「親切について」
〜 イラン タブリーズ 〜

タブリーズのテルミナーレ(ターミナル)に到着したオトブース(バス)から一歩外に踏み出したところ、そこはもう大変な猛吹雪だった。肌に当たる風と雪はあまりにも強烈で、まさに「身が切られる」ような感覚だった。バスの窓から外の天候は見えていたから、吹雪いているのは承知しているつもりだったけど、まさかこれ程までとは思わなかった。雪に触れるのはチベット以来のことなのだけど、さすがにここまでの吹雪だと久しぶりの雪を懐かしむどころではなく、僕はとにかく早くどこかの屋内に入りたいという思いが強かった。もっと言うと「バスの中に戻りたい」というのが正直な気持ちなのだが、僕のチケットはタブリーズまでのものなので、そういうわけにもいかない。

ラシュトから僕が乗ってきたバスは僕を降ろすと、ロクに休憩も取らずにすぐ出発していった。このタブリーズで下車した乗客は外国人の僕一人だけ。どうやらこのバスはタブリーズを経由するだけで、目的地は違う都市のようだった。そうじゃなければ、バスを降りる乗客が一人だけということはないはずだ。

僕はバスを見送ってしまうと、こんな吹雪の中でいつまでも立っていないで、すぐに市内に向かおうとクルマを探すことにした。イランのバス・ターミナルは一般的に市内から外れたところにあるのだけれど、そのかわり市内とバス・ターミナルの間を走るクルマが客待ちしていることも多く、それほど不便でもない。僕はそういったクルマを探すことにしたのだ。

テルミナーレを見渡すと、何台かのクルマが停車しているところを見つけることができた。停車しているクルマは明らかにタクシーと識別できるそれであり、サヴァーリーでないのが少し不安だったが、他のクルマは見当たらなかったので僕はそこへ行き、ドライバーにクルマの窓を開けさせ市内への料金について尋ねてみた。すると

「メイダーネ(市内の広場)までは20000リヤールだ」
 と、ドライバーは答えた。

そのドライバーの答え方は特に僕に対して不親切というわけではなく、無表情ではあったがごく普通の答え方であった。しかしながらそれに対する僕の方はといえば、残念ながらとても無表情ではいられなかった。何故なら20000リヤール(300円)というのは安宿1泊分に相当する金額なのだ。僕は思わず、

「ゲラーネ!」(高いよ!)
 という言葉を口走っていた。



イランは中国の地方都市なみに英語が通用しない国である。我ながら妙な表現だけど、ようするに外国人を相手にする仕事に従事している人間(例えば宿の従業員)などを除けば、英語はほとんど通用しないと考えてさしつかえない。だから僕はこの国では簡単なペルシャ語は覚えていくように努めてきたつもりだ。まず基本として挨拶は最初に覚えるけれど、次に英語でいうところの5Wを覚えるというのが僕のやり方である。

「いつ?(ケイ?)」「どこ?(コジャー?)」「誰?(キエ?)」「何?(チエ?)」「何故?(チェラ?)」

 と、いうように。それから次に

「いくら?(チャンデ?)」「高い!(ゲラーネ!)」

 といった金銭に関わる言葉を覚えていけば、ペルシャ語は喋れないまでも最低限旅行をすることはできる。更にやる気があるなら「テルミナーレ」とか「オトブース」、あるいは「昼」とか「夜」などといった単語を覚えることによって、かなりの不自由さを軽減できると思う。

まあペルシャ語のハナシはこれくらいにして、今回僕が「高いよ!」と言ったにもかかわらず、そのドライバーは頑としてディスカウントに応じようとしなかった。僕は一人ではタクシーに乗らないようにしているけれど、それはあくまでもタクシーの料金が高いからというのがその理由であり、料金さえ安ければ乗ることに抵抗はない。しかしながら料金はどうやっても値引きしてもらえそうになかった。ドライバーはしきりに吹雪いた空を指差しながら

「シャブ!」
 と、僕に対して言うだけだった。「シャブ」というのは決して麻薬のことではない。麻薬が空から降ってきたら大変だ。「シャブ」はペルシャ語で「夜」を意味する言葉である。ドライバーは、「夜だから料金が高いんだ」と、言いたいのだろう。イランのタクシーにも「深夜料金」があるのだ。

