「難民キャンプ(前編)」
〜 ネパール カトマンズ 〜

その日の朝、僕はカトマンズのオールドバスパークからパタン行きのローカル・バスに乗り込んだ。バスの中は大勢の乗客で混雑してはいたが、僕以外に外国人の乗客の姿はない。そんな状況にもかかわらず、意外にも周りの乗客達から注目を浴びる事もまた無かったので、堅いシートに座りながら僕は落ち着いてカトマンズの風景を車窓から眺めることができた。

しかしパタンに到着したとき、僕はバスから見ていた風景が自分の記憶に全く残されていないことに気が付いた。僅か10分前に見ていたはずの風景さえ、それがどのようなものだったのかを、全然思い出すことができない。バスの中で僕の目は確かに窓の外を流れていく風景を追っていたはずだが、僕の気持ちの方は目に映る風景よりも、別の事に関心を払っていたようだ。ようするに、僕は真剣に景色を見ていなかったのだ。その原因は僕がバスに乗り込んだときからずっと考え事をし続けていたせいだと思う。

「どうして難民キャンプになんか行く気になったのだろう?」
 かと。

僕は今朝、ガイドブックを見ていてふと「難民キャンプへ行ってみよう」と思い、宿を出た。僕が急にそんな気持ちになったのは、ひょっとしたら昨夜ドミトリーで手に取っていた、Tシャツにプリントされていたメッセージのせいかもしれなかった。数日前に僕はタメルの土産物屋で、店の主人との長い交渉の末に、1枚のTシャツを140ルピーで購入していた。そしてそのTシャツには前面に大きく、こうプリントされていた。

「FREE TIBET!」(チベットに独立を!)


チベタン(チベット人)難民キャンプはカトマンズの南、パタンの街にある。ガイドブックを開くとパタンは300年前に栄えていた王朝の都であるとか、街に残された寺院の幾つかは有料だが見学可能とか、観光についての記述は豊富にあるのだが、残念ながら僕が行こうとしている難民キャンプに関しての記述は本当に些細なもので、キャンプの場所を示した地図さえも掲載されてはいなかった。

だから僕はパタンでバスを降りてから、道行く人に声をかけては「チベタン・キャンプの場所をご存知ですか?」と尋ねたのだが、誰も彼もが「知らない。」としか答えてくれない。そのため僕は自力でキャンプの場所を探さねばならなかった。さんざん歩き回った結果、太陽がちょうど頭上に昇りきった頃、やっとのことで

「To Norbu Lingka」(ノルブ・リンカへ)

 と、書かれた看板を見つけることができた。多分、ここが難民キャンプなのだろう。ノルブ・リンカというのはチベットの都ラサに実在するダライ・ラマの宮殿だ。ヒンドゥー教の国であるネパールでそんな看板を出すなんて、チベットに関係している建物以外には考えにくい。そう思いながら僕は恐る恐る敷地内に足を踏み入れた。

そして敷地内に入って、集合住宅の空にタルチョがはためく様子が僕の目に入ってきたとき、僕はココが難民キャンプであることを確信した。何故なら僕は同じような光景を以前に何度も見かけたことがあり、それは
「タルチョのはためきが仏法を世界に広める」
 と、古くから信じられているチベットでのことだったからだ。

キャンプを見つけることができたのはよかったが、それと同時に僕は少し不安な気持ちにもなった。はたして勝手に入ってウロウロして、何か問題にならないのだろうか?

