首都カイロで旅の準備を終えた僕は、本格的にアフリカ南下を始めることにした。とりあえず次の行き先に決めたのは南部のアスワンという街である。しかし「とりあえず」と言ってもガイドブックを読むと、カイロ ― アスワン間は距離にして約700キロメートル、急行列車に乗ったとしても12時間以上もかかるという。(実際に乗ったのだが、確かにそれぐらいかかった。)しかしそれでも僕は全く途中下車をせず、一気に終点のアスワンまで行くことにした。その途中にはルクソールという、『カルナック神殿』や『王家の谷』といった外国人旅行者にとってはかなり著名な観光地を抱える都市などがあったのは僕も知っていたけれど、そういった遺跡にはそれほど興味が湧かなかったので、それらはパスしてとにかく南へと向かうことにしたのだった。

そしてそんな僕のやり方はアスワンに到着しても同じだった。アスワンにもルクソールと同様に、『アブ・シンベル神殿』や『イシス神殿』というかなり有名な観光スポットが存在していたのだが、僕がそういう場所に足を運ぶことはなかった。それではそのかわりにいったい何をしていたのかというと、ただ街をぶらぶら歩いていただけである。ではそんな過ごし方がアスワンには適しているのかというと、特にそういうことはない。いやそれどころかむしろアタマにくる事のほうが多かった。

「観光客向けの土産物ならまだしも、ミネラル・ウォーターのような必需品までふっかけてくるんだから、本当にたまらないよ。」

 それは僕がまだカイロに滞在しているときに知り合った日本人旅行者によるアスワンに対する愚痴だった。彼はカイロからアスワンへ行き、そこで観光してからまたカイロに戻ってきたところだったのだが、アスワンでの買い物が散々だったと言うのである。

彼も僕と同じようなバックパッカーだったから、節約しながら旅をしていた。だから買い物の際にはよく値切るようにしているのだが、アスワンではそれが全く通用しないと、僕に対してそう説明したのだ。彼はアスワンの地元住人がミネラル・ウォーターをいくらで購入しているのか事前に調べてから買い物に行き、下調べした価格でミネラル・ウォーターを購入しようとしたところ

「君にはその値段で売ることはできない」

 と、応対されたのだそうである。しかし彼もバックパッカーだったから、そんな言葉にあきらめることはなく、「値引きしてくれないなら他所で買うよ」と言ったそうなのだが、そうしたところ

「ああ、他所で買えばいいさ。」

 と、けんもほろろに断られてしまったというのである。これは奇妙なハナシだった。地元住民にその値段で販売しているということは、その値段で販売しても利益は出るはずである。しかし客に他所の店に行かれては1ポンド(ポンドはエジプトの通貨単位)の利益にもならない。何故ディスカウントしないのか、その理由がわからない。

その後に彼は他の店も廻ってみたのだが、結果はどこも同じだったという。しかし人間というのは、(たとえバックパッカーといえども)水が無いと生きてはいけない。それで彼は仕方なく高い値段でミネラル・ウォーターを購入したというのである。

僕はカイロで彼のそんな説明を、あまり真剣に聞いていなかった。たぶん自分の身に起こったことではなかったので、真剣な気持ちで聞けなかったのだと思う。しかしそれが良くない態度であったということが、アスワンへやって来た今、はっきりとよくわかる。なぜならアスワンで僕も同じ経験をすることになったからである。

それは僕が滞在していた安宿の近くにあった雑貨屋で、やはりミネラル・ウォーターを購入しようとしたときのことだった。その現地人価格というやつは例の彼から教えてもらっていたので、僕もその価格で購入しようとトライしたのだが、実際に要求された金額はなんと現地人価格の2倍であった。もちろん僕も負けずにディスカウントを求めて店側と交渉しようとしたのだが、相手は「できない」の一点張りでとりつく島も無い。納得いかない僕はこう尋ねた。

「どうしてダメなんですか?他の人たちにはもっと安く売っているじゃないですか。」

 と、僕が言うと

「君は外国人だ。外国人には2倍の料金で売ることにしているんだ。」

 と、答えたのである。あまりにひどい店側の言い分だったが、しかしそれ以上に驚いたのはその言い方に悪びれる様子がまるで無かったところである。「そんなの当たり前のことじゃないか」というような店主の応対にさすがの僕もあきれてしまい、もう何も言う気になれなかった。

 確かに僕等外国人旅行者は、エジプトの一般の人々からみれば金持ちかもしれない。だから外国人に沢山お金を落としてもらいたいという気持ちはわからないでもない。でもその一方で、「何も食べ物とか水のようなものにまで、『外国人料金』を設定することはないだろう。」そう思いもする。

結局僕はその店では買い物をせず、それから他の店を廻ることにした。しかし結果はカイロで出会った日本人旅行者と全く同じであった。アスワンの全ての店を廻ったわけじゃないけど、少なくとも僕が廻った店でミネラル・ウォーターを現地人価格で買うことはできなかった。ひょっとしたら価格カルテルのようなものがあって、商品の値崩れを防いでいるのかもしれない。僕は思うのだけれど、ガイドブックなどを読むと

「アラブ世界では何も買うにも、まず交渉から。全ての値段は交渉によって決まる。」

 そのような記述を見ることがよくあるけれど、たぶんその説明はアスワンを訪れる観光客には当てはまらないはずである。だって「オマエは外国人だから2倍の料金を払わなきゃならない」なんて言われたら、交渉も何もないじゃないか。