それから僕はドライバーが指差す空を一度見上げたあと、ポケットから腕時計を出して時刻を確認してみる。どうやらドライバーの言い分はもっともなようである。なにしろ時間は深夜2時だったのだから。それから僕は

「なんだよ・・・あのとき6000リヤールばかりケチッたせいで、今20000リヤールも払ないといけなくなったっていうのか?」

 と、実際に声に出して逆ギレした。タクシーのドライバーは、そんな僕の日本語が理解できるはずもなく、ただ怪訝な表情をするだけだった。



昨日僕はラシュトで幾つかのバス会社のオフィスを廻り、タブリーズ行きのバス・チケットをさがしていた。調べてみると、どのバス会社もラシュトへ行くバスを運行しているのだが、会社によってその料金はまちまちだった。

だいたい22000から25000リヤールという価格帯が多かったのだが、うちひとつのバス会社では僕がしつこくディスカウントを要求するとオフィスの職員が、「夕方4時発のバスでも構わないなら16000リヤールでいいよ」と、言ってくれたところがあった。僕は迷わずそのバス会社でチケットを購入することに決めた。イランに入国してから、以前にもこういうことはあった。バスの種類と値段の違いである。イランでは同じ路線を走るバスが複数存在するが、そのどれもが同一の料金というわけではなく、バスの車種によって値段が違ってくる。古い車体のバスなら値段は安く、最新のベンツ社製のバスだったりすると、けっこう高い。そのとき僕はてっきり職員が僕の身なりを見て、古いバスを勧めてくれたのだと思ったのだ。

しかしながら実際にラシュトのテルミナーレで出発するときに自分が乗るバスを見たところ、「たいしてオンボロでもないな」というのが僕の印象だった。インドの長距離バスと比べたら数段マシである。僕は自分の運の良さに感謝しながらバスに乗り込んだものだった。

そしてそれがタブリーズに到着したら、この有様である。なんで深夜の2時なんかに到着するバスに乗っちゃったんだろう?多少余計に金を払っても、朝出発のバスに乗ってくればこんなことにはならなかったはずだ。いくら行き当たりばったりの旅とはいえ、さすがにこれでは行き当たりばったり過ぎる。

よく考えればバスから降りた乗客が僕一人だけというのも納得がいく。僕が乗っていたバスはきっと朝方頃にどこかの街に到着するのだろう。好んで深夜2時に到着するバスに乗る人なんて、まずいない。おかげでタクシーのシェアをお願いする人もいない。世間には夫婦とか恋人同士・友達同士で旅する人達がけっこういるけれど、そういうふうに助け合うことができる旅行が羨ましくなってくる。実際、一人旅だと大変なことも多いのだ。今日の僕みたいに。



「さて、どうしようか・・・。」

 結局、僕はタクシーには乗らないことにした。20000リヤールも払ってまでタクシーに乗りたいなんて思わない。僕は他の方法を取ることにした。ガイドブックによればテルミナーレからメイダーネまでは市内バスの路線になっているから、朝になって市内バスが運行を開始するのを待つか、もしくはいっそ自力でメイダーネまで歩いていってしまうか、というのがすぐに思いつく方法だったが、どちらの方法もマトモな人間がすることのようには思えない。

まずバスを待つ事にしたところで、いったいその時間までどのように過ごせばいいのだろうか?今の時刻は深夜2時だ。ネパールやインドのような国ならまだしも、こんな吹雪のなかで野宿したらいったいどうなっちゃうんだろう?300円を払わなかったばかりに凍死したりしたら、日本の外務省に旅行者向けの新たな情報を提供することになるだろう。かといって、この雪道をバックパックを背負って何キロメートルも歩くというのも、苦行としか思えない。

凍りつきそうな寒さの中で、僕はどちらの方法にするか決めることができないでいた。他に良さそうなアイデアも浮かびそうに無かった。そのときの僕の心情を言葉で表すならば、まさしく「困っていた」というのが一番ピッタリだった。