とりあえず僕は入口の周辺を歩き廻ることにした。すると程なくラサのバルコルで見かけたような、チベタン巡礼者と同じ格好をしているお年寄り達が集まって、世間話をしているところに出くわした。僕は「タシデレ」(こんにちは)と声をかけたが、チベット語はそれしか知らなかったので、その後は英語で「キャンプの事務所は何処にありますか?」と尋ねてみた。

しかし、(ある程度予想していた事ではあるが)英語は全く通じなかった。お年寄りの方々も僕に話しかけてくれたが、彼等の言葉もまた僕にはさっぱりわからない。そんなことをしていると、ひとりのおじいさんがわざわざ突然の訪問者の為に、わりに若い男性をどこからか連れてきてくれた。僕と同い年ぐらいに見える。

その若い男性に英語が話せるかと訊くと、当然だという感じで僕に用件を尋ねてきた。僕よりもずっと流暢な英語だ。

「キャンプの中を見学したいんだ。でもアポイントを取らずに来ちゃったから、キャンプのオフィスが何処にあるのか教えてほしい。見学の許可をもらう為にね。」
 僕が頼むと、彼は笑いながら
「オフィスはあるけれど、キャンプを見学するのに許可を取る必要なんてないよ。自由に見てもらって構わない。なんなら俺が案内すけるけど、どうだい?」
 と言う。
「本当かい?すごく助かるよ。」
「俺はティリン。よろしくな。」
「ティリン?」
 僕は訊き返した。「ティリン」というのが民族なのか職業なのか、それとも彼の名前なのかわからなかったからだ。
「そう、ティリン。俺の名前だよ。『長生き』って意味なんだ。チベットではポピュラーな名前さ。」
 ティリンは『Long Life』という英単語を使って名前の意味を教えてくれた。
「するとティリン、君もチベタンなのかい?」
「そうだよ、見えないかい?」
「うん、だって君の服装はさっきのおじいさん達とは全然・・・」
 僕が言い終える前にティリンは

「ああ、言いたいことはわかるよ。何故、チベタンの民族衣装を着ていないのかっていうんだろう?」

 と、僕の質問に先回りして言った。そのとおりだ。僕はそれが言いたかったのだ。何故ならティリンの服装は、上はTシャツ、下はジーンズと、僕等となんら変わりない格好だったから。だから僕はティリンの質問に頷いた。

「実はねえ、ああいうチベタンらしい格好をしているのは、もう年寄りだけなんだよ。俺みたいに若いチベタンは皆、いつもTシャツを着たりジーンズをはいたりしているんだよ。」
 そう、ティリンは苦笑いしながら説明してくれた。

ティリンはキャンプの中を隅から隅まで案内してくれた。居住区だけでなく、キャンプで生活する人間達が利用する売店、ゴンパ・・・。そう、キャンプには小さいながらもゴンパがあり、チベットで見かけたような、あの赤い袈裟を着た正式な僧侶までいるのだ。

「さっき、KOGはチベタンの服装のことを言っていたよな?」
 歩きながらティリンは僕に言う。
「うん。」
「そういう服装のチベタンに会わせるよ。ついて来てくれ。」

 ティリンはそう言って歩き出した。僕はそれほどチベタンの服装について固執していたわけではなかったのだが、どうやらティリンはそうは思っていないようだった。それでもわざわざ案内してくれるというのを無下に断る理由もなかったので、僕はティリンについていった。

案内された場所には、僕がキャンプの入口付近で見かけたような、年配のチベタン女性達が大勢いた。彼女達は皆、ティリンが言ったようにチベタンらしい格好をしていた。僕が馬鹿の一つ覚えみたく「タシデレ」と挨拶すると、彼女達も「タシデレ」と返してくれた。こんなことなら簡単なチベット語の説明書きがついているチベットに詳しいガイドブックを日本から持ってくるべきだった。

彼女達は何人かの赤ん坊と一緒だった。見たところ、1〜3歳くらいのようだ。僕のことを見ても泣きだしたりしなかったので助かった。

「あの子達はここで生まれたの?」
 僕はティリンに訊いてみた。
「そう、ここで生まれたんだ。」
「そうすると、あの子達はチベット系の2世ということになるんだね?」
「いや、あの子達は3世だよ。あの子達の両親もネパールで生まれたんだ。」
 そう言って、ティリンは僕の質問に答えた。

ダライ・ラマ14世がラサを脱出し、中国がチベットを併合したのが1959年。おそらくあの赤ん坊の祖父母達はその年代に祖国を脱出したチベタンなのだろう。それ以来、彼等は何十年も祖国に帰ることができずに、今もこうしてネパールで暮らしているのだ。ひょっとしたら生まれ故郷に帰れないまま、ネパールで亡くなったチベタンもいるのかもしれない。いや、きっといるだろう。僕がそんなことを考えていると、

