「クリスマス・イブ」
〜 イラン テヘラン 〜

首都テヘランに到着したのは12月23日だった。僕はテヘランのなかでも低所得者層が多く住むという市内南部の、「アミール・キャビール」という名の通りにある安宿に部屋を取った。しかし「部屋を取った」と言っても、それはいつもと変わらずの相部屋だったから、その部屋には僕以外にも宿泊客がいたのだが、ありがたいことにその人は僕と同じ日本人男性だった。

別に同部屋の人間がどこの国籍であろうと僕は別に構わないし、むしろ現地に住む人間や他の国の旅行者と出会えることは自分が知らないハナシを聞けたりして、それはそれで有意義ではあるのだが、同じ日本人だとやはりラクはラクである。会話をすることひとつにしても、よくガイドブックについている「旅の○○語」とかゼスチャーに頼る必要もないのだから。

ハナシをしてみると彼は日本にある大学の4年生で、今回は卒業旅行のつもりで日本を出てきたという。ただ試験やら卒業論文の関係で年明けには日本には戻らねばならず、いわゆる「期限付き」の旅なのだそうだ。事実彼は僕に向かって「せっかく知り合えたけど」と、前置きしながら

「テヘランには1泊だけで、明日(24日)にはもうここを出るんだよ。」

 と、言った。ガイドブックによればこのテヘランからはトルコのイスタンブール行きの国際バスが出ていて、たとえ終点のイスタンブールまで行かないにしても、それに乗りさえすれば15時間ほどでトルコへ入国することが可能らしい。彼はそのバスに乗るつもりなのだ。

「イヴには間に合わないけど、25日のクリスマスには間違いなくトルコにいるよ。」

 彼はそう言い残して実際にその翌日、バックパックを担いで宿を出て行った。そして僕は彼が残した言葉から、彼が急いでいるのが学校のためだけでなく、クリスマスのためでもあるということを理解した。

「クリスマスはトルコで楽しく過ごそう。」

 その言葉はこの時期に中東を旅するバックパッカーの間では、何故だかわからないが合言葉のようになっていた。まるで何かの標語かとも思えるくらいに。



言うまでもなく、その合言葉に含まれる国名は必ずしもトルコである必要はなかった。僕の進路とは逆方向に、この地域を東に進むバックパッカー達は「インドで」と言ったし、またごく一部の者達は「自分の国に帰って」とまで言う人もいた。共通している内容は、ようするにクリスマスまでにはイスラムの戒律に厳しい国を抜けてしまいたいということだったのだ。

つまり、普段はつつましい食生活を続けているバックパッカーたちも、「せめてクリスマスくらいは少し贅沢したり、酒を飲んだりしたいな。」ということなのだが、飲酒が違法とされるパキスタンやイランではそれをすることができない。ところがトルコは国民のほとんどがイスラム教徒にもかかわらず、「政教分離」政策のおかげで街のスーパーマーケットなんかで普通にビールやワインが売られているそうなのだ。

敬虔なイスラム教徒から見れば、おそらく罪深いのであろう外国人バックパッカー達は、そんな理由からトルコを目指して急いでいたのである。

では僕の場合はどうかと言うと、クリスマスまでにトルコに入国するということにはならなかった。クリスマスをトルコでパーッとやろうというのは悪くない考えだったし、時間的にもギリギリで間に合っただろうけど、結局僕はそうはしなかった。何故そうしなかったかというと、やはり「もったいなかった」というのが正直なところだと思う。

何がもったいないのかというと、僕はイランに入国するのに金を払っているのである。むろんそれはビザの取得費用なのだが、よく考えてみればイランはトルコとパキスタンというイスラム国家に挟まれているけれど、その両国ではビザを取得するのに金銭を要求されることはない。トルコにいたっては日本人であればそもそもビザは不要である。

しかもイランのビザを取得するのにかかった費用は50ドルと(僕にとっては)かなり高額だったし、あと手間もかかった。つまりそこまでして取得したビザなのだから、できるだけ『有効活用』してやろうと思ったのである。イラン・ビザの期間は1ヶ月だからまだ少し滞在できた。それが急いでトルコに入らない理由のひとつであったのだ。

