「イラン宿泊事情」
〜 イラン ケルマーン 〜

「それにしても納得できないよ。」
 
 僕が腹立ちまぎれにそう言い放つとT本クンは

「でもね、たぶん彼等も上から言われて仕方なくやっているだけだと思うんだ。」

 と、まるで僕をなだめるようかのように答えた。

「何故そう思うんだい?」

 僕が続けて尋ねると彼は

「僕もサラリーマンをしていた頃は『外国人とは契約しちゃいけない』って、会社から指示されていたからね。まだ言ってなかったけど、僕は日本では不動産会社で客に部屋を貸す仕事をしていたんだよ。」

 そう言いながらグラスのチャイを飲み干した。そんな彼の説明に僕は何とか言い返そうしたのだが、結局のところ彼の言い分は全く正しく、反論する余地の無いことを悟った僕は彼と同じようにチャイのグラスを手に取った。小さなグラスの中には、インドやパキスタンと呼び名は同じでも、外見と味は全然違う透明な紅茶がチャイハネの灯りに照らさせてキラキラと光り輝いているのが見える。

僕はその輝きを眺めながらため息をひとつつき、なかなか納得できない気持ちをチャイと一緒に飲み込んでしまうことにした。



バムの街で『アルゲ・バム遺跡』を見学した後、僕はすぐに次の街へ移動するつもりだったのだが何故だか腰を上げるのが億劫になってしまい、なんだかんだと計五日間も滞在してしまった。このところ平均するとひとつの街に2泊3日の滞在という速いペースで移動していたので、たぶんその疲れが出たのだと思う。

しかしずっと一緒にパキスタンを横断してきたH之クンは、どうしてもバムに2泊以上滞在する必要性を見出せず、(きっと彼も疲れているのだと思うのだけど)僕を残して次の街へと向かって行った。これはある意味賢明な選択だったと思う。どうしてかというと僕はバムでの残りの期間、田舎町でやることもなく、ただ宿でゴロゴロしていただけだったから。おかげで疲れは取れたのだけど、良くないことに「何もしないこと」に慣れてしまい、僕は出発を1日また1日と先延ばしにしていた。

ただずっと宿にいたおかげで僕は何人かの旅行者と知り合うことができた。こんな辺鄙な街の宿にもかかわらず、ドミトリーにはドイツ人やイギリス人、日本人のバックパッカーが滞在していた。そしてその日本人バックパッカーがT本クンだった。ドイツ人とイギリス人は西洋の国から来ただけあって、これからは東のパキスタンへ進むとのことだったが、T本クンはパキスタンからイランへ入り、これからこの広い国(イランの国土は日本の約5倍)を西へと横断するそうで、僕と同じようなルートだった。

更に詳しく聞くと彼もH之クンのようにバムには1泊だけしかしないというので、僕は慌てて荷造りを始めることになった。彼と知り合ったこの幸運な機会を逃すと、ズルズルとこの街に滞在し続けることになってしまうかもしれないと、僕は思ったのだ。ずっと一緒に旅するとはいかなくても、せめてこの街から引っ張りだしてもらえば怠け癖も吹き飛んで、また今までどうりにテンポ良く旅していけるだろうと、この際他力に頼ることにしたのだ。彼は僕の申し出を快く受け入れてくれて、僕等は一緒にバムを出ることにした。

僕達が進むことに決めた街はケルマーン。バムからはバスで3時間ほどの距離に位置するケルマーンはケルマーン州随一の(そして唯一の)の大都市だ。しかしながら僕達は特に目当てがあってこの街にやってきたわけではなかった。ケルマーンはその名のとうりこの州の州都なのだが、とりたてて特別なものがあるわけではない。ガイドブックによると見所はバザールとモスクぐらいしかないらしいのだが、バザールとモスクだったらイランのどんな小さな街にもセットで存在しているから、これから嫌というほど見ることができそうだった。わざわざケルマーンで見なきゃいけないということもあるまい。

唯一行ってもよさそうと思えたのは、「ヴァキール」という名のチャイハネ(チャイを飲ませる店)だった。そこはイランに無数にあると思われるチャイハネのなかでもかなりの有名店らしく、地元の人間はもちろん他の地方から訪れる者も多いそうなのだ。僕達はせっかくケルマーンにやってきて少なくとも1泊か2泊はするのだから、せめてその店くらい行っておこうかということになった。チャイの値段なんて高が知れてるから、それほど贅沢ということにもならないだろう。