「KOG、俺は用事があるから、もう行かなくちゃいけないんだ。だけど、KOGはこの後も見学してくれて構わないよ。」
 ティリンがすまなそうに、僕に言った。

「ありがとう、ティリン。そうさせてもらうよ。あと、最後にひとつ質問があるんだけど、ここで写真を撮影しても構わないのかな?」
「ああ、もちろんOKだよ。」
 そう言って、ティリンは去っていった。

ティリンがいなくなった後も、僕は一人でキャンプの敷地内を歩いて廻った。今度は写真を撮りながら。そして歩いていて、またファインダーを覗いていて僕が感じたのは、

「若いチベタンが意外に少ないな」

 という事だった。おそらく働きに出ているのか学校に行っているのだろうと思われるが、もっと若いチベタンと話をしてみたかった。ティリンは、
「キャンプで生活している若いチベタンはけっこう英語が話せるよ。俺のようにね。」
 と、言っていたから、出会えればきっといろんなハナシが出来るだろうと、期待していたのだが。

そろそろ帰ろうかな、と思いながら再び集合住宅のある居住区を歩いていると、さっきはここにはいなかった二人組みの女性を見かけた。ひとりは年配の女性だったが、もうひとりは10代後半ぐらいの年齢に見える若い女性だった。僕には二人は親子のように思えたが、少し年が離れすぎているようにも見えた。とりあえず僕はふたりに声をかけ、

「写真を撮らせてもらえませんか?」

 と頼んでみると、僕の英語を理解した若い女性のほうが承諾してくれた。

ファインダーに映った二人のチベタン女性の印象は、全く対照的だった。年配の女性はいかにもチベタンらしい服装だったが、若い女性の方はティリンと同じくTシャツ、ジーンズという今風のスタイルだ。

写真を撮らせてもらったのをきっかけに、僕は若い女性の方とハナシをすることができた。ティリンが言ったように、彼女の英語は僕よりずっと上手だった。

「隣の女性は君のお母さんなの?」
 僕は無難な話題からハナシを始めてみた。
「いいえ、私の祖母なのよ。」
 彼女は笑いながら答える。
「あなたはどこの人なの?」
 今度は彼女の方が僕に訊いてきた。
「僕は日本人だよ。」
「仕事は何をしているの?」
「仕事は辞めた。今はいろんな国を旅している最中なんだ。」
「そう・・・。それで今までに行った国でどこが一番のお気に入り?」
「やっぱり、チベットかな。」
 僕はそう答えた。決してお世辞のつもりで言ったのではない。
「チベット?あなたチベットに行ったことがあるの?」
「うん。」
「あなた、ウソついているでしょう?」
 彼女は僕を上目遣いで見ながら、疑わしいそうな表情で言った。
「ウソじゃないよ。本当にチベットに行って来たんだ。この旅では、日本から中国、チベット、ネパールって移動してきたんだよ。」
 僕は説明した。
「本当かしら?」

 彼女は結構疑り深かった。けれどもそのとき僕は、ラサの「セラ寺」を見学したときの事を思い出した。確かあのとき35元も払って買ったチケットの半券は、まだ捨てていなかったはずだ。僕は背負っていたパックを下ろして中身を探ると、入れっぱなしになっていた半券を見つけることができた。そして半券を取り出して彼女に見せ、そして言った。

「ほら、ラサの『セラ・ゴンパ』だよ。これで信じてもらえるだろう?」

彼女は僕の手から半券を取ると、しげしげと調べたあと、隣にいた彼女のおばあちゃんに見せた。ふたりで半券に印刷されてあるゴンパの写真や、チベット文字について何やら話しているが、チベット語の会話なので、僕にはその内容はわからない。そしてその会話が終わり、彼女は僕の方に振り向くと、

