕は一人なのだ。

「君が言っていることはわかるよ。この部屋に二人で泊まるなら高くない。でも僕は一人なんだ。やっぱりドミトリーのある他のゲストハウスを探すことにするよ。」
 そう言って僕が部屋を出ようとすると、
「わかったよ。ディスカウントするよ。一人分の100ルピーでいい。どうだ?」
 男は仕方ないな、という表情で僕に言ってきた。
「ありがたい、それなら泊まることにするよ。」
 僕はそう言って、部屋のキーを受け取った。



翌日の午前中、僕は宿の屋上で洗濯に精を出していた。プラスティックのバケツを借りて、それに水と洗剤を入れ、たまっていた汚れ物を放り込んで手揉み洗いした。日本にいると洗濯物を手揉み洗いする機会なんてまず無いのだが、アジアを長く旅しているとそうもいかない。

比較的マシな宿だと有料のランドリー・サービスがあったりするけれど、僕はほとんど利用しない。節約のためというのもあるが、僕にとっては洗濯機を使わない洗濯というのは意外と楽しい作業なのだ。バケツの中に手を入れてTシャツや靴下をゴシゴシ擦っていると、自分でもちょっと信じられないくらいに水が濁る。すると今度は、「よし、水が濁らなくなるまで洗ってやろう。」と思ってしまうのだ。そうすると几帳面な性格のせいかとことん夢中になってしまい、洗っては濯ぎ洗っては濯ぎと繰り返して、Tシャツ2枚とトランクス2枚を洗濯するのに2時間かけたこともある。このままだと日本に帰ったときに「手揉み洗い」が趣味になりそうで自分でも怖い。

屋上には物干し竿がなかったので、僕は紐を張ってそこに洗濯物をかけ、ハサミでとめる。太陽の光を受けながらパタパタと風になびくシャツを見ながら僕は満足してタバコに火を点ける。自分でも何故だかわからないのだが、洗濯後のタバコはすごく美味しいのだ。そんなふうに一服しながら僕は「さて、そろそろ行かないとな。」と思った。だって僕はそのためにポカラに来たのだから。

ポカラのチベタン難民キャンプについてはガイドブックにも詳しく書かれてあった。「ポカラの見どころ」というページに「タシリン・チベット村」と、なんだか田舎のテーマパークのような名称で掲載されていたのだ。これじゃまるで「長崎オランダ村」みたいだ。

カトマンズのキャンプと違って地図にも場所が示してあったから、僕は全く迷わずに行くことができた。そして中に入って、僕はまずその敷地の広さに驚いた。カトマンズのキャンプの何倍の面積なのかはわからないが、とにかく広大な敷地にはチベット式の住居が立ち並んでいた。それらの住居がカトマンズのキャンプで見かけた安アパートのような集合住宅よりもずっと立派だったことにも、僕は驚いた。

僕を更に驚かせたのは、ツーリストの姿だった。僕はキャンプの中で、白人のツーリスト達を4,5人見かけたのだ。カトマンズのキャンプではツーリストなんて一人も見なかったけど、どうやらポカラのキャンプはツーリストのための観光地の役割も果たしているようだった。彼等はキャンプの屋台でジュースを飲んだり、土産物屋をひやかしたりしていた。村にはそういった観光客を相手にした土産物屋が実に沢山あったのだ。店にはラサのバルコルで営業していた屋台でも見かけたチベットの仏具が並べられていた。近くを歩いていると店のチベタンが英語で「後で見に来てね。」とか、「安くするよ。」なんて笑顔で声をかけてくる。こんなところも本当に観光地っぽい。

キャンプ内の施設もカトマンズとは全然違っていた。どのように違っているのかというと、何から何まで金がかかっているのだ。例えばチベタンの子供達が通っていると思われる学校なんて、すごく立派な校舎で、おまけにグラウンドだけでなくバスケットボール・コートまで付いている。カトマンズで見かけたネパールの小学校のほうがよっぽど難民キャンプの学校っぽく思えるぐらいだ。

