エチオピアの北西部に、青ナイルの源とされる「タナ湖」がある。この湖の特徴は37の小さな島々を持つ事と、更にそれら島々に合計29もの修道院が散在することである。

僕はちょっとした成り行きからボートをチャーターし、それらのうちのひとつである、『クブラン・ガブリエル』という天使の名前を冠せられた島を訪れることになった。

同行者はR輔クンと、このタナ湖のほとりにある街、バハルダールで知り合ったイアンという名のアイルランド人男性である。

イアンは僕等と同じくバックパッカーだった。南アフリカから旅を始め、モザンビーク、ジンバブエ、ザンビア、マラウイ、タンザニア、ブルンジ、ルワンダ、ウガンダ、ケニアと廻ってエチオピアまでやってきたのだそうだ。またアフリカの旅を始める前は南欧で料理人をやっていたとのことで、母国を離れてからかなりの年月が経っているようだった。年齢は20代だが、きっとこれまでいろんな事を経験してきたのだろう、見た目はかなり大人びている。

僕とR輔クンがこのイアンと知り合うことになったのは、いわゆる『自称ガイド君』のおかげだった。バハルダールはエチオピアのなかでも有数の観光地であり、青ナイルの源流を見てみたいと考える多くの外国人が訪れる。だからそういう観光客を相手に多様なサーヴィスを提供して収入を得ようとする人間がいるのだが、その自称ガイド君(以下、ガイド君。)も、そのなかのひとりであった。

僕とR輔クンは最初、その青年のことをただの客引きだと考えていた。僕等はゴンダールからの移動でバハルダールのバスターミナルに到着したときに初めて彼から声をかけられ、宿まで案内してもらうことになった。本当は自分達で宿を見つけるつもりだったのだが、あんまりしつこかったので根負けしてしまい、彼に宿を紹介してもらうことになったのである。でも、彼のしつこさはそれからが真骨頂だった。宿に部屋を取ったあとでもそのガイドはたびたび僕等の部屋に押しかけてきては

「洗濯物はたまってないか?あるなら安くやってあげるよ。」

 とか

「ボート・トリップをやらないか?」

 などと言うのであった。ようするに彼は僕等が滞在することにした宿の従業員などではなくて、ただ旅行者にまとわりについていろいろなことを斡旋するかわりにマージンを手に入れようとする、地元の若い男にすぎなかったのである。まあそれはともかくとして、彼が提案してきたそのボート・トリップというのは、説明を聞いてみたところ、なかなか面白そうだった。内容はボートで島に渡って修道院を見学する、ただそれだけのことなのだけれど、エチオピアのキリスト教は欧米のそれとは違って独自の発展を遂げているので、僕としてはその違いを確認してみたかったし、またボートに乗っているときは湖を泳ぐカバやワニを見ることができるらしく、そっちのほうにも興味が湧いた。

ところがいざそのガイド君と料金の交渉をしてみると、これがけっこう高いことがわかった。R輔クンも一緒に行くことに同意したので料金は二人で折半なのだが、それでもまだ高かった。それで実際にそのボート・トリップをやるかどうか迷っていたら、そのガイド君が「獲物に逃げられたら困る」と、思ったかどうかわからないけど

「この宿に他にもボート・トリップに興味を示している白人が泊まっているから、その人とシェアすればいいよ。」

 と、言ったのだった。それでその白人というのがイアンだったのである。



そういうわけで僕等は紹介されたイアンと話し合いをして、ボートのチャーター料金をシェアして日帰りのボート・トリップをすることになったのだが、ここでひとつガイド君から注意されたことがあった。僕等がボートで目指すことになったクブラン・ガブリエル島には、そこへの訪問に関してひとつの重要な決まりごとがあり、それはどんなことかというと

「女性を連れて行くことは許されない」

 というのである。クブラン・ガブリエルは完全な「女人禁制の島」となっていて、地元の人間であろうが外国人であろうが、とにかく女性は入れないことになっているのだそうだ。僕等は女性を連れて旅しているわけではなかったし、イアンも一人旅だったから、そのガイド君が注意したことをあまり真剣に聞いていなかったのだが、でもそれがウソではないことを僕等は島の船着場で知ることになった。ボートを降りて島に上陸したときに

「NO ENTRANCE FOR LADY」(女性は入ることができません)

 と、ご丁寧にも英語およびエチオピアの公用語であるアムハラ語で書かれた看板が掛かっているのを見たのである。僕の過去の旅を思い返せば、中東のチャイハネ(男ばかりが集まる喫茶店のようなもの)なんかも女性に入られるのをかなり嫌う場所だったけど、ここまで公然とは断っていなかった。もしヒラリー・クリントンがこれを知ったら、トマホーク・ミサイルをこの島に撃ち込むことをアメリカ議会に提案するのではないだろうかと思わず僕は推測してしまったが、いずれにしてもそこで初めて僕等3人は女人禁制というのがガイド君の単なる冗談ではなかったことを確認したのである。

恐らくは宗教的な教義に基づいてこういうことをしているんだろうけど、世界には本当にいろんな場所があるということを改めてわからせてくれる場所には違いない。

しかし個人的な見解を述べるなら、この看板の『LADY』という単語にはちょっと引っかかった。というのは「レイディ」というのは単なる女性というよりも、やっぱり「淑女」という意味合いが強いような気がするからだ。だからここはレイディではなく、『WOMAN』という単語を使うほうがあっているのではないかと、僕は思ってしまう。レイディではない、例えば品の無い女性とかであればこの島に入ることが許されるのかというと、やっぱりそういうことはないと思うし。

