「いざチベットへ!」
〜 中国 格爾木 〜

格爾木でハイアールの店舗を見かけたとき、

「こんなところにもハイアールの店があるのか・・・」

 というのが僕の率直な印象だった。中国最大の家電メーカー「ハイアール」は欧米に30以上の販売拠点を持ち、白物家電で世界第5位のシェアを握る。以前は「価格は安いけれど、品質もそれなり。」というのがもっぱらの評判だったが、近年は品質も改善され、日本でも販売されている。中国国内には約9000の販売店があるとのことだが、それにしても格爾木のような田舎町にまでハイアールの店舗があるとは思わなかった。きっと日本で言うところの「街の電気屋さん」のような存在なのだろう。

そのとき僕は買物の途中だったのだが、残念ながら僕が欲しかったモノは電化製品ではなかった。僕はフリースとタイツを探していたのだ。

僕は蘭州から格爾木への夜行列車の中で、寒さのせいで眠れないという状態だった。そのときは17時間程度のことだったし、格爾木の標高は高いといっても2800mなので、まだ耐えられた。だけど今回は恐らくもっとキツイ状況になることは容易に想像できた。なにせ陸路でチベットへ行こうというのだから。



そういうわけで僕は防寒着を求めて街に出てきた。僕は暖かい時期に日本を出てきたので、トレーナーのような厚手の服を僕は一切持っていなかった。長袖のシャツは1枚持っていたけれど、それでしのげるほどチベットの寒さは甘くないだろう。

フリースは問題なく見つかった。大通りにあるカジュアルショップやスポーツ用品店で売られていたから。問題だったのは、その価格だった。僕はそんなに立派なフリースを求めているわけではなく、日本のユニクロで1980円くらいで売られているような程度のモノで十分だった。だけど、その程度のフリースに付いている値札を見ると、なんとどれも150〜200元と書かれてあるのだ。元値がこれだけ高いと、ディスカウントしてもらっても100元以下にはならないだろう。この価格なら日本と同じか、ヘタをすれば日本よりも高い。「中国の物価は何でも日本よりも安い」というのが、自分の勝手な思い込みだったという事に僕は初めて気が付いた。恐らくフリースのように新しい商品は中国では多く出回っていないから(特に格爾木のような田舎では)まだ価格が下がらないのだろう。僕はフリースをあきらめて目標をセーターに変更した。

そして僕はセーターを買うために市場に行った。市場ではフリースのような新しい商品は売っていなかったが、セーターは多くの種類が売られていた。古着同然のモノは20元くらいから高級なモノは100元くらいまで、いろんな価格帯で販売されており、買い手がいろいろと選ぶことが可能だ。安いモノはデザインもパッとしないけれど、ある程度出せば日本で着ても恥ずかしくないモノが買える。僕は85元で売られていたグレーのセーターを70元に値切って購入した。

市場では、タイツを売っている露店も幾つかあった。ジーンズの内側にはくモノなので、デザインなんて何でもいいのだが、生地だけは厚いものが欲しかった。僕は何軒か露店を見て周り、割りにしっかりした生地のブルーのタイツを見つけた。僕がその露店で店番をしていた、よく日焼けしたショートカットの女の子に値段を尋ねると、「8元」という答えが返ってきた。その値段でも買うつもりだったのだけれど、試しに僕がとびっきりの笑顔(?)をつくって「少し安くして」と頼むと、彼女は近くにいた父親と思われるオジサンとなにやら相談している。ハナシがまとまったようで、彼女は僕のところに戻ってきて、「6元」と言った。僕は「ありがとう」と言って6元を支払ってタイツを購入し、「格爾木市政府招待所」へ帰った。

格爾木市政府招待所は、格爾木で外国人が滞在できる数少ない安宿のうちのひとつである。僕がここにチェックインした翌日から、この宿にバックパッカーが数人入ってきた。

ひとりはY樹クンという、日本ではフリーターをしていたという男性。もうひとりはY介クンという大学生。そして最後に大学を卒業した後、就職せずに海外を旅しているという、S織チャンという女性。偶然にも皆日本人だ。僕とF原クンを含めて目的はチベット行きなので、自然とラサまで5人で一緒にクルマをチャーターしようということに決まった。というか、僕達は皆それを望んでいたのだ。

外国人がチベット自治区へ入域するには、中国ビザ以外に「入域許可証」の取得が中国の法律によって義務付けられている。空路で入域する場合はチケットに許可証の代金が含まれていているので、旅行者は自動的に許可証を取得することになる。陸路で入域する場合はどうするのかというと、「5人以上でツアーを組み、旅行代理店で許可証込みのツアーバスチケットを購入する。」ということになっている。では、その許可証込みツアーバスチケットはいったいいくらするのかというと、これがなんと「1660元」である。日本円に換算して約25000円。ちなみにこの金額は、中国国内からラサへ飛ぶ許可証込みのエアチケットとほぼ同じ金額だ。ようするに中国政府は、「チベットに入りたい外国人は大金払ってください。」と言っているのだ。

空路でも陸路でも同じ代金を払わなければならないのなら、飛行機のほうがいい。というのが普通の考え方だ。にもかかわらず格爾木には陸路でチベット入域を目指すバックパッカーが多く集まってくる。これはなにもバックパッカーが皆、「デニス・ベルカンプのような性癖を持っている」わけではない(*注1)。別の理由があるのだ。

