ルワンダの首都キガリは、正直に言ってあまり面白味のある街ではなかった。ただ、もちろんそれは「僕にとっては」という意味であり、「キガリは外国人旅行者にとって魅力的な街ではない。」と、決め付けているわけじゃない。キガリを訪れたことのある旅行者のなかには、「キガリに行って楽しかった」という人だっていると思う。あくまで、「僕にとっては」という個人的な印象を言っているだけである。

僕がキガリという街から好印象を得られなかった理由としては、まず第一に季節が良くなかった。僕がルワンダを訪れた10月は雨季の真っ只中であり、この地域を旅行するにしては最悪の時期だった。一日のなかで太陽がその姿を見せているのは数時間だけであり、それ以外は雨が降り続いているか、もしくは曇り空である。だがそれもその時期にキガリに来た僕が悪いのであって、文句を言える立場ではない。

もし僕がキガリに対して何か文句を言える事があったとすれば、それは街のインフラストラクチャーに対してだった。例えば僕が滞在していた宿は、1泊3000ルワンダ・フラン(約700円)もするというのに、部屋は広さが3畳くらいのスペースしかないだけでなく、窓というものも無かった。あと水道の蛇口をひねった時に水が出るか出ないかはそのときの運しだいという、本当にひどい宿である。こんなに雨が降っているのに水が確保できないなんて、ちょっと信じられない。

そんなどうしようもない部屋でじっとしているのもつまらないので、それならばと外に繰り出してみれば大抵の場合は雨が降っていて、おまけに街全体で電力が不足しているらしく、街灯も信号も点灯していない。おかげで街を歩くのも一苦労である。要するにキガリという街はとにかく上下水道とか送電能力といった社会的な基盤が、これまで旅してきたアフリカ諸国の首都と比べても、かなり貧弱だったのだ。

それから観光施設に関しても、おせじにも良いとは言えない。いや、良いとは言えないというよりも、そもそもキガリには見所と言えそうな場所がほとんど無かった。例えば僕が持っている欧米人向けのガイドブックはキガリについての説明でハッキリと

「There are no sights and no activities as such in Kigali.」
 (キガリ自体には見るべき場所も、やるべき事もない。)

 と、書いているぐらいである。

一応、街の中心には外国人観光客をターゲットにした観光案内所があるにはある。しかし案内所が斡旋している、マウンテンゴリラを観察するトレッキング・ツアーというやつも、その費用が何百ドルもするとあっては、僕のようなバックパッカーには全く縁のないハナシである。(でもこの案内所ではゴリラのヴィデオを無料で見ることができる。)

だから残念なことに僕がキガリでした事といえば、僕がルワンダの次に進もうとしていたタンザニアのヴィザ取得という、ごく事務的な作業だけである。

そういうわけで、そのタンザニア・ヴィザの受け取りを済ませた僕は、キガリでの滞在を短く切り上げることにして、西県ルシジ郡のチャンググという街に行くことにした。チャンググはルワンダで最も大きな湖である「キヴ湖」の畔に位置する街だ。ちなみに僕がその街を選んだ理由は、これも僕が所持していたガイドブックがチャンググについて

「とてもラヴリーなロケーション」

 と、書いていたからである。水溜りだらけの首都にも窓の無い部屋にもウンザリしていた僕にとって、この文書はかなり魅力的だった。ただ、この西県ルシジ郡は反政府勢力が潜んでいる地域であるらしく、日本の外務省はキガリよりも更に高レヴェルの危険情報を発出している。それについては僕も少しばかり気にはなったが、でも結局は行くことに決めた。そういう地域はこれまでに何度も通過してきたし、スーダンで暴動に出くわしたのに比べれば、「まだマシだろう」と思われたからだ。

チャンググへ行こうと決断した後の行動は速かった。僕はキガリからバスに乗り、6時間かけてルシジ郡のなかでは比較的大きなカメンベという名の街のターミナルに到着。更にそのターミナルにいたバイクタクシーの運転手に「チャンググ」と告げ、目的地であるチャンググの街・・・というか村というか、とにかく辺鄙なところまで運んでもらった。何しろ商店らしきものと言えば、ガソリンスタンドと雑貨屋と電気製品を売る店が1軒ずつあるだけである。辺鄙と言ったところで、地元の人も怒らないと思う。正直ここまで田舎だとは想像もしていなかったけれど。