しかしそのチャイハネに行く前に僕達にはすべきことがあった。それは僕達バックパッカーが街を移動する度にまずやらなければならない定番行事、ようするに寝床の確保である。



郊外のターミナルからタクシーを使って街の中心部までやってきた僕達は早速宿探しを始めることにした。もちろん街の中心部までやってきたのには、それなりの理由がある。イランの街の中心部には(それがどのような街であっても)メイダーネと呼ばれる広場があって、メイダーネの周辺には大抵の場合旅人を泊める宿が幾つかあるからだった。そして僕達の目当てはその幾つかのなかでも、もちろん料金の低い安宿である。僕達はいかにも安そうに見える宿を選んだ後

「サラーム!(こんにちは!)」
 と、ペルシャ語で挨拶しながら宿の入口に足を踏み入れる。そして僕は受付にいた親父に、ここからは英語で

「すみません部屋ありま・・・・」
 すみません部屋ありますか?と、尋ねようとしたところ

「ナ!」(ペルシャ語の「ナ」とは、英語の「No」にあたる言葉である。)
 と、いきなり親父は僕等に向かって言い放った。

もちろんそのとき僕はビックリした。いったいどうしたというのだろう、「部屋ありますか?」と言い終える前に断られるなんて、いくらなんでもひどすぎる。あまりの応対の悪さに気分を害した僕等はすぐにその宿を出る。歓迎されないところに無理して宿泊することはない。

それから僕等は目星をつけていた、もう一軒の宿へ向かう。さきほどの宿と一緒で見た目はパッとしないが、やはり料金は安そうである。僕等は再び「サラーム!」と挨拶しながら宿へ入ると、受付にいた男性の従業員が

「Full!(満室だ!)」

 と、英語で僕に言った。どうやらこの宿の従業員は少しは英語ができるようだ。でもちょっと待って欲しい、まだ何も尋ねてないんだけど・・・。

英語の件はともかく、それにしても調べもせずに「満室だ!」なんてあんまりだ。僕達は今度は少し粘ってみようかとも思ったのだが、その従業員はとりつく島もなく、ただ「〜ホテルへ行け」と言うだけだった。

その宿を出て、さすがに僕等は少し落ち込んだ。こんなことは中国を出てからはなかったことである。どうやらイランは中国と同じく、政府が外国人が滞在できる宿泊施設に制限を設けているようなのだ。そのハナシは以前に噂で聞いたことがあったのだが、実際イランに来るまで僕はその噂をすっかり忘れていたのだった。

中国政府やイラン政府がどうしてそんな規制をかけているのかについては、バックパッカーはいろんな憶測をしている。「政府の目の届かないところで外国人に自由に行動してもらいたくないからだ」という穿った見方をする者がいれば

「何か事故が起きたときに居場所がわからないと、安全を保証できなくなるため。」

 という、ガイドブックに書いてあるもっともらしい理由を額面どうりに信じている者もいる。いずれにしても政府が外国人に勧めている宿泊施設というのはいったいどんな宿なのかというと、それはいわゆる『ホテル』のことであり、当然のことながらその料金はバックパッカーにとっては安いとは言えない・・・というか、ハッキリ言って高いのである。だから僕個人としては『安全』もさることながら、できれば『宿泊の自由』を保障してほしい。ようは安宿に泊まりたいのである。



そのあと僕達は先ほどの宿の従業員が言っていた「〜ホテル」というところへ行ってみることにした。名前に「ホテル」と付くのがちょっと料金が高そうな気もするが、アジアでは名前こそ立派だけど、実際にはオンボロ宿だったということが多々あるので、僕達はそれに期待することにした。宿がオンボロであることを期待するというのも妙なハナシだが。

で、そのホテルに行ってみたところどうだったのかというと、僕等はガッカリしてしまったのである。そこはいかにも「ここはホテルです」というような立派なホテルだったのだ。先日のバムのような日干しレンガの建物ではなく、コンクリートのビルディングだった。敷地も広く、駐車場まで完備されていた。なんか料金が高そうな気配がする。でも、とりあえず僕達は中に入ってみることにした。他に当てもなかったし、さっきの宿の従業員の素振りでは外国人も宿泊できそうだったからだ。受付でハナシだけでも聞いてみよう。

建物に入ると、そこは広いロビーになっていた。豪華なソファーセットが置かれ、隅々にはシックな調度品や観葉植物があった。ますます高そうな雰囲気だ。でもそれは顔に出さずに僕は受付で

