「シークの街」
〜 インド アムリトサル 〜

アムリトサルへ行くためにニュー・デリー駅から乗った急行列車は、その名も『Golden Temple』(ゴールデン・テンプル号)だった。ゴールデン・テンプルというのは文字どうり「黄金寺院」という意味なのだが、何故アムリトサル行きの列車にそんな大仰な名前が付いているのかというと、アムリトサルにはシーク教徒にとっての最大の聖地である「黄金寺院」が存在するという、ただそれだけの理由からである。同じことを日本でやるとしたら、京都行きの急行列車に「金閣寺号」と名付けると思えばわかりやすい。

しかしながら黄金寺院についてはシーク教徒の聖地であるということで「なるほど。」と、まあ納得することができるが、ではそもそも「シーク教徒」というのはいったいどのような人々なのか?ということとなると、僕も実際にアムリトサルに来るまでは、ほとんど何も知らないと言ってよかったかもしれない。なにしろ僕がシーク教徒と聞いて頭に思い浮かぶのは、ずいぶん昔に日本で活躍していたプロレスラーの「タイガージェット・シン」ぐらいのものだったからだ。

ガイドブックを見ると、さすがにガイドブックだけあって観光スポットと考えられる黄金寺院については詳しく書かれてあったが、肝心の「シーク教」がどういう宗教であるかという点については、残念ながら雀の涙程度の記述しか無かった。そしてその記述というのは黄金寺院を見学する際の注意点 ― すなわちシーク教の「戒律」についてであった。

その戒律ではシーク教徒はまず、「髪を切ってはいけない」ことになっている。その理由まではガイドブックには書いていないし僕も知らないが、理髪店で働く人間が聞いたら激怒しそうな内容ではある。が、とにかくその戒律のために彼等の髪はどんどん伸びていく。そして伸びた髪を抑えるために(たぶん、邪魔なんだろう。)、彼等はターバンをかぶる。実際に街を歩いてみるとわかるのだが、身なりの良い裕福そうな男性からいかにも金の無さそうなリクシャー・ワーラーまで、男なら皆ターバンをかぶっている。

今までにこんなに大勢のターバンを巻いている男性を見たことは無かったから、彼等の姿はとても新鮮に僕の目には映った。だから僕はアムリトサルの街を歩いていて、男性とすれ違うたびに彼等のターバンを注視してしまうことになったのだが、そんなふうにして彼等のターバンを見ていて気付いたことといえば、ターバンには実にいろんな種類の色があるということだった。黒や茶色といった割りに地味なカラーのターバンをしている信者がいれば、レッドやオレンジ色といった派手なカラーのターバンをかぶる信者もいる。一番ビックリしたのはごっつい体格の大男がピンク色のターバンを頭に巻いているのを見たときで、このときは思わず

「大の男がピンクはないだろう、ピンクは・・・。」
 と、思ってしまった。どうやらシーク教徒の色彩センスというのは、日本人にはなかなか理解しにくところがあるようだ。

そんなわけでシーク教徒はいつでもターバンをかぶっているのだが(驚くべきこととに沐浴するときでさえかぶっている)、僕はそんな彼等の姿を見て感心するとともに、

「年中ターバンかぶってて、頭かゆくならないのかな?」
 なんていう、宗教的観点からはほど遠い、どうでもいいことを考えていた。

また、これは男性に限って言えることなのだが、信者の誰も彼もが立派なヒゲをたくわえているのも、シーク教徒の外見的特徴のひとつだ。ひょっとしたらこれは「ターバンのせいで髪を見せられないかわりにヒゲをアピールするのだ。」という屈折したコンプレックスの表れなのかと思ったらそうではなくて、実はシーク教徒はヒゲも剃ってはいけないんだそうである。ようするにこの宗教の戒律は、体毛と考えられるものを切ったり剃ったりすることを完全に禁じているのである。

まあヒゲについてはともかくとしても、「髪をターバンに入れている」というのが一般的なシーク教徒のイメージであり、観光客にとっては黄金寺院を見学する際の注意点になる。何故なら黄金寺院を見学するためには「シーク教徒のように振舞わなければならない」ことになっていて、たとえ観光客であっても特別扱いは許されないからだ。

そしてそうした観光客のために、黄金寺院の入口ではターバン(らしきもの)を無料で貸し出すサーヴィスを行っている。僕もせっかくアムリトサルまでやってきたのだから黄金寺院を見逃すことはできないと思い、そのターバン(らしきもの)を借りたのだが、手渡されたそれは「いったい、いつから洗濯していないんだろう?」というようなシロモノだった。何処の誰が身に付けたのかもわからないものを頭にかぶるのはハッキリ言ってあまり気が進まなかったが、そうしないと見学できないと言われてはしょうがなかった。