しかし、雪降るテルミナーレでそんな二者択一の問題について悩んでいたら、雪だけじゃなくて思わぬ幸運が僕に降ってきた。これは道祖神のお導きなのだろうか、それともここはイランだからあるいは偉大なるアラーからのお恵みなのかもしれなかったが、とにかく僕は助かったのである。



僕が雪の中でガイドブック片手に悩んでいると、テルミナーレの敷地内にある建物のドアが開いた。開いたドアからは明るい光がもれてきて、そこではオジサンというか、かなり年配のお爺さんが何やら大きな声で僕を呼んでいる。僕は凍えそうな両足を一歩ずつ動かしながら、声のする方へと歩いた。

建物のドアのところまで行くと、声をかけてくれたお爺さんが「早く中へ入るように」と、僕を促してくれる。それに従って内部へ入ると、そこは幾つものベンチが並べられた広い部屋だった。部屋には大きなガラス窓があり、そこからは吹雪くテルミナーレを見渡すことができる。たぶん、このお爺さんはこの窓から僕を見つけたのだろう。

「ここはどこ?」
 僕はつたないペルシャ語でお爺さんに尋ねた。

「ここはテルミナーレの待合室だ。」
 お爺さんが答える。それは英語での回答だった。

「英語、話せるんですか?」
 僕は驚いて言った。

「そうだよ。」
 決して自慢するという感じではなく、ごく普通の答え方だった。

待合室は暖房こそ入ってなかったが、それでも外にいるときよりは寒くなかった。それからお爺さんは僕をベンチに座らせ、チャイを振舞ってくれた。この待合室では夜通しチャイ屋が営業しているようで、そのチャイはもちろん有料なのだが、お爺さんはそれが当たり前のように金を払ってくれる。冷えた身体に紅茶と砂糖は格別だった。

「君はあんなところで何をしていたんだい?」
 チャイを飲んで一息ついた僕に向かって、お爺さんが言う。

「タクシーで市内に行こうと思ったんですけど、料金が高かったんでやめたんです。それでこれからどうしようかと考えていたんです。」
 僕は答えた。

「あんなところで考えていたら寒くてしょうがないだろう?どうして中に入ってこなかったんだ?」
 あきれたように、お爺さんが言う。

「外は真っ暗で待合室があるなんて、全然わからなかったから。」
 僕は言った。

「君は外の気温が何度か知っているのかい?」
 今度は僕の答えを聞き流したかのように、お爺さんが僕に尋ねた。

「何度なんですか?」
 僕は聞き返す。

「マイナス15度だよ。」
 全く困った奴だな、といった表情でお爺さんは答えた。



東アゼルバイジャン州の州都であるタブリーズは北緯40度に近く、日本の東京よりも北に位置している。しかしそういう事実は後になって世界地図を見て初めてわかることであり、そのときの僕はイランで吹雪に遭遇することになるなんて全く予想もしていなかった。準備不足と言われたら確かにそうなのかもしれないけれど、元々予定の無い旅をしているのだから、事前に勉強するにしたって限界があるだろうというのが、僕の言い分である。だから正直にお爺さんに

「イランがこんなに寒いとは知らなかったんですよ。」
 と、僕は言った。するとお爺さんは

「それにしたって君の格好は薄着すぎる。これを使いなさい。」
 そう言って自分のバッグから毛布を取り出して僕に渡した。

「いつも毛布を持ち歩いているんですか?」
 僕は渡された毛布を身体にかけながら、お爺さんに尋ねた。

「このあたりは冬になると毎年のように雪が降る。マイナス15度というのもいつものことだ。」

 やれやれ、この若いのは本当に何も知らないんだな、という表情だった。僕はそんなふうに言われてちょっと恥ずかしかった。でもお爺さんは言葉は少々厳しかったけど、その反面、行動は僕に対してとことん親切だった。チャイを飲ませてくれたり、毛布を貸してくれたり、本当に助かった。

それから今度は僕がお爺さんにいろいろと質問することにした。まず、お爺さんは「シャムスさん」という名前だった。年齢はなんと71歳。タブリーズ市内にある自宅へ帰るところらしい。朝の7時になったらバスが動き始めるので、僕も一緒に市内まで連れて行ってくれると言う。それから僕は一番気になっていたことを質問してみた。

