8月下旬に首都アジスアベバに到着して以来、エチオピアの元旦(西暦の9月11日)を含めておよそ3週間という、僕にとっては少々長い時間をその街での滞在に費やしたが、滞在していた宿で日本の大学生・M也クンと知り合ったことをきっかけにして、ついにアジスアベバを離れることになった。

次の行き先はオモ川下流域である。オモ川はエチオピア中部に発し、それからエチオピア南西部を通り、やがてケニア北部に位置するトゥルカナ湖へと流れ込む。僕等が目指すオモ川下流域はそのエチオピア南西部、現地では『南部諸民族州』という固有名詞を全く含まない、これ以上ないくらいに便宜的な名称を与えられた地方のなかの、更に南に位置する地域である。

ただ、この地域を旅行するには幾つかの問題があった。第一に、このあたりは平均標高が2000mを越えると言われるエチオピア高原とは違い、低地で且つ湖沼や河川が多いために、夏の雨季(6月〜9月)にはマラリアが多発すること。僕はメフロキンと呼ばれる抗マラリア剤を所持していたが、この薬には(身体への影響から)長期に渡って服用できないという制限があった。アフリカでマラリアに感染する可能性のある地域は、大陸北部よりも大陸南部に多い。それを考慮すると、エチオピアというアフリカ縦断の早い段階での服用の開始は、できれば避けたいところだった。

そして第二の問題は首都アジスアベバからのアクセスである。

首都のアジスアベバ(Addis Ababa)からオモ川下流域へ向かうには、まずアルバミンチ(Arba Minch)、ジンカ(Jinka)と、バスで長距離移動をこなす必要がある。道路が整備されていないことは容易に想像できたから、これだけでも下を向きたくなるのだが、問題はまだあった。ジンカからオモ川下流までは公共の交通機関がなく、何らかの方法でクルマをチャーターする必要があるのだ。

この地域を旅することは、当初の僕の予定には含まれていなかった。アジスアベバに滞在し過ぎたということも手伝って、次に移動する際の目的地はケニヤとの国境にある街、モヤレ(Moyalle)にしようと考えていた。アジスアベバからモヤレまでは直行バスがあり、またそのルートはエチオピアの幹線道路である為、移動だって容易なはずだし、

もしアジスアベバからモヤレまでの移動が長すぎるというのであれば、途中のヤベロ(Yabelo)で1泊したってかまわない。エチオピアを南下してケニヤへ入国することを最優先に考えるのであれば、その方法を選択するのが当然だった。しかし、それにもかかわらず、結局のところ僕はオモ川下流域へ行くことを決めた。悩んだ末にそう決めた理由は

「ムルシに会いにいきましょう。それも本物のムルシを。」

 というM也クンからの誘いに魅力を感じたからだった。



ムルシというのはエチオピア南西部に居住する少数民族である。しかし僕はエチオピアに来るまで、ムルシ族についてはその存在すら知らなかった。アジスアベバの宿でM也クンから説明を受けて初めて彼等について知ることになったわけなのだが、そのM也クンの説明によって僕は彼等に強い関心を持つようになる。なかでも特に僕が興味を持ったのは、ムルシ族の生活習慣についてである。僕がそのとき所持していたガイドブックの記述によれば、ムルシ族の男性は

「2メートル以上の長さの杖を持って他の集落の男達と戦い」

 女性については思春期になると

「唇に大きな皿型の陶器をはめ込む」

 ことにより、美しさを競うという。前者は英語でスティック・ファイト、後者はリップ・プレートと呼ばれるそうなのだが、そのようなことが現代でも行われているのだという。僕はガイドブックのそれらの記述に強く惹かれた。そして彼等についてもっと詳しく、できればヴィジュアルな面で知りたくなった。しかし残念なことに、ガイドブックにはムルシ族の写真が1枚も掲載されていなかったのである。そうなってくると、これはもう自分で彼等のところに出向いて会ってくるしかない。もちろん日本に帰った後で、インターネットや書物で彼等の画像・映像を見つけることはできるかもしれない。しかし、それらの写真が

