僕のタボラというタンザニア内陸部の街での滞在は、全くもって予定外のことだった。それまでタンザニア西端のキゴマという街にいた僕は、そこから列車で一気にタンザニア東端のダルエスサラームへと移動するつもりだったのだけれど、いざ切符を買おうと思ってキゴマ駅に行ったところ、切符販売窓口の係員から

「ダルエスサラーム行きは2週間後まで予約で埋まっているよ」

 と、言われてしまったのである。しかしながらキゴマはタンザニア鉄道の終着駅がある街にもかかわらず、その規模は田舎町と形容するのが妥当なところであり、滞在を更に2週間延長したところで暇つぶしに苦労するのは目に見えている。だから僕は何とかして列車の切符を購入しようと思い、係員に対して

「キャンセル待ちを申し込むことはできませんか?」

 などと言って執拗に食い下がっていたら、係員は面倒くさがりながらも調べてくれ、結果としてキャンセル待ちはできないものの

「ダルエスサラームまでは無理だが、途中のタボラまでなら席はあるぞ。」

 という回答を、僕は得ることができたのである。係員によればタボラはタンザニアのなかでは中規模の都市であり、そこからは他の都市へ向かう長距離バスも出ているとのこと。そういうわけで僕はとりあえずタボラまで列車で移動し、そこからはバスを乗り継いでダルエスサラームまで行くことを決め、係員が勧めにしたがって切符を買ったのだった。

その翌日、僕は18:00発の列車でキゴマに別れを告げる。買ったチケットは2等席のもので、6人用のコンパートメントだった。毎度のことだが、このあたりでは東洋人が珍しいので周りの席のタンザニア人の男達から沢山話しかけられるのに多少ウンザリしながらも深夜まで彼等の相手をし、それから就寝させてもらうことにした。

出発してから11時間後、列車はほぼ定刻どおりにタボラ駅に到着。列車での移動はエジプト以来で本当に久し振りだったせいか、僕はあまり上手く眠ることが出来ていなかったのだけれど、とりあえず今日泊まることのできる宿を探さなくてはいけないので、バックパックを担いで街の中心部まで歩くことにする。

しかしここでも列車の中と同様に、ただ歩いているだけで地元の男達から声をかけられる。タボラは観光地ではないので、彼等は客引きではない。ただ僕のような人間が珍しくて声をかけてくるのであるが、こちらはまだ宿探しの途中である。

だから彼等にそうそう付き合ってもいられないので、声をかけられても適当にハナシを切り上げさせてもらって、宿探しを続けていたのだけれど、ある一人の中年男性から声をかけられたときはちょっと驚いてしまい、結果としてかなり長い時間会話をしてしまった。僕が驚いた理由は彼が

「ニホンジンデスカ?」

 と、日本語で話しかけてきたからである。たとえそれがカタコトの日本語であったとしても。



僕に日本語で声をかけてきたその中年男性は フランシス・マイゲ と、自己紹介をした。職業はこのタボラにある学校の教師をしているのだそうだ。言われてみると確かに、このあたりの地元の男性にしては珍しく、襟のついた白いシャツに折り目が入ったスラックスに革靴という、いかにも教師らしい、しっかりとした服装だった。

マイゲさんの日本語は本当にカタコトのレベルだったので、自己紹介の後は言葉を英語に変え、僕に声をかけてきた理由を説明してくれたところによると、以前にマイゲさんが教師をしている学校にJICA(青年海外協力隊)で派遣されてきた日本人が4名滞在していて、学校のために尽力してくれたそうなのだ。

それはもう10年以上も前のことだそうだが、マイゲさんはそのときの日本人達にお世話になっ事を今も忘れてはおらず、バックパック担いだ東洋人が歩いているのを見かけて、「ひょっとしたら日本人ではないか?」と思い、声をかけてみたのだという。

それから僕は宿を見つけねばならず、またマイゲさんも用事があったため、道端での会話を続けることはできなかったが、別れ際にマイゲさんが「是非学校に遊びに来てください」と言って学校の住所をメモに書いて渡してくれたので、その翌日に僕は彼の学校を訪問することにした。メモには

「ミランボ セカンダリー スクール」

 と書いてあった。セカンダリースクールという言葉は直訳すると『2番目の学校』という意味になるが、その対象となる学校の位置づけは国によってまちまちである。日本だと2番目の学校というと中学校になるけれど、義務教育が2段階に分かれている国は海外ではどちらかというと少数派だ。

海外の国々ではプライマリースクール(小学校)を卒業してから更にもう一度義務教育を受けるという日本のような制度を採用している国は少なくて、セカンダリースクールは高等学校のことであることが多い。そしてこのミランボセカンダリースクールもやはりそうであった。

学校の入口から敷地内を覗いてみたが、あいにくと人影が見当たらない。なので勝手に入らせてもらい、ウロウロとしていると、職員らしき男性から声をかけられたので、「この学校のマイゲ先生から招待されて来ました」

 と説明したところ、「マイゲ先生は今授業中なんだよ。授業が終わるまでここで待てるかな?」 と言われたので、僕は待たせてもらうことにする。時間はあるので、待つのは全然問題ない。むしろ不審者と思われて追い返されなくてよかった。

やがて授業を終えたマイゲ先生が迎えに来てくれた。彼は僕の訪問をとても歓迎してくれて、学校を案内してくれるというので、ありがたくお願いすることにする。校内を歩きながらマイゲ先生が説明してくれたところによれば、このスクールには約700人の学生が在籍しているという。授業科目は英語・フランス語・国語(スワヒリ語)・数学・化学などで、このあたりは日本の高校と変わりがない。