ただそんな田舎の街なのに、ホテルに関しては意外な事に3軒もある。それも僕のようなバックパッカーから見れば、かなり立派なものが。それはこのチャンググが有名な観光地だから・・・というわけでは全然なくて、チャンググが『国境の街』だからだ。チャンググはキヴ湖から河川が流出する地点に位置する町なのだが、実はその川には橋が架かっていて、その橋を渡れば、そこはもうコンゴ(旧ザイール)なのである。僕は今まで何度も国境の街に滞在した経験から知っているのだけれど、互いの国を行き来できる国境の街は、複数の宿を持つことが多い。このチャンググも、そういった街のひとつだったのである。

だから僕も宿探しは簡単に済ませることができるだろうと思っていたのだが、でも実際にはそうはいかなかった。僕は国境付近にある3軒のホテルを全て訪ねてみたのだが、一番安いところで1泊1200円もするというのだ。僕がキガリで泊まっていた宿とは違って、部屋のレヴェルは低くないのだろうけど、だからと言って1200円というのは簡単に払える金額じゃない。それでホテルに宿泊するのをあきらめた僕が最終的に辿り着いた場所は、チャググが持つホテル以外の唯一の宿泊施設だった。



その宿泊施設の名称は、『Home St Francois』(聖フランソアの家)という。名称からしてそれが普通の民間宿泊施設とは一線を画しているのは明白で、そこは教会が運営する宿泊所だった。世界にはこの聖フランソアの家のような宿泊施設があるというのは以前から知っていたが、実際に訪ねたのは今回が初めてである。僕は受付へ行き、そこにいた男性の従業員に身振り手振りで宿泊の可否について尋ねると、彼は僕の風貌を珍しそうにチェックした後

「シスターに訊かないとわからないから、少し待っててくれ。」

 というような事を、ジェスチャーを交えながら僕に言った。そして僕が頷いてその場で待っていると、程なくして彼はそのシスターを連れて戻ってきた。僕は改めてそのシスターに、ここに泊まりたいと言うと、彼女は

「幾つかの条件さえ守ってもらえれば、宿泊していただいて構いません。」

 と、英語で僕に答えた。彼女が僕に提示した、その幾つかの条件というのは、まず第一に宿泊のための料金(1泊2000ルワンダ・フラン)を払うこと。これは日本円に換算すると500円に満たない金額であり、僕としても異論はない。次に施設内での飲酒・喫煙の禁止。アルコールはともかくとして、タバコが吸えないのは少しばかり苦しいが、まあどうしても吸いたくなったら施設の外で吸えばいいだけのハナシなので、これも大丈夫。そして彼女が最後に説明した事は

「例え恋人同士であっても、男女が同じ部屋に泊まることはできません。」

 という事で、いかにも教会の施設らしい規則ではあるけれど、僕はもともと一人旅なのでこれも全く問題ない。そういうわけで僕はチャンググに滞在する間はここに宿泊することに決め、手続きをした後に部屋へと案内された。部屋は充分に満足できるものだった。ちゃんと窓があり、掃除も行き届いていた。壁に架けられたクロスだけが僕には少しばかり薄気味悪い印象だったが、まあ文句を言える立場じゃない。

この類の宿泊施設では、教会によってはその信者にしか部屋を貸さないというところもあるらしい。でもここでは僕のように何の宗教の信者でもない、ましてや宗教どころか神の存在さえ信じていない人間でも泊めてくれるというのだから、十字架の1つや2つ、どうってことない。もしこれが100個とか200個とかだったら、さすがにちょっと考えてしまうけど。

それからこの施設には食堂があった。宿泊者であれば誰でも利用できるのだが、実は宿泊規則と同様に、ここにも少しばかり変わったルールがあった。どんなことかというと、宿泊者全員同じ時間に同じテーブルで食べなければならないというのである。

他に食事ができそうな場所の当てもなかったので、僕はここで夕食を済ませることにしたのだが、それはとにかく不思議な雰囲気だった。食事の時間に僕を含めて合計4人の宿泊者が食堂に集まったのだが、もちろん他の3人は全員がルワンダ人。彼等は皆一様に