そういうわけで僕はアスワンに対してあまり良くない印象をもつことになったのだが、僕にとってにそれはとても残念なことだった。なぜなら僕はアスワンの次に向かう目的地を既にスーダンと決めていたので、このままでは悪い印象を抱えたままエジプトを出ることになってしまう。「終わりよければ全てよし」じゃないけど、できることなら良い印象もって僕はエジプトを出たかった。だから僕はその自分の望みを、「対岸」に託すことにしたのだった。



エジプト南部のアスワンという街はナイル川によって西と東に分かれているのであるが、僕はその東側 ― アスワンの中心部に宿をとっていた。東側に住む人間のほとんどは、エジプトの他の都市と同じようにアラブ人である。ではその反対側 ― つまり西側で生活する人間はそうじゃないのかというと、実際そうじゃない。そこに住む人達は『ヌビア』と呼ばれる民族である。彼等はエジプト南部からスーダン北部にかけて居住する民族で、宗教こそアラブ人と同じイスラム教だが、文化と言語に関しては独自のものを持っている。エジプトのなかでは少数民族と言ってさしつかえないだろう。

僕はナイル川の東側から渡し舟に乗って対岸へと渡った。対岸に到着すると、ラクダに乗って砂漠を廻らいなかと声をかけてくる男達がいるが、それを断り少し歩くとすぐにヌビア人の村が見えてくる。彼等の村は非常に特徴的なので、地図などなくてもすぐに見つけることができる。

なぜなら彼等の村の家々は鮮やかな白と青でカラーリングされていて、砂漠の中でとてもよく映えるのだ。現在こういう家に住んでいるのは広いエジプトのなかでも、おそらくヌビア人だけだと思われる。

あと特徴のもうひとつとして、外壁に絵が描かれている家々をよく見かける。絵の多くは羽を大きく広げた鳥か、もしくはハッジ(巡礼)の風景だ。ムスリムにとってメッカへの巡礼は生涯で一度は行わなければならない義務であり、夢でもあるというのはよく知られている事実だけれど、ヌビア族の間ではそんな巡礼を果たした人間が家の外壁にその風景を描く習慣があるとのことで、メッカへの交通手段として使われた乗り物の絵が描かれている。

その多くはラクダとか船といったこれまでの乗り物の絵なのであるが、わりに新しい巡礼風景の絵になると、ラクダや船の替わりに飛行機の絵が描かれている場合もある。こうゆうのを見ていると、巡礼のやり方も時代が進むにつれて変化していくんだということがよくわかる。あと何百年か後にはもしかしたらヌビア人の家の外壁に『リニアモーターカー』なんかが描かれる日がやってくるのかもしれない。

それから僕は村の中のあちらこちらを歩き回ったが、そうするうちに村の広場のような場所に出た。その広場では村の女性達が集まって何かの作業をしていたのだが、その人だかりを覗き込んでみると、どうやら大人のヌビア女性が女の子の腕や手に化粧を施しているようだった。

周りにいた別の女の子に化粧について尋ねてみると、その化粧のことを『ヘンナ』と呼ぶらしい。最初は日本の刺青のようなものかなと思ったが、引き続きそのヘンナの過程を眺めていると、針で彫っているのではなく筆ペンのような道具で染料を塗っていることがわかった。ちなみにその出来上がりはとてもキレイである。花模様や幾何学模様が描かれた女の子の手や腕を見ていると、その模様の細やかさと美しさに驚かされる。この技術がヌビアの大人の女性なら誰でも持っているのか、それとも習得するのに何か特別な訓練が必要なのかは聞き忘れてしまったが、いずれにしてもまさしくこれぞ職人芸と言うべき技術である。

やがて女の子のヘンナが終わると、また次の女の子のヘンナが始まった。僕は途中から見学したので一人のヘンナにどれくらいの時間がかかるのかわからないけど、よくこんなに細かくて神経を使いそうな作業を続けてできるものである。僕は尊敬の眼差しでヘンナを施しているヌビア女性を見ていたのだが、そうしたらその女性が

「あなたもやる?」

 と唐突に尋ねてきて驚いたが、僕は笑って断った。残念ながら僕に化粧や刺青をする趣味はない。よくサッカーの応援で見かける国旗とかのフェイス・ペイントぐらいならやってみてもいいかなと思うけど、花模様はさすがに男の僕には似合いそうもない。見せてもらうだけで充分だった。

その後も僕はヘンナを終えた女の子が肌を乾かす間、手や腕に描かれた模様を見せてもらっていた。

ヌビア人の肌は川の東側に住むアラブ人のそれと比べるとかなり色が黒い。でも今その女の子の肌の黒さは、上手くヘンナの黒色の模様と調和しているように僕には思えた。

褐色の肌に同系色の黒がこんなにも上手く調和し、それでいて模様も映えるものだということを知ることができたのは意外な発見だった。そして僕がその女の子に

「とてもキレイだね」

 英語でそう言うと彼女は

「でしょう?」

 と、笑顔を見せながら答えてくれた。それから僕は村を後にし、渡し舟に乗るために岸辺へと歩いた。アスワン滞在の最初のうちはなかなか上手くいかなかったけど、最後のヌビア村への訪問は僕にとってエジプトに来てから一番楽しい時間だったような気がする。これで心置きなくこの国を後にすることができる。


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