僕がそこまでして寺院の見学にこだわったのには、もちろんそれなりの理由がある。インドにはもう1ヶ月以上滞在しているが、バラナシを除けば僕はほとんど観光というものをしていない。インドでもっとも著名な観光地はアグラの『タージ・マハル』であり、そこはカルカッタ ― デリーの路線上にある街だったから途中下車して見に行くのはたやすいことだったのだが、「入場料が高すぎる」という、自分でも情けなくなってしまうような理由でパスしてしまった。だからこそ、このアムリトサルではどうしても寺院を見学したかった。黄金寺院は特に世界遺産に指定されていたりはしないけれど、その名が示すとうりにきらびやかで美しい寺院だと聞いていたし(「インドで一番カッコイイ」と言う旅行者もいた)、何よりも入場料がタダだった。だから「シーク教徒のように振舞う」という制約はあったけれど、僕はその条件を守って毎日寺院を見学しに行った。

タダといえば、アムリトサルでは宿泊代もタダだった。それは僕がネパールのルンビニのときと同じく、『巡礼宿』に泊まったからだ。

黄金寺院の目の前にある「SRI GURU RAMDAS NIWAS」という巡礼宿は、ルンビニで宿泊した仏教寺とは比べ物にならないほどオンボロだったけど、宗派の違う人間でも泊めてくれるのだから、文句は言えなかった。仮に「シーク教徒でなければ泊まれない」なんて言われた日には、たとえ頭にターバン巻いた僕が「実はシーク教徒なんですよ」なんていうウソを言ったところで通用するとは思えないのだから(その頃の僕にはヒゲが無かったので)、泊めてくれるというだけでも感謝しないといけないだろう。

そしてまた、これもルンビニのときと同じなのだが、寺院ではタダで食事を提供してくれる。寺院の食堂はほとんど年中無休の営業(?)をしていて、1日に何度行っても(←何度も行くな。)食事を出してくれるところが素晴らしかった。これは僕のようなカネの無い旅行者には大変ありがたいことである。おかげでアムリトサルで僕は久しぶりに「満腹感」というものを味わうことが出来た。ターバンをかぶらないと食堂に入れないこと、食堂と言ってもそれは名ばかりで地面に座って食べなければならないこと、出してくれるのがたいして美味しくもないカレーだけだったということが難点と言えば難点だったが、これについても文句は言えない。何しろ何度食べてもタダなのだから。

そういうわけで僕はアムリトサルの街で、「タダで食事」し、「タダで寝泊り」し、「タダで観光」していたわけである。この待遇のために僕は一瞬(あくまでも一瞬)、シーク教徒になろうかと思ったぐらいである。

でも結局、僕はシーク教徒になることはなかった。それは自分にターバンとヒゲが似合わないからではなくて(←あたりまえだ)、どうしても遵守することができそうにない、また別の戒律の存在のせいだった。



僕がシーク教徒にならない(なれない)理由、それは『タバコ』なのだった。実はシーク教徒はタバコを吸ってはいけないのである。何度も言うが寺院では「シーク教徒のように振舞わなければならない」ので、吸うのはもちろんのこと、持ち込むことさえ許されない。また巡礼宿には多くの巡礼者と、僕のように節約を理由に宿泊しているバックパッカーが少しばかりいるのだが、誰一人としてタバコを吸ってはいない。このように、アムリトサルは嫌煙家が聞いたら泣いて喜ぶような街なのである。

しかし自分で言うのもなんだが、僕は好んでタバコを吸う人間である。アムリトサルにどのくらい滞在するのかは例によって全く決まっていないけど、その間ずっと禁煙するなんて、とてもじゃないが僕には無理だ。

だから僕は寺院や巡礼宿を抜け出し、人気の無い場所を探してはコソコソと一服し、吸殻を携帯灰皿にしまっていた。まるで日本の高校生が校内のトイレや裏庭で隠れて喫煙するみたいで情けなかったが仕方が無い。何しろ街を歩いて目にするのはシーク教徒ばかりである。彼等に見つかったら怒られるとまでは言わないけど、気まずい雰囲気ぐらいにはなるだろう。

こうして僕はシーク教徒の聖地で罰当たりな滞在を続けていたわけなのだが、しかしながらその滞在はあっけなく終わることになった。ここに居る限りカネはほとんど使わないのだから、自分では、「ひょっとしたらかなり長い滞在になってしまうのでは?」と、危惧していたのにもかかわらずである。