「どうしてこんなところに東洋人がいるんだろう?」

 という表情をしている。まあ、無理も無いことだけど。本来であればこちらから

「ルワンダを旅行しているのですが、周りのホテルよりも安かったので、ここに泊まることにしたんです。」

 と、事情を説明すべきところなのだが、残念ながら僕はフランス語(ルワンダはかつてベルギーの支配下にあった為、現在でもフランス語が公用語のひとつになっている。)とルワンダ語は全くダメで、他に通じる可能性のあるスワヒリ語にしても良く言ってカタコトというレヴェルなので、とてもそんなこと説明できない。

そうなると、あと僕にできることはもう説明を諦めて、ただ黙々と食事をするだけである。しかしそこにもまだ問題はあった。どういうことかというと、実は全員分の料理が1枚の皿に盛られていたのである。まるで部活動の合宿所みたいなやり方だけど、こうなるとさすがに会話をしないわけにはいかなくなる。例えば「もっと食べてもいいですか?」とかいうようにこちらの気持ちをハッキリ伝えないと、食べ過ぎて不興を買ったりしてしまうかもしれないし、「塩を取ってください」というような事も伝えなくちゃいけない。それで僕は、「いったいどうしたものか?」と考え込んでいたら、その3人のルワンダ人宿泊者のうちの一人が僕に対して

「英語を話せるか?」

 と、尋ねてきた。それはとても明確な英語で発せられた言葉であり、僕にとっては思わぬ助け舟となった。



僕に声をかけてくれた、英語を話すその男性はオリヴィエという名前だった。ハナシを聞くとオリヴィエさんはルワンダ南部のブタレにある国立大学で英語を専攻し、今はキガリで翻訳の仕事をしているとのこと。ちなみに話せるのは英語だけではなく、フランス語やルワンダ語はもちろん、スワヒリ語やコンゴの言葉も話せるという。五つの言語を操るなんて、ほとんど英語だけを頼りに旅している僕からすれば、羨むばかりの語学力である。

僕等は食事をしながらいろいろなハナシをしたが、そのほとんどは僕がオリヴィエさんに質問するというパターンだった。何故そうなったのかというと、僕が意図的に沢山の質問をしたからである。僕が所持している欧米人向けのガイドブックはアフリカ全土をカヴァーするものだが、残念ながらルワンダの為に割かれているページはとても少なく、また現地で情報を得ようにも英語を話す人が少なかったので、ルワンダに来てからというもの、僕はいつも情報不足を感じていた。だから僕はこの機会にいろいろと教えてもらうことにしたのである。そしてそんな僕の質問に対し、オリヴィエさんは丁寧に、また的確に答えてくれた。ただひとつ、「チャンググの見所について」という質問を除いては。

「外国人の旅行者が見て楽しめそうなものは湖ぐらいで、それ以外には何も無いよ。」

 オリヴィエさんは、素っ気ない感じで僕に答えた。僕は普段から率先して観光地を廻るような旅をする人間ではないので、オリヴィエさんにそう言われても特にガッカリしたりはしなかった。ただ、カメンベのように大きな街ならともかく、チャンググ程度の規模だと「街歩き」もすぐに終わってしまいそうで、時間を潰すのに苦労するのは間違いなさそうだった。

その翌日、僕は移動の疲れもあって昼頃までベッドにいたのだが、午後には実際にチャンググを歩いてみた。しかしある程度予想はしていたことだけど、その試みはあっという間に終わってしまった。街の全てを見て廻るのに、多分2時間もかからなかったと思う。

一応、湖をボーッと眺めたりもしたのだが、すぐに飽きてしまった。ガイドブックに書かれてあるように、キレイな湖には違いないのだけれど、だからと言ってそうそう長くみていられるはずもない。またこの湖は砂浜というものが無かったので、寝転んで昼寝することもできなかった。まあ仮に砂浜があったとしても、この季節では日光浴もままならなかっただろうけど。

そういうわけで湖で楽しむという目的をあっさりと諦めた僕が、いろいろと考えたあげくに最終的に選んだのは

「国境を定点観察する」

 ということだった。国境なんてこのアフリカ旅ではもう何度も目にしてきたし、目にした国境は全て越えてもきた。だからそれは僕にとって特別に目新しい行為とはとても言えないのだが、でもそれ以外にいったい何をすればよいのか、正直なところ僕には全く思いつけなかったのである。

