「死を待つ人の家(前編)」
〜 インド カルカッタ 〜

カルカッタに到着した翌日、僕は宿で知り合った旅行者達と一緒にヒンドゥー教の寺院を見学しに行った。滞在している宿の最寄り駅である「パークストリート」で南のトリーガンジ方面行きの地下鉄に乗り、5番目の駅「カーリーガート」で降りてから10分ほど歩いたところにあるのが、その名もカーリー寺院だ。この寺院で毎日行われているという儀式を僕達は見学しに行ったのだった。

カーリーというのはインド神話に登場する破壊と殺戮の神様であり、なおかつ女性でもある。女性の神様 ― すなわち「女神」ということになるのだが、僕は女神と聞けば「幸運の女神」とか「自由の女神」というようなステレオタイプのイメージしか思い浮かばない人間だったから、太刀と殺した魔神の生首を手に持ちながらペロッと舌を出しているカーリーの像を見たときには正直かなり驚いて、

「いったい、これのどこが女神なんだよ?」

 なんていう、もし側にカーリーがいたなら即刻その場で首をはねられそうな、そんなふとどきな疑問が頭の中に浮かんでいた。

キリスト教やイスラム教と違い、ヒンドゥーは多神の宗教だ。だからシヴァやヴィシュヌといった外国人でもその名を聞いたことがあるような神格の高い有名な神様もいれば、もし自分が神様だったら「できればこの女神とのお付き合いは遠慮したいな・・・」と思ってしまいたくなる、カーリーのような女神まで、本当に大勢の(そして様々な性格の)神様がいる。

しかし神様の総数が多いのはひとまず置いておくとしても、インド神話には迫力のある女神が少しばかり多いんじゃないか?と僕は思ってしまう。僕がバラナシに滞在しているときに訪れたドゥルガー寺院の名前の由来であるドゥルガー神にしても、女性なのに「戦いと勝利の神」なんていう肩書きが付いていたし。

境内に行くと、僕達が見学しようと思っていた儀式は既に終わってしまった後だった。その儀式がどういう類のものかというと、カーリー神に捧げる為に「生きたヤギの首をはねる」という、かなりグロテスクそうな儀式である。いくらカーリー神が「破壊と殺戮の女神」だからって、毎日生きているヤギの首をはねるなんて、ちょっと殺し過ぎなんじゃないかと僕は思うのだけれど、まあ他所の国の宗教に関わることなので僕が意見すべき事ではないし、言ったところで誰も聞いてはくれないだろう。

僕達は儀式そのものは見れなかったのだが、胴体から切り離されて転がっているヤギの首は見ることができた。真っ黒い体毛のヤギで、辺りにはそのヤギの体内から出たと思われる血液が飛び散らかっていた。好奇心にかられて見に来ておきながらこんなことを言うのは見当違いなのかもしれないが、正直あまり気持ちの良い光景ではない。

そしてそんなふうに感じていた僕を更に暗い気持ちにさせたのが、物乞いの姿だった。寺院の周りには大勢の物乞いがいた。その人数が10人くらいだったのか、それとも100人くらいだったのか何故だか正確に覚えていないのだが、とにかく大勢の物乞いだった。インドで物乞いを見たことが無い訳では無かったが、一度にこんなに大勢の物乞いを目にしたのはさすがに初めてだった。カーリー寺院周辺にはスラム街の多いカルカッタの中でも最大のスラムがあると言われているから、おそらく彼等はそのスラムの住人なのだろう。

インド神話の神々同様、物乞いの人間も様々だった。赤ん坊を抱えた貧しい身なりの中年女がいれば、相手の同情を引き易くする為に手足を切り取られた子供達がいた。寺院を訪れる観光客に自ら話しかけて喜捨を求める者がいれば、ただ力無く手を差し延ばすだけの者もいた。

寺院の宗教的な儀式といい、物乞いの数といい、「カーリーガート」は僕のようにただ国を通過していくだけのバックパッカーにとっても、(マイナスの)印象が深い場所だった。そしてまた同時に僕の精神面には少し重過ぎる場所でもあった。だから僕はこの寺院を去るときに、

「この辺りには来ることはもう無いだろうな。」

 と、思っていた。でも、そんな僕の予想は僅か二日後にあっさりと覆されることになった。それは僕がキムと知り合っていたからだった。



キムという名の韓国人バックパッカーと僕は、カルカッタ行き急行列車の二等寝台車両で知り合った。ニュージーランドでの留学経験を持つというキムは自己紹介の際に自分の年齢について、

「ギリギリ20代。でもコリアン・エイジ(Korean Age)だと、もう30歳さ。」
 と、流暢な英語で話した。
「コリアン・エイジって何?」
 『コリアン・エイジ』なんていう言葉はそれまで耳にした事が無かったので僕が尋ねると、
「日本人は生まれたときには0歳だよね?」
 と、確認疑問文で質問を返してきた。
「どこの国だってそうだろう?」
 僕がそう言うと、
「いや、それが韓国では違うんだ。韓国では生まれたときから1歳として数えるんだよ。」
 と、彼は答えた。

