「ペルシャ人の気質」
〜 イラン シーラーズ 〜

イランに入国して以来、時々アフガニスタン人に間違えられることがある。これまで中国人や韓国人に間違われることは度々あったのだが、アフガニスタン人に間違われる国というのは僕にとってイランが初めてだった。そして初めてのことだったから、僕はその事に対してとんでもなく驚いてしまった・・・かというと、正直に言って実はそれほどでもなかった。どうしてかというと、イラン人達が僕の顔を見て何故、

「お前はアフガニスタン人か?」

 と、尋ねてしまうのかという事について、僕には少しばかり心当たりがあったからである。

その心当たりというのは、僕がパキスタンで滞在していた『街』にあった。僕がパキスタンで滞在した都市のなかにペシャワールとクエッタという街があるのだが、この二つの街にはアフガニスタンとの国境に非常に近いという共通点がある。当然これらの街ではアフガニスタン人も生活している。彼等の多くは戦火を逃れて故郷を後にしてきた者や、その子供達であったが、実際に僕は街でしょっちゅう彼等の姿を見かけたし、また時には言葉を交わすこともあった。そしてそんな時に僕がよく感じたことが

「アフガニスタン人の顔って、なんとなく日本人に似てるなあ・・・。」

 ということだったのだ。

何を隠そう、アフガニスタン人の顔というのは日本人のそれと結構似ているのだ。もちろん、全てのアフガニスタン人が日本人に似ているというわけじゃない。アフガニスタンは多民族国家だから、いろんな民族・・・というか部族がある。だから日本人とは似ても似つかない人達も、当然のことながら大勢いる。しかしなかにはモンゴル系の部族もあるらしく、この系統の人達というのは日本人に実によく似ている。

あと付け加えるならば、(これはあんまり認めたくないけれど)自分の身なりがひどかったというのも、僕が日本人に見られなかった要因のひとつかもしれない。特に下半身については日本を出て以来、僕はずっと1本のジーンズで過ごしてきた。こんな旅だからジーンズはいくら洗っても落ちない汚れがいたるところに染み付いて、自分で言うのも何だがとてもマトモな日本人旅行者には見えない。

そんなわけで僕はイランでよくアフガニスタン人に間違われたのだが、さして驚くことは無かった。ただ驚きはしなかったけれど、イランでアフガニスタン人に間違われると、ちょっと困ったことになるのである。ハッキリ言ってしまうと、アフガニスタン人と見られることによってイラン人は僕に対して良い顔をしないし、応対もひどいのである。僕はアフガニスタン人に間違われたおかげで、ある男からは道端でイキナリ悪口を投げつけられたり、またある男からは空缶を投げつけられたりしたこともある。(いずれも若い男だった。)こんなのってあんまりじゃないだろうか?悪口を言われるのは嫌だけど、モノを投げつけられるのはもっと嫌だ。腕っぷしで勝負というのは、さすがに今のところないけれど、これは最も嫌な事である。でもこのままいくと、これからそういうこともあるんじゃないだろうかと、少し不安な気持ちにもなってしまう。

ちなみになんでこんなことになるのかというと、なんでも祖国の内戦を逃れてイランへ流れてきたアフガニスタン人がイランで職に就き、それが地元イラン人の失業率を押し上げる要因のひとつになっているというのである。それが事実であるのかどうか、一介のバックパッカーにすぎない僕には確かめようも無いのだが、イランとアフガニスタンは地続きで国境を接しているだけに、ありえそうなハナシではある。まあ、イラン人がイランで生活しているアフガニスタン人に対してあまり良い印象を持っていないというのは、悲しいかな事実のようだ。

しかしだからといって、僕はただイジメられるだけで泣き寝入りなんてしない。そんな目に遭ったときには、

「うるさい、だまれ! お前なんかアラブ人じゃないか!」

 と、言い返してやった。するとどうなるのかというと、これまた見事なくらいに相手にダメージを与えることができるのである。僕にそう言われた彼等は時には悔しそうに、また時には怒り狂いながら、「自分はアラブ人ではなく、ペルシャ人だ!」と、主張してくるのである。それは他民族に対する偏見とか人種差別などに結びついているというよりも、むしろ

