海外に出ると時々、ふと現地の大学を見学しに行きたくなることがある。何故そうなるのかは自分でもよくわからない。日本ではそんなとこに行きたくなることなんてまず無いし、だいたい自分が通った大学でさえ卒業してから一度も訪ねたことはないのに。

しかしそれが海外に出てみると、何故か現地の大学を見学しに行きたくなってしまう。僕は別に現地の女子大生をナンパする目的で旅をしているわけではないし、「キャンパスを見ると興奮する」というようフェティシズムを持っているわけでもない。けれどもこのアフリカの旅でも僕は既にスーダンでハルツーム大学を訪れている。

そして今回、僕はエチオピアでも首都にあるアジスアベバ大学に行くことになったのだが、ただ今回に限って言えば、そこに行くことになったのは僕のよくわからない性癖のためではなかった。ではどうして行くことになったのかというと

「一緒にアジスアベバ大学の中にある『民族学博物館』に行きませんか?」

 と、同じ宿に滞在している日本人大学生の旅行者、T哉クンから誘われたのがその理由である。彼の持つ情報によれば、その博物館ではエチオピアの風俗に関する様々な展示を見ることができ、おまけに国際学生証があれば入場料が割引になるとのことだった。僕は普段は博物館というところを率先して見学しにいくタイプの旅行者ではないのだが、その博物館が「大学の中にある」となると、もちろん事情は変わってくる。僕はT哉クンの誘いを喜んで受けることにした。

市内の中心から乗り合いバスで10分ほど走った場所にあるアジスアベバ大学のキャンパスは、かなり立派なものだった。僕が通っていたような東京都心の大学とは違って敷地が広く確保され、緑が生い茂っている。

ここにはテニスのラケットを抱えてた女子学生が集まってお喋りすることもなければ、ギターを弾くような男子学生が集まるようなサークルの出店などもなく、本当にとても静かだ。設備などの詳しい状況まではさすがにわからないけど、真剣に勉強するのにはうってつけの環境ではないかと思われる。

大学の敷地内にあるという『民族学博物館』はすぐに見つかった。しかしながらその博物館は僕にとってそれほど面白い場所ではなかった。そこは確かにエチオピアの風俗に関する様々な展示、そしてそれ以外にも絵画や美術品などを鑑賞することができたのだが、残念なことに僕はそういう芸術品にあまり関心を示さない人間である。まあ、もともと博物館は大学へ来るための口実に過ぎなかったから、面白くなくても特に問題ではないのだが。

民族学博物館の見学を終えると、僕はT哉クンを誘って「学生食堂」に行くことにした。僕はこれまでいろんな国のいろんな大学を訪ねたことがあるのだけれど、実はそんな僕が大学へ行くと決まって必ず体験しようと努めていることがひとつあって、それが

「学食でご飯を食べる」

 ことなのである。トルコのイスタンブール大学でも、ブルガリアのソフィア大学でも、スペインのバルセロナ大学でも、必ず学食でご飯を食べた。日本と同じで学食の料理なんてたいして美味しいわけではないのだが(かといって特にマズイというわけでもない)、大学へ行くとどうしても学食でご飯が食べたくなってしまうのだ。これは僕が「海外へ出ると何故か大学へ行きたくなる」のと同じで、その理由は自分でも上手く説明できない。深層心理学に対する造詣はほとんど何も持ち合わせてはいないのだけれど、ひょっとしたら無意識のうちに「学食のオバチャンに憧れている」のかもしれない。

学生食堂はテーブルの3割程度が埋まっているだけで、閑散としていた。席に着いている学生達は各々食事をしたり談笑したりしていて、外国人である僕等に注目することもなかった。ここはエチオピアでも最高レヴェルの大学だから、留学生も多くて外国人なんて珍しくないのかもしれない。まあ僕等にとっては静かに食事ができるので、ありがたいことではあったが。

僕等は受付で食券を購入し、カウンターに並び、料理を受け取る。学食らしいセルフサーヴィス方式はエチオピアでも同じである。

僕等が注文したのはハム・サンドイッチとコーラだった。僕はかなりお腹が減っていたので、本当はパスタのようなしっかりした食事がとりたかったのだが、そのときはたまたま午後の中途半端な時間帯であったため(僕の憧れの)学食のオバチャンから

「昼食の時間はもう終わりなの」

 と、言われてしまい軽食しか注文することができなかったのだ。ちなみに僕がパスタを食べたいと思ったのは、白状すると消極的な理由からである。エチオピアの食事で有名なのは『インジェラ』という料理なのだが、これはテフというイネ科の穀物に水を加えて発酵させてからクレープ状に薄く焼きげるもので、エチオピア人の主食でもある。ようするに我々日本人の食生活に例えて言うなら「ごはん」にあたるものなのだが、実はこのインジェラという料理が(多くの外国人にとっては)非常にマズイのだ。

