ケニア中部の街、イシオロで一夜を明かした僕とM也クンはナニュキという近隣の街までバスで南下する。イシオロからは僕等が当面の目的地にしていた首都のナイロビまで直行するバスもあったのだけれど、そこをあえてナニュキに立ち寄ることにした。その理由は

「ちょっと『赤道』を見てみたかった」

 からである。

世界地図を開いてみるとよくわかるのだけど、ケニアは赤道直下の国である。つまりこのケニアで僕等は北半球から南半球へと旅の舞台を移すことになるのだが、その境目となる赤道が通っているのがナニュキの街なのだ。僕等がナニュキの街のはずれを通っている赤道の地点に行くとそこには

「EQUATOR(赤道)」

 と書かれた黄色い看板が立っていた。そしてそれを初めて目にしたとき僕等は

「今、地球の真ん中に立っているんだ・・・」

 と、感慨深く思いながらその看板を眺めていたのかというと、そういうことは全然ない。それというのもこの赤道の看板の周りにはあまりにも多くのツーリストがごった返していて、風情というものがひとかけらも無かったからである。

それらのツーリストのほとんどは欧米人で、どうやら街からタクシーや貸切のミニバンでやってきたグループらしいのだが、何故そんなに多くのツーリストがナニュキの街を訪れるのかというと、実はこの赤道の目と鼻の先にはユネスコの世界遺産に指定されているケニア山があり、そこをトレッキングしようとする多くの欧米人ツーリストが、このナニュキをトレッキングの基点に定めているのである。彼等の第一の目的はもちろん山登りなのだが、「せっかくすぐそばを赤道が通っているのだから、ついでに見ておこうよ」と、思ったのかどうかわからないけど、とにかく大勢のツーリストが赤道を見に来ている。

そしてそうなると必然的に、これはもうほとんど自然の理に近いと言ってもいいと思うのだが、そういう赤道目当てにやってきたツーリストをターゲットにして商売しようとする動きが発生する。だからこの赤道の看板付近には土産物屋というものが多数存在し、「ちょっと見ていってよ」と声をかけてくる。ようするにこの赤道は完全に観光地と化しているのである。

それからこの赤道を「いかにも観光地らしく」させているのは、なにも土産物屋だけじゃない。赤道の看板付近には『赤道到達証明書』という、いかにも観光客が喜びそうな書類を300ケニア・シリング(約500円)で販売する若い男がいつもウロウロしている。本来こういう書類については「発行する」という言葉を使うべきなのだろうが、その証明書というのを見てみるとどうにも胡散臭い感じがして、発行しているというよりは「販売している」と言うほうがしっくりくるのである。

ちなみにその若い男は僕等にも証明書はいらないか?と声をかけてきたが、僕等はそれをあっさり断った。もちろん理由はその胡散臭さ(本当にその書類がケニア政府から発行されたモノなのか確信が持てない)のためである。欧米人ツーリストに関して言えば、買っている人もけっこう多かったけど。

その若い男は僕等が証明書の購入を断っても、特にがっかりした様子は見せなかった。僕としては断っても執拗に迫られるのではないかと思っていたので、意外である。しかしそう思ったのもつかの間、彼は僕等に対して「じゃあ・・・」という感じで別のアプローチをかけてきた。どういうことかというと、

「それなら実験を見る気はないか?」

 と、尋ねてきたのである。



「地球の北半球と南半球では、磁場の働きが異なるんだ。」

 それが頼みもしないのに彼が始めた説明の出だしだった。彼は手にしていた赤道到達証明書をしまうと、赤道の看板下に置いてあった赤色の漏斗と緑色の水差しを僕等に見せて、まるで小学校の先生が授業を受ける子供達に対して説明するような雰囲気で

「その磁場の働きの違いを、この実験道具を使って示すことができるんだ。」

 と、続けたのだった。

彼の説明によれば、実験の内容はこうである。まず準備として赤道から北半球の方向にだいたい数十メートルくらい移動し、そしてそのあたりの地面に水差しを置く。それから次に水差しの上に水を溜めた漏斗にを設置して、さらにその水面に細長い木片を浮かべる。

すると漏斗の水は磁場の影響を受けて一定方向に渦を作りながら、漏斗中央の小さな穴から水差しへと落ちていく。そして浮かべられた木片は渦の流れる方向に沿って水面を回転するというのである。

実験の第二段階が行われる場所は赤道の反対側、つまり南半球である。さきほどと同じようなかたちで今度は赤道をまたいで看板から南方向へ数十メートル離れた地点に移動して再び同じ実験を繰り返す。すると今度は漏斗の水が北側とは「反対方向」に渦を作り、もちろん木片も北半球とは反対方向に回転するというのが彼の説明である。つまりそれによって地球の北半球と南半球では磁場の働きが反対であることを証明できるというのだ。そして男は実験の説明を滞りなく終えた今、もう一度