「自分がペルシャ人と見てもらえなかった」

 ということに憤りを感じているように、僕には見える。どうやらイラン人はかなりプライドが高く、また自分達が「ペルシャ民族」であることに誇りを持っているようである。いずれにしても僕はアフガニスタン人に間違われてイヤな目に遭ったときには、そんなふうにしてやり返してきたのである。



僕が現在旅をしている辺りは一般的に『中東(Middle East)』と呼ばれる地域なのだが、ひとくちに中東といってもその面積は広く、人種も多様である。中東地域のほとんどの国はイスラム教を国教としていて、アラブ人がその大部分を占めているのはよく知られていることだが、何事につけてもそうであるように、もちろんここにも例外はある。そしてその例外がイランなのである。

この国が中東地域に位置し、イラン・イスラム共和国という国名からもわかるようにイスラム教を国教としていることは周知の事実である。しかしながら国民の大多数はイスラム諸国のなかでも例外的にシーア派であり、言葉にしてもアラビア語ではなくペルシャ語を使う。

現在では国名こそかつての「ペルシャ」から「イラン」に変わっているけれど、それによって民族名が変わるわけはなく、あくまでもイラン国民の大部分は「ペルシャ人」なのである。それを証拠にイランは中東地域のイスラム国家のほとんどが加盟しているアラブ連盟にも加盟していない。つまりイランは中東地域のなかでも、とりわけ独自色の強い国なのだ。

他に例外的な国をあげるとすると、隣のトルコもイスラムの国だが、こちらもアラブ人の国ではなくトルコ民族の国だ。しかもトルコにいたってはアラブ連盟に加盟していないどころか、イスラム国家としては唯一NATO(北大西洋条約機構)に加盟しているくらいである。トルコと北大西洋の間にどういう関係があるのか、僕にはいまひとつピンとこないけれど。



まあ、そんなかんじでイランでは時々イヤな目に遭うこともあるけれど、それはあくまでも「時々」であって、すんなり『日本人』と認識してもらえた場合にはイラン人、いやペルシャ人はおおむね僕に対して親切にしてくれたと思う。シーラーズの路上でチャイを飲んでいたときに知り合ったオジサンも、たいそう僕に親切だった。

そのとき僕は路上でチャイを飲んでいた。イランは「イスラム教」の戒律から酒を飲んだり恋愛したりすることができないので、チャイハネで紅茶を飲んだりタバコを吸ったりしながら語り合うのが、この国の男達の数少ない楽しみのひとつである。たぶん皆でチャイを飲むことが、日本で言うところの宴会にあたることなのだろう。

そして僕も「バックパッカー教」の戒律から節約のために酒は飲まないし、定住生活ができないので現地の女性と恋愛することもない・・・・・というのはもちろん冗談だけど、イランではやはり酒は飲めなかったし、恋愛もできなかった。(恋愛は他の国でもしなかったけど。)だからこの国ではチャイを飲むことは日本人である僕にとっても、やはり数少ない楽しみのひとつになっていた。

僕が何故路上で飲んでいたかについては、それはもちろんチャイハネで飲むよりも値段が安かったからである。チャイハネではなく、屋台で飲むチャイの値段は1杯500リヤールで、インドの通貨に換算して約3ルピー(7.5円)に過ぎないから、バックパッカーにとっても気軽に注文できる飲み物であるということが、理解してもらえると思う。「日本人なのに何故かインドの通貨で換算してしまう」という、このごろの僕の癖は理解してもらえないにしても。

で、その屋台で知り合ったオジサンなのだが、彼がどのように親切だったのかというと、実は僕に

『正しいチャイの飲み方』

 というのを教えてくれたのだった。イランのチャイはインドのそれと違ってミルクティーではなく、普通の紅茶なので最初から甘くはない。だから当然ここに砂糖を入れて飲むことになるので、僕はコップに角砂糖を放り込んで、それが溶けるのを待って飲んでいた。しかしこの僕の飲み方は間違っていると、そのオジサンは僕に声をかけてきたのだった。もちろん、言葉はペルシャ語だったのだけれど、「間違っている」というよりは「なっとらん!」というような感じの言い方だった。

