スーダン東部のゲダレフという街で僕等が宿泊していた、『セティ・ホテル』はホテルとは名ばかりで、おせじにも快適とは言いがたい安宿だったけれど、でも僕にとってひとつだけ良い点があった。それはデッキチェアを備えた屋上である。

そこからの眺めは美しいとか、特別なものが見えるとか、そういうことは全然無いし、季節が夏だけに昼間はとてつもなく暑かったけれど、夕暮れ時にこの屋上で煙草を吸いながら街行く地元の人々を眺めていると、とてもリラックスすることができた。

またこの屋上ではなかなか興味深い人物と知り合う機会もあった。その人物はスーダン人の中年男性だったが地元の人間というわけではなく、僕等と同じでこのホテルの宿泊客だった。お互いに自己紹介をしてみたところ、彼は商人で、アジアの中東地域からアフリカの北部・東部・中部の国々を飛び回って様々な商品を売買しているという。

「とにかくエジプトではどこでもバクシーシ、バクシーシで、もう本当にウンザリだった。」

 と、彼はエジプトでの体験談をはき捨てるように言った。僕は自己紹介で彼の職業を聞かされてそれに興味を持ったので、彼がこれまでに仕事で行ったことがあるという国々についていろと質問をした。すると彼は北の方から順番にシリアやヨルダン、サウジアラビアでの商売について淡々と説明してくれたのだが、それがエジプトのところまで来ると彼は急に、「あまり思い出したくないのだが」というふうに表情を変え、エジプトの悪口を言い始めたのである。

バクシーシというのは日本語でいうところの喜捨であり、要するに施しを与えることである。イスラム諸国に長く滞在したことのある人間なら、外国人でも一度はそれを要求された経験があると思う。イスラム諸国の人間にバクシーシについて説明させると

「持つものが持たざる者に施しを与えるのは当然のこと」

 らしいのだが、実際には貧しくもない人間が金を要求してくることもあって、そういう場合には要求された人間がムスリムであってもあまり良い気持ちはしないらしい。この商人に言わせると、彼の場合は仕事が仕事だけにワイロとして金を要求されることが多いのだが、要求する人間は直接的にワイロとは言わず、バクシーシという言葉を発するのだという。そしてそういうことが一番多いのが、エジプトなのだと、彼は言う。

それから彼はアフリカ中部の国々についても、いろいろと教えてくれる。特にナイジェリアの『黒魔術』のハナシには少なからず驚かされた。彼の説明によれば、ナイジュリアでは宗教的な儀式のために、人間が生贄にされるというような事がいまだに行われているのだそうだ。彼は

「ナイジュリアには二度と行きたくない。もし誘拐でもされたら、どんな目に遭わされるかわかったものじゃない。」

 と、僕に向かって言うのだった。

アフリカ旅行のスタート地点となったエジプトでは、「アフリカらしさ」を感じることはそれほど多くなかった。何をもってアフリカらしいとするかは人それぞれだが、少なくとも僕のイメージしていたアフリカとは違い、中東を感じることのほうが多かった。スーダンに来てからは旅の困難さに限って言えばより本格的になってきたけれど、街や人々の雰囲気からはアラブ世界の印象を受けることのほうがまだまだ多い。

しかしこの商人のハナシを聞いていると、エチオピア以南のいわゆる『ブラック・アフリカ』について、何だか期待感が湧いてくる。僕は別にナイジュリアの黒魔術のような、何かとんでもないことをアフリカで見てみたいと言っているわけじゃない。ただ、これまでに自分が旅したことのあるヨーロッパ、あるいは中東を含めたアジアとは違う雰囲気を持つ国々を見てみたかった。それが僕がユーラシア大陸の次に旅する地域としてアフリカを選んだ一番大きな理由だったから・・・と、そんなことを考えていると、今度は商人が僕のに向かって質問をしてきた。

「ゲダレフにはいつまで滞在するんだい?」

「実は明日にはもうエチオピアに行くんです。」

「行き方は知っているのかい?」

「そこのターミナルからガラバート(スーダン・エチオピア国境)行きのピックアップに乗ればいいんですよね?」

 僕は宿の屋上から見えるターミナルを指差して答えた。するとその商人は

「いや、そうじゃない。そこのターミナルにはガラバートに行くピックアップは集まらない。このゲダレフで一番大きなターミナルはゴーダ・マーケットっていうところでね、ガラバート行きのクルマもそこから出発するんだよ。なんだか心配だから明日はゴーダ・マーケットまで私が連れて行ってあげるよ。」

