首都アジスアベバでの滞在も既に半月を越え、市内の見所らしい見所もほとんど見尽くし、もうこの街で特別やりたいこともなくなった僕がいつものように退屈しのぎを目的として、宿に併設されているコーヒーショップで昼間から1杯20円のドラフトビールを飲んでいると、マスカルラムが

「ねえKOG、今日が何月何日か知ってる?」

 そんなふうに僕に声をかけてきた。マスカルラムはこのコーヒーショップで働く女の子である。この半月の間、僕は毎日のようにここのコーヒーショップでビールやコーヒーを飲んだりしていたのだが、そんなことをしているうちに僕はいつも相手をしてくれる彼女の名前を覚え、彼女は僕の名前を覚えた。

マスカルラムとはこの国の公用語であるアムハラ語で『一月』という意味なのだが、エチオピアではこの名前を持つ女性は珍しくない。日本でも生まれてくる女児に『弥生』や『皐月』といった名前を与えることがあるけれど、きっとそれと同じやり方なのだろう。そしてそんな彼女の質問に対して僕は

「知っているよ。13月5日でしょ?」

 と、答えた。するとマスカルラムは

「よくわかったわね。そう、13月5日なの。だから今日は大きな花火が上がるわよ。」

 そう僕に説明した。

「それは何時ごろ?」

 僕がマスカルラムに尋ねると

「真夜中よ。6時ちょうどに始まるの。」

 そう彼女は答えた。そしてそれに対して僕は

「ずいぶん遅いね。でも面白そうだから寝てしまわないように頑張ってみるよ。」

 と、彼女に言った。



もし僕等二人の会話が日本で、いや別に日本でなくてもアメリカでもヨーロッパでもオセアニアでも・・・ようするにエチオピアではない場所でなされていたら、おそらく周りの人間は僕達のことを冗談を言い合っているか、もしくは頭がおかしいのでは?と考えるのではないかと僕は想像する。

しかしそのとき僕等二人は決して冗談を言い合っていたわけではなく、(そして頭がおかしかったわけでもなく)いたって真面目に会話をしていた。僕等はただ真面目に「ニューイヤーズ・イヴ」、日本語で言うところの「大晦日」についてのハナシをしていただけなのである。

現在世界の国々でもっとも多く採用されている暦は、いわゆる「西暦(グレゴリオ暦)」だ。日本でも採用されているこの暦は1年を365日とし、それを12ヶ月に割り振るものである。しかし現在僕が滞在しているエチオピアで正式に採用されている暦は「エチオピア暦」と呼ばれ、1年が365日で構成されるのは西暦と同じなのだが、その365日を13ヶ月に割り振るところが西暦とは大きく異なる。

それではエチオピア暦ではいったいどのようなやり方で365日を13ヶ月に割り振っているのかというと、基本的に1ヶ月を30日とし(30日×12ヶ月=360日)、残った5日間を「13月」とするという、実に単純な方法なのだ。だからエチオピアでは1年の最後の日である大晦日が12月31日ではなく「13月5日」となるのだが、まあなんにしても特徴的なのは間違いない。

それからエチオピアでは暦だけではなく、「時間」についてもかなり特徴的である。この国ではまず1日の始まり、つまり「0時0分」が他の国々のように深夜ではなく、朝に設定されている。簡単に言うと我々にとっての「午前6時0分」が、彼等にとっては「0時0分」となるのだ。あとおまけにエチオピアでは一般的に12時間制が採用されているので、マスカルラムが言っていた「真夜中の6時ちょうど」というのは、ようするに僕等の感覚で言えば「24時00分」のことなのである。

エチオピアがどうしてこういう独自の暦や時間を採用し続けているのかについては、僕は全く知らない。でもこの国はアフリカのなかでもヨーロッパ列強の植民地にならなかった本当に数少ない国のひとつだから(アフリカ50ヶ国のなかでヨーロッパの植民地にならなかったのはエチオピアとリベリアの2ヶ国だけ)、他国と違った点が幾つかあったとしても、そんなに驚く必要もないのかもしれないけれど。



昼間にそのような会話をしたということもあって、大晦日から新年にかけての夜は、いつもは早寝してしまう僕もかなり遅くまで起きていた。もちろん花火を見るためである。マスカルラムによれば花火は6時(僕等の時間で24時)からということなので、その10分くらい前に宿を出た僕は大通りまで歩き、花火の始まりを待つ。通りには同じように花火を見ようとする大勢の地元の人達が出ていて、かなり賑わっていた。子供達のなかには少しでも良い場所から花火を見ようと、高い木に登っている者もいる。

僕は花火の始まりを見逃さないようにと、夜空を見上げていた。すると意外にも星がキレイに見えることに気が付く。どこの国でも首都というのは夜でも灯りが多くて、沢山の星を見るのはけっこう難しいことなのだが、どうやらアジスアベバについては例外らしい。おそらくは標高のせいだろうと思うけど。

アジスアベバの標高は2400m、世界で3番目に高い首都である。高地のために空気が薄く、少し走っただけでも息が切れたりして困るのだが、でもその標高のおかげで今こうして星をハッキリと見ることができるのだろう。そして僕はそんな夜空のなかにひとつの星座を見つけた。W字型のその星座は、「カシオペア」だった。日本でも見ることができる星座だけど、この星座をエチオピアで見るとなると、なんだか感慨深い。だってカシオペアといえば、神話に登場するエチオピアの王妃のことなのだから。