『本物のムルシ』

 であるという保証はない。「本物のムルシ」というのはいったいどういうことかというと、これまたM也クンの説明によるのだが、人里はなれて暮らしているはずのムルシ族を、実はジンカの街でも見ることができる可能性が高いという。そしてそういったムルシ族は外国人旅行者をみかけると

「俺(私)の写真を撮れ。それでカネ払え。」

 と、彼等の方から誘ってくるのだそうだ。しかし旅行者のなかにはそういう、いわゆる「外国人慣れした少数民族」には興味がない、と言い切る人もいる。彼等にしてみれば、そういうことをするムルシ族は「本物」とは呼べないらしい。個人的には外国人旅行者が少数民族を相手に、誰が本物で誰はそうではないと決め付けるなんて、少しばかり偏狭な価値観のような気がする。

M也クンと僕はそういう価値観を持ってはいない。けれども、できれば「俺(私)の写真を撮れ。それでカネ払え。」と言われるよりは、自分から「写真を撮らせてください」と、お願いするほうが、僕等は(少なくとも僕は)性に合っている。だから、どちらかといえば一部の旅行者が「本物のムルシ」と呼ぶ方に会いたい。

それにジンカを越えてオモ川下流域まで行けば、ジンカの街にいるより多くのムルシ族を見ることができるのは明白だ。大人も子供も、男性も女性も見られるだろう。それから彼等の姿だけではなく、彼等の集落を見ることだってできる。そのような理由から、僕はジンカの街より更に遠い、オモ下流域を目指すことにしたのである。



オモ川下流域を目指す移動の1日目、僕等はアジスアベバを早朝にバスで出発。バスはおよそ10時間かけて南部諸民族州のチャモ湖の畔に位置するアルバミンチに到着したのだが、これはかなり身体にこたえた。オンボロなバスの固い窮屈な座席で10時間も揺られるというのに、休憩がたったの一度(30分)しかなくて、アルバミンチのバスターミナルに到着したときには僕等二人は疲れ果てていた。その日はもう何をする気にもなれず、ターミナル近くの宿にチェックインし、適当な店で夕食をとって寝るだけだった。

二日目、この日はオモ川流域のなかでは比較的大きな街、ジンカへの移動である。僕等は朝6:00に出発するというバスに乗るため、少し余裕をもって5:30にバスターミナルに行く。ところが、予想外なことにその時点でバスの乗客は定員に達しており、座席を確保することができなかった。そして更に悪いことに、ジンカ行きのバスは1日に1便しか運行されていなかった。そのため僕等はアルバミンチにもう1泊することを余儀なくされた。

三日目、僕等は昨日と同じ失敗を繰り返さないために、昨日よりも更に早い時刻にバスターミナルへ行き、何とか座席を確保。これでようやくオモ川下流域への本格的な移動の起点となるジンカの街に辿りつける・・・と思ったら、これが甘い考えだった。バスが故障したのである。

バスが故障したのは日暮れ頃だ。目的地であるジンカまであと少し、時間的距離で言えばあと1〜2時間という場所での故障だった。バスのドライバーはすぐに修理に取り掛かったが、しかし僕はこの時点で既に、「今日のうちにジンカに到着するのはもう無理だ」と、あきらめていた。もしこれが他の国なら

「目的地はここから目の鼻の先にあるのだから、よほど修理が長引かないかぎり、故障が直りしだい出発すれば、今日中には到着できるだろう。」

 と、考えるところだが、残念なことに僕がいる場所はエチオピアだった。僕は過去の経験から

「エチオピアのバスは夜に走らない」

 ということを知っていたのである。だからすぐにあきらめたのだ。



エチオピアを走るバスの多くはイタリア製の中古車だ。これは過去にエチオピアがイタリアに占領されていた時期があり、そしてその影響が現在でも残っているからである。しかしそれらのバスなかにはあまりにも長く使用され続けてきたために、(部品が製造終了になった等の理由で)もはや修理不可能な箇所を抱えながら走行しているものも多い。「ライトが点灯しない」バスというのは珍しくなく、おまけにアジスアベバのような首都圏ならともかく、地方では街灯もまともに整備されていないから、夜に走行するのはとても危険なのである。

