「ユースホステル」
〜 ギリシャ テッサロニキ 〜

海外を長く歩いていると時々

「世界には本当にいろんな旅行者がいるんだなあ」

 と、感心させられることがある。テッサロニキにあるユースホステルで知り合った日本人旅行者のT沢クンも、そんなふうに僕を感心させた・・・というか、「かなりビックリさせた」旅行者の一人だった。

僕がまず第一に彼について驚いたのは、彼の背負っているバックパックだった。彼のバックパックがすごく大きかったのである。僕が見たところ、その気になれば幼児でも入れることができそうなそのバックパックの容量について尋ねると

「70リットルなんだ」
 と、彼は答えた。

70リットルのバックパックというのは、それほど身体の大きくない日本人が背負うにしては、やはり大きな部類に入ると思う。ちなみに僕は35リットルのバックパックで旅をしていたから、単純計算で彼の荷物は僕の2倍ということになる。彼は主に飛行機を利用して移動するタイプの旅行者(世界一周エアチケットで、一年かけて海外旅行をするのだそうだ。)だったから、テントのように大掛かりなキャンプ用品を持っているわけでもなかったので、いったいどうしたらそんなに荷物が多くなるのか僕は不思議に思い、尋ねてみたら

「うーん、ノートパソコンとか『ピアニカ』が入ってるんだよね・・・」
 と、少しばかり恥ずかしそうに答えた。

「ピアニカ?ピアニカってあの楽器のピアニカのこと?」

 僕が訊き返すと彼は頷き、そしておもむろに自分のバックパックから、なにやら大きなケースを取り出した。そのケースを開いてみると、確かにそこには本物のピアニカが収まっていた。冗談ではなく、彼は本当にバックパックにピアニカを入れて旅しているのだ。

「いや、正直言うとそんなに上手く弾けるわけじゃないんだ。ネタで持ってきただけ。でも今は後悔してるよ。何しろすごく重くてね。」

 彼は弁解するように言った。まあそうだろうなと、僕も彼の言葉に納得する。それにしても今までにウクレレとかハーモニカ、あるいは太鼓なんかを持って旅している人には出会ったことはあるけれど、ピアニカを持って旅している人間に出会ったのはさすがに初めてである。彼も珍しい旅行者と言ってもさしつかえないだろう。

僕がわざわざ「彼も」と言うのは、もちろん彼以外にも珍しいタイプの旅行者が、このユースホステルにいたからである。ハッキリ言ってなかにはとても旅行者とは呼ぶのをはばかられるタイプの宿泊客もいた。そして何故そういう人達がこのユースホステルに集まってきたのか、それともこういう人達が集まるのというのはどこのユースホステルにも起こりえる状況なのか、僕にはよくわからなかった。なにしろ僕がユースホステルに宿泊するのは、これが初めてのことだったから。



僕は10日間にわたるイスタンブールでの休息を終えると、ヨーロッパを巡る旅の皮切りに、列車を使ってひとまずギリシャへとやってきた。そして今回の移動には、ありがたいことに相棒がいた。イスタンブールの日本人宿で知り合ったI津クンと一緒だったのである。彼は陸路でアフガニスタンに行った経験もあるバックパッカーだったから、一緒に旅をするのにとても心強かった。そして列車がギリシャの地方都市テッサロニキに到着すると、僕等はあらかじめ相談して決めていたとうりに、この街にあるユースホステルを探すことにした。

ところがそのテッサロニキの街でのユースホステル探しは少々難航する。そもそもテッサロニキ駅で列車を下車したのが夜の12時くらいで、初めて来た街で宿探しをするに易しい時間帯とは言えなかった。僕等はまず深夜運行の市内バスに乗り、ユースホステルがある地区まで行く。ここまではよかった。しかしバスを降り、ユースホステルの建物を探してみると、これがなかなか発見できない。僕等はI津クンの持っているガイドブックに記載されていた住所を頼りに建物を探していて、間違いなくその近くを歩いているはずなのだが、どうしても見つけることができない。夜遅いせいで辺りが暗かったのも、僕等の宿探しを難しくさせていた。でもあきらめずに僕等はユースホステル探しを続ける。だって他に選択肢が無いのだから。

