「中国と手数料、中国人と手数料。」
〜 中国 上海 〜

上海に到着した翌日、僕は今日にでも列車の切符を購入しようと思った。上海での滞在を短く切り上げようと考えたのは、上海での滞在費の高さにあった。僕が宿泊している「浦江飯店」のドミトリーは1泊55元で、日本円に換算すると約800円だ。もちろん、日本の旅館や民宿などに比べれば安い。ただ、これから長い旅をする事を考えると、1泊800円というのは、僕には少し高すぎた。隣のベッドの「マン」という名のシンガポール人(1ヶ月近く中国に滞在していると言っていた)に、他の安宿について尋ねてみても

「上海で外国人が合法的に泊まれる宿でココのドミトリーより安いところは知らないな。」

 という答えが返ってくるだけだった。

僕が今宿泊している部屋、「ドミトリー」というのは簡単に言えば相部屋のことだ。大部屋に多数のベッドが並べられているのが一般的なドミトリーで、トイレやシャワーは共同で使う。宿泊者は部屋ではなくて、「ベッド借りる」というのが一番的確な表現じゃないかと思う。

日本人同士でも初対面の人間と同じ部屋で寝泊りすることになったら、結構気を使ったり(あるいは相手に使わせたり)するんじゃないんかと思う。そして今僕がいるのは中国の上海だから、昨日は初めて会った外国人と同じ部屋に寝泊りすることになったわけで、気を使うのはもちろんのこと、正直言って少し緊張気味だった。でもしょうがない。なんといってもこの部屋が一番安いのだから。

しかしいくらドミトリーが安いと言っても、それはあくまで他の部屋と比べれば安いというだけのことであって、やっぱりこの浦江飯店のドミトリーは経済成長著しい経済特区・上海のそれだけに極端に安いというわけでもない。中国のなかでも上海の物価は飛びぬけて高いらしく、宿代ももちろん例外ではなかった。だから僕はさっさと他の街に移動しようと考えたのである。

ただ全く観光をせずに上海を離れる事に対して、後ろ髪を引かれる想いがないわけでもなかったから、一応ガイドブックを読んだりもしたのだが、どうしてだか「上海雑技団」や「魯迅記念館」は僕の関心を引くまでにはいたらなかった。だから

「切符を買うついでに、街を歩こう。観光はそれで十分さ。」
 そう思い、僕は昼頃に部屋を出た。

僕は直接「上海駅」には向かわず、昨日夜景を見た外灘がある黄浦区を歩いていた。昨日ここに来たのは夜だったので、夜景を綺麗に眺めるには良かったが、街の風景を見て歩くことは出来なかった。昼の風景も見ておきたくて、このエリアにやってきたのだ。

黄浦区のメインストリートは、日本の地方都市のそれと変わりがないように見えた。「マクドナルド」や「吉野家」などのファストフード店が並び、「ユニクロ」では若い男女がショッピングを楽しんでいた。この通りをそのまま日本の都市に瞬間移動させたとしても、きっと違和感なく受け入れられるだろう。歩きながら僕はそんな風に感じていた。

30分も歩いていれば、もう十分だった。

「こんなの、別に海外で見ても仕方ないな。埼玉県でも千葉県でも見れるんだから。」

 ― という、旅行者の勝手な見方で街の判断を下した僕は、そそくさと黄浦区を後にした。

それから僕は蘇州河を渡り、上海駅へ向かいながら自由市場の付近を歩く。その辺りにはバンドエリアでは見られない、別の上海の姿があった。経済特区として成長を続ける華やかな上海の一面とは対照的な、もうひとつの顔がそこにはあった。

路上に立つ物売りの女、工具を前に自転車のパンク修理の客を待つ男、古びたリヤカーを引く老人・・・。

僕はそこで生活する人達を観察しながら、市場をのぞき、路地裏を歩いた。先程まで歩いていたバンドエリアと今僕が歩いている地域が同じ街だなんて、にわかには信じられなかった。いったいどちらが本当の上海なのだろう?

同じ街に富める者達がいて、貧しい者達がいる。同じ街の中で一方は高級マンションに住み外国車を所持するが、もう一方には仕事も無く物乞いで生計を立てている者達がいる。たぶん、どちらも本当の上海なのだろう。

ケ小平が提唱した「先富論」は、まず上海などの都市部が豊かになり、その豊かになった都市部が遅れた地方に利益を還元、牽引して最終的には格差が無くなり皆が豊かになる・・・ということだが、その「改革解放政策」が上海という一都市の中にさえこれだけの貧富の差を作り出している現実を実際に自分の目で見てしまうと、先人の理想も「絵に描いた餅」にしか思えなかった。



