THE FIRST DAY

ハルツーム行きのバスがワディ・ハルファを出発したのは夕方だった。バスがいつ出発するのか全くわからないという不安からターミナルに野宿までしたというのに、結局は更に半日も待たされることになったわけである。でも今日について言えば、僕等はその夕方までの時間を上手に使うことができたと思う。

「この様子だと、どうせすぐには出発しないだろう。」

 朝ターミナルで目を覚ましたとき、そこに人影がほとんど無かったことから、そう判断した僕等は昨日のように時間を無為に過ごすことがないよう、行動することにしたのである。荷物の番をするために(あるいはバスの出発を逃さないように)交代しながら常に一人はターミナルに残るようにして、他の二人が動くことにした。

僕等がしたことのなかで、最も重要なことは「レジストレーション(外国人登録)」である。外国人旅行者はスーダンに入国してから3日以内にこれを行わなければならないことになっている。当初僕等はハルツームで行うつもりでいたが、この状況を利用してワディ・ハルファで済ませてしまうことにしたのである。

このレジストレーションのためにエイリアン・オフィスという役所に行く。そこでは様々な部署をたらい回しにされ、更には7,000スーダン・ディナール(30USドル)という高額な費用を支払うことになった。役所の非効率さというのは何もスーダンに限ったことではないから、まあ別にそれはいい。ただ、支払った費用については、外国人旅行者の立場からすると今ひとつ首肯できかねる。だって僕等は入国前にヴィザ取得費用として既に100USドルも支払っている。それなのにどうして入国後にもまた何十ドルも払わなければならないのだろう?

でもまあ結局は、「それがスーダンでの決まりなのだから」と、無理矢理自分を納得させる。文句を言ったからといって無料で外国人登録できるわけようになるわけじゃないし、支払いを拒否したところで、不法滞在者として扱われるというデメリットしかないのだから。

その後は定食屋(のような店)で食事をしたりして時間を使っているうちに夕方になった。この頃にようやくバス・チケットが定員分さばけたとのことで、待ちに待った出発である。一時は「下手したらもう1泊するハメになるんじゃないだろうか?」なんて考えていただけに、正直安堵した。ただ、安堵したのは、ほんの少しの間だけだった。出発したら出発したで、今度はまた別の苦労が僕等を待ち受けていた。

苦労の第一はバス内部の環境である。車体は見るからにオンボロだったが、内部はそれに輪をかけてひどかった。座席間のスペースは無いに等しく、足を伸ばす事はできない。

恐らくは元々あったシートをいったん全て取り外し、前後の座席との間隔を狭く配置し直すことによってシートを追加し、より多くの客を載せることができるようにしたのだろうけど、おかげで窮屈さはより悪化している。

また座席そのものについても固い、背もたれは直角と、先日利用したエジプト - スーダン間の定期船に負けず劣らずの酷さである。ただ席に座っているだけならそうでもないのだが、バスが走り始めると、その悪影響をダイレクトに受ける。

砂漠のなかに道は無い。当たり前のハナシだが、バスは砂の上を走ることになる。砂漠というのは一見すると平らな砂面が続いている印象だが、実際にはかなりの起伏がある。

その起伏のある砂の上を通過するとどうなるのかとういうと、バスは文字通り「飛び跳ねる」という表現が誇張ではないくらいに激しくその車体を上下左右に揺らす。バスがオンボロなのでサスペンション(防振装置)が装備されていないのか、装備されていても効果が現れていないのかよくわからないけど、とにかく揺れる。そうなると椅子の固さや傾斜の無い背もたれには本当に泣かされる。

それから暑さもかなりのものである。砂漠の外気温は50℃くらい。日本人の感覚からするともうこれだけでかなり苦しい。おまけにエアコンを装備していない車内に多くの人間が押し込まれているだけに圧迫感も相当である。また壊れていて閉じることのできない窓からは遠慮なく熱砂が入り込む。オンボロバスとはいえ、いちおう屋根はついているので、直射日光を受けなくてすむというのが唯一の救いであるが、それでもとにかく暑いのでどんどん水を飲んでしまう。