そんな理由から、エチオピアにおいてバスが夜に運行することはない。だからエチオピアでは明るい時間にできるだけ沢山走れるようにと、どのバスも朝の5:00とか6:00に出発する。早朝に出発しても1日で目的地まで到着できないような長距離移動のチケットを購入した場合はけっこう面倒である。僕がエチオピア北部のラリベラという街からアジスアベバに長距離移動したときなんて、日没になった頃にバスが適当な街に停車し、運転手から

「今日はもう走らないから、また明日の朝5時に(バスに)戻ってきてくれ。」

 なんて言われてバスを追い出されてしまい、さすがにこれはちょっとビックリした。バスのチケットは目的地まで有効なので、乗客は自分達で街のどこかで宿泊できる場所を探してそこで一夜を明かし、翌朝にまたバスに戻って再乗車するというシステムなのだが、僕の過去の旅行経験を思い出してみても、こんな国は初めてだった。

とにかく、そのようなエチオピア北部での経験から、僕には今日中にジンカに到着できないことが予測できた。仮に1時間で修理が完了したとしても、その頃には日が落ちる。それではバスは走れない。そして僕の予測は見事に的中した。夜の9:00頃に(故障の症状はけっこう重くて、この時点でまだ直っていなかった。)、ドライバーから僕等を含む乗客達に

「今日はもう再出発できない。ここで夜を明かす。」

 と、告げられたのである。そんな予想が当たったところで、ちっとも嬉しくなかったけれど。



四日目、朝から再開された修理が完了する目途は全くたたない。しかし僕等は通りかかった別のピックアップに拾ってもらうという幸運により、午後には何とかジンカに街に辿り着くことができた。それから僕等適当な宿を見つけてチェックインすると、すぐにムルシ村へ行くための行動に移る。僕等は既にアルバミンチで(バスのチケットが買えずに)1日無駄にし、ジンカに来るまでに(バスの故障で)更に半日を無駄にしていた。僕にとって1日半の遅れはたいした問題ではなかったのだが、M也クンには休学期間が終了するまでに大学に戻らなければならないという事情があったため、あんまりのんびりともしていられなかったのだ。

それで僕等はまず、ジンカの街でムルシ村を訪問するツアーを扱うという旅行会社に行くことにする。本音を言えば、できれば旅行会社に頼らず自力でムルシの村まで行きたいところなのが、いかんせん彼等の村はジンカの街から遠く離れた場所にある。そしてムルシの村にはムルシ族しか居住しておらず、当然のことながらジンカの街との間を行き来する公共交通機関は存在しない(地元のエチオピア人はわざわざムルシの村になんて行かないのだ)。

そんなわけで他に良いアイデアも思いつかなかった僕等は、どちらかといえば消極的な理由から旅行会社へと足を運ぶ。そしてその結果どうなったかというと、これがあいにくと営業していなかった。何故かというと、その日が日曜日だったからである。アルバミンチで1日無駄にしなければ、こんなことにはならなかったのだが、今更それを言ってもどうにもならない。

肩を落として宿へ戻った僕等は、さてこれからどうしたものかと思案する。とりあえず、すぐに出来ることとして、宿のオーナーに「ムルシ村に行きたいのだが、旅行会社が営業していなかった。」と相談してみたのだが、するとこれが大正解だった。宿のオーナーがクルマを持っていて、(お金を払えば)ドライバー付きでクルマを貸してくれるというのである。

この提案を受けた僕等はすぐにオーナーと金額を交渉することにする。彼が僕等に提示した金額は900エチオピア・ブル(約100米ドル)。ジンカからムルシ村までは遠く、クルマを使っても日帰りするのは不可能なのだが、ガソリン代やドライバーが用意してくれる夕食などもこの900ブルに含まれるという。