「どうしてそんなに英語が上手なんですか?」

さっきも言ったが、イランはとにかく英語が通じない国である。若い人でもロクに通じないのに、どうして71歳のお爺さんが英語を話せるんだろう?失礼ながら、とにかく僕はそれが不思議でならなかったのだ。

「1年間アメリカで働いていたんだ。」

 お爺さんはそう言うとバッグから1冊の辞書を取り出した。それは「英斯辞典」、日本で言うところの英和辞典だった。見せてもらうと英単語にそれぞれペルシャ語で意味が書いてあるという、まさしく英和辞典そっくりのモノだった。しかし、それにしてもどうしてバッグに辞書なんて入っているんだろう?実を言うと僕もバックパックにポケットサイズの英語の辞書が入っているんだけど、まあ僕の場合は旅行者だから別におかしくもなんともない。でもお爺さんはどう見ても旅行者という感じではない。そしてそんな僕の表情を読み取ったのか、お爺さんは続けて言った。

「アメリカで働いていたのはもう何十年も前の事なんだ。君は私の英語が上手だと言うが、昔は今よりももっと上手だったんだ。だが私はもう71歳だ。この歳になると使わない外国語なんてすぐに忘れてしまう。君ならわかると思うが、イランで英語を使う機会はそんなに多くない。だからこうやっていつも辞書を持ち歩いて、時間があるときに勉強しているんだよ。若い頃はこんな事する必要は無かったんだけどね。」

 僕はお爺さんのハナシに感心した。でも感心したけど、そのハナシはかなり長かった。ここまでしてもらっておきながら本当に申し訳ないけれど、僕はウトウトしながらハナシを聞いていた。なにしろ夜の2時である。バックパッカーだって寝る時間だ。僕はお爺さんが荷物を見ていてくれるというので、その言葉に甘えて眠ることにした。一人旅で宿に泊まれなかったりすると、寝ている間も自分の荷物を気にしていないといけないのだが、お爺さんのおかげで今夜はその必要もなかった。毛布にくるまり、ベンチに横になると僕はすぐに目を閉じた。



朝になると、天気は見事なくらいに快晴だった。一部の雪はまだ路上に残っていたけれど、バスの運行に支障は出なかった。僕とお爺さんは始発のバスで市内へ行くことにする。ちなみに、お爺さんは僕の分のバス料金まで支払ってくれた。(まあ、たいした金額ではないけれど)僕はありがたくその好意を受け取ることにした。

終点でバスを降り、僕が「心当たりのある安い宿に行きます。」と言うと、お爺さんは道案内をしてくれると言う。もうこちらが恐縮してしまうくらいにとことん親切である。僕は宿の住所を伝えると、「付いてきなさい。」と言ってスタスタと歩き始める。僕は雛鳥が親の後を追うように、お爺さんの後を歩くだけでよかった。

そして目当ての安宿はすぐに見つかった。結局ここに辿り着くまで、僕がしたことなんて何も無かった。

「こんなところに宿があるなんて知らなかったな。」

 宿の前で、お爺さんは僕に言った。主にバックパッカーや出稼ぎ労働者が客の大部分を占める安宿の場合、地元の人でさえその存在を知らないという事は多々ある。僕が今回泊まろうとしているゲストハウスは、まさしくそういうタイプの宿だった。

僕はお爺さんに、いろいろと親切にしてくれたことに対して礼を言った。するとお爺さんは最後の親切とばかりに1枚のメモを渡してくれた。メモを見ると彼の住所と電話番号が、英語とペルシャ語の両方で書かれていた。親切な上に気も利いていた。

「タブリーズで何か困った事があったら、連絡しなさい。」

 そう言うと、お爺さんは行ってしまった。親切だけど恩着せがましいところが無い、サバサバしたお爺さんだった。



辿り着いた宿で滞在の手続きをしていると、対応してくれた従業員が「今ココには誰も宿泊していないんだよ」と、僕に言う。外国人が滞在していないという意味ではなく、イラン人も含めて一人も客がいないのだそうだ。そんなんでよく経営が行き詰まらないものである。そのことを僕が遠慮なく言うと、その従業員は