僕等がテッサロニキでの宿泊先としてユースホステルを選んだのは、金銭的な理由のためである。今までのアジアと違って、ヨーロッパでは物価が一段と高くなる。いわゆる安宿というものがあまりなく、費用を抑えて旅を続けるにはユースホステルに宿泊するしかないと、イスタンブールで知り合った旅行者から説明を受けていたのだ。

だから僕等はどうしてもユースホステルを見つけたかった。もしそれができないと1泊何千円もするホテルに宿泊することになってしまう。ユースホステルなら一人1泊1000円くらいで済むので、この違いはバックパッカーにとってとても大きい。

そして結果から言うと僕等はなんとかテッサロニキのユースホステルを見つけることができた。でもそこは雑居ビルの一室で、特に目立つ看板も無く、とても宿には見えなかったけれど。



ユースホステルのドアを叩くと、少し頭の薄くなりかけた年輩のオジサンが部屋の中に迎えてくれた。そして僕等がここに滞在したいと伝えると、

「今夜はもう管理人は帰ってしまっていないんだけど、ベッドは空いているから泊まれるよ。好きなベッドを選べばいい、金なんて明日払えばいいんだから。」

 と、そのオジサンは言った。なかなか気楽な宿のようである。

僕等は2段ベッドが並ぶドミトリーからベッドを選ぶと、I津クンは宿探しに疲れたのか、すぐに眠ってしまった。しかし僕の方はまだそれほどでもなかったので、宿の居間で、僕等を出迎えてくれたオジサンとハナシをすることにした。

オジサンはブルーノさんという名前で、年齢は50歳。イタリアのフィレンツェから来たのだそうだ。彼もこのユースホステルの宿泊客のうちの一人で、おまけにかなりの旅好きらしく、僕が日本からギリシャまで飛行機を使わずにやってきたことを説明すると、「俺もずいぶん前にトルコ、イランを通ってパキスタンまで行ったことがあるんだよ。」と言って、自分の旅遍歴を披露してくれた。

特にパキスタンではミッショナリーで働いていたこともあるとのことで、僕もインドのミッショナリー(マザーハウス)でボランティアをしていたことを言うと、共通の話題にハナシは大いに盛り上がり、延々と続いた。

それから彼は更に自分のハナシを続ける。彼は本来旅行者なのだが、今はここのユースホステルに住み込んでいるのだという。彼はここの仕事(掃除とか管理人の代行とか)を手伝うかわりに、宿泊費の支払いを免除してもらっているのだそうだ。何故そんなことをしているのかというと、理由は節約のためらしい。

「ここのシャワー室のペンキも俺が塗り替えたんだ。明日見てくれよ。」

そんなことも言っていた。しかしバックパッカーが節約重視で旅をするのはよく理解できるけれども、住み込みの仕事までするようになると、これはもう旅行とも呼べない気がするのは僕だけだろうか。50歳という年齢で長く一人旅を続けていることと合わせて考えても、ブルーノさんはやっぱり少し変わっていると思う。



そしてこのユースホステルに数日滞在していると、毎日毎日いろんな人間がチェックインしてきた。それも実に変わったタイプの旅行者が。ピアニカのT沢クンもそうだったし、デンマーク人の男の子にしてもそうだった。僕が初めてその男の子を見たのは街歩きからユースホステルに戻ってきた夜で、彼は何故だかベッドのある部屋ではなくて、共有スペースである居間で眠り込んでいた。