「部屋を見せてもらいたいんだ、一番安い部屋をね。」

 と言うと、応対してくれたいかにもホテルマンらしい男性は

「カギを渡すから、君達で自由に見てきてくれ。」

 と言って、僕等にカギを渡してくれた。カタコトというよりは、完璧な英語だった。今度は拒否されなかったから、どうやら外国人の宿泊は問題ないようだが、しかし彼の完璧すぎる英語が怖い。外国人慣れしているのだ。ここは外国人ばっかり宿泊するホテルなのだろうか?そうだとしたら料金も高いのではないだろうか?僕は少し不安になったが、とりあえず部屋を見せてもらうことにした。高級ホテルに宿泊した経験がないのでよくわからないけれど、まさか見るだけでカネを取ったりはしないだろう。

部屋はとても素敵だった。十分な広さの空間に2台の清潔なベッドに清潔なシーツ、それにテレビと冷蔵庫まで備え付けられていた。更には室内にシャワー室までも設備されていて、もちろん温水も出る。自慢じゃないが海外でこんなに良い部屋に宿泊したことはない。僕はこの部屋を見て、

「いいなあ、この部屋。泊まってみたいなあ。1泊だけでいいから・・・。」

 などと、さっきまで「僕は安宿に泊まりたいんだ」と言っていた男とは思えないセリフを自然と呟いていた。しかし泊まりたいのはいいが、問題はやはりその料金である。

受付にもどって僕は一応確認のために、「あれが一番安い部屋なの?」と尋ねると

「そうだ。あの部屋が一番安い。」
 と、ホテルマンが答える。
「それで、あの部屋は1泊いくらなの?」
 と、続けて尋ねると
「10ドルだ。」
 と、彼は言う。
「二人で10ドル?」
「いや、一人10ドルだ。」
「・・・・・・・・。」
 
一人10ドル・・・なんて血も涙も無い金額なんだろう。あまりの高額さに、最初はペルシャのジョークかと疑ってしまったくらいだ。でも外貨の利用が難しいイランにおいて、その料金をドルで請求してくるところからして、やっぱりここはホテルなのだ。一番安い部屋で一人10ドルというのは決して不当な料金ではないのだ。

しかしだからといって、「ハイ、そうですか。」と納得するわけにはいかない。物価の高い国々ならいざ知らず、バックパッカーがイランのような国で1泊10ドルも払っていたら、あっという間に旅が終わってしまうではないか・・・などと僕が考えていたらT本クンが

「僕は10ドルでもいいけど。」

 と、無表情に言うのだった。これまた驚きである。ハッキリ言ってホテルマンから一人10ドルと言われたことよりも、彼の発言のほうに驚いた。

なんでもT本クンはバックパッカーではあるけれども、資金は潤沢に用意して旅に出たとのことで、「今までほとんど値切ったことも無い」のだという。うーん、ちょっと羨ましい。いや、本音を言うとかなり羨ましい。しかしいくら羨ましがっていても僕の旅の資金が彼のそれのようになるわけではないので、僕は彼に

「交渉して安くしてもらえたらココに泊まることにしようよ。交渉は僕がやるから。」

 と、言った。少なくとも「今まで値切ったことが無い」彼よりは、僕が交渉するほうがいいだろう。今までの僕にとって値引き交渉は年中茶飯事だった。今回もやれるはずだ。

と、意気込んで交渉に臨んでみたのだが、なかなかどうして相手も手ごわく、事はスムーズに運ばなかった。僕はホテルマンをなだめたりすかしたりして、なんとか8ドルまではディスカウントしてもらえるところまでいったのだが、そこからなかなか前にすすまない。その間T本クンはロビーのソファーに座ってくつろいでいる。その表情は僕に向かって「8ドルで十分じゃないか」と、言っているようにも見える。

しかし8ドルでは僕にとってはまだ高い。昨日まで宿泊していたバムの宿は、まあドミトリーだったというのもあるけど1泊25000リヤール(約3ドル)だった。まだまだ差がありすぎる。仕方が無い、僕は最後の手段で(とかいって実はよく使う)、とびきりの笑顔をつくって「お金が無いの・・・。」と、言ってみた。すると

