「郵便局のメッセージ」
〜 イラン ラシュト 〜

長い旅をするバックパッカーのなかには自分で自分に、自分なりのルールを科している者が結構いる。そのルールというのは本当に様々で、いちいちあげるとキリがない。しかしそのなかでも、よく耳にするルールという観点から敢えてあげるとすると、

「何があってもガイドブックは見ない」とか、「せっかく外国にいるのだから、どんなに旅が長くなっても母国食(日本人なら日本食)は摂らない。」

 という、ある種の信念を持って旅しているツワモノがいれば

「絶対に飛行機は使わない」とか、「ドミトリーにしか泊まらない」

 とかいう、それはただ単に貧乏なだけじゃないのか?と、思ってしまうようなルールを頑なに守っているバックパッカーもいる。個人的にはせっかく自由な旅をしたくてバックパッカーになったのだから、わざわざ自分でルールを作って縛られる必要なんてないんじゃないのかな?

というふうに言いたいというのが僕の本心なんだけど、実を言うとそんな僕も自分で自分に対して定めているルールがひとつだけある。それはどんなルールかというと

「一人ではタクシーに乗らない。」

 というのが僕のそれである。

どうしてそんなルールを定めているのかというと、僕の場合もやはり世のバックパッカー達と同じように金銭面の問題からである。どこの国でもそうだけど、タクシーの料金は市内バスのそれよりも高い。ましてや市外(都市間移動)でタクシーを使うなんて論外だ。よく日本のサラリーマンが飲み屋をはしごしていたら終電がなくなっちゃったのでタクシーで家に帰った(これも都市間移動だと思う)なんて、海外を旅するバックパッカーには考えられないことなのだ。

もし僕の旅の資金が潤沢だったら、「タクシーは使わない」なんてケチな事は言わなかったと思う。ひょっとしたら都市間移動で飛行機を使ったかもしれない。何しろ飛行機はバスに比べれば確率的に言って安全だし、早いし、また何よりもラクである。僕の旅は決して修行ではないので、カネにまかせて旅したかもしれない。しかし現実の僕のサイフは、長旅をするにしてはかなり薄いものだったので、そうはならなかっただけのことなのだ。

それはともかく、僕のルールに「一人では」という条件がついているのには一応理由がある。これは人数によってはタクシーをシェアしたほうがバスを使うよりも安上がりになる場合があるからだ。そんなときは迷わずタクシーを使う。なぜなら僕のルールは信念とは全く無縁なものだし、「交通費は安ければ安いほどよい」と考えていたに過ぎないからである。

とはいうものの僕は基本的に一人旅だから、今までにそういう機会はあんまり無かった。だから旅が終わったときに数えてみたら、

「タクシーを使った回数が片手の指の本数で収まった」

 なんてことになっているかもしれないなあ・・・なんて思いながら今まで旅してきた僕だったのだが、それがこのイランという国に来てからというもの、急にタクシーに乗る機会が増加したのである。これはもちろん僕が一人で旅するのが嫌になったとか、そういうことではない。別の理由があったのである。



僕がイランでタクシーに乗る機会が多くなったのは、『サヴァーリー』のためである。サヴァーリーというのは、簡単に言ってしまえばイランの「乗り合いタクシー」だ。「乗り合い」というのと、イランは産油国なのでガソリンがとても安いということもあって、このサヴァーリーは料金が驚くほど安い。なにしろちょっとした市内の移動だったら日本円にして約30円くらいなのだ。300円ではなく、30円である。

ただし、安いだけあって僕達外国人旅行者にとっては利用しづらい面もある。まず第一にいったいどのクルマがサヴァーリーなのかが非常にわかりにくい。サヴァーリーはほとんどがイランの国産車「ペイカーン」である。それはそれで構わないのだが、実はこのサヴァーリーに使われているペイカーンには「タクシー」とか「サヴァーリー」とかの表示が全くないのである。あと車体もそれとわかるように黄色とか黒とかに塗装されてはいないから、ハッキリ言って普通の自家用車と全く同じ外観なのである。あと、営業許可とかちゃんと取得しているのかどうかもよくわからない。