しかし『ビザの期間を有効活用』すると考えたものの、自分で言うのも恥ずかしいがハッキリ言って観光下手な僕である。おまけにテヘランは首都ではあるけれども、観光に関しては旅行者達の評判もあまり良くない。そんなことで本当に有効活用できるのか我ながら半信半疑だったのだけれど、決めた以上は一応、街に出てみることにした。12月24日、クリスマス・イヴの日に。



街に出る前にガイドブックを読んでみたところ、やはりというか何というか残念ながらテヘランに僕が観光したくなりそうな場所はひとつもなかった。見所らしきところは『絨毯博物館』とか『宝石博物館』といった博物館系のものが多く、いかにもイランらしそうな博物館ではあったけれども、そのどれもが入場料300円以上もしたから、僕としては敬遠せざるを得なかった。300円あればイランでは安宿に1泊できるのだ。

無料で見学できそうなのはバザールと、1979年に世界を震撼させたという「アメリカ大使館人質事件」の舞台となった『旧アメリカ大使館』ぐらいだった。さすがの僕もバザールにはいい加減飽きてきていたので、大使館の方へ行くことにした。ついでに大気汚染で有名なテヘランの街を少し歩いてみようとも思った。それで中国の蘭州、ネパールのカトマンズ、このテヘランの三つの街で自分なりの「空気の悪さ・金銀銅メダル」を決めてみようかなと、考えたからだ。我ながら悪趣味としか言えないけれど。

市内の移動にはメトロ(地下鉄)を利用した。イランのメトロはテヘランにしかないのだが、そのテヘランにしてもそれほどの歴史があるわけではないようで、駅も中国製の車両もまだ真新しい。不思議なのは男女による車両の区別がないことだ。宗教的戒律の厳しいイランでは、市内バスなどでは性別によって乗車口が分けられているのが普通なのだが、メトロに関してはその点は無視されているようだ。

そう言えば旅に出てくる前に日本にいた頃、地下鉄で「女性専用車両」が導入されたというニュースをテレビで見たことがあった。ひょっとしたら地下鉄に関してはイランよりもむしろ日本のほうがイスラムの精神に則っているのかもしれない。ペルシャ人が日本の女性専用車両を見たら

「イスラムの良いところを導入するなんて素晴らしい!」

 と、喜ぶかもしれないな・・・。なんてことを考えていたら、あっという間にメトロは目的地に到着した。



結果から言うと、旧アメリカ大使館はひどくつまらなかった。理由は内部へ入れなかったからである。僕はシーラーズの聖廟ではムスリムでもないのに勝手に中に入っちゃったりしたのだが、今回は相手がライフル持った警備兵というか警備員だったので交渉する気にもならなかった。まあ仕方ない、外から見るだけで我慢しよう。仮に内部へ入れたとしても、まさか

「この大使館で我々は何十人もの憎きアメリカ人を一年以上にわたって監禁して・・・」

 なんていう展示があるはずもないだろうし、僕はすんなりあきらめて宿へ帰ることにした。

当てが外れてすっかりやる事がなくなった僕は、帰りがけに夕食を取ってしまうことにした。まだ夕方で時間は少し早かったけれど、街角のサンドイッチ屋を覗くとドネル・キャバーブという、調理方法が面白そうなサンドイッチがあったので、それとザムザム・コーラを注文する。それから

「ふうん、イランでもサンドイッチのことをサンドイッチって言うんだなあ。」

 なんて思っていたのだが、運ばれてきた料理はどう見てもホットドッグだった。味もたいして美味しいとは思えないけど、安かったので仕方ない。なんだか今日は「仕方ない」ばっかり言っているような気がする。

食後は歩きながら宿へ帰る。歩いていて感じたことは空気の悪さもそうだけど、それ以外にもあってそれは

「今がクリスマスであることが全く感じられないな。」

 ということである。イランはキリスト教国じゃないんだからそんなのあたりまえじゃないかと言われたら、確かにそうなのかもしれないけれど、でもよく考えてみれば日本はキリスト教国ではないけれど、きっと今頃は商店街ではクリスマスの飾りつけがされてたり、デパートなんかに行くと「ジングル・ベル」とかがBGMで流れてたり、ケーキ屋や玩具屋は一年で一番忙しかったりしているはずだ。

