「旧共産圏の国」
〜 ブルガリア ソフィア 〜

ギリシャのテッサロニキからブルガリアのソフィアにやってきてつくづく感じたことは

「ひとくちにヨーロッパと言っても、やっぱり国が変わればいろいろな面で違ってくるものだな。」

 ということだった。そのことを説明する例は幾つでもあげることができるのだが、とりあえず僕等外国人旅行者にとって関係する例に絞って言うとするなら、まず第一にこの国で使われているキリル文字というやつが全く理解することができなかった。おかげで僕は街歩きのついでに見に行った、いかにも旧共産圏らしい建築物である『旧共産党本部』だって、建物に大きく書いてある

「 НАРОДНО СЪБРАНИЕ 」

 という文字がさっぱり読むことができずに、建物の目前の道路で通行人に

「旧共産党本部はどこにあるんでしょうか?」

 などと尋ねてしまったくらい、理解できなかったのである。東欧諸国でよく使用されているキリル文字は、先日まで僕等が滞在していたテッサロニキで使われているギリシャ文字と同じように、英語で使われるアルファベットとは似て非なる文字なので、解読するのが大変だというハナシはトルコに滞在していたときに他の旅行者から聞いて知っていたのだが、それでもギリシャはいわゆる『西側諸国』に属しているから普通のアルファベットの表示も多かったし、なによりもギリシャという国自体がそもそも観光で成り立っているような国だったから、ギリシャ文字が読めなくたって不自由することはほとんど何も無かった。

しかしその状況はブルガリアに来ると一変する。I津クンが持っていたガイドブックによれば、ブルガリアという国は東欧諸国のなかで最もソ連と結びつきが強かったらしく、旧共産圏の色合いが今でもあちらこちらに残っている。要するにギリシャのような西側の国とは全く正反対の性格なので、当然のことながら多くの外国人旅行者を迎える態勢は整っていない。現に僕等が泊まっている宿のオーナーは(高齢だったせいもあるが)英語が一言も話せない。

それからギリシャとの違いは他にもあった。例えば気候である。テッサロニキは目の前がエーゲ海というロケーションだったので、2月にもかかわらず寒さを感じることはあまり無かった。昼間などは半袖Tシャツ1枚でも充分なくらいだった。しかしソフィアはそのテッサロニキから列車で8時間くらいの距離しか離れていないのに、毎日大雪が降り凍えるような寒さである。あまりに急激な環境の変化に、僕等はいつも「寒い、寒い」と言っていた。

ただ文字が読めないとか気候が悪いとかそんなことばっかり言っていると、ブルガリアが何だかとんでもなくひどい国だと思われるかもしれないが、実際はそうでもない。ブルガリアに来て良かったと思えることも、もちろん沢山あった。そのうちのひとつが

「物価が安い」

 ということだった。これは僕等バックパッカーにとって何よりもありがたいことだった。



トルコからギリシャに入ったとき、僕とI津クンはとにかくしょっちゅう「ヨーロッパは物価が高いなあ」とぼやいていた。宿にしたところでトルコを廻っていた頃はどんなに高くても1泊600円を越える宿に泊まることはなかったのに、それがギリシャでは一番安いユースホステルでも1泊1000円はしたから、

「ヨーロッパで出費を抑えるのは、かなり難しそうだ。」

 と、ほとんどあきらめにも似た思いがあった。しかしソフィアで僕等が滞在している宿は相部屋ではあったが、一人10レヴァ(約600円)とトルコ並みの料金だった。そして安いのは宿代だけではない。例えば僕はよく煙草を吸うけど、ブルガリアで買った一番安い煙草は1パケット(20本入り)で0.85レバ(約55円)である。トルコで一番安かった煙草は1パケットで70円くらいしたから、モノによってはギリシャどころかトルコよりも安いということになる。ビールなんかもスーパーマーケットなら1本60円くらいで買えるし、店に瓶を返却すれば更にデポジットが払い戻される。

それから安いのは宿代や嗜好品だけにとどまらない。ある日僕はT沢クンと一緒に路上の土産物屋をひやかしていたのだが、そこで値段について尋ねてみると郷土品なんかもけっこう安いことがわかった。世界的に有名な『薔薇のエッセンス(ローズオイル)』なんて、小瓶なら1本60円である。普段はあまり土産物なんて買わない僕も、あまりにの安さに思わず衝動買いしてしまった。

そしてこの衝動買いが、結果的に言えば僕等の「ソフィア・ショッピングツアー」の引き金になった。僕にしてもT沢クンにしてもこれまで随分長く旅しているが、しかしその旅はまだこれからも続く。土産物屋での経験から

「観光客相手に商売する店でもこれだけ安いのだから、日用品だってきっと安いに違いない。」

 そう考えた僕等は、それならいっそのこと物価の安いこの国で、旅の装備を整えなおそうということになったのである。

そういうわけで僕等は宿で他の旅行者達からいろいろな「ソフィアお買い得情報」をもらい、ジェンスキン・バザールという、地元の人間が利用する市場へ行くことにする。僕が欲しかったのは、コイルヒーターだった。トルコで購入したものがギリシャであっさりと壊れてしまったので、新しいものが欲しかったのだ。まずこれを約180円で購入する。電気製品とは思えない安さである。それからヨレヨレになってしまったシャツを捨てたかったので、代わりのTシャツこれを約120円で購入。そしてついでに穴が開いたまま履き続けていた靴下の代わりも買う。これについてはなんと二足で約60円という激安価格だった。