ではインジュラがどのようにマズイのかというと、その味を言葉で表現するのは非常に難しくて、日本人旅行者の間ではよく「雑巾のような味」などと言われている。もちろん雑巾を食べた経験を持つ人間なんているわけないのだが(多分いないと思う)、それでも実際にインジェラを食べてみるとこの「雑巾のような」という形容に思わず納得してしまう。

まあ、そんな味なので僕もインジェラはできるだけ避けて通ってきた。そして外国人旅行者がエチオピアの食堂でインジェを避けて料理を注文しようとすると、次の選択肢にあがってくるのがイタリア料理なのである。エチオピアはアフリカでヨーロッパ列強による植民地化を逃れた数少ない国のひとつなのだが、それでも一時期イタリアに占領されたことがある。そして現在でもその占領時の影響が残っているところがあって、市の中心部は「Piazza」なんて呼ばれていたり、長距離バスはたいていイタリア製の中古車だったりする。

そしてその傾向は食文化の面にも現れている。首都のアジスアベバには沢山の喫茶店があるが、そこで飲まれているコーヒーはほとんどがエスプレッソだし、街を歩けばピザの専門店だって簡単に見つけることができる。地方へ行くとさすがにイタリア料理専門の店は少なくなるが、定食屋でもパスタくらいは提供する。

だから僕は学食でもパスタを食べることができるだろうと思って注文したのだが、それがもう終わりだと言われたときは少々焦った。インジュラを食べるハメになるのではないかと思ったからだ。でも結局メニューについてよくよく尋ねてみたところ、西洋風の軽食があることがわかり正直安心した。出されたサンドイッチにしても、僕のようにいつもロクでもないばかり食べているバックパッカーにとっては充分に美味しかった。



それから僕等は大学を後にし、今度はそこから歩いて行ける距離にある『国立博物館』を訪れることにする。ここは先程の民族学博物館とは違い、自然科学に関する展示をメインとする博物館である。1日のうちに2回も博物館を見学するなんて、普段の僕なら考えるだけでもウンザリするところだけれど、T哉クンが

「そこで『ルーシー』が見れるんですよ。」

 と、言うのでついて行くことにしたのだ。ルーシーというのは1974年にエチオピアで発見されたアウストラロピテクスの化石の名前である。なんでも1974年当時、「350万年前に人類が既に二足歩行していたことが確認された」と大きく騒がれたとのことで、かなり貴重な化石らしい。ちなみにエチオピアで発見されたこのアウストラロピテクスにルーシーという英国風の名前が付けられたのには理由があって、化石が発見されたときに発掘隊がたまたまビートルズの

「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」

 を聴きながら作業していたいたので、「ルーシー」と名付けたということである。そして僕はその説明をガイドブックで読んだときに、「へえー、ユニークなネーミングの仕方だな。」と、素直に感心したのと同時に

「そのとき発掘隊が聴いていた曲が、『チャコの海岸物語』とか『のりピー音頭』じゃなくて本当によかった。」

 などと、どうでもいい事を考えてもいた。

国立博物館にいたルーシーはガラスケースの中で横たわっていた。見ると骨は完全に揃ってはいないのだが、それでもこの化石からルーシーが人間に近い姿をしていたのを想像することは充分に可能であった。付属の説明によればルーシーの年齢はおよそ二十歳、身長は約120センチ、体重は25キロくらいの女性と推定されている。なんとなく小柄で可愛い女性をイメージしてしまう。

更にルーシーの想像を続ける。「彼女が美人だったのか、そうでなかったのか。」とか、「彼氏はいたんだろうか、それとももう結婚していたんだろうか。」とか、およそ考古学とは全く関係ない視点で僕はガラスケースのルーシーを眺めていた。それから勢いに乗ってルーシーの身の上まで考えてみる。この人類学上の歴史的な発見はルーシー本人にとってはひょっとしたら災難な出来事なのではないだろうかと、つい思ってしまう。だって死んでから350万年も経つというのに、若い女性がにアカの他人に裸どころか骨まで見せなきゃいけないんだから。

そんな世界的に有名なルーシーの展示はこの博物館で最も集客力があるので、博物館側も化石が展示されている部屋にはかなり力を入れている。実際、化石以外にもいろいろなルーシー関連の展示物があった。そのなかでも僕が一番興味深く見ていたのが

「LUCY’S PLACE IN NATURE」

 という、人類の進化を説明する図表であった。

この図によれば我々人類はもともとレミュー(キツネザル)から始まって、バブーン(ヒヒ)、エイプ(無尾猿)、ルーシー(ヒト科)という過程を経て最後に人間へと進化したと、そういうことになっている。

僕はそんな図表をけっこう熱心に読んでいた。もしこれがこの国の公用語であるアムハラ語で書かれていたら僕には全く読めなかったが、幸いなことに英語だったので熟読すればちゃんと理解することができた。ただあまりに熟読しすぎてちょっと困ったこともあった。僕の後ろにいた見知らぬ人から