いや何も日本に限らない。僕が行ったことのある国では、同じく仏教国とされているタイとかでもクリスマスは年間行事のひとつとして定着していた。あと、隣のパキスタンはイランと同じイスラム教国だけど、街角でクリスマスカードが売られているのを見たこともあった。けれどもこのイラン来てからはそういう風景は全くと言っていいほど見かけない。そういった点から思考をすすめていくと、イランはさすがに「政教一致」の国というかイスラムの戒律に対する遵法精神に富んでいるというか、とにかくイスラム一色の国というイメージがしてしまうのだ。



宿に帰って部屋に入ると何故か部屋がガランとしている気がした。昨日までいた日本人が一人いなくなっただけで急に部屋が広くなったようにも思える。ひとりきりのクリスマス・イブがそうさせるのだろうか、なんとなく寂しい。僕は受付へ行き、他に客がいる部屋に移させてほしいと言ってみると、宿の従業員は

「他の部屋にはイランの地方からきた出稼ぎ労働者しかいないからやめときなよ」

 と、言われてたのでこれもあっさり断念した。他に旅行者でもいればハナシでもして時間をつぶすつもりだったのだが、やはり時期が時期だけにバックパッカー達はトルコへ行ってしまったのだろう。僕はこれもあきらめておとなしく読書でもすることにした。しかし持っていた文庫本をベッドに寝そべりながら読んでいたら、今度は急に部屋の電気が消えた。どうしたことかと思って再び受付へ行くって従業員に尋ねると、

「停電だよ。この地区ではよくあるんだ。」

 と、首を振るだけだった。部屋の窓から外を見ると、近隣のどの建物にも灯りが無かった。従業員が言うとうり、確かにどうしようもなさそうだ。それにしても自然災害でもないのに一国の首都がこんな簡単に停電していいのだろうか?

まったく踏んだり蹴ったりのクリスマス・イブだ。電気もなく読書もできなくなった僕は憤慨してベッドで毛布にくるまった。ふてくされてもう寝てしまおうと思ったのだが、いかんせん時間が早すぎて眠れない。そのせいでいろいろと考え事をすることになった。僕は一足先にトルコへ行ってしまったバックパッカー達の事を考えていた。彼等は今頃トルコで楽しんでいるのだろうか?そう言えばバムからシーラーズまで一緒に移動したT本クンは

「年末に家族がトルコに短期旅行に来ることになっているから急ぐんだ」

 と言って、僕をシーラーズに残して先に行ってしまった。今頃はトルコで家族との再会を楽しんでいるのかもしれない。それでは振り返って僕の場合はどうかというと、「年末に家族が会いに来る」という予定は無かった。年始に会いに来る予定もなければ、今後会いに来そうな気配も全くない。まあこっちにしても日本を出て以来、電話1本かけていないのだから無理もないが。

そう言えばT本クンの前にバムまで一緒にやって来たH之クンは今頃どうしているだろう?彼はまだバムに残るという僕に対して

「年末に恋人とエジプトで落ち合うことになっているんだ。だからイランはさっさと抜けるよ。」

 と言い、先にトルコに行ってしまったのを思い出した。それでは振り返って僕の場合はどうかというと、特にどこかの国で恋人と落ち合うというような予定も無かった。まてよ、よく考えてみたらこっちに関してはどこかの国で恋人と落ち合うという以前に、そもそも僕には恋人がいなかっ・・・

 ・・・止めよう。先にトルコへ行った人達の事を考えるのは止めることにする。これ以上考えると停電で暗い部屋がいっそう暗くなりそうだ。もっと違う事を考えよう。そうだ、今日はクリスマス・イブだし、いい機会だからクリスマスについて考えてみよう。



記憶が不確かで、どこの国の宿でのことだったかはハッキリと覚えていないけど、とにかくその宿に置いてあった情報ノートでクリスマスについての書き込みを見たことがあった。書き込みの内容はとても情報と呼べるものではなく、どう考えてもノートの主旨からは外れていたのだが、そのせいか僕は書かれていた文章をイランに来た今も忘れずにいる。確かこんな文章だった。

「俺はクリスチャンでもない日本人がキリストの誕生日を祝うのはおかしいと思う。でも、もはやクリスマスは日本に定着してしまっているから、今更それを止めろと言うつもりはない。ただひとつ言ってやりたいのは、そこまでしてクリスマスを祝おうっていうんなら、キリストだけ特別扱いせずにアラーの誕生日もブッダの誕生日も祝ってやれ。」

僕はそのときこの文章を読んで、「一理あるかな」と思った。僕も日本にいた頃は、「12月24日は都内のどこのシティホテルも既に予約で一杯です。」とかいうニュースをテレビで見たときには