あと、「オカマの人はこの島に入れるのか?」ということについてはついてはよくわからない。バハルダールにはいちおう観光案内所があり、僕とR輔クンはそこで無料の地図をもらったのだけれど、ついでにそのことについて尋ねておけばよかったとちょっと後悔した。

看板を眺めながらいろんなことを考えたあと、僕等は船頭の後について船着場から島の奥へと進むことにする。しかしこれがけっこうきつかった。クブラン・ガブリエル島はその全体がほとんど手付かずの深い森に包まれていて、島の最深部にある修道院まではかなり険しい道を進まねばならず、日帰りツアーに参加したというよりは山登りをしているような感覚である。

自分達で望んで参加したとはいえ、たかが修道院を見学するのにどうしてこんな苦労をしないといけないのかと、思わずグチをこぼしたくなる。ハッキリ言って、これだけ険しいとわざわざ「女性は入れません」なんて断らなくても、マトモな女性なら途中で引き返すに違いない。

でも船頭の案内のおかげで、なんとか僕等は遭難もせずにその修道院に到着することができた。見た目はあんまりパッとしない修道院だったけど。

クブラン・ガブリエル修道院は13世紀に建てられた古い建物ということだが、どうやらそれ以降は(おそらく資金面の問題で)マトモに改修されたことはないようで、かなりボロボロだった。おまけにきっと訪れる人もほとんどいないのだろう、入口が開いていなかった。

すると案内役の船頭が僕等にここで待つように言うので、そのまま待っていたらしばらくして船頭は一人の男性を連れてきた。連れてこられたのは法衣を身にまとった、一目で聖職者と判別できる人物である。僕等は彼と挨拶と自己紹介をする。彼はクブラン・ガブリエル修道院の修道士であり、また修道院長でもあった。なぜなら寂しいことにこの修道院には彼一人しか生活していないから。こう言っては何だけど、見た目からは気の毒そうな印象しか感じられない中年の男性である。

それから僕等は幾ばくかお布施をして、修道院の内部を案内してもらうことにする。それほど大きくない修道院だが、エチオピア独自のキリスト教の一面を知ることができて、なかなか面白い経験だった。

なかでも僕が特に興味深く見ていたのは多くの天使を描いたフレスコ画だ。天使の姿というと僕はつい全裸の無垢な子供達を想像してしまうのだが、ここの天使達はみんな服を身に着けていて、おまけにオジサンのような顔つきである。あと天使の羽というのはヨーロッパではたいていの場合背中から生えているものだが、ここでは何故かどの天使も首から羽を生やしている。これはユダヤの王であるヘロデに首を切られてもなお、首だけで50日間飛び続けて伝道活動をしたと言われる聖ヨハネをモデルにしているためなのだそうだが、こういうのを見ているとひとくちにキリスト教と言っても伝播した場所とその過程によって、いろんな違いが生じてきたことがよくわかる。

修道院内部の見学に続いて、僕等は宝物庫に案内される。といっても家庭にある物置を一回り大きくしたぐらいのスペースしかないので倉庫というよりは小屋というイメージに近いのだが、中には祭儀道具や経典のようなものがぎっしり積まれている。そして修道院長がそれをひとつひとつ手に取り、「これは昔の高名な司祭によって書かれた文献で・・・」とか「これは年に一度の重要な祝祭日に使用される神器で・・・」というふうに丁寧に説明してくれるのだが、僕の持ち合わせているキリスト教に関する知識では何を説明されているのかさっぱり理解できない。しかし見た目気の毒そうなこの修道院長を更にガッカリさせたくはなかったので、僕はとりあえず理解しているフリをする。ちなみにイアンについては怪訝な表情をあからさまに顔に出している。彼は修道院長がちょっとその場を離れたときに僕にむかって

「ここはかなりストレンジな修道院だぞ」

 と耳打ちした。イアンはアイルランド人だからもちろんクリスチャンである。出身国から判断して恐らくはカソリックだと思うけど、まあヨーロッパのクリスチャンから見ればエチオピア正教というのはもう同じキリスト教とは思えないくらいに違って見えるのかもしれない。



修道院の内部、そして宝物庫の見学がひととおり終わって、僕等は修道院長を囲んで世間話をすることになり、修道院長の生い立ちなどを聞かせてもらう。それによれば彼は10代前半の頃にこの島にやってきて修行を始め、それ以来女性に触れたことも会ったことも無いのだそうだ。その説明を聞いて一番驚いていたのはイアンである。イアンは修道院長に向かって

「じゃあ今までにセックスしたこともないのか?」

 などというとんでもない質問をしたのだが、それに対して修道院長は

「はい、ありません。」

 と律儀に答えていた。神に仕える身なのだから当然です、というような答え方だった。キリスト教にあまり詳しくない僕でもなんとなくその答えは理解できたけど、イアンについてはその答えに対してもかなり驚いていた。プロテスタントならまだしも、カソリックであるはずのイアンが何故そのことに関してそんなに驚くのかわからない。プロテスタントの牧師は結婚を許されるが、カソリックの司祭は生涯独身を貫かなければならないことになっている。そしてカソリックであるイアンなら当然そのことを知っているはずなのに。そしてイアンは驚くだけでは足りず、修道院長に更に質問を続けた。

「それで、これからも一生セックスしないつもりなのか?」

 もう横にいる僕のほうが恥ずかしくなってくるような質問の内容である。少しは場の雰囲気を読み取ってもらいたい。イアンは見た目はかなり大人びているが、発言は子供っぽいというか、ハッキリ言って子供である。しかし修道院長は困った表情を見せながらも、イアンの質問にしっかりと

「これからもセックスはしません。」

 と、真面目に答えていた。それが僕等が訪ねたクブラン・ガブリエル、女性の立ち入りが許されず、一生セックスすることが許されないことを真摯に受け入れた司祭が住む島である。


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