そのとき僕は複数の警官を相手にして押し問答を続けていた。そして僕から数メートル離れた場所では地元の人間達が、「とばっちりは食いたくないが、いったい何が起きているのか大いに興味がある。」という表情で、僕と警官達とのやり取りを眺めていた。押し問答の原因は、僕が街の中で写真を撮影したことにあった。

「君は今ここで写真を撮影していたね?」

 警官達のなかで、ハッキリとした英語を話すリーダー格の男性が、そう僕に質問した。

「はい、確かに写真は撮りました。でもただ街の風景を撮っていただけです。何も問題は無いはずです。」

 僕はそう答えた。それは嘘ではなかった。よくガイドブックなどを読むと、「空港、駅、バスターミナル、橋、および軍事施設の写真撮影は禁じられている。」という国があるけれど、今回僕が撮影していたところはそれらには全く該当しない、ごく普通の場所だった。しかし警官のリーダー格の男は

「それが問題あるんだよ。我々についてきてもらおうか。」

 と、言ったのだった。

 警官のリーダー格の男は僕にそう言うと、それから部下の一人に何かを命じた。命じられた部下は僕に手錠をかけることこそしなかったけれども、そのかわりに僕の手を掴み、連行しようとする。そしてそれに対して僕は積極的に抵抗しなかった。もちろんここで無理に抵抗することもできないわけではなかったが、しかしながらそれがベストの選択肢だとは、そのときの僕には思えなかったのである。

「仮に僕に非があったとしても、まさか裁判も無しに刑に処せられることは無いだろう。」

 そういう考えが自分の脳裏に浮かんだので、ここはおとなしく従うことにしたのである。バックパッカーである僕がそのときにできる選択としては、それこそがベストだと思ったから。

もし僕がバックパッカーではなく、ジョン・スミスのような探検家で場所がアメリカ大陸だったなら、このような場面になると土地の女性である美しいポカホンタスが現れて

「もしこの人を殺すというのなら、私も一緒に殺しなさい!」

 と言って命懸けで救ってくれるところだが、残念ながら僕は探検家ではなく、ただのバックパッカーだった。それにこの地にしてもアメリカではなくアフリカだった。だからそのとき僕の周りの人だかりから僕に注目を浴びせていた現地の女性達にしても、僕のことを助けてあげたいというよりは

「あの東洋人、いったい何をやらかしたのかしら?」

 という表情で、連行されていく僕をただただ眺めているだけだった。



それから警官の詰所のようなところに連行された僕は、リーダー格の警官から取調べを受けることになった。取調べの内容は

「僕が何故写真を撮影してしまったのか?」

 ということについてである。そしてその取調べに対し、僕は

「僕は旅行者です。旅行者が旅行先で写真を撮るのは普通の行為です。それに僕は空港とか軍事施設とかじゃなくて、ただ街の風景を撮っていただけです。」

 と、ごく常識的に答えた。すると相手は

「スーダンで写真を撮るには、政府の許可が必要なんだよ。」

 と、僕に言ったのだ。そして彼の言っていることは事実だった。スーダン政府は外国人に対してあまり寛容とは言えず、訪れる旅行者に対して幾つかの義務を課している。そのなかでも今回の件に関係する義務については、スーダン国内で写真の撮影を希望する者は、撮影のためのパーミッション(許可証)を取得する必要があった。でも僕はそのパーミッションを持っていた。エジプトの日本人宿に滞在していたときそこにあった情報ノートからスーダンでの写真撮影に関する情報を手に入れていたので、僕はハルツームに到着してすぐにそのパーミションを取得したのである。だから僕はそのパーミッションをバッグから出し、リーダー格の警官に見せながら言った。

「これがパーミッションです。僕はパーミッションを持っているんです。だから今回は連行は不当です。」

 でも相手は全くひるまなかった。

「確かに君はパーミッション持っている。しかし君はそのパーミッションの内容を全て読んだのかね?」

 そう僕に質問を続けたのである。しかしながら僕には彼の言いいたいことが理解できなかった。すると相手は僕が提示したパーミッションに印刷されている一文を指でなぞってみせた。そこにはこう書かれていた。