ギリシャ神話によれば、エチオピアの王妃カシオペアはたいそう美しかった。また彼女の娘、アンドロメダも母親に負けないくらいの美貌の持ち主であった。ただこの母親のほうのカシオペアに限っては、確かに美しい女性であることに違いはないのだが、良くないことに自分や娘の美しさを鼻にかけていた。そして自分達の美しさをあまりに誇示したために最後には海神ポセイドンの怒りを買い(なんでもポセイドンの自慢の孫娘達より美しいと吹聴したらしい)、エチオピアはポセイドンが起こした津波に襲われてしまったのである。

星座を見ながら神話のことを思い出しているうちに、花火は始まった。最初は「アフリカの花火ってどんな感じなんだろう?」と考えながら見ていたのだが、特別に変わったところは無かった。日本の花火大会で見るそれとほとんど同じである。しいて言うなら花火を見ているエチオピア人たちが、花火がひとつ上がるたびにあまりにバカ騒ぎするのがすごかったというぐらいである。たいして感動もしなかった僕は花火がひととおり終わるとすぐに宿へ帰り、ベッドに入った。いつもより3時間くらい遅い就寝だった。



就寝したのが遅かったぶん、元旦の朝は起床するのも遅かった。眠い目をこすりながらベッドから這い出た僕は部屋を出て洗面所で顔を洗い、それから「いつものように」コーヒーショップへ行くと、そこにはやはり「いつものように」マスカルラムがいた。ただし、いつものようだったのはそこまでで、あとは普段のコーヒーショップでは見られない光景がそこにはあった。ではそれはどのような光景なのかというと、

まずコーヒーショップの床一面に、緑色の草がばらまかれている。そしていつもはパッとしない従業員用のユニフォームを着ているマスカルラムが、今日に限ってお洒落な民族衣装風の白いドレスに身を包んでいる。そして彼女は即席で作ったとしか思えない台を何故か床に置いてコーヒーを淹れる準備をしていて、そのコーヒーについてもいつもと違ってわざわざ臼と杵で豆を煎るところから始めていた。あと最後に付け加えると、どう考えても明らかに多すぎる量のポップコーンが大きな皿に盛られて、こちらもやはり床に置かれていた。

要するに、それはいわゆる『コーヒーセレモニー』の光景だったのだ。エチオピアでは客をもてなすちょっとした機会にこのコーヒーセレモニーをやる習慣があるというハナシは以前に聞いていたが、まさか宿の店でそれを目にすることがあるとは、僕は思っていなかった。恐らくは元旦ということで特別にやっているのだろうけど、観光客のなかにはわざわざ費用を払ってこの儀式を見ようとする人もいるというから、そういう意味ではラッキーなのかもしれない。僕はマスカルラムに向かって新年の挨拶をするかわりに、「そのコーヒーを飲ませてよ」と頼むと、彼女は笑顔で頷いた。

マスカルラムはかなり時間をかけてセレモニーを行っていた。というか、手作業で豆を煎るところから始めなければならないのだから、どうやっても時間はかかってしまうのだろう。いつもはコーヒーを注文すると5分もかからないうちに出てくるので、それと比べるとえらい違いだ。しかしコーヒーを焙煎している間に漂ってくる香りを楽しんでいると、待つのもそれほど苦にはならない。

コーヒー発祥の地と呼ばれるエチオピアで生産されるコーヒーが海外では『モカ』と呼ばれていて、なおかつその評価が高いのは、とてもコーヒー通とは呼べない僕でもよく知っている。エチオピアから海外へ出て行くもののなかでコーヒー以上に評価が高いものは、陸上選手を除けば恐らくないはずだ。そんなコーヒーの挽きたてを飲めるというのだから、少々待つくらい全然かまわない。

それから待つこと数十分、ようやくコーヒーが出来上がる。そしてマスカルラムが小さな白いカップに出来上がったばかりのコーヒーを注ぎ、手渡してくれる。僕はその小さなカップに入ったコーヒーを、ひとくちで飲み干した。するとどうしたことだろう?そのモカ・コーヒーはハッキリ言って、とびきり不味かった。僕がこれまでの人生のなかで飲んできたコーヒーのなかで、一番不味いコーヒーだった。



「しょっぱい!!」

 それがコーヒーを飲んだ後に、僕が思わす日本語で発してしまった言葉だった。そのコーヒーはとにかくしょっぱくて、僕はすぐさま床に置いてあったポップコーンを口に放り込んでそのしょっぱさを紛らわすことに努めた。そういう目的のためにそこにポップコーンが置いてあるのどうかは定かでなかったが、とにかくそうせずにはいられなかったのだ。それからポップコーンを飲み込んだ僕はマスカルラムに

「このコーヒー、すごくしょっぱいんだけど・・・。」

 と、言った。するとマスカルラムは

「それはそうよ。だって『塩』を入れてあるんだもの。」

 と、そんなの当たり前じゃないの、という表情で僕に答えた。コーヒー・セレモニーというくらいだから、僕も普段とは全然違うなと思いながらマスカルラムがコーヒーを淹れるのを見ていたけれど、まさか味まで全然違うとは思ってもみなかった。僕は味についてはかなり期待していたのでガッカリしたけれど、それでもなんとか気を取り直して

「でもさあ、どうしてまたコーヒーに塩なんて入れなくちゃいけないんだい?」

 と、マスカルラムに尋ねた。

「それがセレモニーの時の決まり事なの。」

「コーヒーの中に塩を入れることが?」

「そうよ。でもセレモニーの決まりごとはそれだけじゃないの。」

「まだ他にも何かあるのかい?」

「ええ。セレモニーでは一人3杯のコーヒーを飲むのが決まりなのよ。だからあなたはあと2杯飲まなくちゃいけないことになるわね。」

 マスカルラムは悪戯な笑みを浮かべた表情で僕を横目に見ながらそう言うと、2杯目のコーヒーの準備に取り掛かった。


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