僕のアムリトサル滞在が終わってしまう理由は、「タバコが無くなった」という情けないものだった。無くなったと言っても、別に盗まれたわけじゃない。他の街ならともかく、この街では誰もそんなものは盗まない。無くなったのは、ただ単に自分で吸い尽くしてしまったからである。

僕はインドに来てからずっと、『WIN』という銘柄の20本入りのタバコを吸っていた。値段も20ルピー(50円)と手頃で、味もまずまずだったからである。アムリトサルでその持ち合わせが切れたとき、当然僕は街に買出しに出た。ところが、どこにも煙草屋が無いのである。もちろんインドでは煙草屋じゃなくても、普通の雑貨屋などでタバコは買える。少なくとも今まではそうだった。けれどもそういった雑貨屋に行ってみても、全く売っていないのだ。これは別に『WIN』が売っていないというわけではなく、タバコというものが一切売られていないのだった。

日本のように自動販売機が活躍しているから、アムリトサルでは店頭でタバコを売っていないのだ、というわけではない。そもそも、アムリトサルに自動販売機なんて1台も無いのだ。ようするに、誰も買わないのだから置いていない、ただそれだけのことだったのだ。

それでも僕はあきらめきれずに、タバコを探して街を歩いた。(自分で言うのもなんだが、タバコを吸う人間の執念はなかなかのものである。)でもタバコを扱う店はなかなか見つからなかった。見つかるのは、僕には用の無い「刀剣屋」ばかりであった。

「そういえば、これもシークの戒律のひとつだったんだっけ・・・」

 僕は店に飾られるナイフやスォードを見ながら、自分がすっかり忘れていたことを思い出していた。

体毛とかタバコ以外にも、シーク教徒が守らなければならない戒律がある。それは、「常に刀剣を携帯していなければならない。」というものである。

そのせいでアムリトサルにはやけに刀剣屋が多い。しかも売っているのはダミーではなく、「本物」である。彼等はシーク教徒として生きていくために刀剣を売買しているのだ。アムリトサルには観光地としての一面も確かにあるが、決して日本の観光地で「木刀」を売るような、そんな軽いノリで売っているわけではないのである。ここまでやってくれると、怖いというよりも逆に気持ちが良いくらいだ・・・

なんて、感心している場合じゃなかった。刀剣なんかに用はないのだ。早くタバコを手に入れなくちゃいけない。

僕は思い切って一軒の雑貨屋に入り、そこの店主らしき親父にタバコが売っていないかどうか尋ねてみた。ひょっとしたら堂々と売っていないだけで、実は僕のようなタバコ好きな人間のためにこっそり販売しているんじゃないかと、淡い期待を(自分で勝手に)持ったからだ。

「すみません、タバコ売っていませんか?」
「タバコ?」
 店主は胡散臭そうに僕を見ながら訊き返した。この東洋人は何を言っているんだ?というような、あまり好意的とは言えない口調である。
「ええ。タバコであれば何でもいいんです。」
 と、僕はもう一度言った。しかし
「タバコは売ってないよ。」
 と、店主は素っ気無く答えるだけだった。

 ・・・うーん、売っていないか。どうやら店で買うのは、やっぱり無理なようだ。「それじゃあ、どこに行けば買えるのかなあ・・・」僕がそんなことを考えていると

「タバコは無いが、キャンディーならあるぞ。」
 と、店主が言ってきた。
「キャンディー?」

今度は僕が訊き返す番だった。だって、キャンディーのことなんて少しも尋ねていないのだから。まあ、店主が言いたいことはわかるけど、タバコが無いならキャンディーなんて、あまりにも安直すぎる。僕はそんなもの欲しくない。

「そうだ。キャンディーだ。」
「キャンディーはいりません。それより、どこか他にタバコを売っているところを知りませんか?」
「知らないね。」
 店主はその言葉を繰り返すだけだった。

僕はその店を出て、他にも数軒の雑貨屋をあたってみた。でもどこの店で尋ねてみても、タバコを見つけることはできなかった。(ただし、どの店でもキャンディーは売っていた。)もう探すのに疲れた僕はタバコをあきらめ、「仕方なく」最初の店では断ったはずのキャンディーを一袋買ってしまった。これがタバコ代わりになるとは思わなかったが、何も無いよりはマシかとも思ったからである。しかしながら大の男がキャンディーしゃぶってるなんて、ちょっとカッコ悪い。ハッキリ言ってあんまり人には見られたくない姿だ。でも頑張って僕は

「別に大の男がキャンディーをしゃぶってても、全然おかしくないさ。大の男がピンク色のターバンかぶるのに比べたら。」
 と、自分で自分を慰めてみた。

我ながらあんまり上手とは言えない慰め方だったけど・・・。


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