ようするに、ポカラのチベタン難民キャンプは普通の日本人が「難民キャンプ」という言葉の響きから想像する陰惨なイメージとは全然違った場所だったのだ。ここに住んでいるチベタン達にしても、全く暗い表情をしていなかった。もちろん、少しキャンプを見学したくらいで彼等の気持ちまでわかるはずもないが、少なくとも劣悪な生活を強いられているとか、不当な扱いを受けているようには全然見えなかった。

カトマンズのキャンプを見てきた僕にとって、ポカラのキャンプは全くの別物に見えた。それはそれで良いことに違いないのだが、誤解を恐れずに言えば「肩透かし」を食ったような、予想外の光景に僕は正直戸惑っていた。

学校の前にあるグラウンドでは男の子達がクリケットをして遊んでいた。僕はそれまでクリケットというスポーツをテレビ以外で観たことはなかったので、
「どんなスポーツなんだろう?」
 と、少し興味がわいた。また、彼等の姿を写真に撮りたいとも思ったので、グラウンドの隅に座って見学することにした。男の子達は僕が観ていることに気付いているようだった。

僕が写真を撮っていても、男の子達は全く気にせずプレイを続けていた。僕の事を見ても、「また観光客が来ているな。」ぐらいにしか思っていないように見えた。彼等に限らず、ここのチベタン達はカメラを持った僕を見ても驚くことはなかったし、「変わった闖入者」とも思っていないのは明らかだった。カトマンズの小学校の遊びに行ったときに、「写真を撮ってちょうだい!」と好奇心を丸出しにして僕に向かって来たネパール人の子供達が、なんだか妙に懐かしく思えた。

僕はキャンプを見学するのに少々飽きてきていた。決して「ガッカリした」というわけではないのだが、干してきた洗濯物も取り込まなくちゃならないし、「もう帰ろうかなあ」と思っていた。そんなことを考えているときに、3人の子供達が僕に声をかけてきた。クリケットをしていた男の子達ではない、近くを歩いていた中学生くらいに見える女の子達だった。

「ハロー」
 女の子のひとりが挨拶する。
「ハロー」
 僕も挨拶する。

「何してるの?」
「クリケットを観ているんだ。」
「クリケットが好きなの?」
「いや、ルールさえ知らないんだ。クリケットのルールって覚えるのが大変そうだよね。」
「そんなことないわよ。」
「本当に?」
「ええ、だってテレビで観れるもの。」
 彼女はそれがあたりまえのように言った。

それからはバスの中で会ったネパール人のように、お決まりの質問が続いた。それらの質問に答えた後も、彼女達の質問は続いた。「歳はいくつ?」「日本では何をしているの?」そして僕の旅行についての質問・・・。

「今までにどこの国に行ったことがあるか教えて。」
 女の子の一人が僕に尋ねた。
「いろんな国に行ったことがあるよ。タイ、カンボジア、ミャンマー・・・あと中国とか。」
 僕は答えた。
「チベットは?チベットには行ったことある?」

 その質問を受けたとき、僕は数日前に訪れたカトマンズの難民キャンプで出会った女性の事を思い出した。「チベタンなのに、チベットに行ったことがない。」と呟いていた、あの女性だ。どうやら彼女の言葉は当分僕の頭から離れることはなさそうだった。ひょっとしたら日本に帰っても忘れられないかもしれない。「今度はどう答えればいいのだろう?」目の前にいる女の子を見ながら僕はそんなことを考えていた。

「チベットには行ったことが無いな。でも、いつかは行ってみたい所だと思っているよ。」
 僕は嘘をついた。すると女の子は
「あたしも同じよ。いつかチベットに行きたいと思ってるの。」
 笑顔でそう言った。

30分ばかり話をして彼女達とは別れ、僕はキャンプを後にすることにした。宿への道を歩きながら僕は自分がついた嘘について考えていた。嘘をついた事が良かったのか悪かったのかについて考えていたのだが、自分ではよくわからなかった。

「旅が終わる頃には、わかるようになっていたいな。」

 そう思いながら僕は宿へ帰った。


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