マイゲさんは学校の隅々まで案内してくれた。校舎だけではなく、調理場(キッチンではなく、給食を作っているかなり大掛かりなところ。)や寄宿舎(本当の意味でのドミトリー。実家から通学できない学生達が住んでいる。)まで見せてもらえたのは、僕にとって得難い経験だった。それから

「学生達に会ってみたいです」

 と、僕が希望すると、マイゲさんは授業時間の合間に教室の中まで案内してくれた。学生達は外国人のいきなりの訪問に最初は戸惑っていたようだったけれど、少しするとすぐに打ち解けて、英語でコミュニケーションが取れるようになる。

彼等は皆おそろいの黄色いTシャツを着用していた。聞いてみるとユニフォーム(制服)なのだそうだ。あと、彼等と話をしていて、僕が気になったことがあった。しかもそれはとても重要なことのように思えたので、はばからずにそのことについて質問してみる。

「女子高生はいないの?」

 彼等の返答によれば、(予想はしていたけれど)ミランボセカンダリースクールは完全な男子校なのだそうだ。女子には他に学校があって、そちらに通っているのだという。そのハナシを聞いてちょっと残念だなと思った。僕がじゃなくて、あくまで彼等がである。

学生達の年齢は16歳か17歳だった。そのくらいの年齢なら女子にも興味があるだろう。共学だったら良かったのに。高校生活の思い出が勉強だけじゃ寂しすぎる。例えば卒業式で後輩の女子学生から「制服のボタンをください」と、お願いされるというようなこともないのだ。いや、これは元々無理か。皆Tシャツだから、ボタンはついていない。

そんなタンザニア男子高校生の卒業に関するどうでもいいことを考えていたら、ふと、「卒業といえば、ここの学生達は卒業したら、どういう進路をとるのだろうか?」という疑問が頭に浮かんできた。働きに出るのか?それとも大学へ進学するのだろうか?学生達に挨拶をして教室を出た後、彼等の卒業後の進路について、マイゲさんに質問したところ、その返答は

「大学進学はかなり難しい」

 というものだった。

「それは学費とかの金銭的な問題ですか?」

 僕はマイゲさんに訊きかえした。

「それもあるけれど、学力の問題もあるんだ。いや、ここの生徒達はみな優秀だよ。だがね、それでも大学進学は余程のことがない限り難しい。知っているかい?タンザニアには大学がひとつしかないんだよ。」

 このマイゲさんの回答には流石に驚いた。タンザニアは人口が5千万人近く、国土は日本のおよそ2.5倍である。そんな大きな国の中に大学がひとつ(ダルエスサラーム大学)しかないなんて、にわかには信じられない。日本のように何百もの大学があって、より好みさえしなければ誰でも入学できるような教育環境とは僕ももちろん思っていなかったけれど、でもまさかひとつしかないなんて、これは想像の埒外だった。これだと大学へと進学するなんて、優秀な学生の中の更に一握りにしかできないことだろう。



学校の中を一通り案内してもらい、これ以上マイゲさんの授業やお仕事の邪魔をするのも悪いと思い、「そろそろ帰ろうと思います」と、マイゲさんに伝えたところ、逆に引き留められた。ハナシを聞くと、僕に何か頼み事があるらしい。どんな頼み事なのかと尋ね返すと

「実はうちの『ボス』が君に会いたいと言っているので、話をしてほしいんだ。」

 と、マイゲさんは答えた。

「ボス?」

「校長先生のことだよ」

 と、彼は返答した。欧米では会社のトップのことを『ボス』という言葉で指すことがよくあるけれど、教育団体にもそれが当てはまるとは知らなかった。まあ何にせよ、アフリカで校長先生と話すという機会もなかなか無いだろうから、僕は快くマイゲさんの頼みを受け入れることにした。

マイゲさんに言われるままにボスと会ってみた印象だが、さすがにトップの人物らしく、マイゲさんよりも更に立派な服装をした恰幅の良い男性だった。そしてただ良い身なりをしているというだけでなく、何かこう、風格のようなものが感じられた。校長先生というよりは「やり手のビジネスマン」というのが僕の彼に対する第一印象だった。

ボスは会うなり僕の手を取り握手をし、それから自己紹介をする。それに対して僕は学校を見学させてもらったことに対して謝辞を述べた。すると彼は続けて

「ウチと姉妹校提携してくれる、日本の学校を紹介してくれないだろうか?」

 と、言ったのだった。それはどちらかと言えば、「お願いします」というよりは、「もちろんやってくれるよね?」という、半強制的なニュアンスがひしひしと伝わってくるような、そんな彼の申し出だった。僕はなんだか自分が彼の部下になってしまったような錯覚に陥ってしまいそうになった。

とはいえ、僕はJICAのボランティではなく、ただの旅行者である。日本にいた頃だってただの会社員で、教育委員会なんかに何のツテもない。流石に今の僕には手に負えない案件である。いや、そもそも初めて会った人間に『姉妹校提携』のような大きな仕事を依頼するのボスの方もどうかしていると思う。だから申し訳ないけれど、ボスの依頼はお断りすべきところなのだが、彼の表情を見ているとどうにも断りづらく、僕は悩んだ結果、正直に

「上手くやれるかどうかわかりませんけど、僕にできるだけのことはトライしてみます。」

 と、答えて僕はスクールを後にした。



僕がアフリカの旅を終えて日本に帰るのがいつになるのか、その見通しはまだ全く立っていない。でもとりあえず、日本に帰国してからやらなければならない事はもう決まってしまったようである。それは帰国後の公的手続や再就職活動ではなく、実家近くにある僕がかつて通った高校へ行き、校長先生に面会して

「ボス、タンザニアのタボラにある ミランボ セカンダリー スクール と姉妹校提携しませんか?」

 と、お願いすることである。僕の母校がそれを受けてくれるかどうか、全く自信が無いけれど。


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