この金額が妥当なのかどうか、正直言って僕等にはよくわからなかった。しかし明日旅行会社でツアーを申し込んだとしても、出発できるのは早くても明後日以降になる。少々高いような気もしたが、急いでいる僕等にとって、背に腹は変えられない。僕等はオーナーの提案を受け入れることに決めた。



五日目、僕とM也クン、そしてたまたま同じ宿に滞在していたオーストラリアの白人女性、ドライバー兼ガイドの男性の4人でムルシの村へと出発。クルマはトヨタ製のトラックだったけれども、僕等が乗せられたのはその荷台だっため、快適と言うには程遠い。旅行会社だったら同じトヨタ製でもランドクルーザーに乗せてもらえたかもしれないが、僕等は1日でも早くムルシ村に行きたかったのだから、仕方がない。

僕等を乗せたトラックはジンカの街を出て少しすると、チェックポイントのようなところに差し掛かる。そこはムルシの村が存在する「オモ国立公園」への入口だった。ここにはポリスが駐在していて、身分照会を受けて、それから入園料のようなものを支払うことによって、僕等は通過することを許される。

チェックポイントを過ぎてからはただ走り続けるだけである。国立公園と言っても日本のそれとは違い、道路が舗装されているわけでもないし、ビジターセンターなども一切ない(詳しく調べたわけではないが、多分ない。)。ただただ草原が続くだけである。オモ国立公園はアウストラロピテクスの化石が数多く発見されたことにより、ユネスコの世界遺産に登録されたほど文化的に重要な地域であるということだが、その重要性を身をもって感じられそうなものは特にない。

チェックポイントを通過してから数時間走ると、トラックはようやく念願のムルシ村に到着。するとクルマを停車したとたんに沢山のムルシが続々と僕等のところに集まってくる。そんな彼等を見た僕は「おお、凄い出迎えじゃないか。まさかこんなに歓迎されるなんて!」と、思っていたのだが、少しすると様子がおかしいことに気が付く。ムルシが達が僕等を乗せたトラックを取り囲むようにして、まるで何かを要求するように騒いでいるのである。

ムルシ達が何を要求しているのか、彼等の言葉がわかならい僕等に代わってドライバーが通訳をしてくれる。それによってわかったことは

 彼等が「駐車料金」を要求している

 ということであった。

「駐車料金?」

 その説明を聞いたとき、僕等は驚いた。だってここには余るほどのスペースがあるのだ。枯れ木を集めて作ったようなムルシ達の小さな家屋もあるにはあったが、その近くに駐車したわけじゃない。

どこに駐車したところで誰の迷惑にもならないし、渋滞を引き起こすわけでもない。そもそもここいらに存在するクルマといえば僕等が乗ってきたトラック1台だけだし、駐車場らしき設備だって何にもないのだ。

納得できなかった僕等はムルシ達と(ドライバーを介して)交渉する。僕等は既にチェックポイントでこの国立公園に立ち入るための然るべき料金を支払っているんだと言ってみたのだが、その主張にはムルシ達が納得しなかった。ひょっとしたら国立公園なんてものはここに住むムルシ達の思惑なんて関係なしに、エチオピア政府やユネスコが勝手に決めただけなのかもしれない。仕方なく僕等はその「駐車料金」というものを彼等に支払い、この騒ぎを収めることにした。



駐車場代を支払うことによって問題を解決した僕等は本来の目的達成へと行動に移す。それはもちろん、彼等の写真を撮影することである。僕等はそのために苦労を重ね、ここまでまでやってきたのだ。何としてもムルシ達の姿をカメラに収めなくてはならない・・・と意気込んでみたのだが、実際には予想とは違い、意気込む必要もないくらいに撮影は簡単だった。ムルシ達にカメラを見せてジェスチャーで「写真を撮影したい」という意思を伝えるだけで、彼等は全く抵抗なく、嫌がる素振も見せずに写真を撮影させてくれたのである。