そのオジサンは僕が日本人とわかるとペルシャ語とジェスチャーをミックスさせながら、『正しいチャイの飲み方』を、自ら手本を見せながら僕にレクチャーしてくれた。そのやり方はこうだった。

1、片手にチャイのコップを持ち、もう片方の手に角砂糖を数個持つ。
2、角砂糖を口に入れる。
3、チャイを口に含み、口内で角砂糖を溶かしながら飲む。

これだけである。わざわざ箇条書きする必要もないくらい簡単だ。少なくともネパールの田舎でダルバードを指で食べるよりは簡単だと思う。要は角砂糖を入れるのがチャイのコップではなくて、「口の中に入れるのだ」という、ただそれだけのことである。けれども「ただそれだけ」のことでありながら、僕にはそんな飲み方思いつきもしなかった。所変われば紅茶の飲み方も変わるものである。このまま旅を続けたら、そのうち

「角砂糖を食べた後にチャイを飲んで、胃の中で砂糖を溶かすのだ。」

 とかいう国に出会えるかもしれないなあ・・・なんて馬鹿げた事を考えていたらオジサンが

「どうだ日本人、わかったか?」

 というようなことを言ってきたので、「よくわかりました。ありがとうございます。」と、英語で答えたところ、

「そうか、よろしい。じゃあ『正しい飲み方』でもう一杯いけ。」

 と、強引に金を払ってチャイを注文してしまった。あと屋台ではチャイの肴(?)にあたるのかどうかわからないけどクッキーなんかも出している。オジサンはそれも奢ってくれた。「自分の分は自分で払うよ」と言うのも無粋な気がしたので、僕はその親切をありがたく受け取ることにした。それにしてもいかにも『頑固親父』というタイプのオジサンだった。

とにかく僕に対して空き缶を投げつけてきた若い男性にしても、チャイを奢ってくれた頑固親父にしても、イランにはいかにも「男っぽい」といった感じの男性が非常に多いような気がする。あるいはペルシャ人に(ペルシャ人男性に)とっては、「男らしい気質」というのが重要なメンタリティーになっているのかもしれない。

どうして彼等がそういうマッチョな気質を持っているのかについては、もちろん僕はよく知らない。かつてイラン革命によって王朝を倒したその実績が彼等をそうさせたのか、あるいはイスラムでもシーア派教徒ならではの性格なのか、いろいろと考えてみたのだが全然わからない。いずれにしてもイランはあの超大国アメリカに屈しない、数少ない国のひとつである。この国の男達が少しばかり余計に「男っぽい」気質を持っていたとしても、それほど驚くことではないのかもしれない。



ある日、僕はシーラーズ市内にある「シャー・チェラーグ聖廟」を訪れた。聖廟という名からもわかるように、ここは殉教者の棺が安置されているところで、シーア派イスラム教徒にとっての重要な聖地でもある。だからモスクなどと違ってムスリムでないと立ち入ることができない決まりになっているのだが、「ひょっとしたら」という可能性も無いわけではなかったので、とりあえず僕は足を運んでみることにした。

何故僕がそこを訪れることにしたのかというと、それは例によって入場料がタダだったからだ。シーラーズ市内には他にも見所がたくさんあったが、モスクを除けばあとはほとんどが入場するのにカネがかかるところばかりだった。

もし入場を断られたら残念だけど、それはそれで別に構わない。部外者がノコノコ入っていくことがムスリム達の気持ちを害する事になるというのであれば、それは僕の本意ではないからだ。それに僕には時間だけならいくらでもある。「無駄足を踏んだとしても、別に旅に影響が出るわけじゃないさ。」そんなことを考えながら、僕は宿から聖廟への道のりを歩いた。

聖廟は外からでも、それが一朝一夕に造られたものではないということが見て取れる、美しく立派な建物だった。イスラム建築に関する造詣などはほとんど持ち合わせていない僕だが、そんな僕にもこの廟がかなりの伝統ある様式だということがわかった。だから僕は敷地の外から見えるドームを写真に収めることにした。運良く中に入場できたとしても、おそらく写真撮影は許されないだろうから。