「君はさっきから熱心にこの表を見ているが、まさかこれを信じているわけじゃないだろうね?」

 と、声をかけられることになったのである。

僕が振り返ると、そこには恰幅の良い黒人の中年男性が立っていた。年齢は50歳くらいだろうか、着用しているスーツとネクタイがよく似合っていた。服装や言葉使いから言うと、紳士というイメージがピッタリの男性である。そして彼の後ろには彼の妻らしい中年の女性と、おそらく彼等の子供だろうと思われる男の子と女の子が一人ずつ控えていた。エチオピアの子供には珍しく、かなり高価そうな洋服を着せられている。僕の着ている伸びきったシャツや汚れのひどいジーンズよりもずっと上品な服装である。金持ちの家庭が休日に(その日は土曜日だった)博物館見学に来たのだろう。

ただ、その紳士がどうして僕に声をかけてきたのかよくわからなかった。しかし無視するのもなんだったので僕は

「この表にどこか間違っているとこがあるんですか?」

 と、応対した。すると彼は

「どこがというよりも全部間違っている。いいかね、人間は神によって創られたものなんだよ。」

 と、その紳士は言った。そして僕はそんな彼の言葉を聞いて、「まずいなあ、ヘンなことにならなきゃいいんだけど。」と、頭の中で思っていた。



その紳士のハナシを聞いてみると、彼の言いたいことは要するに『進化論』の否定であった。彼が多くの一般的なエチオピア人と同じくキリスト教徒であることは容易に想像できたが、彼はそのなかでもかなり原理主義的であるように僕には思えた。そして彼は続けて自分の意見を主張した。

「人間は神様がアダムとイブをお創りになったところから始まったんだ。我々の祖先は決してサルなんかじゃないんだよ。」

 僕は彼の意見を聞いて、「こういう人って時々いるんだよなあ。」と、思っていた。以前にユーラシア大陸を旅したときにも(特にイスラム教圏で)彼のような人間に出会ったことが何度かある。僕は宗教的な行動規範については認めるのにやぶさかでないのだが、ハッキリ言って神の存在については全く信じていない。だから僕は(なるべくその紳士を怒らせないようにして)反論することにした。

「確かに旧約聖書にはそう書いてありますね。でも進化論も科学的な事実として認められていますよ。」

「だから私はその科学が間違っていると言っているんだよ。」

「どのように間違っているんですか?」

「例えば尻尾だよ。サルには尻尾があるが、人間には無い。サルと人間が同一の生物だったと考えるのは間違いだ。」

「尻尾は進化の過程で不必要になったので、無くなったんですよ。」

「それは仮説だよ。事実ではない。」

 僕の反論は彼を納得させることができなかった。どうやらこの紳士はもう聖書の記述を心底信じっきているようである。こういう人を相手にいくら科学の議論をしても埒が明かないのは、僕は過去の経験から知っていた。だから僕は攻め方を変更することにした。

「でも・・・この国立博物館はエチオピア政府が建てたものです。もしこの博物館の図表が間違っているとするなら、政府の見解も間違っているということになりますよ。あなたの国の政府の見解が。」

「そうだ。政府は間違っているんだよ。」
 彼は堂々と、そう答えた。

「ですがヨハネ・パウロ2世(前ローマ教皇)だって進化論については認めたんですよ。」
 僕は続けて言った。

「教皇も間違っているんだよ。」

 その紳士は僕の意見をあっさり切り捨てた。そして彼はその後も何とかして僕を説得しようと試みたが、その都度僕も負けずに反論した。議論は堂々めぐりで、出口が見えてくる気配は全く無かった。最後に彼はかなり疲れた表情で僕に向かって尋ねた。

「どうして君は私の言うことを信じてくれないのかね?」

「何故信じないんだって言われても、僕はクリスチャンじゃありませんし、神が人間を創ったなんて信じられるはずありませんよ。」

「ではクリスチャンじゃなかったら、いったい君は何を信じているんと言うんだね?」

「仏教ですよ。」

 僕はそう答えた。普段自分が仏教徒だと意識することはほとんど無いのだが、こんな人に「何も信じていません」なんて言ったら、きっととんでもない論争に巻き込まれるのは目に見えていたし、僕としてはもうこれ以上不毛な言い争いのタネは増やしたくなかったからだ。しかしそんなふうに答えたところ彼は

「それなら早くキリスト教に改宗しなさい。」

 と、僕に忠告した。そして彼は僕に言い返すヒマを与えず、家族を連れてルーシーの部屋を出て行った。それから残された僕は

「困るんだよね、こうゆうの。だって僕はただ君を見たくて博物館に来ただけなんだから。」

 と、ガラスケースの中のルーシーに向かってつぶやいてみたが、残念ながら僕の言葉は彼女に届かなかった。あるいは届いていたのに彼女が聞こえない素振りをしていただけなのかもしれない。僕と同じで彼女も面倒なことには関わりたくないと思っているように見えたから。


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