僕は韓国に行ったことが無かったので、韓国文化については全くの門外漢だった。チベットを一緒に旅したリーも韓国人だったけど、彼とは暇さえあれば(だいたいいつも暇だった)サッカーのハナシばかりしていたから、お互いの国の文化とか習慣について語り合うことは皆無だった。

だから僕はキムの『コリアン・エイジ』という言葉の説明を聞いて、今更ながら「僕は隣の国のことさえもよく知らないんだな。」と恥ずかしく感じ、更に「この際だからキムに韓国のことをいろいろと教えてもらうのも悪くないな。」と考えたのだ。

しかしそう考えたものの、もともと僕は韓国に関する知識というものを豊富に持っていなかったから、あまり高尚な質問ができなかった。「韓国の箸はどうして金属製なんだ?」とか、そういうレベルなのが自分でも情けなかった。

でも、もっと情けなかったのがキムの答えだった。キムは、

「よくわからないけど、たぶん洗い易いから。」

なんて答えたのだ。それを聞いて僕は一瞬、

「この男は留学する前に、もっと自分の国について勉強したほうがよっぽど良いのではないか?」

と、思ってしまったのだが、そういう僕も他人の事は言えない。キムも僕に日本のことを尋ねてきたのだが、「中山美穂という女優について教えてくれ。」と言われたときに僕は全く説明できなかったのだ。何でも彼女が主演した映画が韓国で大ヒットしたらしいのだが、そんな映画を観たことも聞いたことも無かったので、説明のしようがなかったのだ。するとキムは「KOGは日本人なのに日本に詳しくないんだな。」と冗談交じりに僕のことを冷やかした。笑ったときのキムの表情は30代とは思えないくらいに若々しく見えた。

その後も僕とキムはお互いの国についていろいろと質問し合い、それぞれ答えられる範囲で答えていた。そして最後に僕が

「何故韓国では儒教の信者が多いのか?」

 と、質問したのが全ての始まりだったのだと思う。



「儒教や仏教が韓国宗教界の中心だったのは、もうかなり昔のことなんだ。」
 そして続けて、
「今では韓国国民の半数近くはクリスチャンなんだよ。」
 と、キムは言った。

僕は韓国という国に対してずっと、『儒教の国』というイメージを持っていた。だから、「何故韓国では儒教の・・・」と質問して答えを聞こうと思ったわけなのだが、そもそもその質問自体が的外れだったのだ。僕は韓国に関しては本当に無知だった。それにしても国民の半数近くがクリスチャンとは驚きだ。アジアでそこまでクリスチャンの比率が高い国もそんなに無いはずだ。

「でも、どうして韓国ではそんなにクリスチャンが増えたんだろう?」
 当然の疑問を僕はキムに尋ねてみた。
「・・・たぶん、儒教や仏教が僕達を助けてくれなかったからだと思う。」
 少し間をおいて考えてから、キムは答えた。
「助けてくれなかった?」
「うん。日本人の君の前では言いづらい事だけど、韓国は日本に侵略されたし、その前は中国に従属していたようなものだった。いくら仏教や儒教を信仰していても、それらの教えは敵の軍隊を追い返してはくれなかった。だから国民は他の宗教(キリスト教)に救いを求めるようになったんじゃないかな。」
 キムの説得力のある説明だった。そして僕はその説明を聞いて、ふと思ったことを口にした。

「・・・するとキム、君もクリスチャンなのかい?」
「ああ、僕もクリスチャンだ。」
「それじゃあ、韓国にいた頃は教会にも通っていたのかい?」
「うん、通っていたよ。それにミッショナリーのチャリティでボランティアとして従事していたこともあるんだ。そうだKOG、もしよかったらカルカッタで君も一緒にやらないか?」
「何を?」
「ボランティアだよ。僕がカルカッタに行くのは、マザー・ハウスで働くのが目的なんだ。」
 キムは真面目な口調で僕に言った。表情は中山美穂のハナシをしているときのそれとは違っていた。



列車で出会ったのも何かの縁というわけで、自然と僕達はカルカッタで部屋をシェアしようということになった。もっともカルカッタに到着してから二人で幾つかのゲストハウスをあたってみたものの、程度の良いツインルームを見つけることができなかったので、結局安宿のドミトリーに落ち着くことになってしまったのだが。