「 To make film on the follwing subjects ― toulist attraction in Sudan.」

 自分のパーミッションに書かれていたその文章を読んだとき、僕は正直に言ってすごく驚いた。まさかそんなことが書いてあるとは露ほども考えていなかったから。僕はハルツームに到着してすぐにこのパーミッションを取得したのだが、そのとき自分がすごく喜んだのを覚えている。何故ならこのパーミッションの取得により、堂々と写真が撮影できるようになるのだと、思ったから。しかしあまりに有頂天になっていたせいか、(まさしく警官が指摘するように)内容を詳しく確認するのを忘れていたのである。

「どうやらちゃんと読んではいなかったようだね?そこに書かれているように、たとえ許可証を持っていたとしても撮影できる場所は、例えば砂漠とかナイル川のような『観光地』に限られるんだ。そして君が撮影してしまった街の風景は、観光地とは呼べない。もうわかるね?要するに君はスーダンの法律を破ったんだよ。」

 警官は厳粛な口調でそう説明した。確かにパーミッションをよく読まなかったのは僕の不注意だけど、それにしたって街の風景すら撮影してはいけないなんて、あまりにも厳しすぎないだろうか?だいたいスーダンという国に観光地と呼べる場所がどれだけあるというのだ?外国人が他国の法律に口出しするのが余計なお世話だということはじゅうじゅう承知しているけれど、あまりにも厳しすぎるような気がする。しかしながらここで目の前にいる警官とスーダン政府のやり方について議論することが今の自分を助けるのに少しの効力もなさないことは、自分でもよくわかっていた。あきらめて僕は警官に尋ねた。

「それで僕はどうすればいいのでしょうか?」

 しかしながら、警官も僕の処遇についてどうすればよいのか悩んでいるようだった。きっと今回のようなことはそんなに起こることではないのだろう(スーダンという国はそれほど観光客が多くないのだ)。結局それから僕と警官は話し合い、最終的に僕は警官の目の前でデジタルカメラのデータを全て消去すること、今後絶対に観光地以外で写真の撮影をしないことを約束することで釈放されることになった。

釈放された僕は失ってしまった写真のデータを悔しがりながら、街を歩いた。ちょうど前日にメモリーカード内のデータをノートパソコンに移したばかりだったので、失ったのは今日撮影した写真のデータだけなのだが、それでもそのなかには自分でもかなり上手に撮影できたと思えたものが数枚あったので、やっぱり残念な気持ちに変わりはなかった。そしてそんなことを思いながらハルツームの中心であるスーク・アラビーまで歩いたとき、多くの武装した兵隊達と装甲車が広場を走り抜けていくのが見えた。ここ数日毎日見かけるその光景を再び目にしたとき

「でも、むしろこのくらいで済んでことを感謝しなくちゃいけないのかもしれないな。なにしろ、こんなご時勢だし・・・。」

 僕はそう呟いていた。



ハルツーム暴動 ― それは僕等がスーダンに向けてエジプトを出国したのと同じ日、2005年の8月1日に起こったことだった。暴動の原因は二日前の7月30日に、ジョン・ギャラン第一副大統領の乗ったヘリコプターが墜落し、副大統領を含む全ての乗員が死亡したことにある。

ジョン・ギャラン氏はスーダン南部(スーダン人民解放軍)の指導者だった。スーダン北部(スーダン政府)とスーダン南部は今年(2005年)の1月に、20年以上にも及んだ内戦に関して包括和平に合意し、この7月9日には北部側のオマル・アル・バシール氏が大統領、南部側のギャラン氏が副大統領に就任して暫定政府が発足したばかりだった。そして今回のヘリコプター墜落に関して、スーダン政府は

「単なる事故である」

 と、発表した。しかし南部側の人々はもちろん納得しなかった。自分達の指導者が副大統領に就任して1ヶ月も経たないうちに事故死するという、あまりにも北部側に都合の良すぎる筋書きに、彼等は暫定政府を信じることができずに

「我々の指導者はスーダン北部に暗殺された」

 と、考えたのである。

そして暴動は起こった。首都ハルツームに住む南部出身の数千人の人間がそれを起こした。僕等がハルツーム入りしたのは8月5日だったが、現地で知りえた情報ではその時点で既に130人以上が死亡し、あちこちで商店は打ち壊され、クルマは焼き討ちされていた。

ハルツームでは商品の流通が一時的にストップし、通常でさえあまり良いとは言えない品揃えが更に悪くなり、開いている店をみつけても、ミネラルウォーター1本さえ買えない時期もあった。