聖廟の敷地内へと続く門には、特に警備する者などはいなかったので、僕は思い切って入ってみることにした。門をくぐると、そこには公園のように広い敷地が広がっている。そしてムスリムの老若男女が大勢いて、殉教者の棺が安置されているドームへ入ったり、もしくは出てきたりしているのが見えた。それは一風変わった光景だった。

どのように変わっているのかというと、実はドームから出てくるムスリム達が皆、「後ろ向き」に歩いているのである。ドームの入口に立ってみると、入口からドーム内部へは1本の通路がストレートに延びているのがわかる。そしてこの通路を内部へ進もうとする者は普通に歩いているのだが、内部から出入口へと戻ってくるものは何故か身体は内部の方へ向けたまま、「後ろ歩き」して帰ってくるのである。ハッキリ言って少しビックリした。

彼等はどうしてそんな歩き方をするのだろうか?単純に考えて、このドームの内部にあるのは「殉教者の棺」というシーア派ムスリム教徒にとっては非常に聖なるものだから、そのような大切なものに対して背中を(あるいは尻を)向けることは許されない・・・というのが僕がすぐに思いついた推測だった。もちろん、僕の推測が当たっているかどうかなんてわからない。

この不思議な光景を見て、僕の頭の中では「ドームの内部に入りたい」という衝動がにわかに湧き上がってきた。自分の推測が正しいのかどうなのか、確かめてみたくなったのだ。でもムスリムでもない僕が入れるものなのだろうか?とりあえずさっきから聖廟の敷地内にいるのは間違いないのだが、周りにいるムスリム達からは今のところ「出て行け!」とか言われたりはしていない。しかし更に一歩進んでドームへ入り、「殉教者の棺」とかいうものを見学することまで許してくれるのだろうか?

入口には「靴預かり所」があった。(当然のことながらこのような聖なるドームに土足で立ち入ることは許されない。)僕はそこで働いている人に、「ドームに入れますか?」と英語・ジェスチャーで尋ねたところ、僕が思うに「たぶん入ってもよさそうな」回答をペルシャ語でしてくれたので、彼に靴を渡して、内部へと続く通路を進むことにした。

内部は鏡のタイルが貼りつくされた、煌びやかな空間だった。モザイク張りの天井から降り注ぐライトが乱反射し、まるで集めた宝石の中を歩いているような、そんな不思議な気持ちになってしまう。そして通路の奥に、「それ」は安置されていた。

通路の奥に存在していたのは、「大きな金色の棺」だった。おそらくこれが「殉教者の棺」なのだろう。この棺が本物の黄金で造られたものなのか、それともただメッキしただけのものなのかはわからなかった。棺はガラスの壁で覆われているために、直接手を触れて確かめることができなかったからだ。

もし僕が普通の状態でこんな豪奢な棺を目にしていたら、たぶん僕はその棺に対して様々な考察をしたことだろうと思う。「どうして金で棺を造ったんだろうか」とか、「完成するのにいくらかかったんだろうか」とか。

でも僕はその時その場の雰囲気に、ただただ飲み込まれていた。棺自体ではなく棺を囲むガラスに頬をすり寄せている大勢のムスリムの男達に、圧倒されていたのである。何故なら男達は感極まって、大粒の涙をこぼし、声にならない声で呻いていたのだ。そして僕はそれまでにイスラムの男が泣いてる姿を目にしたことが無かったのだ。

これが聖地の持つ力なんだ。信仰心の無い僕だから、その意味を理解できたなんて言うつもりはない。でもこの棺が彼等にとっていかに重要なものであるかはわかったような気がした。何故ならあれほど「男っぽい」ペルシャの男達が、みんなして大粒の涙をこぼしているのだから。

僕は彼等の涙を見て、

「そうだよな、男だって泣くときもあるよな。」

 そんなふうに思いながらドームを出ることにした。もちろん、後ろ足で歩きながら・・・。


| 戻る | | 目次 | | 次へ |