もちろんイランでも「普通のタクシー」は走っていて、そちらの場合は一見するだけでタクシーであることがわかる。ところがこちらは乗り合いではないしクルマも(通常のペイカーンよりは)良いモノを使用しているので、サヴァーリーのように料金が割安ではない。

だから僕はサヴァーリーに固執してクルマ探した。サヴァーリーを探す要領はヒッチハイクと同じで、道端に立って手を上げることだ。でも僕にはどのクルマがサヴァーリーかなんてさっぱりわからないので、クルマが通るたびにやたら滅多に手を上げる。しかし(当然だけど)僕が手をあげているからといって、もちろんそのクルマがサヴァーリーでない限り止まってはくれないのである。

それでも根気良くその行為を続けていると、いつしか流しのサヴァーリーが止まってくれることになる。しかしそれでそのサヴァーリーに乗れるのかというと、必ずしもそうではない。サヴァーリーの不便な面の第二に、「乗り合い」ということがある。クルマが止まってくれると僕はドライバーに行き先を告げるのだが、先に乗車している客が僕が行きたい場所とは違う方向だった場合などには、(あたりまえだけど)乗せてはくれない。同じ方向へ行く乗客を集めるからこそ、乗り合いはタクシーは乗客一人当たりの料金を安くできるのだから。

こんな感じでサヴァーリーを見つけるには根気と時間が必要という難点はあるけど、逆に言えばそのニ点さえクリアできれば、お得な乗り物には違いない。市内バスとは違い、必ず座れるというメリットもあるし。僕の場合、根気はこの旅でだいぶ養えたつもりだし、時間はいくらでもあった。

だから僕はイランで本当によく(乗り合いだけど)タクシーを使った。もちろんほとんどが市内の移動のために利用したのだけれど、1度だけは都市間移動の際に使ったこともあった。それはイラン北部の「ラシュト」という街から「バンダレ・アンザリー」という街に移動するときのことである。



僕がバンダレ・アンザリーという街に行こうと思いついたのはテヘランにいた時 ― つまり、つい最近のことで、イランに入国した頃には僕の予定にこの街は含まれていなかった。イランの中部、シーラーズとかエスファハンなどに滞在していたころでも、

「どうやらイランの次はトルコになりそうだ」

 と、既におぼろげではあるが自分の頭の中で次に目指す国が決まりかけていたので、そうなると地図を見る限りは テヘラン → タブリーズ → トルコ入国 というのが通常のルートだから、イランの北部はパスしようと僕は考えていた。トルコへ向かうことを考えるとイラン北部に行くという行為はハッキリ言って「遠回り」だからである。にもかかわらず、結局それをする事になったのは、これはもうチベットで一緒だった韓国人のリーの影響だというしかなかった。

チベットのシガツェという街に滞在していたとき、同じ部屋に泊まっていたリーはことあるごとに僕に向かって、

「必ずエヴェレストに行くんだ」

 と、言っていた。当時僕はエヴェレストにはさして興味がなかったので、いったい彼がどうしてそこまでエヴェレストにこだわるのかが理解できなかった。だから僕は実際に彼に直接尋ねたこともあった。すると彼は

「世界一の山が見たいんだ」

 と、僕に答えた。その答え方はやたらと「世界一」というところを強調した話し方だった。確かにエヴェレストは世界一高い山である。それを自分の目で見てみたいという願望は、まあ納得できる回答ではある。しかしその答えを聞いた後でも、僕は「旅は人それぞれ」なんて思っていて、自分がエヴェレストに行く気にはならなかった。

ところがその後、ちょっとしたトラブルのせいで自分もエヴェレストに行かなくてはならない状況になってしまい、あまり気は進まなかったがそれでも仕方なく行ってみて実際に自分の目でエヴェレストを見てしまったところ、白状するけれど僕も「世界一の山」に感動してしまったのである。

その後リーとはネパールで別れてしまい、それからは連絡も取り合ってはいないけれど、少なくとも彼が僕に「世界一のモノを見る」というのもそれほど悪い考えではないと思わせた男であることに違いはなかった。

そしてそれからインド・パキスタンと経由してイランのテヘランで「クリスマスまでにトルコへ入国へする」という目的もあきらめた僕が安宿のベッドの上でイランの地図を見ていたところ、北部地方に「カスピ海」という名前は海だけど実際は湖である地名に目が留まった。カスピ海はリーの言い方を借りれば「世界一広い湖」である。

