「バザール」
〜 イラン エスファハン 〜

確かにエマーム広場に立ち並ぶ建築物はどれも美しく、かつてこの街が「世界の半分」と謳われたことを彷彿させるだけのことはあったけれども、結局のところ外国人旅行者にとってエスファハンという街は観光地であり、どの見所も自分が滞在している宿の部屋代以上の入場料が必要とくれば、それが払えないばかりに見学を断念する僕のようなバックパッカーにとってそれほど面白味のある街じゃない。

だからエスファハンでは、というかこのエスファハンでも「街歩き」が僕の日課だった。なにしろエスファンはモスクでさえ外国人に対して入場料を要求する街である。そんなことをされたら、「街歩き」ぐらいしか僕にできることはなかったのだ。(イランで入場料を取るモスクは非常に少ない。)



それでは僕がしていた街歩きのというはいったいどんな事だったのかというと、それは決まっていつも、「川を眺める・バザールへ行く・チャイハネで休憩」という、3本立てだった。芸がないと言われればそれまでだけど。

まず昼頃に起きて宿近くのベーカリーでブランチをとることから街歩きは始まるのだが、「ベーカリーでブランチをとる。」・・・なんてお洒落で素敵な響きなんだろう。そうかついに僕もマトモな旅ができるように・・・と、思ったらこれは大間違いで、ただ単に節約のためにパン屋で朝食兼昼食をとっていただけである。

イラン人の主食はパキスタンと同じくナンなのだが、都市部にはそういったナンではなくて、いわゆる「菓子パン」を売る店が結構ある。そういう店はただ菓子パンを売るだけじゃなく店内にテーブルとイスを置いていて、注文してその場で食べることもできる。値段もそれほど高くなく、僕はいつもアップル・パイと「ザムザム・コーラ」という、イラン以外で見たことのないコーラを注文していた。コーヒーとかオレンジジュース(ザムザム・オレンジ)という飲料もあったのだが、僕は何故かこのザムザム・コーラという名前の響きが気に入ってしまったのだ。残念ながらザムザムの意味まではわからなかったけど。

まあ、とにかくそれが僕の「ブランチ」だった。ブランチというのが何語なのか知らないけれど、意味は「カネの無い人間の食事・・・」ではなくて、確か「朝食兼昼食」だったはずだ。パン屋というのはベーカリーのことだから、僕が「ベーカリーでブランチして」いたというのは決してウソではない。バックパッカーでも「ベーカリーでブランチする」ことはできるのだ。

メシの後は腹ごなしに市内を流れるザーヤンデ川まで歩いて行って、川面の鳥達を眺めていた。また川には「スィー・オ・セ・ポル」という日本人にはなかなか発音の難しい名称の橋が架かっているのだが、これはオイル資源に恵まれたクルマ社会のイランでは珍しく「徒歩専用」という橋で、実際僕はこれを何度も渡ったのだが、歩いているだけでも楽しい趣のある橋だった。

それから川辺にはチャイ売りとかタバコ売りとかがたくさんいいるのだが、僕はよくここでタバコを買った。売られているタバコは「モンド」とか「バフマン」といった名前で、たぶんイラン製のタバコなのだろうけど、「ザムザム」同様こちらも名前の意味はさっぱりわからなかった。

その後はバザールに行く。このバザール、実を言うとエマーム広場にあるのだけれど、さすがにイラン政府もバザールでは入場料を取らなかったので僕はよく行った。ただしこのバザールはエスファハンのそれだけにツーリストも沢山訪れる。だからきっと外国人にはふっかけてくるだろうと考えて、最初のうちは「絶対に何も買わないぞ!」という強い思いで店をひやかすだけにとどめていたのだが、何度も通って店の主人なんかとハナシをするようになると日用品に限って言えばそれほど高くないということがだんだんとわかってきた。それで僕は当初の思いとは裏腹に、結局幾つかの品物を購入することになったのだった。

僕がバザールで買い求めた商品は3点、全て防寒具だ。いや、防寒具なんて言うと少し大袈裟かもしれない。だって買ったのは手袋・マフラー・帽子という、ごく普通の商品だったから。でも商品は普通でも、それをイランで購入するということとなると、僕には意外な感じがしたものだった。