僕等3人はこの「砂漠越え」のために、一人当たり6リットルの飲料水をワディ・ハルファで購入し、バスに持ち込んだ。予定ではハルツームまで24時間、僕等としてはかなり多めに用意したつもりである。しかしこのような環境だと予測よりも早いペースで飲料水を消費してしまうかもしれない。バスには「ナイル川で汲んだ水」というものがタンクで備蓄されているけれど、進んで飲みたくなるようなシロモノではない。

電車ではなくバスの利用を決めた時から、恐らくこの砂漠越えは苦しいものになるであろうと、僕等はあらかじめ予想していた。そしてそのための準備も心構えもしてきたつもりである。しかし実際に走り出してみると、僕等の予想なんて本当に甘いものだったということが、今更ながらよくわかる。

「たった24時間の辛抱だよ」

 僕等3人は互いにそう言いながら励ました。でも、「バスは本当に24時間でハルツームに到着するのだろうか?」ハルツームまで24時間という情報を信じたいのは山々だったが、でもそれと同時に僕等は「ひょっとしたらもっと時間がかかるのではないだろうか?」そんな疑問を拭い去ることもできなかった。何故なら様々な要因が度々バスの運行を中断させたからである。ちなみに要因の一つは、『サラート』であった。

サラートというのはイスラム教の礼拝のことである。この礼拝のためにバスは1日5回、その定められた時間になると、(たとえそこがどのような場所であったとしても)停車することになった。何故かというと乗客のほとんどがムスリムで、サラートはムスリムにとって宗教上の義務だったから。

彼等はバスを降りると誰からともなく整列を始め、それから素足になり、メッカの方向を向いて跪き、そして祈る。スーダン人乗客もエジプト人乗客も皆祈っていた。祈っていないのは僕等日本人だけである。

僕は彼等が祈る姿をかなり注意深く観察していた。ただそれは、ムスリムが礼拝を行う光景に驚いたから、というわけではない。彼等の礼拝について言えば、僕は過去に訪れたイスラム圏のモスクなどで何度も目にしたことがある。今回僕が彼等の行いをそこまで注意深く観察したのは、ひとつ不思議に思ったことがあったからである。それは

「いったい彼等はどうやってメッカの方向を確認しているのだろうか?」

 という疑問であった。通常モスクなどの礼拝所では、メッカの方向は誰にでもわかるようになっている。しかし今僕達がいる場所はヌビア砂漠であり、砂漠には方角を教えてくれるものなんて存在しない。彼等はいったいどういう方法をとったのだろう?

実を言うと僕は時刻と太陽の位置から方角を割り出す術を知っている。これは以前の長旅で知り合ったバックパッカーから教えてもらった『旅の技術』である。ただそんな僕でも、今メッカの方向を正確に知ることはできない。何故ならそれをするには方角以外にも現在位置の把握が不可欠だからだ。僕にはこの広い砂漠の中のどのあたりに自分がいるのかよくわからない。でも今メッカに向けて祈っている彼等なかには、恐らくそのことを知っている人間が(多分ドライバー)いるのだろう。

この祈りの時間を除き、バスは砂漠を走り続ける。だが夜になるとその走りは再び中断された。バスがストップした場所はこれまでの道程と同じように見渡す限りただの砂漠であり、四方八方見渡しても視界には集落らしいものは何一つ無い。

他の乗客に質問すると、どうや次の出発は翌朝らしい。まあ夜の運転は危険だし、ドライバーだって休憩をとらなくちゃいけないっていうのはわかる。でもこの何も無い砂の上でできることなんて限られる。唯一思いついたのは眠ることだったので、僕等はそうすることにした。