「この人達は何か勘違いしているんじゃないのか?」

 なんて思ったこともあった。それは僕に恋人がいなかったからひがんでいたとか、その辺についてはあえて言及しないが、とにかく奇異に感じていた。そういえばずっと昔にブルース・ウィルス主演の映画「ダイ・ハード」を観たときに主人公が

「日本人がクリスマスを祝うなんて知らなかったよ」

 なんて言っていたのもよく覚えている。そんなこともあって、やれクリスマスだと大騒ぎする日本人に対して僕は懐疑的だったのだが、情報ノートに書き込んだ男はどうやら僕よりももっと広い心を持っているみたいで、「クリスマスを祝ってもいいから、そのかわり他の神様の誕生日も祝ってくれ。」と、言っているのだ。これはなかなか的を得た意見ではないだろうか。

考えてみれば僕も子供の頃はクリスマスには親にプレゼントをねだったものだった。クリスマスがキリストの誕生日だなんて知らなかったし、そんなことよりもただプレゼントがもらえるというだけでクリスマスが来るのが楽しみだった。

そんな少年時代を送ってきておきながら、大人になったからといって「日本人なのにクリスマスなんて・・・」とかいうのは、確かに筋違いかもしれない。ここは情報ノートに書き込みした男のようにもっと広いココロを持つべきなのだろう。

よし、決めた。日本に帰ったら、「日本人なのにクリスマスなんて・・・」とかいう大人気ない事は、もう言わないようにしよう。うん、博愛主義者の僕はキリストの誕生日もアラーの誕生日も、もちろんブッダの誕生日も祝ってあげよう。「クリスマス・イブ」に仲良く過ごす恋人達を悪く言うのも、もうやめる。それから僕も「アラー・イブ」を一緒に過ごしてくれる彼女を捜すことにしよう。

それから僕はヒマにまかせて来年の神々の誕生日について具体的な計画を立てることにした。クリスマスは問題ないだろう。クリスマスは日本ではもう十分に浸透しているし、なんといっても来年の12月の計画だから、まだ1年も時間がある。次は「アラー・イブ」だ。アラー・イブは恋人と過ごすことにしたから、当日までに彼女を見つけなくてはいけない。そのためにはスケジュールをしっかり組んで行動する必要がある。僕は頭の中でカレンダーを想像しながら、そのカレンダーの中で「アラー・イブ」を探してみた。しかし・・・

「アラーの誕生日っていつなんだろう?」

 そういえばイスラム教は預言者ムハンマドが、唯一神アラーの啓示を受けて始まったとか、高校生のときに世界史の授業で習ったような気がする。ムハンマドはもちろん人間だから誕生日はあるだろうけど、彼はあくまで預言者であり、神ではない。神とはアラーのことだ。ひょっとしたらアラーは神様だから誕生日なんて無いのかもしれない。

 ・・・やっぱり「アラー・イヴ」に恋人と一緒に過ごすのはよそう。僕の彼女になる人はやっぱり日本人である可能性が高いだろうし、日本人同士だったらやっぱり「アラー・イブ」じゃなくて「ブッダ・イヴ」を一緒に過ごす方が合っているだろう。僕はもう一度カレンダーを想像しながら、今度は「ブッダ・イブ」を探してみた。でも・・・

「・・・ブッダの誕生日って?」



僕は無宗教な人間だけどずっと日本で育ったきた日本人だからもちろん仏教には詳しいし、更にはネパールでブッダが産まれたルンビニを訪ねたのは、タダで巡礼宿に泊まれたからというのは実はウソで、本当は仏教について深く勉強するために行ったほどだし、そんな僕がキリストの誕生日は知っているのにブッダの誕生日は知らないなんてことがあるはずがなくて、当然知っているけれどもよく考えてみればやっぱり神様や仏様の誕生日に恋人同士でイチャイチャなんてもっての他だし、ましてや「ブッダ・イブ」なんて西洋的なネーミングはふざけているとしか言いようがない。

そう思った僕はもうクリスマスについて考えるのは止め、今度こそおとなしく寝ることにした。酒は飲めないし、贅沢もしなかったし、おまけに一人きりだったけど、本当に楽しいクリスマス・イブだった。明日のクリスマス本番もきっと素晴らしい日になることだろう。


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