結局エジプトには半月以上も滞在したのに、ピラミッドを見に行くことはついに無かった。しかしながらそのことについて後悔したことは一度もない。これはエジプトを出国してからそう思うように努めたわけではなく、カイロに滞在していたときからピラミッドを観光するつもりは全然なかった。いやもっと正直に言うならピラミッド観光に関しては、そもそもエジプトに入国する前から興味が全く無かったのである。

カイロに滞在しているときに、僕は同宿のバックパッカー達から何度かピラミッド観光を誘われたが、その都度それを断った。しかしながらその作業は、口で言うほど易しいことではなかった。宿で「もうピラミッド観ましたか?」と、質問されるたびにウンザリしたものである。僕が質問に対して正直に「いいえ」と答えると、十中八九は「じゃあ一緒に行きませんか?」と誘われることになるのだが、まあこれは当然の流れだ。しかし僕はピラミッドに行く気は全然ないので誘いを断らなければならないのだが、それがとにかく面倒だった。正直に「興味がない」と答えても、まずほとんどの人が納得してくれなかったからである。なかには僕の説明が信じられずに

「ああ、わかった。観光を否定しているんだ? そういう人、たまにいるからね。」

 そんなふうに言う人までいた。しかしながらその推測は明らかに間違っていた。僕はカイロで観光しなかったわけじゃない。これでも僕はヴィザの発給を待つ間に、そこそこ出歩いた。カイロ動物園に行ったし、カイロタワーにも登ったし、わざわざ船に乗ってナイル川のダムさえ見に行った。しかし僕がそう主張しても彼等はなかなか納得しなかった。彼等にしてみれば、(そんなところに行くよりも)せっかくエジプトに来たのだからピラミッドやスフインクス、あるいはツタンカーメンの秘宝を見ることができる考古学博物館に行くべきであり、それなくしては

「エジプトに来た意味が無い」

 のだそうだ。まあ僕にも彼等の言っていることは充分に理解できた。実際にそういう旅行を実践しているバックパッカーを過去にも大勢見たことがある。彼等にしてみればニューヨークに行ったのなら自由の女神、パリに行ったのならルーヴル美術館、シドニーならコアラ・パークを見なきゃ始まらないわけで、ようするにカイロに来たならとにかくピラミッドに行けばいいということなのである。

そしてそういう考え方をする人達を、「ピラミッドに興味が無い」という回答で納得させるのは(たとえそれが本当の理由であったとしても)容易なことではない。旅行でエジプトに来ておきながらピラミッドを無視して動物園を見学するような人間は、まあ犯罪者として裁判にかけられるとまではいかなくても、残念ながら「彼はかなりの変人だ」くらいには思われてしまうのである。

そうなってくると誘いを頑なに拒否して変人扱いされるのが嫌ならば、興味が無いという本心を偽ってピラミッド観光に付き合うか、あるいは別の理由を引っ張ってきて彼等を納得させるしかない。そして僕の場合はどうしていたのかというと、後者のほうである。僕は

「ピラミッドはスーダンで見ようと思っているんだよ」

 そう言って誘いを断っていたのである。



ナイル川の中流域、現在のスーダン北東部にあたる地域にメロエという街がある。いや、正確には「あった」と言うべきだろう。なぜなら既にこの地方は砂漠に飲み込まれ、街は失われ、メロエという言葉はただ土地の名を指しているにすぎないからだ。

しかし今から2500年前には、メロエの街は確かに存在していた。アッシリアに滅ぼされた世界最古の黒人王国である『クシュ王国』を受け継ぐかたちで興った『メロエ王朝』はその都をメロエに定め、製鉄と商業をもって栄え、1000年間もの長きにわたってこの地方を支配した。

そしてそのメロエ王朝もやがてはエチオピアに滅ぼされることになるのだが、しかしこの王朝が滅亡してもなお世に残すことに成功したものがふたつある。ひとつは現代になっても未だ解読されていないメロエ文字、そして残るもうひとつが「ピラミッド」なのである。

欧米人向けガイドブックの記載や自分なりに集めた情報を綜合すると、メロエのピラミッドを見学するのはエジプトのピラミッドを見学するのと比べると、かなりハードなことのようだった。それはお金を払えばすぐに見学できるという類の観光ではなく、事前に幾つかの問題をクリアしなければならないことになっている。まず第一にスーダン政府の許可が必要だった。この国の遺跡を管轄する政府機関に出頭し、パーミッションを入手しなければならない。おかげで僕とR輔クンはまだ到着したばかりであまり詳しくないハルツームの街を、役所を探して歩き回るハメになった。