そしてこの暴動を鎮圧するため、政府は軍を投入した。僕がここ数日、街中で武装した兵や装甲車が走り回るのをよく見かけるのは、そういう理由があったからなのである。だから暴動のせいでピリピリとした空気が漂うハルツームで、カメラを持った外国人がささいな理由で警察にしょっぴかれたとしても、文句を言う筋合いではなかったのかもしれない。

警官によって連行される一件があってから、僕は街歩きのやり方を変えることにした。市内を歩くときはカメラをバッグにしまい、できるだけ警官がいない通りを歩いた。そして外出中に写真を撮影したくなるような光景を目にしたとしても、近くに警官がいないことをハッキリと確認できない限りは、決してカメラを出すことはしなかった。それは別の言い方をすれば、再び連行される危険性が無いことさえわかれば、僕がもう一度写真を撮影するつもりであったということだ。同時にそれは警官と交わした約束を反故にすることを意味していたが、それがわかっていても僕は好奇心を抑えることができなかった。そして僕は実際に写真を撮影したのである。



僕が再び写真を撮影した場所は、ハルツーム大学というところだった。一緒に旅をしているR輔クンが市内にある博物館を見学しに行ったときにそれを見つけ、僕に教えてくれたのだ。R輔クンは大学というものにさほど関心がないらしく

「中に入ってみるまではしませんでしたけど」

 と、そう僕に言った。しかしながら僕はR輔クンとは逆のパターンで、博物館よりもむしろ大学のほうに断然興味がわいた。また博物館と違って入場料もかからないだろうという、バックパッカー的な心理も働いた。だから僕はR輔クンからその大学の場所を聞き、実際に足を運んだのだった。

ハルツーム大学の正門には警備員がいた。僕はその警備員に、自分は旅行者なのだが敷地内に入ってもかまわないかと尋ねると、あっさり快諾された。またバッグからカメラを取り出して写真撮影について尋ねてみると、こちらもあっけなく許される。そこには警官の詰所で取り調べを受けたときのような緊張感は全くなく、旅行者を歓迎するという雰囲気さえ感じられる。こんなにスムーズに物事が運んで多少拍子抜けしたのは事実だったが、もちろん不快なはずもなかったので僕は警備員に礼を言い、堂々と敷地内へと足を踏み入れた。

大学の敷地内には校舎があり、グラウンドがあり、売店があった。ビリヤード場のような遊戯施設があったのは意外だったが、大げさに驚くほどのことではない。数少ない女子学生の全てがスカーフで髪を隠している光景さえなければ、世界のどこにでもあるような大学だった。(ハルツームを含むスーダン北部に住む人々は、ほとんどがイスラム教徒である。)

そんな大学の敷地内を写真を撮りながら歩いていると、男子学生達から声をかけられた。まあカメラをぶら下げた東洋人がこんなところを歩いていれば、声をかけられるのは当然といえば当然のことである。僕は立ち止まって彼等に挨拶を返すと、彼等に誘われて木陰に腰掛け、ハナシをすることになった。

ハナシを聞くと、彼等はこの大学でマネジメントを学んでいるという学生達だということがわかった。恐らく日本で言うところの経済学部とか経営学部に籍を置いているのだと思われるが、それよりも彼等の自己紹介を聞いていて僕が気付いたのは、彼等が皆地方から出てきた学生だという事実だった。たまたま彼等がそうだっただけかもしれないが、とにかく僕が持っているガイドブックの地図には名前さえ書かれていない北部の小さな街から進学を目的として首都ハルツームへと出てきた学生達だった。彼等のなかでムハンマド君という学生は

「すごく小さな街なんだ。駅も無いし、バスターミナルも無いし、ホテルも無い。大学なんてとんでもないよ。」

 と、まるで吉幾三のように自分の故郷について僕に説明してくれた。それに対して僕は素直に頷いた。エジプトとの国境からハルツームに辿り着くまでに僕はスーダン北部の小さな街を幾つか見てきていた。だからムハンマド君が言わんとすることを想像するのは、僕にとってさして難しいことではなかったのだ。