上海駅まではかなり距離があった。僕が滞在している宿から軽く5キロメートルはあったと思う。歩いていくには少し遠かったかもしれない。それでも駅に行くのには、それなりの理由があった。街中にある旅行代理店で列車の切符が簡単に購入できるのは、ガイドブックを読んで知っていたのだが、それにはひとつの問題があった。(あくまでも僕にとっての問題だが。)

実は旅行代理店で切符を購入すると、手数料が30〜50元もかかるというのだ。宿代並みの手数料を払うのは、さすがに敬遠したかった。ガイドブックには「上海駅には外国人用の切符売場がある」という記述もあったので、僕はそこを利用するつもりでいたのだ。

上海駅で外国人用の切符売場はすぐに見つかった。その切符売場で僕は日付と目的地を告げ、硬臥(二等寝台)が予約できるか尋ねてみた。空席はあるようで、服務員の女性は「410元」と僕に言う。僕は100元札を5枚渡し、切符と釣りを受け取った。そして釣り銭の金額に間違いがないかその場で確認すると、案の定というか何というか、とにかく何故だかわからないが5元足りなかった。5元ぐらいと言いたいところだが、5元あればミネラルウォーターを2本は買えるのだ。あと5元返してもらわなければ。

「切符は410元でしょう、あと5元足りないよ。」
 僕が服務員にそう言うと、
「5元は手数料。」
 と、彼女は僕に答えた。

彼女は僕に「切符をよく見なさい」というように、僕が手にしていたピンク色の切符を指差した。切符を見ると、確かに「手数料 5元」と書いてあった。服務員のほうが正しかったのだ。僕は彼女に謝って引き下がった。それにしても外国人用とはいえ、公営の窓口で手数料がかかるなんて、僕は中国を侮っていたようだ。まあ、それでも旅行代理店で頼むよりは安いだろう、そう自分を納得させることにした。



その日の夜、僕は昨日の店で夕食を取ることにした。昼間歩き回ってさんざん汗をかいたので、ビールも飲みたいところだ。店に入ってテーブルに着き、メニューを見せてもらう。でも昨夜もそうだったのだが、漢字で書いてあるというのに、やっぱり料理の内容がよくわからない。例えば「〜〜肉面」とか書いてあれば、肉を使った麺なのだろうというのはわかるが、それが日本で言うところのラーメンなのか、それとも焼きそばのような料理なのか、それさえも想像できない。かといって二日続けて「ホイコーロ−」を食べるのも芸がない。

あきらめて僕は小姓を呼び、メニューを指差して「これはどんな料理なの?」と英語で尋ねてみた。すると、ある程度予想していた事だが、英語は全然通用しなかった。小姓は僕が中国語が話せないのをわかっていたが、かまわず中国語で説明する。でも彼女の話す内容は、僕にはさっぱり理解できない。

小姓と僕が不毛なやり取りをしていると、近くのテーブルにいた20代中頃と思われる女性客が見かねたように僕に声をかけてきた。

「何が食べたいの?」
 英語だった。
「英語を話せるの?」
 驚いて僕は尋ねた。
「ええ。」
「注文したいんだけど、メニューが読めないんだよ。」
「いいわ、説明してあげる。」

彼女はそう言うと僕の隣に座り、メニューに書いてある料理をひとつひとつ僕に説明してくれた。料理の内容がわかった僕は注文したい料理を決めて彼女に伝え、

「ビールも注文したいんだ。」
 と、付け加えて言った。すると彼女は

「普通のビールでいいのかしら?」
 と、僕に訊き返してきた。妙な言い方だった。まるで何か特殊なビールも扱っているようにも思える言い方である。でも僕は普通のビール以外にどんなビールがあるのか知らなかった。だから

「他にどんなビールがあるんだい?」
 と、尋ねてみた。
「冷やしたビールもあるけど。」
「・・・もちろん、冷たいビールがいいよ。」

ひょっとしたら中国では「冷えてないビール」を飲む人達のほうが一般的なのかもしれない。彼女は店の小姓に、僕に代わって注文してくれた。僕の希望通り、すぐにビールとグラスが運ばれてきた。ビールはとても冷えていた。

「君も飲むかい?」
 一人で飲んでは悪い気がしたので、彼女にそう言ってみると
「いらないわ。もう行かなくちゃいけないから。」
 と、答えながら彼女は席を立つ。

「ありがとう、君のおかげで助かったよ。」
 僕は礼を言った。
「いいのよ、気にしないで。手数料も無しにしておいてあげるわ。じゃあね。」
 彼女はそう答えた後、僕に手を振って店を出ていった。

『手数料も無しにしておいてあげるわ。』

気の利いたジョークと思いたいところだったけれども、なにしろココは中国だ。案外半分くらいは本心が入っていたのかもしれない。僕は苦笑しながら、『普通じゃないビール』を飲んだ。


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