ただ、僕はなかなか寝付くことができなかった。いや僕だけでなく、M人クンもR輔クンもそうだった。何故寝付くことができなかったかというと、暑かったからである。僕等は他の乗客達とともに窮屈なバスを出て、砂の上に寝転んでいた。しかし外気温は深夜零時を過ぎても30℃を下回ることはなく、日本の熱帯夜をはるかに凌ぐ暑さである。日本の出版社が発行するガイドブックはよく世界各地の砂漠について

「昼と夜で寒暖の差が激しく、昼はTシャツ1枚でも大丈夫ですが、夜は上着が必要です。」

 と説明しているけれど、上着なんてとんでもない。今この場所でそんなことをするのは、防寒着でサウナに入るようなものである。寒暖の差が激しいのは事実だけれど、気温が30℃以上もあるというのに、さすがに上着は必要ない。想像するに、ガイドブックの記載は恐らく砂漠に対する一般的・平均的な説明なのだろう。

例えば季節が冬、いや冬でなくても春や秋であったとすれば、あるいは僕等も上着が必要だったかもしれない。しかし今の季節は八月、平均的な季節とは言いがたい。少なくともヌビア砂漠の夏の夜については、Tシャツ1枚でも寝付けないほど暑かったのだ。



THE SECOND DAY

砂漠に朝日が昇り、目を覚ますと、自分の髪も肌も服も砂まみれになっていることに気付いた。砂の上に直に横になって寝ていたせいだ。洗顔したい気分だったが、もちろん貴重な水をそんなことに使うことはできない。他の乗客達ともにバスに戻ると、ヌビア縦断の移動が再開されることになった。

バスは南へ向かってただひたすら走り続ける。車窓から見える風景は砂漠と空だけだ。ヌビア砂漠の中央を南方へ向かって縦断するルートは、ワディ・ハルファとハルツームを結ぶ列車のそれと同じだと僕は考えていたのだが、どんなに目を凝らして窓の外を眺めてみても、線路らしいものはまったく見つからない。どうやらバスは列車と平行して走っているわけではないようだ。

夜間に30℃前後だった気温は時刻が正午に近づくにつれて次第に上昇していき、やがて再び50℃くらいになる。おかげでただ座っているだけだというのに、かなり消耗する。それから水もどんどん飲んでしまう。昨日6リットル用意したミネラルウォーターも、この時点でもう1リットルくらいしか残っていない。

昼前に一度、バスは砂漠の中の小さな集落に立ち寄る。このとき僕は「助かった」と思った。ここで無くなりかけた飲料水の補充ができると考えたからである。しかしその前に、全ての乗客は集落の入口でIDをチェックされる。僕等日本人についてはIDのチェックだけでなく、ポリスのような人物から様々な質問をされ、他の乗客よりも余計に時間がかかる。正直暑さのせいもあってイライラしていたが、問題を起こして集落に入れなくなっては困るので、我慢強く応対する。

しかしそんなふうにして立ち入ることを許された集落には、商店なんて気の利いたものは全然無かった。また物売りもいなかったので、飲料水を買うこともできなかった。結局この集落に関して特筆すべきこととなると、トイレを使用させてもらったことと、『刑務所』の存在だけである。僕自信は気が付かなかったが、R輔クンが

「手錠をかけられた囚人達を見たんです。村人かと思って、間違えて話しかけちゃいましたよ。」

 と、教えてくれたのだ。別にそんなこと教えてくれなくてもよかったのだが、いずれにしてもこのような場所に刑務所を建てるというのは案外良いアイデアかもしれない。少なくとも囚人達が脱走するということはないだろうから。逃げ出したってどこにも行けはしないのだ。この砂漠の中では。

この集落を出てから数時間砂漠を走った後に、バスはまた別の街に到着する。今度は先程の集落とは違って街と呼んでもさしつかえないくらいの規模だった。この街でバスを降りるやいなや、僕等はすぐに商店に飛び込んで、ジュースを買ってラッパ飲みする。ちなみに僕は瓶入りのコーラやファンタといった炭酸飲料をを3本立て続けに飲み干した。実を言うと僕はもう何時間も前に自分の飲料水を消費し尽していたのである。この街に到着するのがもう少し遅かったら、他の二人に水をわけてもらうか、「ナイル川から汲んだ水」で喉を潤さなければならないところだった。