許可証を入手したら、二番目に問題となるのが現地までの足である。ピラミッドは灼熱の砂漠に存在するのだけれど、当然のことながらそういう場所に好んで行きたがる人間はそれほど多くない。だからもちろん、公共交通機関というのも存在しない。ではピラミッドまでどうやって行けばよいのかというと、ガイドブックによればまずハルツームの隣町、バフリまで乗り合いバスで行く。そして次にバフリのバスターミナルからスーダン北部へ向かう長距離バスに乗り、運転手に

「すみませんが、『アル・アフラム』(アラビア語でピラミッドの意味)に一番近いところで降ろしてください。」

 と、頼みなさいとなっている。そして僕はその文章に「なるほど」と頷きつつ、その続きを読む。そこからはどういう方法でピラミッドまで辿り着けばよいのだろうか?ヒッチハイクをするのだろうか、それとも現地の人からラクダを借りるのだろうか、そんなふうにいろいろと予想しながら読み進むとガイドブックには

「そこからはピラミッドまでは砂漠の中を歩きなさい」

 と、書いてあった。その一文を読んだときに僕にできた事といえば、ため息をつくことだけだった。ガイドブックが悪いのか、それともピラミッドの所在地のせいなのかはわからないが、いずれにしてもこれほどまでに観光する気をしぼませる文章を読んだのは、僕にとって初めてのことだった。



しかしそれでも僕とR輔クンは計画を断念することはなく、当日の朝にガイドブックの記述どうりにバフリに行き、まずはスーダン北部へ向かう長距離バスを探すことにした。すると上手い具合にアトバラという北部の街へ向かうバスがあったので、やはりガイドブックどうりに運転手に対してピラミッドに一番近い場所で下車できるよう頼んでみると、難なく承諾してもらえた。またそれに追加して

「終点のアトバラじゃなくて途中で降りるのだから、料金もディスカウントしてほしい。」

 と頼んでもみたが、残念ながらこちらは聞き入れてもらえなかったので、素直にあきらめることにした。やがてバスが出発すると、とりあえず僕等にできることはバスに揺られるだけ。ハルツームの街の風景はあっという間に砂漠のそれに変わっていった。

それからバスは数時間走ったのち、何も無いところで突然に停止する。どうやら「ピラミッドに一番近い場所」に着いたようで、僕等はドライバーに促されてバスを降りた。言うまでもないことだが、ここでバスを下車したのは僕等だけである。そこは僕等が移動してきた南北に走る一本の道路と砂漠以外には、何も無い場所だった。

ここから僕等はピラミッドまで、砂漠の中を歩いて進まなければならない ― それも誰の助けも無しに。となると僕等が真っ先にやらなくてはいけないことは、「この砂漠のどの方向にピラミッドがあるのかを知ること」だった。しかしながら辺りを見回しても、ピラミッドらしき建築物は見つからない。そこで僕はバッグからいつも持ち歩いているニコンのデジタルカメラを取り出す。そしてその電源を入れ、望遠機能を使ってファインダーを覗いてみる。しかし光学ズームできる範囲では、どの方向にカメラを向けてもそれらしいものはファインダーには写らない。そこで僕は更にズームの倍率を上げ、最大デジタル・ズームでもう一度ファインダーを覗いてみると、遠くに小さな山々が連なっているような風景がうっすらと見える。僕等はそれをメロエのピラミッド群と断定することにした。

それから僕等は遥か遠くにかすむピラミッドらしき面影を目指して、砂の上をただひたすら歩く、歩く、歩く・・・・・。気温は40℃をゆうに超えていたが、砂漠を焦がす太陽から身を隠す場所はどこにも無い。だから僕等は身体から失われていく水分をミネラル・ウォーターで補給しながら、ただただ歩き続けた。体力の消耗の速さのために僕等はほとんど口も利かなったが、しかしお互いが何を考えているのかはわかりあっていた。二人ともただ、「あのシルエットがピラミッド群のそれである」ことだけを切望しながら、歩いていたのだ。