チベットを旅するバックパッカーで「闇タクシー」の存在を知らない者は少ない。金銭的な理由で多くのバックパッカーがこの違法な移動手段を利用する。どういうふうに違法なのかというと、「入域許可証」を取得せずにチベットへ入り、検問を突破してラサへたどり着こうというのだ。ラサまでの料金は「一人500元」が相場だが、季節や交渉しだいでその値段は変化する。仮に500元でラサに行けるとしたら、正規のルートを利用するよりも1000元以上も安くあがることになるので、1泊20元の宿に滞在して1回5元の食事で中国を旅しているバックパッカーにとって、こんなにウマイはなしは他にない。しかしそこには、ひとつの問題がある。たとえ500元払う気があったとしても、一人でタクシーをチャーターをするのはまずムリなのだ。500元という金額は、1台の闇タクシーを雇った際の費用を、4〜5人で割ったときの一人当たりの金額なのだ。

だから僕達は5人でチームを組んだのだ。そして僕達は闇タクシーを探すために格爾木駅へ足を運んだ。

格爾木駅には長距離バスのターミナルが併設されており、公共のラサ行きのバスなどが発着する。僕達はそれには乗らないが、目的の人物はココにいるはずだった。そして案の定、その男は目ざとく僕達を見つけ、声をかけてきた。

「あんた達、ラサへ行きたいんだろ?」

彼の言うとうりだった。

40代くらいに見える、その中年男性は闇タクシーの客引きだった。格爾木に集まる外国人バックパッカーを捉まえてはラサ行きのはなしを持ちかけているようだった。

「あんた達、ラサへ行きたいんだろ?」
「そうなんだ。いつ出発できる?」
「明日でも明後日でもかまわないよ。あんた達の都合の良い日で構わない。」
「じゃあ、明日に出発するよ。」
「いいよ、ひとり800元だ。」
「800元!?」

S織チャンは、最近闇でチベットに行って帰ってきた日本人旅行者に会ったことがあるという。その人のハナシでは、やはり一人500元で行けたとのこと。だとすれば、この男は僕達からぼろうとしているのだろう。しかし、僕達だって彼の言い値を支払うつもりは毛頭ない。交渉のスタートだ。

「800元は高いよ。他の旅行者は皆500元で行ったって言ってたよ。」
 僕達は常識的な先からハナシを始める。
「あんた達は5人いるからね。クルマが2台必要だ。」
 男は意外な事を言う。

「どうして? ランドクルーザーでしょ? 1台で十分だよ。」
「ランドクルーザーじゃない。」
「どんなクルマなの?」
「ああいうクルマだよ。」
 そう言って彼は指差した。

彼の指差す方向を見て、僕達は絶句した。それは駅前に停車しているタクシーだった。ハッキリ言って普通の乗用車だ。確かにドライバーを合わせて6人以上の大人が乗るのはムリだ。

僕達にとってチベットと言えば「最後の秘境」というイメージがある。どうしても映画「セヴン・イヤーズ・イン・チベット」に出てきたような風景を想像してしまう。きっと険しい山を登るのだろう。そんなところに陸路で行こうというのに乗用車を使うなんて、にわかには信じがたい。ジープとかランクルを選択するのが適切だと思う。

「僕達は2台に分かれるのは嫌だし、あんなクルマでラサに行きたくない。ジープとかランクルとかに乗りたい。1台で済むし。」
「ジープもランクルもないんだよ。」
「それなら止めるよ。」

そう言って僕達が立ち去ろうとすると、彼は「狙った獲物は逃がさない」という感じに、あきらめずついてきて話し続ける。

「ちょっと待って、5人乗れるクルマを出すよ。」
「どんなクルマ?」
「見せるからついて来な。」
 そう言って男は歩き始めた。

僕達が連れていかれたのは、駅前にあるホテルの駐車場だった。そこには1台のワゴン車があった。中国メーカーのクルマではなく、三菱のデリカだった。こんなところで三菱のクルマを見るなんて。確かにこのクルマなら5人以上乗ることができるだろう、しかし・・・。僕達は5人で、どうするか相談した。闇タクシーの客引きは「これは日本車だ」とかなんとか言っている。自慢しているように聞こえなくもない。

「デリカでチベットに行くなんてムリだ」
「いや、日本車だから大丈夫だよ」
「ランクルに比べたら、乗り心地は良くないだろうね」
「1台で行けるのだから、もうコレでいいよ」

様々な意見が出た。F原クンは会社に勤めていた頃は仕事で毎日クルマを運転していたとかで自動車には詳しいようで、タイヤを蹴ったりしながらデリカをチェックしていた。結局「交渉で上手くディスカウントできたら、このデリカで行くことに決めよう」ということになった。

相手はいつもバックパッカーと交渉しているせいか、慣れているようでなかなか手強い。「コレは良いクルマだから」とか言って、なかなか値下げに応じない。それでも交渉はこちらのペースで進めることができたと思う。僕達が事前に相場を把握していたことが何よりも大きかった。交渉は一人500元のラインでせめぎあいが続いたが、僕達は強気で押した。

「僕達は5人でひとつのグループなんだよ。僕達の中から二人だけとか、三人だけで乗ることはないよ。もし500元より下げられないなら、誰もあなたのクルマには乗らない。僕達は他を当たることにする。そうしたらあなたには1元も入らないんだよ。」そう言って5人で詰め寄った。すると相手はしぶしぶという表情で妥協した。結局ラサまで一人450元で交渉が成立。ランドクルーザーじゃないのが不満だったが、日本車ということで、この際ワゴンでもよしとすることにした。

ハイアールのような中国製の家電製品は世界市場で日本製品のシェアを奪おうとしている。けれども自動車に関して言えば、中国メーカー製が日本メーカー製に打ち勝つには相当の時間がかかるようだ。

それにしてもデリカなんかで本当にラサに行けるのだろうか?



(*注1) デニス・ベルカンプ
サッカーのイングランド・プレミアシップのアーセナルに所属するオランダ代表フォワード。大の飛行機嫌いで、チームが他国で試合をする際には自分だけ陸路で移動することで有名。


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