しかしカスピ海を見るためには、まずテヘランからラシュトというイラン北部の街へオトブース(長距離バス)で行き、そこから更になにかしらの交通機関を利用してバンダレ・アンザリーという街まで行かなければならない。そして先にも言ったが、それはこれからトルコへ向かう僕にとって明らかに遠回りでもあった。でも結局のところ、僕はカスピ海に行くことにした。

「チベットでは世界一の山を見たことだし、ついでに世界一の湖も見てみようかな。」

それが僕のバンダレ・アンザリー行きの、ごく単純な理由であったのだ。チベットとイランはかなり離れているから、なにがどう「ついでに」なのか自分でもよくわからなかったけれど。



そういうわけで僕はテヘランからオトブースでおよそ6時間かけて、ラシュトへやってきた。僕が持っているガイドブックにはラシュトという街に関する情報が一切無かったので、「外国人を泊めてもいい」という安い宿を探すのにはかなり苦労したのだが、それでもなんとかメイダーネの近くで広さは2畳くらいしかないし、おまけにベッドがないので床に寝るしかないけれども、一応はシングルルームという、なんだか物置みたいな部屋をみつけることができた。そしてそんなどうしようもない部屋に1泊した翌日、僕はカスピ海が見れるバンダレ・アンザリーに行くことにした。地図で見る限り、ラシュトからバンダレ・アンザリーは日帰りできそうな距離である。

ラシュトに関する情報を全く持っていなかった僕は宿のオヤジに(この人は英語が全く話せない)身振り手振りでバンダレ・アンザリー行きのバスに尋ねたところ、「サヴァーリーで行け」と、これまたジェスチャーを交えて言われてしまう。サヴァーリーを探すのは大変だから僕はできればバスで行きたいと続けて言うと、オヤジは

「バンダレ・アンザリー行きのバスなんてそもそも無いし、サヴァーリーなら郵便局の前に行けばすぐにみつかるよ。」

 と、答えるのであった。どうやらこのラシュトにはタクシー乗り場ならぬ「サヴァーリー乗り場」があるようで、場所はメイダーネ近くにある郵便局の前だと言うのだ。僕はオヤジのハナシを信じて、郵便局へ足を運んでみることにした。

で、その郵便局前に行ったみたところ、そこには確かに何台かのペイカーンが停車していた。その脇ではクルマの持ち主らしき男たちがタバコを吸いながら談笑している。はたしてここに並んでいるクルマがサヴァーリーなのだろうか?

僕は男達のひとりに声をかけ、(クルマを指差しながら)

「サヴァーリー?」

 と、尋ねてみた。するとその男はウン、ウンと頷きながら僕に行き先を訊いてきた。そして僕が「バンダレ・アンザリー」と答えると男はペイカーンのドアを開け、「乗りなよ」というジェスチャーで僕に促してきたので、僕はそのまま助手席に乗車した。それから男は

「アンザリー! アンザリー!」

 と、急に大きな声を上げはじめた。どうやら僕がこのサヴァーリーの最初の乗客で、僕と同じ方面へ行く客を探し始めたようである。

しかしドライバーの希望とは裏腹に、なかなか客はつかまらない。というか、一人もつかまらない。やがて僕が「いったいいつになったら出発できるんだろう?」と思い始めた頃、ドライバーはさしてガッカリという表情も見せずに運転席に乗り込むと、おもむろにクルマを発進させた。結局、乗り合いタクシーなのに乗客は僕一人という有様だった。

しかし発進してから数分たって僕はハッと思いついた。乗り合いタクシーに一人で乗ってしまって、いったい料金はどうなるのだろうか?そういえばいつもは乗る前に料金を確認していたのだが、今回はまだしていない。僕は慌ててドライバーに

「アンザリー、チャンデ?」(チャンデ:ペルシャ語で「いくら」という意味)

 と、訊いてみると、ドライバーからは

「3000リヤール」(約50円)