「本当だわ、あなたチベットに行ったことがあるのね。」
 と、言った。そして続けて
「おかしなものね。日本人のあなたがチベットに行ったことがあるのに、私がチベットに行ったことが無いなんてね。私はチベタンなのにね・・・。」
 と、小さな声で呟いた。

彼女の言葉を聞いて、僕は思わずハッとした。そして、自分は一体何をしているんだろう?と思った。僕は明らかに軽率だった。何故、「チベットに行ったことがある。」なんて言ってしまったんだ。それもわざわざゴンパのチケットまで出して・・・。

僕はただ、自分が「チベットを好きだ」という事を伝えたかっただけだった。ただ、それを伝えるのに、自分がチベットに行った事を持ち出す必要はなかったのだ。少し頭を働かせば、難民である彼女がチベットへ行ける状況にない事ぐらいわかったはずなのに・・・。

僕は彼女に、

「いつか、君も行けるようになるさ。」

 という、言葉をかけるのが精一杯だった。すると彼女は、

「そうなるといいわね。」

 と、僕に答えた。



難民キャンプを訪ねてから数日後、僕はゲストハウス近くのカフェにいた。店内にいた客は10人ほどで、僕を除けば皆西洋人観光客だった。昼間にもかかわらず窓を閉め切った暗い店内にはホームシアター・セットに接続された大型テレビがあり、その画面にはハリウッド映画「オーシャンズ・イレヴン」のオープニング映像が流れていた。

僕はアイスコーヒー注文し、他の白人客と同じく映画を鑑賞していたのだが、映画が始まって30分経ってもなかなか映像に集中することができなかった。映画は英語音声だったのにもかかわらず、字幕までもが英語だったから、俳優達の会話を完全に聞き取ることはできないまでも、字幕から内容を把握することはできた。しかし僕は、出演するジョージ・クルーニーやブラッド・ピット、あるいはアンディ・ガルシアといった有名俳優の演技に注目することもなければ、ジュリア・ロバーツの美貌に気を引かれることもなかった。ジュリア・ロバーツよりは、キャンプで「私はチベタンなのにね・・・。」と呟いていたチベタン女性の印象のほうが、強く僕の心の中には残っていた。

僕は映画を観ながら、キャンプでの彼女との会話を思い出していた。タルチョがはためく居住区で、僕等はお互いの身の上などについてハナシをしていたのだが、1時間も会話をしているとさすがにハナシの話題も尽きてしまい、次第に会話をしている時間よりも沈黙している時間の方が長くなってきていた。そして何度目かの沈黙の後に、彼女は僕に問いかけた。

「次はどこへ行くの?」
「次?」
「ええ、カトマンズの次よ。だって、あなたは旅行者でしょう?」
 彼女は僕を見ながら、そう質問した。

 彼女の質問に僕は即答できなかった。僕はいずれはインドへ行くつもりでいたが、その前にカトマンズ以外のネパールの街にも行ってみたいと思っていた。チベットからネパールに入国したときと違い、ネパール・インド間には陸路で国境を越えられる場所が複数あった。南のビルガンジ国境からインドのラクソールに入るのが最短ルートだが、西のバイラワから国境を越えればブッダが80歳の生涯を閉じたクシナガルに寄ることができそうだし、東のカカルビッタ国境からなら、紅茶の産地として有名なダージリン地方に足を運ぶことが出来る。いずれの場所からの国境越えにもそれぞれ長所があり、どの国境を選ぶかによって、インド入国前に滞在することができるネパールの街も当然変わってくるのだが、カトマンズに1週間も滞在しながら未だに僕はルートを決めかねていたのだ。

「まだ決めていないんだよ。」
 僕がそう言うと彼女は、
「それなら、ポカラはどうかしら?」
 と、勧めてきた。
「どうしてポカラなの?」
 僕が彼女に尋ねると、彼女は
「ポカラにもチベタンのキャンプがあるのよ。」
 と、答えた。

それが僕には、

「あなたはポカラに行くべきなのよ。」

 と、言っているようにも思えたのだ。


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