「彼はどうしてベッドで寝ないんですか?」
 僕は居間で本を読んでいたブルーノさんに話しかけた。

「ベッドで寝ないんじゃなくて、ベッドで寝れないんだよ。」

「ベッド寝れない?」

「うん、そういう約束で彼はここに泊まることになったんだ。ここのオーナーに何とか頼みこんで、ベッドじゃなくて居間で寝るなら宿代を『無料』にするって約束でね。」

「えっ?そういうのって可能なんですか?」
 驚いて僕は尋ねた。別に真似しようと思ったわけじゃないけど。

「可能じゃないよ。今回は特別。彼は文無しで、他に方法が無かったんだ。」

「文無し?」

「ああ。イスタンブールで地元の男達に騙されて所持金のほとんどを持って行かれたんだそうだ。それで旅が続けられなくなって国に帰ろうとしたんだが、彼に残された金ではテッサロニキまでしか来れなかったんだ。」
 ブルーノさんはかわいそうに、という表情で僕に説明した。

トルコのイスタンブールは世界的に有名な観光都市だ。そしてそういった有名な観光都市に付きものなのが、旅行者をターゲットに犯罪を重ねている連中である。イスタンブールももちろん例外ではない。特に有名なのは睡眠薬強盗だ。僕もイスタンブールにいたときは、若い日本人女性が親切を装って声をかけてきた地元の男に騙されて睡眠薬を飲まされ、所持金・所持品、そして着ている服まで持っていかれて、裸で路上に放り出されたなんてハナシも聞いたことがある。

「ずいぶん若く見えますね。」
 僕はぐっすりと眠り込んでいる男の子の顔を眺めながらブルーノさんに言った。

「まだ19歳らしい。俺から見れば子供みたいなもんだ。デンマークから来たと言っていたが、知らない国を一人で旅するには少し早かったんだろう。」
 
 ブルーノさんはそう言ったが、僕は何も答えなかった。別に年齢は関係ないと思ったからだ。若くてもしっかりしている人は上手に旅をするし、ダメな人はいくら年齢を重ねてもダメなのだ。それにトラブルに遭うか遭わないかは運にも左右される。ただ僕はその自分の考えをブルーノさんに言うことはしなかった。僕とブルーノさんのどちらの考えが正しいのかわからないが、どちらにしても彼の奪われた金が戻ってくるわけじゃない。僕はハナシの話題を変えることにした。

「ブルーノさんはいつまでココにいるつもりなんですか?」

「うん、もう随分長くここにいるし、そろそろ出ようとは思っているんだが、なにしろ肝心の金が無くて移動できない。」

 ブルーノさんはごく自然に重要なことを語った。僕はてっきりブルーノさんがテッサロニキを気に入ってしまい、長期滞在したいから住み込んでいるのかと思ったらそうではなくて、旅で金を使い切ってしまい、仕方なく住み込んでいるのだった。僕はデンマークの男の子に対するのと同様に、彼にも同情することになった。それから僕は彼がこれからどうするつもりなのかを尋ねてみた。

「ここの仕事を手伝ってるだけじゃ、節約はできても旅の資金を増やすことはできないでしょう?」

「そうなんだよ。それでフィレンツェにいる女房に何度も金を送るように電話したんだが、それが未だに届かないんだ。」

 ブルーノさんはそんなふうに答えて、また僕を驚かせた。まさかブルーノさんが結婚しているとは思わなかったから。しかしいったいこのイタリア人はどういう人物なのだろう?普通50歳で家族がいる男というのは、その家族を養うために仕事をしているものである。少なくとも日本ならそうだ。しかしこのブルーノさんは家族を故郷に残して海外で一人旅を続け、おまけに今は長距離列車に乗る金も無いときている。普通なら離婚をつきつけられても仕方ないところである。カソリックの教義のために離婚できないのか、それとも奥さんはよっぽどできた女性で今でもこのブルーノさんを愛しているのかわからないけど、とにかく僕は口惜しかったのでブルーノさんに対する同情は取り下げることにした。