 と、そう僕に言った。彼は仕事で何度もこのゲダレフから陸路でエチオピアへ行ったことがあるとの事。僕等にとって彼の申し出は実に助かることだった。



翌日の朝一番、商人は約束どうり僕とR輔クンをゴーダ・マーケットまで連れていってくれた。そしてそれだけではなく、マーケットに数多く駐車しているピックアップの中からガラバート行きのそれを見つけることまでしてくれる。僕等が礼を述べると、商人は「気をつけて」とだけ言い残し、マーケットを後にした。

それから僕等はピックアップの乗客が集まるまで小一時間ばかり待った後、ようやくガラバートへ向けて出発する。ゲダレフからガラバートまでの道程は、けっこう苦しかった。まず第一にクルマがひどかった。僕等が乗ったピックアップというのは文字通りのピックアップ・トラックで、オンボロ軽トラックの荷台に木製の長椅子を2台設置して雨避けの幌を取り付けただけというとても粗末なものなのだが、狭い荷台(長い椅子)に客を乗せられるだけ乗せるものだから、これがとにかく窮屈なのである。

それから第二は未舗装道路である。道が舗装されていなくても、平坦であれば文句は言わないのだが、残念ながら実際には道路はでこぼこだらけである。またこの地域はエチオピア国境に近く、(スーダンの中では)比較的雨も降るようで、道路にはぬかるみも多い。

そしてそんな道路をオンボロ車がけっこうなスピードを出して走るものだから、車体の揺れはかなりものだ。例えるならジェットコースター乗っているような感覚なのだが、現実はジェットコースターに乗っているようには楽しくはない。

昨日、僕等が首都のハルツームから現在のゲダレフまで移動してきた際、道路はほとんどが舗装されていた。しかも乗っていたのは韓国製のバスだった。そんな快適な移動を経験した翌日だっただけに、今回の移動が余計に苦しく感じてしまう。

そんな移動を南方へ向かって2時間程続けたところで、いったん休憩となる。ピックアップが村なのか集落なのかよくわからないけれど(恐らく後者だと思うが)、とにかく小屋が沢山建っているところに停車すると、地元の子供達が僕等に食べ物を買ってもらうと、集まってきた。しかし他の乗客達は子供達を無視して一軒の小屋に入って行くので、僕等もついていくことにする。その小屋はどうやら食堂のようだった。

その食堂も含めて、この集落の小屋は全て茅葺(かやぶき)の屋根である。とんがり帽子のような形をしたそれら建物は一見するとカワイイ印象があるが、近寄ってよく観察みると、けっこう貧弱そうに見える。

僕は子供の頃に学校の社会科見学で日本の縄文時代に存在していた竪穴式住居(もちろん復元したもの)を遺跡で見たことがあるのだけれど、そちらのほうがよっぽど立派なんじゃないだろうか?と、(住んでいる人には申し訳ないけれど)ついそう思ってしまいそうな、そんな造りなのである。

小屋で出された食事は『フール』と呼ばれる煮豆である。これはスーダン人にとっての主食なのだが、正直僕等東洋人の口にはあまり美味しいとは感じられない。だから僕等はハルツームに滞在していたときはいつもシャワルマ(アラブ諸国でよく食される、鶏肉や羊肉のハンバーガー。)を食べていた。しかし同じスーダンでもこんな国境付近の田舎ではそんなものは出てこない。朝から何も食べていなかったので、僕は頑張ってなるべくそのフールを食べるようにしたけれど、R輔クンはほとんど口にしなかった。

ちなみに僕等はこの食堂で代金を支払わなかった。他の乗客が僕等の分も支払ってくれたからである。僕等は自分達の分は自分達で払うと言ったのだが、どうしても払わせてくれなかったのだ。もともとイスラム諸国の人達は旅行者に対して親切な人が多いけれど、そのなかでもスーダン人は群を抜いて旅行者に親切なように思える。今朝案内してくれた商人もそうだし、メロエのピラミッドからハルツームに戻る際にヒッチハイクしたときも、ドライバーはお金をを要求しないどころか、休憩時にジュースまでおごってくれた。まったくこちらが恐縮してしまうくらいに親切なのである。