要するに、ムルシ達は僕等がここ到着したときから既に、僕等がここを訪れた目的を察していたのだ。今にして思えばジンカの街にムルシ村へのツアーを扱う旅行会社があるということを知ったときに予想できたのかもしれないが、こんなエチオピアの果ての果てにも僕等のような外国旅行者が時々は来るようで、ムルシ達はこれまでに何度も写真を撮影される経験していたのである。

それからもうひとつ予想外だったのは、「お金」である。ここにいるムルシ達は、ジンカの街に出てくるムルシ達とは違って自分達から

「俺(私)の写真を撮れ。それでカネ払え。」

 と、声をかけてくることはしないけれども、結局のところ撮影したらやはりお金は払わないといけないのである。ちなみにその料金は1人の撮影につき1エチオピア・ブル(日本円にして約14円)だ。

しかしたとえお金を支払ったとしても、ムルシ達は充分すぎるくらいに魅力的な被写体だった。これまでの海外旅行で何度か少数民族を見たことがあるけれど、ムルシ族ほど奇抜な意匠の衣服を身につけている民族には会ったことがなかったから、彼等の外見は僕にとってものすごく新鮮な驚きになったのである。

僕はかなりの人数の(少なくとも10人以上)ムルシ族を撮影させてもらった。被写体になってもらうようにお願いしたのはほとんどが女性だった。その理由は若い女性でも胸をあらわにしていたから・・・というのは、僕も男性なので完全には否定しないけれど、それよりもむしろ彼女達が口にはめ込んでいる「リップ・プレート」に興味をそそられたというのが、一番の理由である。

特に大人の女性達のリップ・プレートはとにかく大きかった。思春期から大人へと成長するにつれ、はめ込むプレートを大きくしていくらしいのだが、そのデザインは画一でなく、それぞれの女性によって異なっていた。色ならカラフルなものがあれば地味なものもあり、形ならただの円形のものがあれば5円玉のように穴が空いたものもあったりと、本当に様々だった。

とにかく、僕は女性を中心に沢山のムルシを撮影したが、僕が最後に撮影したムルシもやっぱり女性で、そしてやはり見事な被写体だった。彼女もまた口にリップ・プレートをはめ込んでいたのだが、それ以外にも耳に動物の牙から作った飾りを下げていたり、頭には壷を載せていたりと、かなり印象的だった。僕は彼女にカメラを見せて撮影したい旨を伝え、ポーズをとってもらい、シャッターを押した。

そして撮影を終えてから、僕はこれまでと同じように彼女に1ブルを手渡す。すると彼女は僕から1ブルを受け取ってから、何やら僕には理解できない部族の言葉を発しながら、もう一度僕に向かって手を差し出してくる。彼女が何を言いたいのか、また何をしたいのかわからない僕があっけにとられていると、彼女は僕に向かって右手の人差し指と中指を使って『Vサイン』を僕に示すと、それから続けて自分の腰の後ろの方を指し示した。

彼女が指差した方を見ると、そこには彼女の赤ん坊がぶら下がっていた。ここで僕は初めて彼女が何を言いたいのか理解することができた。僕は1度のシャッターで2人を同時に撮影してしまったのである。彼女が人差し指と中指を使って僕に示したサインはVを意味するのではなく、「あなたは2人を撮影した。だから2人分のお金を払いなさい。」ということを僕に主張したかったのだ。

駐車料金のときと同様、僕は彼女の主張に納得できなかったけど(だって赤ん坊は僕やカメラには全く無関心で、モデルとしての役割を全然果たしてはいなかったから。)、今回は全く交渉せずに、僕はもう1ブルを彼女に支払った。

だってもしここであと1ブルの支払いを拒み、彼女と喧嘩になってしまい、彼女が自分の夫を呼んだりしたら大変なことになる。なにしろ彼女達の夫は2メートル以上の長さのスティックを武器に、他部族とファイトするような男達なのだから。
 

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