「カネが無いだって?君は私のサラリーが幾らか知っているのかね?」

 と、そのホテルマンは自分の給料まで話題にして反論してきた。おかしいぞ、心なしか怒っているようにも見える。なんだか僕の笑顔と発言は逆効果だったみたいだ。

たぶん彼は僕達のことを、普段このホテルに宿泊している日本人旅行者(あるいは欧米の旅行者)達と同じだと思っているのだろう。休暇で海外に遊びに来れるような連中が「カネが無い」だなんて、いったい何を言ってやがるんだと、おそらくそういうことなのだろう。彼がそう言いたくなる気持ちはわかる。だけど彼の推測は少し間違っている。確かに彼の給料はそんなに高くないのかもしれないけれど、僕達バックパッカーは給料どころか、そもそも定職すらないのである。

でも僕はそのことは口にしなかった。それは自分が無職であることを恥じる気持ちから言えなかったわけじゃない。(そんなふうに自分を卑下する気持ちは持ち合わせてはいない)
言ったら言ったで、今度は

「無職だと!? 日本人は無職でも海外旅行できるくらい金持ちなのか!!」

 と、ホテルマンを更に怒らせてしまうことになるのではないかと危惧したからである。だからといって、ただ手をこまねいているわけにもいかない。ここに泊まれないとなると、僕等(というか僕)は非常に困った立場に追い込まれるのだ。最悪、野宿も検討しなくてはならなくなるではないか・・・。などと思っていたら、ホテルマンが急に僕の前に1冊のガイドブックを差し出した。それは日本語で最も著名なガイドブック、「『○○の歩き方』イラン編」だった。



ホテルマンはその『○○の歩き方』をおもむろにパラパラとめくると、あるページを開いて僕に見せて、それからそのページの1箇所を指で示した。僕はいったい何かと思ってそこを見ると、なんとこのホテル「Hotel Akhavan」が掲載されているではないか。なんだここは『○○の歩き方』に載っているホテルだったのか。どうりで立派なホテルだと思った。しかしホテルマンはどうしてこんなものを僕に見せるのだろう?たぶんここに宿泊した日本人が置いていったか忘れていったものだと思うが、外国のガイドブックにも掲載されるような立派なホテルなのだから、これ以上ディスカウントできないんだと、そう僕に言いたくて見せたのだろうか?

 いや、それは違った。ホテルマンは僕に
「私は日本語が読めない。ここに何と書いてあるのか、教えてくれないか?」
 と、頼んできたのだった。

「いったい料金の交渉はどうなったんだ?」と、僕は思いながらももう一度ガイドブックを見ると、そこにはこの「Hotel Akhavan」の料金や住所だけでなく、ここを利用した読者が、その感想を出版社に投稿したものが文章で書かれていた。その内容は、ケルマーンの空港に到着した読者が、空港からホテルに

「タクシーでホテルに行きたいのだが、どうすればいいだろうか?」
 と、電話したところ
「そのまま待っているように」
 言われてそのまま待っていたら、クルマで迎えにきてくれて、しかも無料だった。

という内容だった。僕はわけがわからないまま、そして「やっぱりこのホテルは飛行機に乗れるような人達が利用するホテルなんだ」と、思いながらもその文章を彼に訳してあげた。もちろん僕はペルシャ語はわからないので、英語で説明した。彼は僕の説明を頷きながら聞き終えると、

「ありがとう。料金は一人7ドルでどうだろうか?ラストプライスだ。」
 と、僕に向かって言ったのだった。

文章を訳した礼のつもりなのだろうか?彼の急に折れた姿勢の発言に僕は一瞬驚いてしまって、思わず「オーケー」と答えてしまいそうになったのを何とか押し留めて

「6ドルでは?」
 と、図々しくもラストプライスを下回る金額を言ってみたのだが、彼が首を振るだけだったので
「じゃあ6.5ドル。これが本当に僕のラストプライス。」
 と、言ってみた。

すると彼はいかにも「参ったな」という苦笑いをしながらも、オーケーしてくれた。僕としては本当はもっと安くしてもらいたかったんだけど、どうやらこのあたりが限界みたいだ。でも最初に10ドルと言われたのを6.5ドルまで下げられたのだから、まあ御の字だろう。そんな満足感に浸っている僕に向かってT本クンは、

「スゴイね・・・。」

 ポツリと言った。その表情は「羨望の眼差し」というよりは、どうみても「あきれた」という感じだった。

それにしても、もう疲れた。これも皆イラン政府が「宿泊の自由」をくれないせいだ。早くチャイハネへ行って一杯やろう。イスラム圏なのでもちろん酒なんて飲めないが、チャイを飲みながらイラン政府について愚痴るのもイランらしくていいだろう。僕達は部屋に荷物を置くとすぐにホテルを出たのだった。


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