熱射が容赦なく照りつける砂漠のなかをどれだけ歩いただろうか?ようやく僕等はそのシルエットまで到達した。そこにはどこまで続いているのか想像もつかないくらいに長い金網フェンスと、小さな建物があった。建物の中には1組の男女がいたので、「ここはメロエのピラミッドですか?」と尋ねてみると、女性のほうが頷いてくれた。そのとき僕等はホッと胸をなでおろした。

その小屋は遺跡の管理事務所のようで、僕等はその女性の指示に従ってフェンス内の敷地へ立ち入る手続きをする。そして連なるフェンスの間に一箇所だけ設置された入口を抜けると、そこには僕等が求めていたものだけがあった。つまり、そこにはメロエのピラミッドがあり、そしてそれ以外には何も無かった。

そこには本当に、ピラミッド以外には何者も存在していなかった。銃を携帯した警備員も、うるさい観光客も、執拗な土産物売りもいなかった。もし気取った言い方をするなら、「あたりは静寂に包まれていた」という表現が合っていた。違う見方をすれば、「単にさびれているだけ」だった。R輔クンは

「本当に僕達しかいませんよ。ピラミッド独占ですね。」

 と、呟いた。そして彼のそんな言葉に僕も素直に頷いた。

メロエのピラミッド群の風化は、僕が見たところかなりひどい状態であるように思えた。特に頭頂部が破損しているものが多く、なかには完全に崩れ落ちてしまっているものもある。そしてもちろん、修復の手が入れられた形跡は無い。もし『エントロピー増大の法則』の参考資料を探すとしたら、このピラミッドほど適したものは無いだろう。しかしそのおかげで、どことなく悲しげな風情を漂わせることができるのだから、皮肉なハナシである。

エジプトのピラミッドには、その保存のために世界各国から寄付が集まるというハナシを聞いたことがあるが、たぶんメロエのピラミッドに対しては、そのような援助は全く無いか、あったとしてもすごく少ないのだろう。同じピラミッドなのにどうしてそこまで差がつけられてしまうのか僕には全然わからないけど、とにかくこの荒廃ぶりを見ると、もはやスーダン政府だけでこれ以上の風化を防ぐのは難しいように思える。この遺跡があとどれだけの時間、ピラミッドの姿を保っていけるのか考えると、あまり良い予想が出てこない。

それから僕もR輔クンも、しばらくの間ピラミッドに見とれていた。このピラミッドには威厳とか壮大さといった類の印象は全く無いのだが、何かしら見る者を惹きつけるものがあるようだった。少なくとも僕等は惹きつけられた。僕はピラミッドを見上げながら

「どうやら苦労した甲斐はあったみたいだな」

 と、思っていた。僕は確かにエジプトのピラミッドは見なかった。だがエジプトならまた訪れることもできるかもしれない。将来僕がクフ王のピラミッド見たいと思えば、それを実現するのはさほど難しいことではないはずだ。しかし日本人にとってスーダンに来る機会というのは、そう度々あることじゃない。砂漠に立ってこのピラミッドを眺めていると、「やはり来てよかった」という思いがこみ上げてくる。



時刻が正午を過ぎると気温は更に上昇していった。このままいくと50℃を越えるかもしれない。飲料水は限られた量しか持ってきていなかったから、この灼熱の砂漠では長時間の滞在は難しそうだ。それにハルツームに戻るにはヒッチハイク以外の方法は無いから、路上でクルマを探す時間も考慮しなければならない。名残惜しいが僕等はピラミッドを後にすることに決め、さきほどの小屋まで戻ることにした。

そして砂の上を歩きながらフェンスのところまで戻ってきたとき、最後に僕はもう一度ピラミッドを見るために振り返り、それを目にしながらこう思った。確かにメロエのピラミッドは楽しい観光地でもなければ、著名な世界遺産でもない。エジプトのピラミッドのようにショーが上演されることもなければ、マヤのピラミッドのように「スターウォーズ」のロケ現場に使われることもない。

しかし少なくとも僕のような旅行者にとって、(ギザのピラミッドを見学せずにカイロ動物園に行く)僕のようなバックパッカーにとって、これ以上に似合いのピラミッドは他には無いように思えた。僕はまだメロエ以外のピラミッドを見たことは一度もないが、たとえ今後どれだけ多くのピラミッド見ようとも、その気持ちは変わらないような気がする。

それから僕等はヒッチハイクをするために、道路を目指して再び砂の上を歩き始めた。


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