「今は冬だから。夏はいっぱいお客さんが来るんだよ。」

 と、答えた。負け惜しみではなく、多分本当にそうなのだろう。僕だってこの地域が毎日マイナス15度まで気温が下がるなんて知っていたら、冬に来ようなんて思わない。

それから、その従業員と数十分世間話をする。きっとよっぽどヒマなのだろう(だって客が一人もいないのだから)、従業員はもっと僕とハナシをしたがっているようにも見えたが、このへんで切り上げさせてもらうことにした。何故かというと、すごく疲れていたからである。一応テルミナーレの待合室では眠りはしたが時間は不十分だったし、ベンチで不自然な体勢で寝ていたせいもあって、熟睡はできなかった。僕は睡眠の続きを取りたかったのである。

僕は従業員とのハナシを打ち切らせてもらい、与えられた部屋へ入って荷物を下ろす。部屋はセントラルヒーティング式のオイルヒーターが設備されていて、温かかった。部屋にトイレもシャワーも無い安宿なのに、暖房設備だけはしっかりしているところから考えても、この地域の冬の厳しさを改めてうかがい知ることができる。

それから僕は着替えもせずに、ベッドに入って毛布にくるまる。ラシュトの宿では床に寝ていたし、このタブリーズのテルミナーレではベンチで寝ていた。それに比べると、(部屋も暖かいし)本当に快適な睡眠が期待できそうだ。

それから僕は眼を閉じながら、今日出会ったお爺さんの事を考えていた。お爺さんはどうして僕にこんなに親切にしてくれたんだろう?お爺さんは「アメリカに1年間住んでいた」と言っていた。それなら外国での苦労についても知っているはずだから、僕の姿を見て他人事と思えなかったのだろうか?あるいは、「旅人には施しを与えるべし」というコーランの教えに従ったからなのだろうか?それとも何か他に理由があったのだろうか?僕はそのことをベッドの上で少し考えてみたが、答えはすぐに出なかった。



僕の旅は今もまだ目的地が定まっていない。ちょっとカッコ良く言えば、それは「当ての無い旅」である。けれども、正直に言うと実は一番最初は全く何も決まっていないというわけでもなかったのだ。日本を出て中国に入った頃は、「中国からチベット、それからネパールを経由してインドへ行けたらいいなあ。」と、漠然とではあるが自分の旅のイメージを持っていた。インドに入ってからは本当に「当ての無い旅」になってしまったが、少なくとも最初の頃はそうじゃなかった。

だから僕は日本で旅の準備をする際には中国のガイドブックを購入したし、ビデオで「セブンイヤーズ・イン・チベット」を観たりもした。決してブラッド・ピットに憧れたわけじゃなく、「一応、観ておいたほうがいいかな。」という軽い気持ちで観たのだった。後でこの映画がチベットで撮影されたものじゃないと知ったときには、「なんだよ、これじゃ旅の予習にならないじゃないか。」なんて思ったりもしたけれど。

そんな映画の中には、こういう場面があった。主人公が捕虜収容所を脱走し、長い逃走の果てにほとんど無一文の状態でチベットとの国境に辿り着く。しかし当時のチベットは鎖国をしていて、よほどの事が無い限り外国人が入国することは不可能だった。でも主人公は、(結果から先に言うと)入国を許されることになった。

印象に残っているのは、主人公を入国させるかどうかについて、チベットの役人達が審議をしている場面だ。下士官は上官に向かって、「彼(主人公)はとても困っているし、入国させるべきだ。」と、主張した。しかしそれに対し上官の方は、「何故従来の慣習を破ってまで入国させなければならないのか、その理由を述べよ。」と、下士官に言う。すると下士官はこう答えた。

「困っている者を助けるのに、理由が必要なのですか?」

 僕は安宿のベッドの上で、その場面を思い出していた。お爺さんが僕にあんなに親切にしてくれたのには、理由なんて無かったのかもしれない。僕はもう理由について考えるのを止め、眠りの続きに落ちていくことにした。


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