 という答えが帰ってきた。僕はそれを聞いてホッとしたものだった。そしていつものサヴァーリーの料金でよかった・・・なんて思っていたのだが、しかし僕はそれでよいけれども、「そんな料金で僕一人乗せただけではたしてこのドライバーは元が取れるのだろうか?」とも思っていたところ、クルマが郊外に出た頃から道路脇に手を上げる地元の人たちを見かけるようになった。ドライバーはその都度クルマを停めて行き先を確認し、僕と同じ方面へ行こうとしている人であればクルマに乗せていくというのを何回か繰り返していると、車内はいつしか満席になっていった。さすがはプロのタクシードライバーである。このあたりことをあらかじめ予想して、最初の乗客が僕一人でもクルマを出発させたのだろう。

そしてラシュトを出てから約1時間で、クルマはアンザリーの街に到着した。



ラシュトに続いてアンザリーの街にも全く予備知識がない僕が街中をウロウロしていると、地元の人達がたくさん声をかけてくる。このあたりまでくると外国人はかなり珍しいのもしれない。声をかけてくるのが全て男性だったというのがさすがにイランではあるが、街の地図すらなく困っていたところだったから、渡りに船でカスピ海まで案内してもらうことにした。

カスピ海は確かに広い湖だった。「海」と名付けられたのも納得がいく広さである。僕は天気しだいでは上手くすれば

「対岸のカザフスタンが見えるのでは?」

 と思っていたのだが、それは到底できないことだった。カスピ海の湖岸に立ってその対岸を肉眼で見ようなんて、最初から無理なハナシなのである。もしそれができるようだったら、この湖に「世界一広い」という形容詞がつけられるはずもないのだ。でも、それでも僕は十分満足だった。少なくとも「世界一のモノを見る」という、当初の目的はしっかりと果たすことができたのだから。

カスピ海の湖岸は遊歩道になっていて、そこには何軒かのチャイハネがあった。僕をここまで案内してくれた何人かの地元の男達はそこでチャイを奢ってくれた。たぶん、歓迎のしるしなのだろう。僕はありがたく彼等の好意を受け取ることにした。海風に当たって冷えた身体にチャイは格別の飲み物だった。なにしろ今は12月、イランだって北部は寒いのだ。



チャイハネで楽しい時間を過ごした後、僕はラシュトへ戻ることにした。最初からアンザリーへはカスピ海を見るためだけの日帰り旅行と決めていたから、荷物もラシュトの宿に置いてきたままだった。せっかく知り合えた男達は名残惜しそうにしてくれたが、事情を説明して彼等とも別れた。そして僕は今度はこのアンザリーの「サヴァーリー乗り場」へと歩いた。

アンザリーのサヴァーリー乗り場は、この街に到着してクルマを降ろされた場所である。だからカスピ海へと来た道を戻ればいいだけだ。僕は歩いてそこへ戻り、難なく客待ちしているサヴァーリーを見つけることができた。そしてラシュトを出てきたときと同様にドライバーに行き先を告げると、やっぱりドライバーは

「ラシュト! ラシュト!」

 と客探しをするのだが、面白いことに今度も客は全く集まらなかったので、またしても乗客は僕一人という状態でアンザリーの街を出ることになった。まあ、ドライバーにしてみてもラシュトへの道すがら「客をひろって」いけばいいということなのだろう。料金も往路と同じ、3000リヤールでいいそうだ。

・・・ところがクルマが走り出して数十分、僕は自分の予想が外れたことに薄々気付いていた。それからたぶんドライバー自身も予想が外れたことを認めざるを得ないようだった。何がというと、往路のときと違って全然客を拾うことができないのである。このままいくと、どうやら僕の貸切状態でラシュトに到着してしまいそうな雰囲気だった。それは僕にとってはどうでもいいことだったが、ドライバーにとってはちょっと気の毒でなことであった。おかげで、なんなとなく気まずい空気が車内に漂っている気もする。

その後も車内に二人っきりの状態が続き、やがてドライバーも客を拾うのをあきらめたのか、それともただ単に退屈したのかどうかわからないが、とにかく彼は沈黙を破って僕に話しかけてきた。彼は僕が外国人なので気を使って英語で話しかけてきたのだが、彼の話す英語は知っている数少ない英単語を並べただけのもので、それはとても英会話と呼べるものではなかった。でもそれでもハッキリと意味が理解できるのだからすごい。むしろ語彙が少ない分だけ内容がストレートに伝わってきたようにも思える。ちなみにこんな会話である。