僕等はこの商店でこれからまた必要になると思われる飲料水を充分に買い込み、それから少し街を歩く。到着したときは飲み物を購入できる場所を探すことしか考えられなかったので全然気が付かなかったが、落ち着いて街を散策してみると、この街には線路と鉄道駅があることがわかった。ヌビア砂漠のなかで鉄道駅を持つほどの規模の大きな街は数えるほどである。地図から判断するに、恐らくは砂漠の中央に位置するアブ・ハメドという名の街だと思われる。そしてその事実は僕等がまだ全行程の半分も進んでいないことを意味していた。あと数時間もすれば予定の24時間が経過するというのに。

アブ・ハメドでの休憩を終えると、バスはハルツームへ向けて再出発する。しかし1時間くらい砂漠を走ったところで突然停止してしまう。「やれやれ、またサラートか・・・。」と思っていたら、ドライバーの様子が何だかいつもと違う。それに誰もお祈りしようとしない。いったいどうしたのだろう?と思って周りの乗客に状況を確認すると、バスが故障したのだという。

砂漠の中での立ち往生で、特に何ができるわけでもない乗客達はバスを出て、ドライバーが修理を始める様子を眺めている。バスの外が暑いのは承知していたが、なにしろ内部は窮屈なので(おまけに退屈なので)、ほとんどの乗客達がバスから出ていた。僕等は「どうせすぐに直るだろう」、というかなりお気楽な感覚でいたのだ。

でも実際には、修理はなかなか終わらなかった。あんまり時間がかかるので、そのうち修理を見物していた乗客達もバスの中に戻っていく。まったく、「旅にトラブルはつきものだ」とはよく言われるが、同じ中断でもこれならサラートほうがよっぽどマシだった。サラートの場合1日に何回もバスの運行を止められるのは面倒だが、それでも時間の見当はつく。

でも今行われているいる修理はそうじゃなかった。修理の時間が長くても、あと何時間で終わるというのがわかっていればまだよい。しかし周りの乗客達に尋ねても、今回はそれが全然わからないという。そしてその先行き不透明なことがやがて、「このバス本当に直るのだろうか?」という不安に変わっていく。

もしこのままバスが直らなかったら、僕等はどうなるのだろうか?こんなところで『渇死』なんてハッキリ言ってごめんだ。人間にはいろいろな死に方があるのだろうけど、渇きに苦しみぬいたあげくに死ぬなんて、僕の好みではない。もちろん『渇死』というのは最悪のケースに陥った場合の話である。でも砂漠では対応をひとつ間違うだけで簡単にその最悪のケースに陥ってしまうこともあるのだ。僕は日本にいるときにある漫画で読んだのだが、その漫画の中で、(砂漠に取り残された)主人公の男性が

「ふつう、人間は水分を摂らなくても3日は生きることができる。しかし砂漠では直射日光とそれに焼かれた大地が人間の水分を蒸発させ、体液を沸騰させる。砂漠の暑さのなかでは僅か15%の脱水症状でも、人間は死んでしまう。(水なしでは、)時間にしてたった2時間で、人は簡単に死んでしまうんだよ。」

 そんな発言をしていたことを、僕はドライバーがバスを修理するのを見ながら思い出していた。直近の街まではクルマで1時間だ。だがその時間的距離を(徒歩で、しかも砂の上を)行こうとするとして、いったいどれだけの時間がかかるのか?昼間にそれを(水分補給なしで)行えば、この暑さでは身体の15%の水分なんて簡単に失われてしまうだろう。街に辿り着くまでに渇死するのは間違いない。