「どうだ、その実験を見てみないか?」

 と、訊いてきた。そして僕等は

「うん、やって見せてよ。」

 と、僕等は答えた。内容は学校で教わったことがあるような気がしないでもないけど、彼の説明を受けて考えてみるならばそれは赤道でしか見ることができない実験ということになるし、そして赤道を訪れるチャンスというのは、そう度々あることじゃない。だから僕等は良い機会だからその実験を見せてくれるように、彼に頼んだ。すると彼は

「じゃあ100シリングだ」
 
 と、僕等に言ったのだった。

「えっ、お金とるの?」

 僕等は聞き返した。

「ああ、100シリング払ってくれたら実験を見せるよ。」

 それが彼の答えだった。ようするに赤道到達証明書と同じで、商売みたいなものである。言い方を帰れば、実験というよりはショーみたいなものである。この若い男は漏斗と水差しを元手にして、いったいどれだけのツーリストから100シリングずつ稼いできたのだろう?

でも僕とM也クンは100ケニア・シリングを折半して払うことにした。節約しようという考えよりも、好奇心の方が勝ったからである。そして男は金を受け取ると早速実験を開始するため、北半球へと歩き始める。もちろん僕等もついていった。

赤道の看板から数十メートル北へ進んだ地点で男は立ち止まり、そして実験道具を地面に置いた。それから男が僕等に説明した手順で実験を始める。水差しの上に漏斗を載せ、水を入れてから木片を浮かばせた。すると水面の木片は「右回り」に回転を始める。ちょうど水を溜めた台所のシンクから栓を抜いたときのように、水が渦を作っていた。僕等はフムフムと頷きながらその過程を眺めていた。

次に僕等は赤道の看板から南へ数十メートルの地点へと移動する。そしてその場所でまたさきほどと同じ行為を繰り返す。すると今度は水面に浮かぶ木片が「左回り」に回転を始める。漏斗のなかに北半球でやったときとは反対方向への水の渦ができているのは明らかだった。僕等は漏斗の水面を、ただじっと見つめていた。

そのとき男は実に満足気な表情だった。「どうだ、説明したとおりだろう?」いかにもそう言いたげな顔をしていた。そしてそれから男は赤道の看板へと僕等を連れて戻って看板の真下に実験道具を設置し、説明には無かった3度目の実験を僕等に見せる。漏斗の水面に浮かぶ木片は右回りにも左回りにも、どちらの方向にも動かなかった。その光景を観察していた僕等は

「ここは北半球と南半球のどちらでもないから、渦ができないんだ。」

 という説明を聞き、そしてそこで全ての実験が終了した。



実験が終了した後、男は新たにやってきた欧米人ツーリストに赤道到達証明書の売り込みを始めていた。そしてそのあいだ僕とM也クンは赤道の看板の下に立ち、まだ地面に置かれたままの実験道具を見下ろしながら議論をしていた。議論の内容は、実験の信憑性についてである。

実は僕等はこの現象が果たして本当に科学的な根拠を示してしているのか、甚だ疑問なのであった。確かに水の流れは北半球と南半球で逆方向に渦を作った。それは男が説明したとうりの内容だった。しかしその現象は地球の磁場がもたらした結果なのだろうか?僕等は素直に信じることができなかった。何故なら長期旅行者のカンがささやくのである。

「これはインチキに違いない」

 と、そうささやくのである。例えば良いホテルを紹介してやるなんて言われたときに、「コイツはきっとマージンを取るつもりだぞ」とか、あるいは土産物屋で「安いよ、安いよ。」なんて勧められたときに、「本当はすごくふっかけているはずだ」とか、自然にカンが働くときが長期旅行者にはあるのだが、今がまさしくそのときだった。

だから僕とM也クンは漏斗と水差しをしばしの間チェックしてみた。しかしながら細工の痕跡のようなものは全く見つけられない。僕等としてはこの実験が、怪しさという点では「赤道到達証明書」よりもはるかに怪しいと思っているのだが、ではこの実験のどこがインチキなのかというと、僕等にはそれが指摘できないのである。僕はもう一度、このことについて学校で教わったことがないか、思い出そうとした。それができれば隠されたトリックのようなものを暴く手がかりになるのではないかと考えたからである。

しかし結局僕はそれを思い出すことができなかった。なんだかスッキリしない結末だけど、まあとにかくこうして僕等が100シリングを支払って体験した、「赤道でしかできない理科実験」は終わった。あとはただナイロビを目指すだけである。


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