食事休憩の後、ピックアップは更に2時間ほど走り、ようやく国境の街であるガラバートに到着。イミグレーションでパスポートにスタンプをもらい、これでスーダン出国である。それからは両国の間に流れる小川を歩いて渡り、エチオピア領へ。ここにはエチオピアの国境警備の男が立っていて、カスタム・チェックを受ける。その後はエチオピア側のイミグレーションでスタンプをもらい、入国する。今回の旅では初めての陸路国境越えだったので(エジプトからスーダンへは水路で国境を越えた)少しばかり緊張したが、大きな問題もなく、あっけな済んでしまった。

国境のエチオピア側の街の名はメテマ。こう言ってはなんだけど、この街の評価は旅行者の視点で言うと、「出入国手続きのために立ち寄らければならない街」というのが妥当なところであり、街の規模から判断しても長く滞在すべき場所とは言い難い(そもそもメテマは街と言うよりは村と言ったほうが現状に近い)。なので僕等は商店で手持ちのスーダン・ディナールをエチオピアの通貨であるブルへと両替を済ませると、今日のうちにここからバスで南に向かって5時間ほどの距離にあるゴンダールという都市まで移動することに決める。

しかし、残念ながら物事はそう都合良くは運ばなかった。バスが集まるという場所に行ってみると、「今日のバスは既に全て出た。この次は翌朝だ。」と言われてしまったのである。こうなってしまうと、もうどうしようもない。このメテマに1泊する以外に選択肢は無かった。とりあえずバスのチケットだけ購入し、僕等は泊まれる宿を探すことにする。

その宿探しなのだが、外国人に興味があるのか、やたらと僕等にまとわりついてくる地元の子供に、「近くに宿はないか?」と質問すると、「ある。そこまで案内する。」というので、そうさせてみたところ、宿はあっさりみつかった。国境の街には大抵の場合、宿泊施設があるものだけど、このメテマも同様だった。

その子供が案内してくれた宿は、かなりみすぼらしいところだった。看板などは無く、教えてもらわなければそこが宿だとはまずわからないだろう。宿の敷地の外から見えた建物は「バラック」と表現するのが最適な、そんなオンボロ宿だった。正直言って気は進まなかったけれど、でも地元の子供がせっかく案内してくれたのだからと、とりあえず中に入ってみることにする。

僕等が宿の敷地内に足を踏み入れると、若い女性が現れる。そのとき僕等は彼女の服装に驚かされた。彼女が下着姿だったのである。下半身はパンティのみで、上半身はブラジャーをつけておらず、ピンクのネグリジェだけである。しかもネグリジェからは彼女の乳首が透けて見えていた。恐らくここは売春宿で、そして彼女は売春婦なのだろう ― 彼女の外見から僕等がそう想像するのはとても自然なことだった。

世間にはピンクのネグリジェのような下着を身につける若い女性がまだいるんだな・・・などとどうでもいいことを考えながらも、僕等はその女性に料金について尋ねてみると、部屋代は1泊10ブルだと彼女が答える。10ブルというのは日本円にして約100円だ。いくらオンボロ宿だと言ってもシングルルームで100円というのはハッキリ言って安すぎる。不安になった僕等は部屋を見せてもらうことにする。

部屋は案の定、どうしようもないシロモノだった。シングルルーム(この宿にはシングルルームしかないけど)は薄汚い壁に囲まれた三畳くらいの部屋で、そこには小さなベッドがひとつあるだけ。机も無ければ、椅子も無いし、もちろん窓なんて贅沢なものも無かった。とにかく余計なものが一切無い部屋である。

いや、余計なモノがひとつだけあった。それは『枕』である。小さなベッドの上には1枚の毛布と2つの枕が置いてあったのだ。ダブルサイズのベッドに枕が2つというなら僕も特に不思議に思ったりしないが、シングルのベッドに2つの枕はとても奇妙に感じられる。でもここが売春宿だとすれば、こんな小さなベッドでも枕は2つ必要なのかもしれない。

部屋を見た僕はR輔クンと相談し、この宿に泊まることを決めた。この部屋に納得したわけではなかったが、@どうせ1泊しかしないこと、Aしかも明日の早朝には出てしまうこと、B何より料金が安いこと、それらの点から考えて、まあ我慢しようということになったのである。