「君のホームタウンはどんなところなんだい?」

 彼等は自分達の自己紹介を終えると、今度は僕のことを知りたがった。なので僕は自分が日本人であること、現在は旅行中であること、かつては僕も彼等と同じように大学生であったことを、かいつまんで説明した。すると今度は彼等のなかでアリという名の学生が

「 From Yamagata ? 」

  と、僕に尋ねてきた。そしてその質問が

「出身は『山形県』なのか?」

 という意味だと気付くのに、僕は少々時間をとられることになった。



海外旅行で現地の人と知り合いになると、ほぼ100%の確率で「どこの国から来たのだ?」という質問を受けることになる。それに対して僕ははもちろん「日本からです。」と答えることになるのだが、日本に関する知識を多少なりとも持っている人が相手である場合には、続けて

「日本の東京か?それとも大阪か?」

 という感じで出身地について更に詳しく尋ねてくることがある。このときに使われる地名はやはり東京や大阪といった大都市が多いのだが、場合によっては「ヒロシマ?ナガサキ?」というような地名も(日本が唯一の被爆国であることは海外でも知られているのだ)まれに聞く。しかしながら「山形から来たのか?」と尋ねられたのは、僕にとって今回が初めてのことだった。だから僕は「ヤマガタ」という単語が日本の地名であることに気が付くのに、時間がかかってしまったのである。(こういう言い方は山形県に対して失礼かもしれないが、)まさかそんな地名をスーダンで聞くとは思ってもいなかったから。

「どうして山形なんて場所を知っているの?」

 そういう日本の地方都市名が出てきたことに少なからず驚いた僕はアリ君に尋ねてみた。するとアリ君は

「オシン」

 と、僕に向かって答えた。「ヤマガタか?」という質問と同様に僕はこの「オシン」についてもさっぱり理解できなかったのだが、よくよくハナシを聞いてみると、それはNHKの朝の連続テレビドラマである『おしん』のことだった。アリ君の説明によれば『おしん』はスーダンでも放映されていて、すごく人気があるのだそうだ。

「『おしん』の舞台は日本の山形だろう?だから山形のことを知っているんだよ。」

 と、アリ君はそう僕に言った。それから僕等は「おしん」についてけっこう長くハナシをしたのが、これについてひとつだけ、しかしひとつだけながらかなり大きな問題があった。それは僕が「おしん」についてよく知らないという事である。何故よく知らないのかと言えば、もちろんその番組を観ていなかったからだ。「おしん」が日本でも高視聴率を獲得したテレビドラマだということは僕も知っているけれど、確かあのドラマが放映されていた頃の僕は小学生で、放送されていた時間帯から考えてもリアルタイムで観るのはまず無理である。その後に再放送されたこともあったのかもしれないが、結局ちゃんと観る機会はついに無かった。

だから僕はこの「おしん」という話題について、ほとんど聞き役に回っていた。だって「竜三」とか「加代」とか言われても、観ていなかったのだから発言のしようがない。時々意見を求められても、「僕もそう思うよ」とか「本当に可哀想だったね」なんていう曖昧な返答でお茶を濁していた。正直に、「観たことないからよく知らないんだ」と言えればよいのだろうけど、どうも彼等は「日本人なのだから『おしん』について詳しくて然るべきだ。」と思い込んでいるようで、そうなると僕としては正直に答えて彼等から白い目で見られてしまうのも嫌だった。しかしながら、そういう誤魔化しにもやはり限界があった。最後にアリ君が

「『おしん』は本当にあったハナシなのか?」

 と、僕に尋ねてきたのである。そしてこれは曖昧な答えで逃げることのできない質問だった。だって答えはイエスかノーしかないのであり、「僕もそう思うよ」とかじゃ誤魔化せないのだ。でも僕は「おしん」が作り話なのか、それとも事実をもとに製作されたものなのか、もちろん知らない。僕はもうヤケ気味に

「もちろんドラマは本当にあったハナシだよ。『おしん』だって実在の人物さ。」

 と、自信たっぷりに答えた。そして彼等はそんな僕の答えを真剣な表情で聞き、頷いていた。

その後にハルツーム大学で、「やっぱり『おしん』は本当のハナシだった。」という情報が学生達の間を駆け巡ったかどうかについては、僕はよく知らない。もしもう一度スーダンに来る機会があったら、今度は是非それについて確認してみたいと思う。


[ ← BACK ] | INDEX | [ NEXT → ]