国境は川に橋がかかっているという、とてもハッキリしたものだった。そしてその橋を眺めていると、時折「国境越え」をする人の姿が見える。チャンググからブカヴ(国境のコンゴ側の街)へ行こうとする人、そしてブカヴからチャンググへ来ようとする人。それらの人達は大抵の場合、大きな荷物と一緒だった。行商人なのかもしれないし、あるいは引越しなのかもしれない。実際に彼等がそのどちらかなのかはわからないが、いずれにしてもあまり裕福そうには見えなかった。少なくとも、このチャンググにある1泊1200円以上もするホテルに宿泊できるようには見えなかった。そしてそんな橋の様子を眺めてながら僕が考えていたのは

「ああ、あの橋の向こうは、もうコンゴなんだな。」

 という、ごく当たり前の事実だった。もっと詳しく言うと、それは

「あの橋の向こうにあるコンゴっていう国は、いったいどんな国なんだろうな?」

 という、ささやかな好奇心だった。僕達旅行者が国境へ行くのは、ほとんどの場合その国境を越えるのが目的である。少なくとも僕の場合はそうだし、この旅でも訪れた国境は全て越えてきた。だから今、国境を目の前にしながら何をするともなく、ただ眺めているだけの自分に違和感があり、そしてそれと同時にコンゴという国に対する好奇心が自分の中に芽生えてきているのを僕は感じていた。

それから僕は自分の好奇心をどのように解消するかについて考えていた。実際にコンゴへ行くのが一番手っ取り早いのは明らかだったが、果たしてそれは可能なのだろうか?元々スケジュールに縛られるような旅をしている訳ではないので、時間については全く問題無い・・・というような事を考えていたら、背後からいきなり声をかけられた。

「やあ、さっきからずっと向こうで君の事を見ていたんだよ。いったいこんな所で何をしているんだい?」

 僕がビックリして振り返ると、そこにはオリヴィエさんがいた。彼はキガリに住んでいるという事だったので、てっきりもう宿をチェックアウトしたものだとばかり思っていたから、僕は少しばかり驚いたけど、それは表情に出さずに彼に挨拶をした。それからオリヴィエさんは

「いったいこんな所で、さっきから何をしているんだい?」
 
 そんなふうに、もう一度僕に同じ質問をした。

「いや、橋を見ながらちょっと考え事をしていただけなんだ。あの橋の向こうは、もうコンゴなんだなって。」

 僕は正直に答えた。

「コンゴに興味があるのかい? それなら行ってみたらどうだい?」

 オリヴィエさんはそんなふうに、僕にコンゴ行きを勧めた。まるで「散歩にでも行ってきたらどうだい?」というような、とても気軽な口調だった。そしてそんなオリヴィエさんの言い方に少しばかり驚いた僕は、ごく自然な受け答えをした。

「行けるの?」

「行けるさ。手続きするのに少しお金がいるけど、でも行ける。少なくとも僕達は行ける。ほら、あそこだよ。」

 オリヴィエさんは、そう言って橋の近くにある小さな建物を指差した。どうやらそれはイミグレーション(出入国管理事務所)のようだった。ルワンダ人やコンゴ人といった当該国の人ならともかく、外国人の僕が国境で簡単にコンゴ・ヴィザが取得できるとは到底思えない。でもオリヴィエさんにそんなふうに言われてしまうと

「ダメで元々、チャレンジしてみようかな?」

 という気持ちにもなりかけたのだが、でもやっぱりそれはできない事だった。もし仮にコンゴに行けたとしても、僕のパスポートに押されているルワンダのヴィザはシングル・エントリーだったので、一度出国したらもう戻ってこれない。そうしたら最悪の場合ブカヴから首都のキンシャサまで移動しなければならなくなり、陸路でそれをやろうとするとかなり困難な事に思えたし、それ以上に問題だったのは、50ドルも払って取得したタンザニアのヴィザが期限切れになってしまうのが容易に予測できたからだ。今の僕にとって50ドルは非常に大きな金額で、とても無駄にはできない。 そして僕は

「コンゴに行くのも悪くないと思う。でもまだルワンダでも廻ってみたい場所が他にもあるから、コンゴはまた次の機会にするよ。」

 と、オリヴィエさんに言った。そして僕の言葉に対してオリヴィエさんは無言だったが、でも納得したような表情で頷いていた。それが僕にとってのチャンググの街 ― 僕が今まで目にしたなかで、僕が越えることのなかった初めての国境が存在する街である。


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