国境で両替をし、明日のバスチケットを購入し、今夜の宿も確保してしまうと、もう他にやるべきことは無かった。明日は早朝からバスに乗り込むので、遅くまで起きていることもできない。そんな理由から、まだ夕方だったけれども僕等はさっさと夕飯を済ませて早寝してしまうことに決めた。

僕等二人は宿を出て近くの食堂に入る。古いテーブルが幾つかあるだけの、いかにも安食堂といった感じの店である。店内にはブラウン管テレビが置いてあり、店にいた客の全員が(時間が早かったせいだろうけど)食事などせず、放送に夢中になっていた。

僕等がこの店で注文したのは『インジェラ』という料理なのだが(好んでインジュラを注文したわけではなく、それしかなかった。)、これはテフというイネ科の穀物に水を加えて発酵させてからクレープ状に薄く焼きげるもので、これはエチオピアの代表的な料理なのだが、これを食するのは僕もR輔クンももちろん初めてであった。

料理は注文してから1分で出てきた。作りおきしているのだろう。テーブルに置かれた丸皿に盛り付けられているインジュラを見ると、確かに見た目はクレープそっくりである。試しに一口ちぎって食べてみると、これがもうとんでもなく酸っぱかった。そこで次に一緒に出された煮込み料理をインジュラにつけて食べてみると、今度はその煮込み料理がとてつもなく辛い。口の中で酸味と辛さが交わって、もう何とも形容できない味になった。

僕等は二人で一枚のインジュラを注文したのだが、二人で一枚のインジュラの3分の1くらいしか食べられなかった。僕は以前にエチオピアに行ったことがある旅行者からインジュラについて、「最初は大変だけど、慣れれば美味しく感じられる。」と説明をされたことがあるのだが、僕は今その説明を半信半疑で思い出していた。

まともに食事ができずに暗い気分で食堂を出ると日が暮れかかっていたので、僕等は真っ直ぐ宿へ帰る。宿の中庭では飼い犬なのか野良犬なのかわからないけど、とにかく犬が毛づくろいをしていて、その側ではネグリジェの女性が鍋を火にかけて料理をしている。僕等は暇つぶしがてらに彼女の料理を眺めることにする。

鍋が吹き上がると調理が終わったようで、彼女が鍋の中を見せてくれた。調理されていたのはジャガイモで、どうやら粉ふきいものようだった。

彼女はそれを僕等に勧めてくれたので、試しにひとつ口に入れてみると、これがとても美味しい。ジャガイモを煮ただけの単純な料理なのだが、あのインジュラを経験した後だけに、この単純な料理がよけいに美味しく感じられる。R輔クンは遠慮して一口しか食べなかったが、僕はあまりに美味しく感じたので、彼女が勧めるままに沢山ご馳走になってしまった。

僕はこれまでに様々な国を旅してきたけれど、現地の人に「食事を奢ってもらう」という機会は度々あった。現に今日の午前中、スーダンで食事(フール)をご馳走してもらったばかりである。しかしそういった機会は大抵の場合、相手が男性だったような気がする。自分と同じ旅行者の女性ではなく、現地の女性に食事を奢ってもらったという事になると、過去の記憶を辿ってみても、どうしても思い出すことができない。思い出せないのは多分そういう経験をしたことが無いからなのだろう。

そう考えると、このネグリジェの女性が海外で自分に食事をご馳走してくれた、「初めての女」ということになる。海外で最初に食事をご馳走してくれた女性が売春婦だという事実が何かを示唆しているのかどうかはわからないけど、とにかくそういうことになる。いずれにしても、インジュラをまともに食べられずに空腹を感じていた僕にとってはとてもありがたいことだった。



食事をご馳走してもらった後、僕等はそれぞれ自分の部屋に入る。だが、日が暮れたとはいえ、時刻はまだ19:00にもなっていない。早寝するといっても、さすがにこの時刻ではまだ眠れない。僕は眠くなるまでベッドの上で読書をすることにした。

それから1時間ほど読書をした頃だろうか?僕は部屋の外で音楽が流れている事に気が付いた。何かと思って自分の部屋のドアを開けて外へと目をやると、中庭で地元の男がビールを飲んでいるのが見える。中庭は木の枝にぶら下げられた幾つかの裸電球によって照らされている。男の側には乾電池式のラジカセが置いてあり、音楽はそこから発せられていた。近くにはあのネグリジェの女性もいた。