かといってこのままここでじっとしていたとしても、もしバスが直らず、そして救援も来なかったら、どうなるのか?バスの車内で直射日光は避けられるかもしれないが、僕達は手持ちの飲料水だけでなく、「ナイル川から汲んだ水」さえも飲みつくし、やがては干からびて死んでしまうのだろう。それが嫌なら、昼の間はバスの中で直射日光を避け、陽が落ちてから行動を開始し、そして夜間に(水分補給しながら)砂漠を歩き、夜明けまでにアブ・ハメドに辿り着くしかない。僕はドライバーがバスの修理を続けるのを眺めながら

「ああ、どうしてわざわざ夏を選んでにヌビア砂漠になんか来ちゃったんだろう?」

 そんなことを考えているとM人クンが

「こうなるとわかっていたら、『砂漠ツアー』なんかに参加するんじゃなかったよ。」

 と、唐突に言う。そしてそれに同意するようにR輔が

「僕も『本当の砂漠』にいるような気がします」

 と、答えた。

M人クンに詳しく尋ねてみると、彼はエジプトのカイロで『砂漠ツアー』なるものに参加したのだそうだ。でも後に
スーダンでこれだけ砂漠を直に経験することになるとわかっていたならば、わざわざそういうツアーに参加することはなかっただろう、ということらしい。

僕もカイロには滞在していたけれど、その砂漠ツアーというものには参加しなかった。だからその実態がどういうものなのかということについては、よく知らない。でもM人クンのハナシから想像するに、きっとそのツアーでは砂漠の良い面しか見えないのだろう。砂漠の雄大さや砂丘の美しさを見ることはできても、砂漠の怖さについて感じることはないのだろう。

その後、修理を終えたドライバーが、「バスは直せない」と言う。おいおい、それで僕達はこれからどうすればいいんだ?と、思っていたら、「バスを直すことができるアブ・ハメドまで戻る」という。何のことは無い、バスが故障したのは事実だが、全く走れないわけじゃなかったのだ。ただこのヌビア砂漠を最後まで縦断するには、どうしても修理が必要だったということらしい。そのことを聞いて僕は

「少しでも走れるのだったら、どうして最初から素直に街へ戻らなかったんだ?」

 と、さすがにドライバーを罵りたくなった。でももちろん、実際はそんなことしなかった。そんなことしたって無駄にした時間が返ってくるわけでもないし、だいたいこの暑さでは怒るだけで疲れが増してしまうのがわかっていたから。

それからいったんアブ・ハメドへ戻り、そこでの修理を終えたバスは今度こそ本当にハルツームを目指して南下する。当初考えられていた24時間はもう何時間も前に経過していた。修理のかいがあったのか、バスは快調に走ったけれども、でも結局は二日目のうちに首都に到着することはできなかった。日没時にアトバラという名の、ちょうどアブ・ハメドのような砂漠の中では比較的大きな街に辿り着くのがやっとだった。ハルツームまでおよそ300km、全行程の約3分の2の地点である。

バスは街外れにあるガソリンスタンドに停車し、乗客達はそこで再び野宿となる。僕等日本人グループに限っていえば、これで3日連続の野宿となった。けれどもその事に対して文句を言う気力も、どのような種類の感情さえも持ち得ることができなかった。3人とも何かを考えるには疲れ過ぎていたのだ。



THE THIRD DAY

早朝にバスはアトバラの街を出る。ここからハルツームまでの行程は全て舗装道路である。最初のうちは砂漠が1本のアスファルト道路で分断されているだけの眺めが続いたが、やがてその風景に人家や、これまで全く見られなかった木々さえも確認できるようになっていった。それから暑さについても少しずつではあるが、確実に和らいできている。

バスがハルツーム郊外のターミナルに到着したのは夕方の17時。ワディ・ハルファを出発してからちょうど48時間が経過していた。タクシーで市内中心部に移動し、安宿にチェックインした後に僕等が真っ先にした事は、宿の前にあったジュース・スタンドで1杯50スーダン・ディナール(25円)のフレッシュ・ジュースを立て続けに飲み干した事である。それ以外にやりたいことは、何も無かった。


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