それからユースホステルにいるのは、なにも金の無い男達ばかりではなかった。自家用車を使って国境を越え続ける旅をしているという仲の良いドイツ人夫婦もいたし、イギリスでボランティアとして働いているという若い男女で構成された韓国人グループもいた。あと変わったところでは(本当に変わった人が多いのだが)マリアという名前のセルビア人女子学生がいた。

マリアの年齢は23歳。ギリシャ語を勉強するために、ベオグラードからテッサロニキへやってきたばかりだった。将来は翻訳家になってギリシャ文学を母国に紹介したいという、しっかりとした夢を持っている。

しかしそのような人間がいったいどうしてユースホステルなんかにいるのか、僕にはわからなかった。ドミにはマトモな机ひとつさえないのだ。とても勉強に適した環境とは言いがたいし、だいたいユースホステルというところは旅行者が宿泊する場所である。だから僕はそのことを率直に尋ねてみた。

「もちろんワタシだってちゃんとしたところも探しているわよ。でもね、どこに行ってもアパートの家賃が1ヶ月で安くても300ユーロ以上なんて言われちゃうの。こんなことってセルビアじゃ絶対ありえないわ。ワンルームしかないし、部屋にしたってそんなたいそうなシロモノじゃないのよ。まったくギリシャって国は本当に狂ってるわね!」

 と、怒りをあらわにして言った。僕はそんなマリアを見て

「でもね、もし東京でマトモなワンルームを借りようと思ったら、少なくともその2倍の金額が必要なんだよ。」

 と言おうとしたのだが、結局止めておいた。火に油を注ぐことになると思ったからだ。

とにかくこのテッサロニキのユースホステルにいる宿泊者は変わった人達が多かった。テッサロニキは僕にとってヨーロッパで最初の街だったから、到着したときにはできるだけ街を歩き回ってアジアの街との違いを見てみようと考えていたのだが、実際には市内観光をするよりも、宿で彼等とハナシをしているほうがハッキリ言ってずっと楽しかった。だから僕はI津クンとそしてここで知り合ったT沢クンと一緒にブルガリアへ向かって発つことになるまで、かなりの時間を宿の居間で過ごすことになってしまった。



テッサロニキを離れる日も、宿の居間で僕はブルーノさんと二人でとりとめのないハナシを続けていた。T沢クンとI津クンは列車の時間までは時間があるので、観光すると言って外出していた。(僕等はその日の夜の列車でテッサロニキを発つことにしていたのだ。)

「デンマークの彼の姿が見えないようですけど?」
 僕はふと気がついたことをブルーノさんに尋ねた。

「もう出て行ったよ。」

「出て行ったって・・・金も無いのに?」

「あの夫婦がドイツまで乗っけていくことになったよ。ドイツとデンマークは国境を接しているから、そこまで行ければ何とかなるだろう。」

「そう、よかったですね。」

 ブルーノさんとそんな会話をしていると、マリアも加わってきた。彼女は僕等の出発について尋ねてきた。

「今夜の列車でブルガリアに行くのね?」

「うん。」

「ブルガリアの後はどこに行くの?」

「たぶんセルビアに行くことになると思う。君の故郷だね。」

「そう、じゃあこれを持って行って。」
 それは何かの数字が書かれたメモ用紙だった。

「これは?」
 僕は受け取りながら訊き返す。

「私のボーイフレンドの電話番号よ。もしベオグラードで困ったことがあったら、彼に電話して。きっと力になってくれるはずだから。」

「ありがとう」

 僕はそう答えて、メモ用紙を受け取った。そしてできれば君のボーイフレンドじゃなくて、君の女友達の電話番号が欲しかった、というような余計なことは言わないでおいた。

結局テッサロニキで待ち歩きをすることはあまりなかった。それでも僕は不思議とそれを残念とは思わなかった。なぜならヨーロッパの街はこれからいくらでも見ることができるだろうけど、これだけ変わった人達と会える機会もそんなに多くはないだろうと思ったからだ。


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