その光景を見て、僕はこの宿が噂に聞く『ブンナベッド』であると確信した。ブンナベッドというのは飲み屋と宿が合体したようなエチオピア独特の店のことで、夜は大抵の場合女性が常駐しており、客はそれらの女性を相手に酒を飲む。また、あたりまえのように売買春が行われる。

男がビールを飲んでいるのを眺めていると、自分もたまらなくビールが飲みたくなってきた。何しろこの半月ばかり、僕はアルコールというものを全く口にしていない。スーダンは、(例えばエジプトやトルコのような国々と比べると)イスラム教の戒律に対して厳格な国だったから、滞在中は酒を飲むことが全くできなかったのである。R輔クンは下戸だったからよいのだが、僕にとってはこれはけっこう厳しい事だった。

けれども、僕はビールを飲むことはしなかった。明日のバスは朝5:00出発だというから、どんなに遅くとも4:30には起床しなくてはならない。ここで半月振りのビールを口にしてしまったら、果たして1本で終わらせることができるだろうか?飲みすぎて寝過ごさないだろうか?僕には自信が無かった。自分一人ならどうなってもかまわないが、今はR輔クンという連れがいる。ビールのために彼に迷惑をかけることはできない。結局、僕はその晩の飲酒はあきらめることにした。また、いつまでも起きているとビールが気になってしまうので、読書をやめてさっさと寝てしまうことにした。



就寝してから恐らく数時間ぐらい経過した頃だったと思うが、隣の部屋から聞こえてくる物音によって、僕はその眠りを中断させられた。わざわざ耳を澄ませてみなくても、その音の正体が何なのかはすぐにわかった。それはベッドの軋む音と、女性のあえぎ声だった。男性客がここで女を買ったのだろう。抱かれているのは先ほど食事をめぐんでくれた、あのピンクのネグリジェを着た女性だろうか?

ベッドが軋む音と女性のあえぎ声、それらはなかなか止まなかった。部屋の壁が薄いせいで、その音は僕が寝ている部屋にもダイレクトに伝わってくる。僕は再び就寝しようと試みたけれど、どうしてもその二つの音が気になってしまい、なかなか上手くいかない。

「悪いけど、もうちょっと静かにやってくれないかな?」

 部屋の薄い壁を叩いて隣の二人に向かってそう言ってみるというアイデアもあったが、言ったところで相手にとってはただの迷惑にしかならないだろう。僕はそのアイデアを実行しなかった。ここがブンナベッドであるからには隣の部屋で行われている二人の行為はごく当たり前の事であり、だいたいただ寝泊りするためにブンナベッドいる僕のほうがどうかしているのだ。眠るのをあきらめた僕は部屋の電気をつけ、本を読むことにした。何もしないでいると、隣の部屋のセックスのことが気になってしょうがないから。

それからどれくらいの時間が経ったのか正確にはわからないけれど、隣の部屋での行為がようやく終わる。僕は隣の部屋には聞こえないような小さな声で、「ご苦労様でした」と嫌味ながらに呟いた後、本をしまい部屋の電気を消して今度こそ寝ようとする。しかし、隣の部屋の二人はそれからも僕を眠らせてはくれなかった。

それはベッドが軋む音と女性のあえぎ声が聞こえなくなってから10分くらい経ってからのことだった。今度はこれまでよりもずっと大きな声、それもただの大きな声ではなく、怒鳴り声が隣の部屋から聞こえ始めたのである。それは明らかに男女が言い争っている声だった。

いったい争いの原因は何なのだろうか?男の声はさきほどからずっと怒鳴り声だが、女性の声はいつしか泣き叫ぶような声に変わっていった。支払いのことでモメているのだろうか?売買春に詳しくない僕には、それくらいしか思いつかない。

メテマは国境の街なので、簡単な英語なら通用する。だから僕等は両替するのも店で食事をするのにも、コミュニケーションで困ることは無かった。しかし今、彼等の口論は現地語(恐らくはアムハラ語)でなされている。そのため僕には2人がどうして口論をしているのか、全くわからない。

僕は清潔とは言い難い毛布を頭までかぶり、口論が自分の耳に入ってこないようにと努めた。しかし男の怒鳴り声と女の泣き叫ぶ声はいつまでたっても止みそうな気配をみせず、薄い壁と毛布を突き抜けて僕の耳へと入ってくる。僕はなかなか寝付くことができなかった。


[ ← BACK ] | INDEX | [ NEXT → ]