「チン?(中国人か?)」 
― いいえ、日本から来ました。

「ジャパン、グッド。イラン、ノーグッド。(日本は良い国だ。それに比べてイランは駄目だ。)」      ― 僕はそうは思いません。イランも良い国だと思いますよ。

「トヨタ、グッド。ペイカーン、ノーグッド。(日本車も良いし、ペイカーンとは比べ物にならない。)」    ― いや、料金が安いから、僕は好きですよ。

 というような会話だった。こんなんじゃ会話とも言えないのかもしれないけれど(だって彼はグッドとノーグッドと固有名詞しか喋ってないんだから)、それでも一応相手の言いたいことは理解できたつもりだ。想像力を働かせばなんとかなるのだ。

こんな感じで会話は更に続いた。まず彼が喋って、それから僕が応答するというパターンだったが、内容はほとんどイランの悪口ばかりだった、今までいろんな国の人間とハナシをしてきたけれども、ここまで自分の国を悪し様に言う人は初めてだった。なにしろこのドライバーは最後には

「ハタミ(現大統領)、ノーグッド。ホメイニ(イラン革命の指導者)、ノーグッド。」

 とまで言ってのけたのだから。

イランは政治に関してはかなり厳しい国である。一応選挙は行われていて、民主国家ということになっているけれど、公然と政府に対する批判などできないような雰囲気がある。ましてや偉大なるホメイニの悪口など許されざる行為である。にもかかわらず彼は(僕が外国人だったというのもあるかもしれないが)平然と政府の批判を繰り返していた。よっぽどイランの現状に不満があるのだろう。

考えてみればイランは石油の埋蔵量が世界第5位、天然ガスについては第2位という資源大国である。砂漠の国というイメージがあるが意外に湖や河川も多く、生活用水や工業用水も不足していない。中東の先進国になれるポテンシャルを持っているはずである。

しかしながら実際のイランはそうはなれずに、国民生活に関してもそれほど豊かではない。数週間滞在しただけでも、それくらいのことは感じ取ることができる。少なくとも同じ産油国のサウジアラビアやアラブ首長国連邦、あるいはオマーンといった国が上手にオイルマネーの恩恵にあやかって、国民は税金を払わなくていいとか、ブルーカラーは外国人労働者で占められているとか、そういった近隣諸国の事実と比べると、かなりの差がある。こういう状況だと市民のなかに政府に対する不満が芽生えていたとしても、それほど驚くべきことでもないのかもしれない。



アンザリーを出発してから約1時間、結局一人の客も拾えないままクルマはラシュトの郵便局前に到着した。僕は思わぬ貸切状態だったことにラッキーと感じながらクルマを降りたのかというと決してそんなことはなく、むしろドライバーの不満を聞かされ続けたおかげで、「もう勘弁してくれよ」といった気持ちだった。そしてそんな状態でクルマを降りた僕の目に入ってきたのは、郵便局の壁に書かれたラクガキだった。朝ここから出発するときには気付かなかったが、こんなところにこんなに目立つラクガキがあったのか。それにしてもあんまり心温まるラクガキではない。

「Down with U.S.A」
(アメリカを撃ち落せ)

そのメッセージには見覚えがあった。テヘランにある旧米大使館の壁にも同じ文章があったからだ。ただしテヘランのそれは観光スポットぽく綺麗な彫刻で書かれたものだったので、スプレーで書きなぐられたこのラシュト郵便局のメッセージの方がかなりリアルな印象がある。

おそらくこのメッセージはイランとアメリカの外交が一番険悪な時代に書かれたものだろう。当時コレを書いた人は、「アメリカ許すまじ!」なんて思いながら、いろんなところでスプレーを使っていたのかもしれない。

まあ今もイランとアメリカの仲はそんなに良くないから、このメッセージが当分消されることはないと思うけど、でも今日のドライバーのハナシなんか聞いていると、そのうちこれに追加して

「イラン政府も撃ち落せ!」

 なんて書かれる日もそんなに遠くないんじゃないかと、僕は思ったりしたのだった。


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