そしてカーリー寺院を見学した日の夜、僕はキムの度重なる誘いに応じることを決め、その翌日に二人で『マザーハウス』の本部へと足を運ぶことにした。マザーハウスとは、貧しい人々のためにその生涯を捧げたマケドニア生まれの修道女、故マザー・テレサが1950年に設立した施設である。キムによれば、そこに直接出向いて申し込みをすれば、誰でもボランティアとして働くことができるのだという。その申込者がたとえ外国人であっても、あるいはヒッピーくずれのようなバックパッカーであったとしても。

本部は僕達が滞在している宿からそれほど離れていない、交通量の多い大通り沿いにある。歩いて20分もかからなかったと思う。本部に着き、僕達は少々緊張しながら入口のドアを押す。中に入ると数人の白い着衣を身に付けた修道女の姿が見えた。僕達は一人の修道女に声をかけ、ボランティアの登録をしたいと彼女に伝えた。

そして修道女に案内された小さな部屋で、僕達は施設および仕事の内容と注意事項について説明を受けることになった。説明してくれたのは修道女ではなく、ベテランのボランティア・スタッフらしき若い白人女性だった。彼女は僕とキム、そして他に5人ほどいた申込者に対して英語で説明してくれたのだが、その内容は僕の英語力では一部理解できないところもあった。申込者の全ては外国人で、インド人はひとりもいなかった。

説明会が終了すると、「シスター・マリア」という高齢の女性が現れた。マザーハウスの最高責任者なのだそうだ。

「ボランティアについての説明を受け終えたあなた方のなかで今もボランティアをしたいという気持ちが変わらない方は、希望の施設と姓名を彼女に伝え、登録カードを作成してもらってください。」

 と、スタッフが僕達に言った。僕はキムと相談し、「ニルマル・ヒルダイ」という施設での翌日からのボランティアをシスター・マリアに申し込んだ。シスター・マリアは僕達それぞれに自分のサインの入った登録カードと、かつてマザー・テレサも身に付けていたという、『不思議のメダイ』を手渡してくれた。



翌日のボランティア初日、朝5時に起床する。本来ならそんなに早く起きる必要はない。「朝7時にマザーハウスの本部に集合して、ボランティアに対して無償で提供される朝食を取ってから仕事に行けばいいですよ。」と、昨日の説明会で聞いていたから、宿から本部まで歩く時間を考慮しても6時に起きれば十分に間に合うはずである。でも僕達は6時より更に1時間早い、5時に起床した。それは『ミサ』に参加するためだった。

マザーハウスの正式名称は、「Missinonaries Of Charity」(神の愛の宣教者会)である。その名称からこの施設がキリスト教と深く関わっていることを想像するのは難しいことではない。そもそも設立者のマザー・テレサ自身がカトリックの修道女である。だからマザーハウスの本部では毎日朝食の始まる1時間前にミサが開かれているのだ。

ミサへの参加は義務ではない。参加するかどうかは、ボランティア本人の自由だ。何故ならマザーハウスは人種や国籍を問わず、希望する全ての人間に門戸を開いているので、ボランティアに参加する全ての人間がクリスチャンという訳ではないからだ。

僕はクリスチャンではないから、ミサに参加する必要はない(もしくは参加すべきではない)のかもしれなかったが、結局僕は参加した。僕がミサに参加したのは全くの好奇心からである。僕はそれまでミサというものを直接自分の目で見たことがなかったのだ。

ミサが終了し、7時からは朝食の時間になる。ミサに参加しないボランティア・メンバーも集まって、総勢30人ぐらいでチャイ、ブレッド、そしてバナナという朝食を取る。簡素なメニューではあるが、僕にとっては中国の上海で旅を始めて以来、初めての朝食らしい朝食である。周りを見回すと、メンバーの半数は欧米人で、残りの半数は東洋人だ。皆リラックスしながら食事を楽しんでいる。その後、ボランティア・メンバーは自分が働くそれぞれの施設へとむかう。

ボランティアとして働くことのできる施設は複数あるのだが、どの施設もマザーハウスの本部からはかなり離れている。僕達が選んだ「ニルマル・ヒルダイ」も、市内バスか地下鉄を利用しなければ通えない場所にある。初めてで勝手の分からない僕達は先輩のボランティアに連れられて、市内バスで施設へと向かった。バスの運賃は3ルピー(8円)だった。

バスを降りた場所は、僕達が二日前に訪れた「カーリーガート」だった。寺院を見学したときにはわからなかったが、カーリー寺院のすぐ近くにマザーハウスの施設があったのである。

施設に着いたときにまず僕の目に入ってきたのは、入口に掛けられてあるマザー・テレサの大きな写真だった。更に建物を見上げると、施設の3階部分には白い看板があり、そこにはアルファベットで「ミッショナリーズ オブ チャリティ」、そして

「ニルマル・ヒルダイ」

 と、記されているのが見えた。

ニルマル・ヒルダイ ― ヒンドゥー語で『清らかな心』という意味の名を持つその施設の通称は、

「死を待つ人の家」
 
である。


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