どうしてかと言うと、この国に来る前まで僕がイランという国の名から受けるイメージは、ごく普通の日本人(ようするにイランに行ったことのない日本人)と同じく、「砂漠の国」というものだった。ようは砂漠の国なのだから、きっと暑い所なのだろうと思っていたのである。

しかし実際に入国してみると砂漠の国という印象は決して間違いではなかったのだが、気候については予想が外れたのである。つまり、案外寒かったのだ。もちろん夏だったらかなり暑いんだろうけど今はもう12月。陽が出ていないと砂漠というのは寒いのだ。

それで僕は防寒具を購入したわけなのだが、かかった費用は3点で15000リヤール。日本円にして200円ちょっとしかかからなかったおかげで、贅沢してしまったという気もしなかった。もしこれが高かったら、

「標高5000メートル以上のエヴェレストでさえ手袋なし、マフラーなし、帽子なしで行った自分がどうしてイランなんかで防寒具なんか買わなきゃいけないいんだ!」

 なんて言って、自分で自分を叱り飛ばして我慢したことだろうと思う。執拗に値切ったからというのもあるけど、安く買えて本当に良かった。

夕方になりバザールをひやかすのにも飽きてくるころになると、僕はやはりバザール内にあるチャイハネに寄る。半日歩くとさすがに疲れてもくるので、ここで休憩がてら一服するのだ。もちろん宿に帰ればベッドがあるし僕が滞在していた宿では金を払えばチャイも出してくれるので、宿で休憩してもいいのだが、僕はそうはしなかった。何故かと言うと、それは旅行者である僕にとって

「チャイハネでしかできないこと」

 があったからである。それはやろうと思えばケルマーンのチャイハネでも楽しめたことなのだけれど、そこでは当時一緒だったT本クンに(僕なりに)気を使ってやらなかった。だからエスファハンのチャイハネで注文したそれは、少し大袈裟な言い方をすれば僕の「初体験」だった。



他の街のチャイハネ同様、中はオッサンばかりだった。店員にも客の側にもおよそ女性らしき人間はいない。「女性の入店はお断り」という看板を出しているわけではないと思うが、とにかく男しかいない。たぶん、女性の方もわきまえていているのだろう。こういう店に入るべきではないと。もし今女性がココに入って来たら

「なんだよ、女がこんなところにノコノコ入ってきやがって!」

 なんて思われそうな雰囲気が充満している。もしマーガレット・サッチャーのような女性がこういう店を見たらきっと

「これは女性差別です!」

 なんて言って怒り狂ってしまうんじゃないかと思うんだけど、まあサッチャーがこんなところにやってくるはずはないし、僕個人としても

「女性が立ち入りを遠慮して然るべき店が一種類くらいあってもいいんじゃないかな。」

 と、思ってしまう。そのかわり僕も「できればオトコには来てもらいたくない」と、女性達が考える店には入らないようにするから。

それはともかく、チャイハネは煙草のケムリですごかった。チャイハネと言っても店にいる全ての客は、チャイというよりもタバコが目当てでこの店にやって来ているのはまず間違いない。イランの男達は本当によくタバコを吸うのだ。なにしろ相手にタバコを1本勧める事が、この国の男達の間では挨拶の代わりになっているくらいだから、そんなときに

「いえ、タバコは吸わないんです。」

 なんて断ったりすると、場をしらけさせたり相手を不快な気持ちにさせたりすることになってしまうのだ。僕はイスラム国家はまだ二つ目だけど、ひょっとしたらこれはイスラム圏全体に共通する事象かもしれない。僕は日常的にタバコを吸う人間なので、この点について困ることは無かった。けれどタバコを吸わない男にとってこういう国々は案外旅しづらいのではないだろうか。逆にアメリカのユタ州(行ったことはない)なんかだと、僕みたいな人間はきっと煙たがれるだろう。シャレじゃなくて。

ハナシがそれたが、僕のチャイハネでの目的もペルシャ人同様にタバコであった。ただ普通のタバコと違い、それはかなり大掛かりな器材を必要する、「シーシャ」と呼ばれるものだった。荷物は少なければ少ないほど良いバックパッカーが、たかだかタバコを吸うためにそんな大掛かりな器材を持って旅できるわけもないのでシーシャを楽しむという行為は、僕にとって「チャイハネでしかできない」ことだったのだ。