こうしてブルガリアの物価の安さに確信を持った僕等は更に勢いに乗り、ついに新しいジーンズまで購入することを決意する。いつもジーンズを着用しているというバックパッカーは非常に多いのだが、かさばるために予備まで持って旅している人はそれほどいない。そうすると長い旅の間にどうしても擦り切れたり破れたりするし、ルートがアジアのような地域だと知らないうちに洗濯しても落ちないようなひどい汚れがついてしまう。僕にしてもT沢クンにしてもジーンズは1本だけで、やはり汚れはひどかった。

バザールにはジーンズ専門の露店があるのだが、そこへ行くと「Levis」や「Wrangler」といった有名ブランドの商品が、驚くべきことに1000円前後の値段で販売されていた。これらの商品はトルコなどの周辺諸国で現地生産されたものをブルガリアに輸入したものなのだが、それでも本物であることに間違いはない。

ただ安いのはありがたがったが、困ったこともあった。それはサイズである。店で取り扱っているジーンズで、最も細いサイズで32だったのだ。僕はそのサイズ32のジーンズを試着させてもらったのだが、案の定かなりゆるかった。しかし店のオジサンから「それが一番小さい」と言われたので、仕方なくそれを購入した。これから訪れる他の国なら自分に合うサイズのジーンズを購入することができるのかもしれないが、しかしブルガリアのような値段で買うのはおそらくムリだろうと思ったからだ。

ジーンズを購入したら、今度はそれを裾上げしてもらうことにする。うまいことに仕立て屋もバザールにある。店で作業していたやたらと元気なオバチャンにジーンズの裾上げについて尋ねたところ、30分でできると言われたので、お願いすることにする。そして指定された時間に受け取りに行くと、裾上げはちゃんと完了していた。出来上がりはキレイだったし、料金も約180円と安かった。

市場で買い物を終えると僕等は宿へ帰り、古いジーンズをゴミ箱へ投げ入れ、買ったばかりのジーンズをはいてみる。裾上げしたので長さは問題無かったが、ウエストはやはりゆるかった。これからはベルトをかなりきつくしめないといけないだろう。世界標準からみてブルガリア人男性が太りすぎなのか、それとも日本人男性が細すぎるのか僕にはよくわからないけど、もうちょっと品揃えがあればいいのになと、僕は思っていた。



それからブルガリアは食事も安かった。その安さにまかせてよく利用したのが中華料理屋である。中華料理というのは長旅をする日本人バックパッカーにとって「第二の母国食」といっても過言ではないくらいの人気料理なのだが、残念なことにアジアのどの国でも現地食に比べると割高だったので、これまでそんなにしょっちゅう口にすることはできなかった。

しかしブルガリアの物価の安さは自国料理だけでなく中華料理屋にまで及んでいて、例えば店でチャーハンを注文しても150円しないくらいなのである。そして安いからといって量が少ないというようなこともない。そしてここからが肝心のポイントなのだが、味もとても素晴らしかった。「質より量」という言葉があるけれど、少なくとも僕等が通った店に限っていえば

「質も良くて、量も多い。」

 そんな言葉がピッタリだった。だから僕等はほとんど毎日のように中華料理屋に通っていた。ほとんど毎日なんて、さすがに無駄遣いしすぎではないかと思わないでもなかったが、それでも適当な理由をつけては僕等は中華料理を食べ続けた。ちなみにソフィアを発つ前日の晩も中華料理だったのだが、その夜の理由は『お別れパーティー』だった。翌日僕とT沢クンは列車でセルビア・モンテネグロのベオグラードへ行くのだが、I津クンはソフィアに残るためだ。

パーティーは楽しかった。人数は僕とT沢クン、I津クンのたった3人だったが、店の従業員(中国系ブルガリア人の可愛い女の子達)も巻き込んで写真を撮りあったりして、とても盛り上がった。料理もいろいろと注文したが、もともと安いうえに皆でシェアしたのでたいした出費にもならなかった。こんなに安くて質も良いのだから、出発を延期してこの国での滞在をもっと長くしてもいいではないかと、思わず考えてしまうくらいだった。

中華料理屋から宿に帰ると、何人かの旅行者達が「安い、安い」と、ブルガリアの物価について談笑していた。また誰かが新たな「ソフィアお買い得情報」でも手に入れたのかと思い、いったい何がどれだけ安かったのかについて尋ねてみると

「8レヴァ(500円)だったんだよ」

 と、一人の旅行者が答えた。

「だから何が8レヴァなの?」

 そう僕が訊き返すと

「ストリップだよ、ストリップ・バーの入場料。こんなに安いと思わなかったからビックリしたよ。」

「・・・・・」

そういうわけでブルガリアについては「物価が安い国」というのが、ヨーロッパを旅するバックパッカーの共通の認識である。ストリップ・バーについては僕が自分で行くことは無かったので、値段と質の兼ね合いについてはよくわからないのだが、実際に行った旅行者達の表情を見ていると、どうやらかなりレヴェルが高かったようである。


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