ケルマーンで僕とT本クンは一度チャイハネには行ったのだけれど、T本クンはタバコを吸わない人だったので僕はそこではシーシャをやらなかった。一人だけ楽しんじゃうのはなんだか彼に悪いような気がしたからだ。

ちなみにシーシャというのは日本語に訳すと「水煙草」となるものだけど、その原理を説明するのは化学に疎い僕にとって骨の折れる作業なのであえてやらないが、最初にペルシャ人がやっているのを見たときはタバコで一服というよりも、

「まるで理科実験みたいだ」

 という印象を持ってしまった。そのときはたかだかタバコを吸うのに何故こんな大袈裟な器具を使わなければならないだろう?なんて思ったのだが、ひとつのシーシャを数人で回している男達を見ていたら、いつしか「イランにいるうちに一度は試してみよう」という気になってしまったのだった。



とりあえず店に入って内部の雰囲気を確認した僕は受付で

「チャイとシーシャをひとつずつ。」
 と、頼んでみた。すると何故だろうか店員は

「アップルか?オレンジか?」
 と、訊き返してきた。

ううむ、流石はエスファハン、「世界の半分」だけのことはある。今までチャイを注文しても特に味について訊き返されたことなんか無かったけれど、どうやらこの街は観光地だけあってチャイもありきたりのものだけじゃなく、いろんな味が楽しめるようだ。僕は悩んだ末、

「オレンジにしてください。」
 と、答えた。アップル・ティーは次回の楽しみにしよう。

それから程なく、テーブルで待っていた僕の前にチャイとシーシャが運ばれてきた。喉が渇いていた僕はとりあえずチャイをひとくち飲んでみた。やはりウマイ。いつもの変わらぬ僕の大好きなチャイの味だ・・・・・うん? いつもと変わらない味?

チャイは美味しいかったが、何かおかしい気がする。そして少し考えて僕は気が付いた。その結論はこうだ。

「オレンジの味がしない。」

僕はバックパッカーなのでいつもロクでもないばかり食べているけど、さすがに果物の違いくらいはわかるつもりだ。このチャイがオレンジ・ティーでないのは明らかだった。ハッキリ言って普通のチャイだ。どうしてだろう?何かの手違いだろうか。それともまたアフガン人と思われてイヤガラセされたかのだろうか?

とにかく僕は店員に文句を言おうと思った。クレームをつけて上手くすれば「カネを払わずに済むのではないか?」と、考えたのだが、面倒になる前に楽しみにしていたシーシャだけは吸っておこうと思い直し、パイプをくわえて深く息を吸い込んだ。すると、

「オレンジの味がする・・・・・。」

ここにいたってようやく僕は気が付いた。店員が「オレンジか? アップルか?」と、訊いてきたのはチャイの味についてではなくて、「シーシャの味」について尋ねていたのだということを。ハッキリ言ってやられたという感じだ。さすがはイラン、イスラム圏の国。飲酒が禁じられているので、おそらくそのぶん喫煙をより楽しめるように古来から研究開発が進んだのだろう。



それにしてもまさかオレンジ味とかアップル味の煙草があるなんて思ってもみなかった。しかしよく考えてみれば世の中にはペパーミントの煙草(メンソール煙草)なんていうタバコだって存在しているわけだから、それなら別に果物の味がするタバコがあってもおかしくはない。

僕は決してタバコ会社の回し者というわけじゃないけれど、もし日本でも「みかん味」とか「りんご味」とかいう謳い文句でシーシャが売られたら、タバコを楽しむ人がもっと増えるんじゃないだろうか?なんとなくフルーティなイメージだし、女性にもウケるかもしれない。いやそれとも日本で売り出すならやっぱり「日本らしい味」がいいのだろうか?

そんなこと思って僕は水タバコを吸いながら「梅味」とか「ざくろ味」とか考えてみたのだが、客観的に考えれば考えるほど僕のアイデアは実現性が無いように思えてくるし、そのうち考えも行き詰ってきたので、気分転換に僕はポケットから川辺で買った「普通のタバコ」を取り出し、火をつけ深く吸い込んで一服した。そんなとってもとっても不健康な一日だった。


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